忘却
少し怯えた顔で、こう言われた。
「あなたは誰?」と。
そして、彼女は浮かび上がる感情を抑えながら、
少し声を震わせ、こう言った。
「娘よ、お母さんの娘」と。
すると、
「あぁ、そうね」
と母は呆気なく言った。
またある日、
「あたなは誰?」と言われた。
そして、彼女は優しい表情を浮かべてから、母の手を握り、こう言った。
「娘よ、お母さんの娘」と。
またある日、
「あなたは誰?」と言われた。
そして、彼女はまだ優しい表情と柔和な声で、こう言った。
「娘よ、お母さんの娘」
そして、そんな日々が続いたある日、
「あなたは誰?」と言われた。
そう言われると、彼女は普通の声で、こう言った。
「娘よ、お母さんの娘」
そんなやりとりが続いたのだ。
彼女は実の母から忘れられた、あの日の悲しみにも慣れてしまい、
時に、母に腹を立てた。
そして、同じ事を繰り返す日々に対し、
時に母に厳しい言葉を言いそうになり、
「疲れた」という言葉が幾度となく出るようになってしまっていた。
そうしている内に、季節が幾つか巡った。
母の体調はどんどん弱っていくのが、目に見えて分かっていた。
彼女は実家で荷物整理を始めた。
この先何があるのかがわからない為、一度整理をしたかった。
その際、彼女は押し入れに仕舞ってあったアルバムを見つけ、何気なく開いてみた。
その中にはくすんだ色のフィルム写真が並び、
幼き日々の自分がいた。
彼女はその場に座り込み、写真を眺め出した。
じっと眺めた。
勿論、写真には母も写っていた。
母がまだ小さな私と手を繋ぎ、
笑っていた。
彼女はその写真から、母の笑顔と明るい声を思い出し、
涙を流した。
そして、
忘却していたのは、私の方だと思った。
「ごめんね、お母さん」と一人呟いた。
その愛を、忘れていたのは私の方だと。
娘は泣いた。
そして、これから忘れないように、
いくつかの写真をアルバムから取り出し、
いつでも見れる場所に、彼女は飾っておくことにした。
母の笑顔がいつもでも見れるように。
読んでいただき、ありがとうございました。
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