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鶴と恩返し

作者: yozora

童話を元にして何か書こうと思ったら、まず最初に浮かんだのが鶴の恩返しでした。

なんでですかね……?



昔々、あるところに一匹の鶴がいました。


その鶴は何百年と生き続けた長寿の鶴でした。


鶴は渡り鳥です。


長い時間をかけて世界を旅します。


寒ければ温かい場所へ、暑ければ涼しい場所へ。


季節が変わり、年が変わり、時代が変わってもその鶴は飛び続けました。


その間に様々な知り合いができました。


けれど、皆とは仲良くなれてもすぐに飛び立つために別れなくてはいけませんでした。


ずっと一緒に居られる友達がいないのは淋しかったですが、鶴さんは行く先々で目新しいものに触れて淋しさを紛らわしていました。




ある日、鶴が川に降りるとそこには罠が仕掛けられていました。


生まれて初めて罠に掛かってしまって鶴は死の恐怖を感じました。


あぁ、どうしよう。


私はこれからどうなってしまうのだろう。


もう私は死んでしまうのだろうか。


いやだ。


死にたくない。


鶴は罠から逃れるために暴れますが逃れることもできずにただ闇雲に体力を消費してしまいます。


鶴の心は絶望に染まりだしました。


気がつけば自分の近くにさきほど暴れたときの音を聞いてか、人間の青年が立っていました。


一瞬自分を罠にはめ、殺しにきた人間だと思いましたが、その青年は優しく自分を罠から解放してくれました。


「これで、よし。もうこんな罠にかからないように気をつけろよ」


鶴はその青年をまじまじと見ました。


自分を罠にかけたのは人間。けれども助けてくれたのも人間でした。


知らず心がポカポカとしているのを感じました。


この時鶴は初めて『恋』というものを知ったのです。





次に日に鶴は近くの森へ行き、森の賢者と呼ばれるフクロウへ会いに行きました。


「おや鶴さん久しぶりだねぇ。どうしたんだい?」


鶴は人間に助けてもらったこと。そしてその恩を返したいと相談しました。


そして、あと一つ。できれば少しの間だけでもいいから人間になってあの人の傍にいたいということを。


フクロウさんは難しい顔をしました。


「鶴さんや。もし、君が人間の姿になったとしても、君は人間じゃない。きっと、余計辛い思いをすることになってしまう。それでもいいのかい?」


鶴には難しいことはわかりませんでした。


ただあの人に会いたい。あの人の傍にいたい。


それだけの思いが心を満たしていました。


フクロウさんは少し気の毒そうな顔をして知り合いの狸さんを紹介してくれました。


狸さんは変化の術を教えてくれました。


しかし、変化の術は完ぺきではありません。


まず、時間が経つほどに徐々に術は解けていってしまいます


そして、自分の正体がばれてしまったが最後、二度と変化の術を使うことができなくなってしまいます。


狸さんも鶴さんには術を本当に使うのか心配していました。


けれど鶴さんはもう決心をしていました。


その日の夜にあの人の元へ向かうこと決めました。


幸い、あの人の家は湖の近くにあり簡単に見つけることができました。


夕方に上空を飛ぶと、あの人が何やら家の周りを整理していました所を見つけることができたからです。


日が沈み、周囲が暗くなるとあの人の家の近くに降り立ち変化の術を使いました。


体が、感覚が、どんどん変わっていきます。


自分の体なのに自分ではないような、そんな不思議な感覚です。


鶴はその感覚を怖がりませんでした。むしろあの人と同じ人間になれた喜びでいっぱいでした。


手を伸ばし、足で大地を蹴り、クルクルと回ってみました。


ただそれだけのことが何だか楽しく、目が回るまでずっと回り続けました。


「…あはは……あははっ!!」


その時初めて人の言葉を発しました。


それほどに嬉しかったのです。



やがて雪が降ってきて鶴はあの人の家へ行くことにしました。


けれど、いざあの人の家の前に着くと緊張して何を話せばいいかわかりません。


そもそも、あの人には恋人がいるかもしれません。子供だっているかもしれません。


それならば私は彼らの邪魔にしかならないでしょう。


考えれば考えるほど不安と葛藤が生まれてきます。


…大丈夫。


だいたい私は恩を返しに来たのだ。それ以上は望むべきではない。


ごめんください。開けてくれませんか。


そう心の中で復唱する。


練習は大事だ。


今度は何度も何度も小さな声でボソボソと復唱する。


「………ごめんください…開けていただけませんか……」


すると小さく聞こえる声が聞こえたのか、あの青年が扉を開けて出て来ました。


「…えっと、君は……どうしたんだい?」


開けて見ると女性が一人で家の前に立っていて彼は困惑気味でした。


これど彼以上に混乱している者が居ました。


「…ご、ごめんくださいっ!開けてくれませんかぁっ!!」


「…………はい?」


こうして動揺しまくりの鶴さんは無事にあの人の下にたどり着いたのでした。







私はまず彼について質問し始めました。


初対面であまりに失礼な質問でしたが、幸い、彼はなんてことないように答えてくれました。


彼は一人暮らしの若者でした。


両親とは幼い頃に死別し、育ての親の元からつい最近出てきたのだと言います。


「あんた、名前は?」


「名前…ですか……」


名前なんて生まれて一度も持ったことがありません。


困った顔をする私に青年は頭を掻きます。


「…あぁ、悪かった。どう見ても訳ありだよな……配慮が足りなかった。」


「ああいえ…そういうわけではないのですが」


小声で返すが青年には聞こえていなかったようで。


青年はやがてポツリと呟きました。


「……お鶴…」


「え?」


一瞬私は驚きました。もう鶴であることがばれてしまったのかと。


しかし、違いました。


「……あんたのきている着物。鶴のように綺麗な白い絹でできているだろう?あと、あんたの肌も白くて綺麗だ。だから、お鶴。…どうだ?」


私は嬉しく思いました。


初めて自分だけの名前を持ったことに。


そして、自分のことを褒めてもらったであろうことを。


私は何度も頷き、涙しました。


急に泣き出した私を青年は心配してくれていましたが、名前を気に入っただけだというと苦笑していました。


泣き止み落ち着いたころになると外は吹雪が吹き荒れていました。


青年が夕方に動いていたのはこの吹雪に備えていたのかと納得しました。


「はぁ、お鶴。泊まっていくといい。大丈夫だ。何もせん。」


「…え?泊まってよいのですか?」


「こんな吹雪になか外に放り出せるわけないだろう。だいたい天候が悪くなりそうだから泊めてもらいに訪ねてきたのだろう?」


泊めて貰う理由など考えていませんでしたが、彼と一緒にいるためにそうだったと答え泊めてもらうことにしました。


部屋は敷居を敷いただけで同じ部屋でした。


そもそも部屋がいくつもある家ではないので当然です。


作業部屋もあるらしいのですが、物が結構置いてあるようで寝られないようです。


彼は気にしないのかもしれませんが私にとっては大事でドキドキして寝るどころではありませんでした。


翌朝、彼と挨拶をすると彼の目にも隈があったので、もしかしたら、それは彼も同じだったのかもしれません。




その日から彼と一緒に暮らす生活が始まりました。


彼にはとある事情で暫く家には帰れないと伝え、彼の良心に押し入り暫く泊めてもらえることになりました。


私は彼に恩を返すと決めました。


ある日は掃除をして、ある日は釣りをして、ある日は薪を取りに行きました。


そうして過ごしているうちに人間の体に慣れ、まるで生まれたときからこの体だったのか思うほど自由に動かせるようになりました。


もはや、かつて空をどう飛んでいたのかもわかりません。


けれど、そのことに恐怖はありませんでした。


彼と一緒にいることがそれほどまでに楽しかったのです。


毎日毎日新鮮なことがいっぱいで、色んな出来事がたくさんありました。


いつの間にか「おかえり」と「ただいま」を言われるようになりました。


この家にいていいよと言われている気がして、私は嬉しくなりました。


たまにあう近くの村人さんたちからは、良い夫婦だとからかわれて、私はすぐに顔が暑くなって俯いていまうのでした。


一度、ちらと隣をみると顔をそらしていたのが気になりました。


「お鶴、今日のお昼は新鮮な魚だぞ!」


「はいっ!料理は任せてください!!」


彼から魚の捌き方を教わり最近では彼よりも料理がうまくなったと思うようにもなりました。


彼はよく魚を取ってきて食卓に並べましたが、鶴の頃から魚はよく食べていたこともあり私には何の苦もありませんでした。


彼と話しているうちに、過ごしているうちに、私もどんどん活発になっていきました。



私にとって特別な日もできました。


たまには遠出でもするかということになり、夜に星を見に行くことになりました。


いざ、到着すると緊張しっぱなしでどうしたらいいのかわかりませんでしたが、ふと、彼が私の手を握ってくれたのです。


あの温もりは今もまだ覚えています。


私たちは手をつないだまま夜空を見上げました。


その空は私が一人で飛んでいた頃に見た夜空とは全然違い、今まで見た景色の中で一番綺麗でした。


その日は初めて手を繋いだ記念日です。


他にも抱きしめてくれた記念日なんかもあります。


恥ずかしいですが、全て大切な思い出です。







やがて彼と出会ってから一ヶ月が経ちました。


彼はお鶴に改まった話があると言いました。


「…改まった話とは…何ですか?」


「お鶴。お前は俺とこの一か月を過ごしてきて楽しかったか?」


「えぇ」


即答で返す。


絶対に間違いない。私が生きてきた中で一番楽しい時間だった。


「……お鶴。…君に何か事情があるのは分かっている。もしかしたら俺なんかとは身分の差がありすぎるのかもしれない」


青年は言葉を探すように目をさまよわせながら呟きを紡いでいく


「けれど、もし君がそんな何かを投げ出していいというのなら。俺といたいと思ってくれるなら」


選ぶ言葉は決まっているようだった。


「俺と…俺と、結婚してくれないか?」


「………え?」


その言葉は彼と会う前にとても期待していたものだった。


それは今も変わらない思いで。


でも、期待しては本当はダメなことであって。


けれど、やはりこの気持ちに噓はつけない。


「……ダメか?」


涙をこらえるのに返事が遅れてしまった。


けれど、涙をこらえたのは返事をするためだから。


「いえ…私もあなたと一緒にいたいですっ。…結婚したいですっ……」


気持ちを止められずに彼に抱きつく。


涙と嗚咽が自身から漏れ続ける。


彼の服が私の涙や何やらで酷い有様になっている。


あとで謝ろう。たくさん謝ろう。


それでも私は泣くことを止められませんでした。





泣き止み落ち着いた頃には辺りは暗くなり、最近では珍しく吹雪が吹いていた。


なんだか、前もこんなことがあった気がする。


お鶴は台所に立って夕飯の支度をしようとしている青年の元へ向かった。


「お鶴。もう大丈夫なのか?」


青年は心配してくれているが、お鶴は笑って大丈夫と答える。


お鶴は彼の隣に立って魚を捌こうとする。


ガタッ


「おい!お鶴っ!」


包丁を落としてしまった。


何となく普段とは手の感覚が違う気がする。どれだけ力を込めても握力が強くならない。


「ううん、心配しないで…大丈夫だから」


「まぁ、あんだけ泣いてたし泣き疲れたのかもしれないな……そこで横になってゆっくりしてろ」


彼の言葉に従い、居間で横になり彼が料理してくれるのを待ちます。


運ばれてきたご飯を食べるにも箸を上手く持てず苦労したが、どうにか彼に怪しまれずに食べきることができました。


せっかく夫婦になれたというのに、彼は私が心配だからと早めに寝かせてくれました。


彼は本当に優しい人です。


そんな彼の妻になれて幸せです。






………


上は水色の空、下は蒼い海。


その日の夢で私は空を飛んでいました。


腕の代わりに羽があり、足は細く大地を蹴って走ることはできませんでした。


ただどこかを目指して飛んでいます。


夢の中で気がつきました。


あぁ、ついにその時がきたのだと。


お鶴(わたし)(わたし)へ戻らなければならない時間がきたのだと。


私は飛びながら泣き続けます。


羽では涙を拭えない。


立ち止まって泣きじゃくることもできない。


ただただ悲しさだけが押し寄せてきます。


やがて辺りに光が満ちて。


目が覚めると私は布団で寝ていました。


すぐに自分の体を見渡しました。


手はまだある。


足だってまだ動く。


私は少しだけ安堵しました。


しかし、その日から私は走ることが出来なくなりました。




彼は町まで降りてお医者さんを連れてきてくれましたが、この症状はお医者さんに見せても何もわかりませんでした。


それはそうでしょう。これは人間の怪我でも病気でもないのですから。


彼はいつも彼女を心配していました。


本当は何があるかわからないのだから、ずっと傍にいたい。


けれど、彼は働かずにいられるほど裕福ではありませんでした。


「じゃぁ、ちょっと行ってくる。すぐに戻るからな!」


本来ならば冬を越す準備が整っています。


けれど、今年の冬は一人ではなく二人だった。


だからこそ彼は出かけなければならなかったのです。


正直、私は彼が外へ出ていくのをホッとしていました。


なぜなら、ときどき私の腕が羽にみえることがあったからです。


今ではもう昔のように感じる一か月前の狸さんの言葉。本当の姿を見られてはならないといわれていたのを私は思い出していました。







日に日に衰弱していくのを彼もお鶴自身もわかっていました。


まだあの夢から4日。


けれども、お鶴はもう自分の力だけで立っていることもできなくなっていました。


だから。


お鶴は彼に頼みました。


布を買ってきてもらえませんか…?







彼はお鶴のために布を買ってきてくれました


彼が何に使うのかと聞いても、お鶴は教えませんでした。


「秘密です。あと、私がこの布で作業中の間、いいえ、この部屋は絶対に覗かないでくださいね」


彼女はよくその部屋で布を織るようになりました。


彼は心配になり何度かその部屋を覗こうとしてやめました。


それは、彼女を裏切ることになるからです。


だから、日に日に弱っていく彼女を見守った。


彼にはせめて彼女のやりたい事をさせてあげることしかできなかったのです。


そして時間は過ぎていきます……。








夢の中で私が飛んでいる。


そして、これは夢の終わりだ。


今まで人間に近かった感覚が、今は鶴である感覚でしか残っていない。


体が忘れてしまった。


初めて手を繋いだ感覚も。


強く抱きしめられた感触も。


あの触れ合った温もり全てを。


ただ、思い出として残っているだけ。


それが途轍もなく悲しかった。


…思い出した。


……私はまだやり残したことがあったんだ。


ちょっとだから。あともう少しだけ……。


だから頑張って、私の体……。


……夢から現実へ引き戻される。


……






目を覚ますと隣には彼がいた。


……思い出した。私は倒れたのだ。


彼が帰ってきて、玄関へ向かいに行き、彼を待っている間に酷い目眩に襲われ倒れた。


私は何時間、いや何日寝ていたのだろうか。


途中鶴に戻ることはなかったのだろうか。


……たぶん、なかったのだろう。きっと一瞬でも戻っていたら私はこの体で戻って来れはしなかったはずなのだから。


窓の外を見ると夕暮れ時で、あと一刻あたりで日没だろうとわかる。


私は体を引きずるようにあの作業をしていた部屋へ向かう。


部屋は、私が最後に作業していたままになっていた。


あの人はいつだって私を思ってくれた。


最初にここに泊めてもらった時。


いいや、最初に罠にはまってしまっていた時から。


彼の真摯さが、私をより彼を好きにさせた。


どうか、そのままでいてください…。


……私は最後の手直しをする。


よし、これでもう悔いはない。


不意に激しい足音が聞こえた。


誰かなんてわかっている。


この家には彼しかいない。


「お鶴っ!」


彼が扉を開き、作業室へ入ってくる。


表情に焦りが見えていた。


とても心配させてしまった。


……けれど、もうお終い。


「見られてしまったからには、私はもうここにはいられません」


「お鶴…何を言って……っ!?」


彼にはもう見えているでしょう。


もう羽に戻ってしまった私の腕が。


もうどうしようもない。


感覚はもうほとんど人間の体を忘れてしまっている。


私は私の羽を見る。


体からどんどんあの体験が抜け落ちていく。


…あんなに嬉しかったのに、もう彼と手を繋げない……。


……あんなに心が満たされたのに、もう彼を抱きしめることができない……。


「……一月とちょっと前。覚えていますか?あなたが罠から救ってあげた鶴を」


彼は信じられないといった表情をしている。


あぁ、私はこの人にこんな表情をさせてしまっている。


「私は…、わたしは、あのときすくっていただいた鶴です」


また、涙があふれてくる。


おかしいなぁ。


この体になってから、すぐに泣いてしまう…。


昔は泣くことすらなかったのに……。


「わたしは………あなたへの、恩を、返しに、きました…」


それでも別れの言葉は言わなきゃいけない。


彼に黙って消えるなんてことは、してはならない。


「いつかは、この姿に…戻らなければならなかったのです……」


「……噓だろう?だってお鶴は人間じゃないか…一緒に暮らしてきたじゃないかっ!」


彼は涙をこぼしていました。


始めて彼の泣き顔を見ました。


あぁ、こんな表情もするんだなって新たな彼を見れて嬉しい気持ちもあって、けれど申し訳ない気持ちにもなって。


やっぱりこの人のことを好きだなって思ってしまう。


「あなたに、最後の恩を返そうと思います。これを…どうぞ。」


私はこれまで織ってきた羽織を彼に渡した。


「こ…れは…?」


「あなたがくれた布で作りました。少しだけ私の羽も入れてあります。ささやかですが、あなたが少しでも寒さを和らげることができたらと思いました」


「…いらない。…いらないんだっ!…だって…これをもらったら……お鶴は…っ」


「どうか受け取ってください。それを受取ろうが、受け取らまいが、私は居なくなります…。だから、せめて」


「…いやだ、いやだっ!」


彼が子供のように駄々をこねるのは初めてで。


そんなことにすら愛らしさを感じて。


……もう限界です。


「…私はあなたと一緒に居られて幸せでした。」


もう時間がないことを彼もわかったんだろう。


彼も顔を上げて私を見る。


「……俺も、俺もだ。楽しかった…。幸せだった…。好きだった!大好きだったっ!」


ありがとう。


私を愛してくれた人。


私は窓を開けてそこから飛び立つ。


部屋を残された私の羽織っていた着物が羽に代わってゆく。


「お鶴っ!!またいつか…っ!!」


彼の声が聴こえた。


けれど後ろは振り返らない。


私は茜色の空へ帰って行った。














何処までも、何処までも旅をする。


私は彼に貰ってばかりだった。


恩なんて噓ばっかりだ。


彼と一緒に居たかった。


だから彼に会いに行った。


ただ、私がいたことを覚えてほしかった。


だから彼に羽織を織った。


私は貰ってばかりだった。


そして、逃げた。


彼が愛した私は、(お鶴)であって()じゃない。


本当は彼を見守ることもできたのに。


彼が他の誰かと幸せに暮らす所を見たくなかった。


だから、こんなところまで逃げてきたんだ。


けれど、ふと。


とても会いたくなった。


彼を一目でも見たくなった。


渡り鳥は島を渡り、海を超えて、やがて自分の在るべき場所へ帰る。


私は彼に会いに向かった。


……









どれだけの時間が経っただろう。


彼の家を見つけるのにもとても苦労した。


けれど、もうすぐだ。


あの湖がすぐそこに在る。


あの人と出会った場所。


彼に一目ぼれをした場所。


だから。


彼の家に向かったはずだった。


けれどそこには、原っぱが広がっているだけだった。


困惑した。


そんなはずはない。


だって私は覚えている。


この位置から見える山々を。


湖からここまでくる道のりを。


一度湖に戻った。


「おや、君は昔見たことがあるね。鶴さんや」


どこからか聞こえてきた声の主を探す。


その主は足元にいた。


私は尋ねる。


カメさん、あそこに家があったはずなの。あそこに大切な人がいたはずなの…。


カメさんは首を振って答える。


「…それはもう何百年も昔の話じゃよ」


…あぁ、そうか。


彼はもういないんだ……。


絶望感。喪失感。虚無感。数多の感情に私は襲われる。


泣きたい。


気が済むまで、泣いて泣きじゃくって叫びたいのに……。


今の私には泣くことも声を上げることもできない……。


ただ、私の鳴き声が響くだけ。


これじゃあ、わたしの声を届けたい人には伝わらないのに……


どれだけそこにいただろう。


夜が明け、日の出の時間だ。


東の空が朱に染まっている。


カメがポツリと話し始めた。


「お前さんがよく一緒に居た男はな。ついぞ結婚しなかったのじゃ。いいや、正確にはもう結婚しておると言っていてな」


私はその話を真剣に聞く。


「いや、だがなぁ。誰も彼をバカにはせんかった。村の者も彼に余命幾ばくも無い恋人がいたことを知っておったからの」


もうわずかにしか憶えていないが、あの気さくで優しかった村人たちを思い出す。


「ただ、彼は最後までその彼女に、つまりお前さんに会いたがっていたよ。鶴の姿でも構わんってな」


……あぁ、私は間違えてしまったのか。


……自分本意で、彼のことを考えずに……。


………最後まで彼を傷付け続けてしまった。


…ごめんなさい


……ごめんなさいっ…ごめんなさいっ……!


私の慟哭は誰にも聴こえない。




やがて。


疲れ果ててしまった。


まだ足下にはカメさんがいる。


……あぁ、とても眠くなってきた。


ふと、自分の体を見やる。


それはやはり鶴の体で、けれどもう老い切っていた。


気がついていなかった。


私はもうこれだけ生きていたのか、と。


そう、私もようやくゴールなのね。


「そうか、お前さんももう逝くのかい」


ごめんなさい。カメさん。もう千年。十分に生きたわ。


カメさんに謝りながら私はゆっくりと地面に倒れ込む。


「あぁ、ワシも一万年まであと少しじゃ。こんなに長い寿命は要らなかった。おぬしもそう思わないか?」


いいえ。カメさん。私は何百年と生きたから、彼に出会えたの。…だから。私には必要な時間だったわ。


「……そうかい。よかったのぉ。……おやすみなさい。長寿の鶴よ………」


私は見送られる。



けれど彼は最期、1人だったのだろうか。



ごめんなさい。もう1人にしないから。



絶対に一緒にいるから。



だから。


……





鶴は天へ帰っていきます



そして、その場所はきっと、誰もが帰ることのできる場所なのです。



だから、きっと。































私は駆け足であの人の元へ向かう。


空はもう飛べない。


けれど、もういいの。


だって彼の上ではなく、彼の隣に居たいのだから。


扉の前に着く。


心配事はたくさんある。


たくさん待たせてしまった。彼を1人にしてしまった。


私は許してもらえるだろうか?


けれど、いつまでも悩んでいても仕方ない。


ノックしようと手を伸ばした瞬間。


扉が開いた。


「……ごめんください。開けてくれませんか?」


「…だから、もう開けているだろうに……」


彼は苦笑している。懐かしいやりとりだ。


「遅いじゃないか。どれだけ待たせたと思ってるんだ」


「……ごめんなさい。私は、あなたを置いて逃げました。私はあなたを…傷つけてしまいました」


少し怖くてまっすぐに彼を見ることができない。


「私を………」


許してもらえますか。


そう続けるつもりだった。


けれど、その言葉は懐かしい温もりに遮られてしまった。


それは、何百年と求め続けていた温もり。


いつかのように、また涙を流すことができた。


「………一人にされたんじゃない。一人で待っていただけだ」


彼の声は暖かかった。


「…お帰り、お鶴」


彼の胸の中で私は返す。


「………ただいまっ!」





もう離れない。


もう私はどこへも行かない。


そう、これが。


私にできる唯一の恩返し。









読んでくださりありがとうございました!

初心者であり、半日で書き上げたものでもあるので拙い部分もありますが是非心にくるものがあれば幸いです

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