暗転
レオノーレは中流階級の女性を招き、ファスナーを用いたドレスを紹介した。
上流階級と労働階級に挟まれた中流階級の者達は、商人や医者、研究者などの身を立てて生計を立てる者が多い。
その生活は、上流階級に比べたら豊かではないという。
かといって、労働階級ほど貧しくはないが。
使用人ひとり雇うので精一杯という家庭もあると聞いた。
そんな彼女達からすれば、ひとりでまとえるドレスは必要とされるはず。
レオノーレは最高傑作とも言えるドレスを、皆に紹介した。
「こちらは聖女サクラ様が持ち込んだ技術で作られたドレスですの。一見してごくごく普通のドレスですが、使用人の手を借りずとも着用することができるのです」
話を耳にした女性陣は、目を見張った。
半信半疑、という反応であった。
実際に、レオノーレ自身がドレスを着用する様子を実演する。
下着姿を見せるのは恥ずかしいが、そうも言っていられない。
レオノーレが実際に着用するからこそ、ドレスの価値も高まるのだ。
何度も練習したとおりに、ドレスを着て見せた。
すると、女性陣の表情は驚愕に染まっていく。
「すばらしいわ!」
「こんなに簡単に、ドレスの着用ができるなんて!」
「ほしいわ!」
「私も!」
次々と、絶賛の声が集まった。
試着会が始まり、続々と賞賛の声があがった。
褒められるたびに、レオノーレは「これはサクラ様が異世界から持ち込んだ技術ですわ」と答える。
量産できたのはドワーフ族の職人達のおかげであり、バルドゥルが丹銅をバッシャール国から輸入してくれたおかげでもあるのだ。
レオノーレは、ただファスナー付きのドレスを作ろうと思っただけ。何度も強調し、自分の手柄ではないと伝えておく。
「レオノーレ様は、謙虚ですのね」
「私だったら、自分の働きだって言い張ってしまいそうだわ」
否定しているのに、なぜか好意的に捉えられてしまった。
この辺のさじ加減は、非常に難しいのだろう。
結果、既製品のドレスは完売。新しい注文も集まる。
その後、ファスナー付きのドレスは評判となり、中流階級の女性がこぞって購入を希望した。
レオノーレは収益のほとんどをサクラの財産とし、一部をディートハルトとの田舎暮らしをするための資金とした。
ふたりが戻ってくるのを待っているが、いまだ、状況は変わらないものであった。
◇◇◇
ファスナーはドレスだけでなく、さまざまなものに利用されることとなった。
一応、権利者はサクラとし、レオノーレが製作における権利をしっかり握っている。
バルドゥルに任せたほうがいいのではと、父親からの横やりがあったものの、はね除けた。
この技術は、サクラが戻ってくるまでレオノーレが守ると決意している。
バルドゥルであっても、任せるつもりは毛頭なかった。
時間を見つけ、離宮に戻って使用人達と言葉を交わす。
主人が戻らない離宮で働く使用人達を励ますつもりが、逆に励まされる日もあった。
なるべく感情を表に出さず、明るく振る舞っているつもりだったが、どこか陰がちらついていたのかもしれない。
バールケ伯爵夫人や、ネネが心配そうに話しかけてくる。
「レオノーレ様、少し、お休みになったほうがいいのかもしれません」
「そう、ですわね」
嫌なことを忘れようとして、働きすぎていたのだろう。
彼女らの言うとおり、休養も必要だ。でないと、帰ってきたディートハルトやサクラを出迎えられないだろう。
「以前のように、ここでお菓子を作って、お茶を飲んで、畑のお世話をして、ゆっくり過ごしたい」
「ええ、ええ。そうしましょう」
「それがよろしいかと」
離宮で一晩休もう。翌日、事務処理について誰かに代理を頼まなければ。
誰がいいか――考えていたら、バルドゥルがやってきたという報告を受ける。
こんな夜遅くに、先触れもなく訪問するなんて。
どうやらレオノーレが王宮に戻らないので心配し、やってきたらしい。
そういえば以前、ここの警備は薄いと話していた。
過保護が過ぎると、レオノーレはため息を零す。
急ぎの手紙を書いたら休むつもりだった。ネネが「もうお休みになっております」と伝えようかと提案するも、レオノーレは首を横に振る。
「避けられるお相手ではありませんわ。これから身なりを整えますので、しばしお待ちいただくように、お伝えいただける?」
「はい、かしこまりました」
急いで着替える必要がある。
まさかここで、ファスナー付きのドレスが役に立つとは思いもしなかった。
上流階級の女性にも、急な来客用に売れるかもしれない。
思いがけない訪問から、商売のきっかけを掴むレオノーレであった。
三十分後――レオノーレは客間で待つバルドゥルの前に現れた。
「お待たせいたしました」
「いや、構わないよ」
テーブルの上に、鳥カゴの中に入った状態で暴れるイルメラの姿があった。
「イルメラ、どうしましたの?」
「暴れて、私に噛みつこうとしたんだ」
「まあ、それは失礼を。しかし、どうして?」
「主人を守ろうとしたのだろう」
「え?」
顔を上げた瞬間、しまったとレオノーレは思う。
バルドゥルの瞳に、赤黒い魔法陣が浮かんでいたから。
ぱち、ぱちと瞬きをするたびに、妖しい光を放つ。
魔法の正体が何なのか、すぐにピンときた。
ずっと前に、おぞましい魔法を耳にしたことがあったのだ。
眼球に魔法陣を直接描き、瞼に呪文を描く。
魔力を流しながらぱちぱちと瞬きするだけで、術式が完成するのだ。
詠唱不要の魔法、それは禁じられた闇魔法を操る者達が好んで使っていたという。
ああ、彼が――そう口にする前に、レオノーレの意識はぷつんと途切れた。
「では帰ろうか、レオノーレ」
「はい、殿下」
感情のない声で、レオノーレは言葉を返す。
それは、彼女の意思から発せられたものではなかった。




