決意を語る晩
農業をやりたい。突然の発言に、ネネは呆然としている。
「ネネ?」
「あ――、すみません。その、驚いてしまって。でも、どうして突然農業をやりたいと思ったのですか?」
「ディートハルトが、一緒に田舎に行こうと言うので。でも、このままでは、わたくし、田舎暮らしなんてとてもできないなと」
「ああ、そういうわけでしたか」
もうひとつ、理由がある。
物心ついたときから、レオノーレは王妃になるための勉強しかしていなかった。婚約破棄され、王妃となる必要がない今、自分には何も残っていないことに気づく。
何か、手元に残る生産的な技術を身に付けたい。何もかも失っても、強く生きていく術を手にしたかったのだ。
「農作業は、どなたが担当しているの?」
「みんなで、代わる代わる、という感じです」
「ネネ、あなた、農作業ができますの?」
「はい」
なんでも物心ついた頃から、野菜や果物は畑から得たものを食べていたらしい。ネネにとって農作業は、生きるための術だったと。
「ネネ、落ち着いたら農作業を教えていただける?」
「そ、そんな! 私なんて、レオノーレ様にお教えできる技術は持ち合わせておりません」
「でも、この手を見たら、農作業のプロだとわかりますわ」
レオノーレはネネをまっすぐ見て、頼むと頭を下げた。
「あ、あああ、あの、レオノーレ様、頭を上げてくださいませ~!!」
「ネネが農作業を教えてくれると言ったら、上げますわ」
「教えます! 教えますので~!!」
そんなわけで、レオノーレはネネに農作業を教えてもらうよう、約束を取り付けた。
◇◇◇
ネネと話し込んでいたので、一時間以上も長湯していたようだ。のぼせてしまい、火照った体を夜風に当てる。
が、これ以上は風邪を引くからと、ネネが窓を閉めてしまった。
もう少しだけ、と言おうとしたそのとき、ディートハルトがやってくる。
あろうことか、彼はネネに下がるよう命じた。ネネは会釈し、部屋から出て行く。
「ディートハルト、どういうことですの?」
「どういうことって?」
「夜、未婚の女性の部屋を訪問するのは、はしたないことでしてよ」
「ああ、そういうこと。大丈夫、責任は取るから」
「そういう問題ではありませんわ」
ディートハルトはレオノーレの背後に回り込み、体をぎゅっと抱きしめる。
なぜか、ディートハルトの体はキンと冷え切っていた。
「レオノーレ、温かくて気持ちいい」
「こんなに体を冷やして……。どこかに、行っていましたの?」
「レオノーレの実家に」
「な、なぜ!?」
「娘さんを、俺にくださいって――言えたらよかったなあ」
「ちょっと、驚かせないでくださいまし」
結婚の許可をもらいに行ったのではないとわかると、次なる可能性に戦慄する。
「ま、まさか、お父様を、こ、殺っ……!?」
「いやだなあ。公爵を殺すわけないじゃん。優先リストの中では、ディートヘルムよりも低いよ」
「そ、そう」
ひとまず、レオノーレの父親は生きているらしい。ホッと胸をなで下ろしかけたが、ディートハルトの〝殺したいリスト〟の存在が明らかとなって戦々恐々とする。
しかもその中に、レオノーレの父親の名も書かれているようだ。
「あの、お父様を殺したいと思ったときは、まず、わたくしにお声をかけていただけます?」
「いいけれど。一緒に殺したいの?」
「違いますわ! あなたの犯行を、止めるために言ったのです」
「なーんだ」
「それで、実家には何をしに行きましたの?」
「ディートヘルムの振りをして、婚約破棄の報告に行ったんだ」
「お父様は、どんなご様子でしたか?」
「俺にすがりついて、どうか考え直してくれと、懇願していたよ」
「そう」
今日は、ディートハルトの言うとおり、帰宅しないほうがよかったようだ。
「それから、レオノーレを聖女の侍女にするから、離宮を与えたって言っておいた」
「はい?」
「離宮――ここの所有者は、レオノーレってこと」
「な、な、なんですって!?」
自分でも信じられないくらい、大きな声がでた。傍にいたディートハルトは、小さな声で「うわ、耳痛い」と呟く。
「そんな! 誰の断りもなく――」
「公爵はいいって言っていたよ。ほら、サインももらったし」
ディートハルトが広げて見せた契約書には、娘レオノーレが離宮を受け取ることを認めるという旨が書かれていた。
なぜか、署名の文字は震えている。どうしてこうなったかは、聞かないほうがいいと思った。
「そんなわけだからさ。もう、家に帰らなくていいんだ。レオノーレはここで、ゆっくりのんびり暮らしたらいいよ。侍女の仕事についても、いずれどうにかするからさ」
レオノーレの実家にある私物も、夜のうちに運びこむらしい。生活できるような環境を、整えてくれるようだ。
正直に言えば、ありがたい。
家族はきっと、ディートヘルムから婚約破棄されたレオノーレに冷たく当たるだろう。
お互いのために、距離をおいたほうがいいのだ。
「けれど、いいのでしょうか……」
「いいんだよ。っていうか、今日は疲れたでしょう? もう、眠ったほうがいい」
ディートハルトはそう囁いて、レオノーレの頬にキスした。
「――なっ!?」
これまで、ディートハルトはこのように触れてくることはなかった。いったい、どのような心境の変化なのだろうか。
「おやすみなさい、レオノーレ」
にっこり微笑み、手を振りながら部屋を去っていく。
レオノーレは顔がじわじわ熱くなるのをこれでもかと感じていた。