(1)
半年ぶりの待ち合わせに二時間も遅れてきたヘンリー・リバースは、ローザの顔を見るなり、叩きつけるように言った。
「言いたいことは一つだけだ。お前とは結婚しない」
昼下がりの混雑したカフェテラスから、ざわめきが一瞬で消え去った。
「……婚約破棄、でございますか?」
「ふん、破棄されたら困るだろ?」
「いえ、私は…」
俯いてヘンリーの話を聞いているローザは、心の中では思うままに悪態をついていた。
(全く困らないっての! もったいつけてないで、とっとと茶番を終わらせなさいよ、クソ王子が!)
ローザとしては、容姿以外に何の取り柄もない王子のくだらない口上が少しでも早く終るなら、王子の言い分などいくらでも聞いてやる気でいるが、相手のほうは、簡単に終わらせるつもりはなさそうだった。
「結婚はしないが、お前との婚約は破棄も解消もしない。せいぜいありがたく思うんだな」
「……」
(予想はしてたけど、やっぱりそう来たわね。王子が思いつくはずもないから、どうせ誰かの入れ知恵でしょうけど!)
ヘンリーは公務として国の行政に関わっているが、実務能力が低いため、ほとんどの仕事をローザが内々に処理していた。
婚約したばかりの頃は、ヘンリーはローザに感謝の言葉を惜しまず、その献身を讃えてくれてもいた。
(それも、王子があの女に誑かされるまでのことだったけどね!)
王子などに感謝されるのが少しばかり嬉しくて、あれやこれや尽くしていた過去の記憶は、黒歴史として散々に踏み躙った上で遠い宇宙に廃棄済みだ。
もちろん、愛など芽生えていない。
「お前には公妾という名目の、下女の立場を用意してやる」
「……」
「驚いて言葉も出ないようだな。側妃になれるとでも思ったか?」
「……」
(驚くどころか予想通りよ! ほんと捻りのない王子ね!)
「分かっているだろうが、私の正妃になるのは気高く美しい、我が王国の至宝たるルーシーだ。公妾だからといって、愛人扱いなど間違っても期待するな」
ローザには全く理解できないのだが、王子は、ローザが自分を愛するあまり、どんな仕打ちをされても従順であり続け、身も心も捧げるはずだと信じ込んでいる。
愛など、どこにもないというのに。
(殺したいほど憎悪されてるかもしれないなんて、想像もしないんでしょうね。ほんと、王子につける薬はないわ)
もっとも、ローザはこんな王子など、本当は憎む価値もないと思っているのだが。
「浅ましいお前のことだから、私に情けをかけてもらうために穢らわしい策を弄するつもりだろうが、お前のような身も心も醜い女に、つけ入る隙などないと知っておけ!」
(言いたいことは一つじゃなかったの? 話の長い王子って最低ね。カフェの営業妨害よ)
客だけでなく、従業員までもが、固唾を飲んで美しい王子の茶番を注視している。