公爵令嬢に殺された
「汝 病めるときも 健やかなるときも 富めるときも 貧しいときも これを愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?」
「……はい、誓います」
神父の問いかけに、新郎である王太子のフリクトが静かに頷く。
(ああ……!)
愛する人の姿をウェディングベール越しに見つめながら、クレオは心の中で叫んだ。
クレオがフリクトと出会ったのは、彼女が行儀見習いとして王宮に初めて赴いた日のことだった。
歳の近かった二人の距離は自然と縮まり、その関係はクレオが王宮を去ることとなった後も続いた。
とはいえ、クレオとしてはまさか自分がフリクトと所謂そういう関係になるなんて露も思っていなかった。
フリクトは次期国王たる王太子で、一方のクレオは男爵家の令嬢。
下級貴族の出ではとても釣り合わない。
だからこそ、フリクトに結婚を申し込まれたときは心底驚いた。
「身分なんて関係ない。他の貴族たちがなんと言おうと、僕が絶対君のことを守ってみせる。だから結婚してほしい」
満天の星空の下、私の手を握りながら彼がそう言ったときの姿は、今でもはっきりと瞼に焼き付いている。
そんな彼が今まさに、違う女に永遠の愛を誓っている。
(本当なら、今頃私が……)
瞳に映る光景に、クレオは深く絶望した。
しかし、それも仕方のないこと。
だって、私はもう死んでいるのだから――。
◇◇◇
「クレオ=カーマイン、貴女を処刑します」
突然の宣告に、屋敷の衣装部屋でドレスの最終チェックを行っていたクレオは言葉を失った。
すでに彼女の周囲は雪崩れ込んできた憲兵たちによって取り囲まれている。
「あ、あの……これはいったいどういうことでしょうか……?」
「黙りなさい」
全く心当たりのない罪状に困惑するクレオに、向かい合う女性はぴしゃりと言い放った。
アルミリア=ヴァーミリオン。
ヴァーミリオン公爵家の令嬢にして、クレオとは旧知の仲である。
「貴女が国防に関する重要機密を隣国に横流ししたこと、すでに調べは付いています。仮にも貴族の末席を汚す身でありながら我が国を貶め私腹を肥やそうとした罪、死をもって償ってもらうわ。さあ、その痴れ者を取り押さえなさい」
「な……!」
アルミリアの指示で、二人の兵士が左右からがっちりとクレオの腕を締め上げる。
「お、お待ちください! 私は誓ってそのようなことは致しておりません! なにかの間違いです!」
「いいえ、間違いなんてないわ。だって、もうそういうことにしてしまったもの。貴女が死ぬのは“決定事項”なの」
「え……」
決定事項……?
「……まさか」
「フフ。そのまさかよ」
アルミリアが不敵な笑みを浮かべる。
そう、最初から罪など存在しない。
国家機密の漏洩などただのでっち上げ。
すべてはクレオを貶めるためにアルミリアが仕組んだ罠。
「貴女が悪いのよ、クレオ。王妃になるのはこの私と生まれたときから決まっていたのに、たかが男爵家の令嬢ごときが横から奪おうなんてするから」
やれやれ、と呆れたようなアルミリアの物言い。
国の黎明期から存在するヴァーミリオン公爵家は、数ある貴族においても名門中の名門である。
彼らは代々一族の人間を王もしくは王の血縁者と結婚させることで国の中枢を支配してきた。
――ヴァーミリオン家が黒と言えば、無垢な純白さえ漆黒になる。
そんな噂が真実味を持って囁かれるほど、彼らの権力は絶対だった。
そしてそんな家に長女として、また奇しくも王太子と同じ年に生まれ落ちたものだから、アルミリアの将来は約束されているようなものだった。
親戚一同誰もが彼女の未来を疑わなかったし、本人も強く自覚していた。
王妃になるのは私以外ありえない、と。
しかし、王太子はクレオを選んだ。
ゆえにアルミリアにとってクレオはあくまで簒奪者。
己の地位を奪った憎き相手としか映っていない。
たとえ事実と異なっていたとしても……。
「……アルミリア様は、ご自分が王妃になるためだけに私を殺すのですか?」
「ええ、そうよ。邪魔ものである貴女さえいなくなれば、王太子も私を妻に迎えるしかなくなる」
「でも、フリクト様が信じるとは思えません。私が国を売るなんて……」
「それは余計な幻想を抱いているからよ。彼には成り上がりで爵位を得ただけの元平民なんてこんなものと思い知ってもらうわ。証拠ならすでにたっぷり用意してある。他の大貴族たちも皆喜んで協力してくれたわ。やっぱり貴女みたいな下賤な女が王妃なるだなんて我慢ならなかったのよ」
「そんな……」
クレオの家は男爵だが、元は庶民である。商人として国の繁栄に貢献した功績が認められて爵位が与えられた。
それゆえ、上級貴族たちの間ではクレオのような存在を疎ましく思う者も多い。人によっては血が汚れているなんて侮辱を吐き捨てる者もいる。
無論、そうした空気はクレオも感じていた。
でも、さすがにここまでやるとは思っていなかった。
まさか彼らの地位や権力への帰属意識がここまで深いなんて……。
「ただ、最後にやはり確固たる証明が欲しいの。罪を暴かれた貴女が観念して自白したっていうね」
アルミリアが一枚の羊皮紙を取り出し、クレオに突き付ける。
そこには罪を認め、謝罪し、死を以て償う旨の内容が記されていた。
「あとは貴女がここに拇印を押せば完成よ。さ、指を出しなさい」
「やめて……!」
「あらいいの? 素直に従えば、貴女の家族だけは黙っていることを条件に他国への追放で許してあげようと思っていたのに」
「え……!?」
アルミリアの言葉に、クレオの動きがピタリと止まる。
「でもいいわ。だったら全員まとめて――」
「待ってください!」
「あら?」
「……お願いします。ちゃんと従いますから……家族だけは……」
クレオにとっては、こんな状況になった時点で家族も無事では済まないと思っていた。
それが助かるかもと分かった以上、抵抗などできるはずもなかった。
「そうそう、それでいいのよ」
懇願するクレオに満足そうに微笑み、アルミリアは無抵抗のクレオの親指にインクを付けて羊皮紙に押し当てた。
「フフ。貴女の裏の顔を知って絶望する王太子を見るのが待ち遠しいわ」
まるでこの状況を心底楽しんでいるようにアルミリアは笑った。
だが、この時点でまだクレオは気づいていなかった。
アルミリアという人間の本当の恐ろしさを。
「さあ、それじゃあ最後の仕上げよ」
いよいよ殺される。
クレオは覚悟した。
しかし、アルミリアは言った。
「すぐにでも殺したいところだけど、ここでは殺さないわ。処刑は私と王太子の婚姻の儀が終わった後。言っておくけど、これは慈悲じゃないわ。実はね、ただ殺すよりもっとイイことを思いついたの。私に恥をかかせた貴女に最大級の屈辱を与えるための――」
「なにを……!?」
近づいてきたアルミリアが、クレオの頭を鷲掴みにして呪文らしき言葉を唱える。
「う……あぁ……」
薄っすらと光り輝くアルミリアの手のひらから、頭の中にナニかが流れ込んでくる。
そしてアルミリアが手を離したとき、クレオの視界に映っていたのは――他ならぬ“自分自身の姿”だった。
「これは……!?」
「魔法よ。私の『視覚を共有』したの」
「ッ!?」
魔法。
限られた者しか使えない超常の力。
貴族のような高貴な身分の者は、生まれながらにして高い魔力を有する。
この魔法の存在もまた、アルミリアのような選民思想を助長する原因だった。
(でも、なぜこんなことを……?)
「言ったでしょ? 屈辱を与えるって。貴女はその目で見ることになるの。愛した男が別の女に永遠の愛を誓う姿を」
「な……!?」
まるで鏡を見ているように、驚愕に目を見開く自分の姿が映る。
「フフ、楽しみでしょう? キスするところなんてきっと最高よね」
「……ッ!」
アルミリアの発言に、クレオが反射的に掴みかかろうとする。
しかし、屈強な兵士に両腕を掴まれた状態ではどうにもならない。
「離しなさい……! 離してッ……!」
「あ~、こわい。でも無駄よ。この後貴女は牢屋に閉じ込めて誰とも面会できないようにするから。大事な人が私のモノになっていくのをただ見ているだけで、何もすることができない。あ、ちなみに目を閉じても無駄よ。脳に直接映像が流れ込んでくるから」
尚も抵抗するクレオを、なんとも意地の悪い笑みとともに見下ろすアルミリア。
しかし、その姿すら今のクレオには見えない。
いや、ある意味見えなくて正解だったかもしれない。
もし見えていたらこの腕を千切ってでも喉に噛みついていたかもしれない。
「馬鹿な女ね。最初から分不相応な幸福なんて掴もうとしなければ、こんな惨めな結末を迎えずに済んだのに」
最後にそう言い残すと、不快な高笑いを上げながらアルミリアは部屋を後にした。
◇◇◇
「――汝 病めるときも 健やかなるときも 富めるときも 貧しいときも これを愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?」
「……はい、誓います」
(ああ……!)
冷たい石畳の牢屋の中。
目の前で執り行われるフリクトとアルミリアの結婚式を、クレオは絶望に打ちひしがれながら眺めていた。
本来であれば私が直接見ていたはずの光景。
それが今は、アルミリア様の目を通して流れ込んでくる。
この日を迎えるまでの過程もずっと見てきた。
特に辛かったのは、アルミリア様が私の罪をフリクト様に告げたときだった。
フリクト様は頑なに信じようとしなかったが、捏造した自白の紙と自殺した証拠として切り取った私の髪の一部を見せられ、最後は床に膝を突いてしまった。
愛した女性に裏切られたという事実に、まるで心が折れてしまったように。
その後はあっという間だった。
ヴァーミリオン家に従う貴族たちに説き伏せられ、フリクト様はアルミリア様との結婚を受け入れた。
もともと私との結婚を予定していたため、準備にもさほど時間は掛からなかった。
もちろん本当に自殺しようとも考えたが、アルミリア様の意向でそれもできない。
自殺したら家族も殺す。そう脅された。
自分で言っていた通り、どうしても私に結婚式の様子を見せて屈辱を味わわせたいらしい。
そして、いよいよその時が来た。
「――それでは、誓いのキスを」
儀式の締めくくりとして神父が二人に促す。
フリクトの手でそっとアルミリアのベールが持ち上げられ、互いの目と目が合う。
お願い……やめて……!
「フリクト様……!!!」
悲痛な叫びが牢屋に木霊する。
しかし、どれだけ願おうと止まることはない。
だって、私は殺されてしまったから。
彼女に――アルミリア様に。
だからもう、フリクト様の心の中に私はいない。
この想いが届くこともない……永遠に。
「…………」
「……どうかされましたか?」
突然固まってしまったフリクトに、アルミリアが怪訝そうに問い掛ける。
「……そこにいたのか、クレオ」
「!?」
(え……!?)
フリクトの言葉に、アルミリアはもちろんクレオも驚きで目を見開いた。
「ずっとこの瞬間を待っていたんだ。君のご家族や屋敷に仕えていた者たちも、すでにいつでも保護できるようにしてある。君の罪に関する捏造の全貌も暴いた。あとは君を助け出すことさえできれば、こんな茶番を終わりにできる。けど、君の居場所だけが分からなかった」
フリクトの目はアルミリアを見つめている。
しかし、その言葉はまるでクレオに語り掛けているようだった。
「でも、今ようやく分かった。“その目”を通して、君の魔力を感じ取ることができた」
「なっ……!」
魔法で視覚を共有するということは、術者と対象者の間に常時魔力の導線を張り続けることになる。
フリクトは、言わばそこから魔力の逆探知をやってのけたのだ。
――魔法の素養は高貴な身分であるほど大きい。
王太子であるフリクトのそれは、並の人間の比ではない。
意味を理解したアルミリアが慌てて顔を逸らす。
「もう遅い。アルミリア、あなたはここで逮捕する。クレオを誘拐したことだけじゃない。国家反逆罪の容疑者としても」
「ふざけないでッ! どうしてこの私が……!」
金切り声を上げるアルミリアに、フリクトは確信をもって告げた。
「証拠に真実味を持たせるため本当に他国に情報を売ったのが徒となったね。あなたの家も、そして手を貸した他の貴族たちも同罪だ。それと文書の偽造も立件する。きっとこれまでも同じようなことをしてきたのだろう? 余罪も含めて徹底的にあぶり出すから覚悟しておいてくれ」
フリクトの言葉は、まるでアルミリアだけではなく式典に参加していた他の貴族たちにも向けられているようだった。
きっと今目が合った青ざめている連中がそうなのだろう。しっかり顔は覚えた。アルミリア様と視覚を共有しているおかげでよく分かる。
初めてこの魔法に感謝したいと思った。
「どうして……貴方だって一度はクレオの罪を信じたはずじゃ……」
「僕があなたの言うことを本気で信じると思うかい? 地位ばかりに固執するあなたを。もっとも、今回はそのせいでこんなに気付くのが遅くなってしまったわけだが」
もし一度でもアルミリアがフリクトと目を合わせていれば、もっと早くクレオの居場所を突き止め救出できていただろう。
結局、アルミリアが見ていたのはフリクトそのものではなく、いつだって王太子という立場だけだったということだ。
それにしても、クレオに屈辱を与えたいという欲が結果的に己の破滅につながってしまったあたり、これほど因果応報なことはないだろう。
「そんな……嘘よ……こんなのうそ……」
観念したアルミリアが膝から崩れ落ちる。
もはや抵抗はないと判断し、フリクトは再び魔法を介してクレオに語り掛けた。
「すまないクレオ。ずっとつらい想いをさせてしまって。君のことを絶対に守ると約束したのに……」
余談だが、もし仮にアルミリアの気が変わって私をすぐに殺そうとしても問題なかったらしい。
なんでもフリクト様は私に加護の魔法を掛けていたようで、いざ危害が加わりそうになったら自動で発動していたとか。
たしかに私の居場所だけが分からなかったと言っていたが、よく考えたらあれは私の生存が前提の発言だ。
まったく、それならそうと最初から教えてくれればよかったのに。
とはいえこうして後悔しているあたりが真面目なフリクト様らしいなとも思う。
だからこそ、クレオは笑って許した。
「いいんです。だって――私はちゃんと生きてますから」
こうして、殺されたはずの私は無事に生き返り、愛する人との幸せを掴むことができた。
最後まで読んでいただきありがとうございました!