夜会へ――
ファスナーの製作は思っていた以上に難航していた。
一方で、押すだけで留まるボタンのほうが先に完成する。それを使い、ドレスを一着仕上げてみた。
既製品を改造し、ボタンを取り付けてみる。サクラが試着したところ――。
「サクラ様、いかがです?」
「あ、いける、いける! 大丈夫そう!」
エメラルドグリーンのドレスをまとったサクラが、衝立の向こう側から現れる。
誰の手も借りずにまとったドレスのスカートを摘まみ、くるりと一周回った。
「レオノーレ、どう?」
「きちんと、着こなせていますわ。ひとりでまとったドレスなんて、夢みたい」
「本当に」
ただ、ファスナーのように布と布が完全に密着された状態ではない。激しく動いたら、突然ぷつんと外れてしまう可能性がある。
「それは、通常のドレスも同じだよね?」
「そうですけれど……」
叶うのならば、ファスナー付きのドレスを完成させたい。
ただ、手先が器用なドワーフでさえ作るのが難しいと言われている。
サクラの世界は魔法が存在しないというが、技術は百年も二百年も、先を行っているのだろう。
「決めた! 私、このドレスを着て、今度ある夜会へ参加する」
「え?」
「ディートヘルムに誘われたの。いい加減、機嫌を直せって。行ってやるものかって思ったけれど、自立した私を見せてやるんだ」
「サクラ様、やめたほうが……」
「大丈夫。一回話し合いも必要だと思っていたし」
「だったら、誰かを挟んだほうがいいかと」
「レオノーレも行くでしょう?」
「わたくしは……ええ」
バルドゥルと一曲、踊る約束をしていた。参加は強制である。
「レオノーレがいるならば、大丈夫」
「ディートヘルム殿下が暴走されたら、止める手段などないのですが」
「レオノーレは心配しすぎだから」
本当に大丈夫なのだろうか。思わず、深い深いため息をついてしまう。
「ディートヘルムを景気よく振って、彼以上に性格がいいイケメンに見初められて、結婚するんだ」
「サクラ様……」
なんて前向きな娘なのか。
レオノーレは逆に心配になってしまった。
夜会当日、どうか大きなトラブルはありませんように。
祈るしかなかった。
◇◇◇
夜会当日――ディートハルトは仕事だと言って出かけていた。夜会への参加について伝えようと思っていたのに、言えないまま時間だけが迫る。
ディートハルトは現在、王都での仕事に集中していた。
以前からしていた紅茶の輸入販売業がこれまでになく好調らしい。
身代わりもほとんど断っているというので、本格的にバリバリと働いているようだ。
買い付けにも同行しているようで、帰らない日もある。
サクラを苦手に思っているところがあり、余計に離宮へ帰りたくないのだろう。
このままではいけない。離宮はディートハルトの帰る家である。
サクラと共に、どこか別の拠点を探す必要があるだろう。
「レオノーレ、そろそろ出発の時間だけれど」
「ええ、今行きますわ」
イルメラの世話をネネに任せ、レオノーレは離宮を出る。
王宮では華やかに着飾った男女が、連れ添って歩いていた。
大広間にたどり着くと、レオノーレは目立たないように壁際で待機する。
ディートヘルムと連れ添って参加する予定のサクラは、ずんずんと大股でレオノーレのもとへやってくる。約束の場所にディートヘルムは現れなかったらしく、ふてくされた様子だった。
「もう、なんなの!!」
「サクラ様、その、なんと言っていいのか」
「本当に、失礼な人!」
しかしながら、ディートヘルムが約束を守らないのは日常茶飯事だったらしい。
「イケメンだから、許していたんだよねえ。もっと早く見切りを付けておけばよかった。そういえば、レオノーレは誰とダンスを踊るの?」
「わたくしは――」
突然、シーンと静まりかえる。誰か王族でもやってきたのか。
参加者名簿を持つ侍従が、高々と読み上げた。
「ベステンドール公、バルドゥル・アントン・ヴェルデンツ・フォン・フィデリス殿下!」
集まっていた人々が、次々と道を譲る。騎士隊の白い正装姿のバルドゥルが、一歩、一歩とレオノーレのほうへと歩いてきていた。
「レオノーレ、あの人、こっちに来ている気がするんだけれど」
「こちらへ来ているのでしょうね」
「どうして?」
「わたくしが、今日のパートナーですので」
「はあ!?」
いろいろあって、今夜限りのパートナー役を頼まれた。簡潔に説明する。
「いや、やばいんじゃない?」
「やばいというのは、どういう意味ですの?」
「大変ってこと!」
「何が、大変ですの?」
「ほら、レオノーレと契約している、レオノーレ命っぽいあいつのこと!」
レオノーレとディートハルトの関係性は、サクラにもお見通しだった。
恋仲とは思われていないものの、決して切れない縁で繋がれていると言われた覚えがある。
「ハルが、どうかしましたの?」
「他の男と一緒にいるところなんか見たら、逆上するんじゃない?」
「するでしょうけれど、今日は来ておりませんので」
「絶対バレるって」
「大丈夫ですわ」
たぶん。なんて言葉はごくんと呑み込んだ。
「レオノーレ、待たせたね」
「いえ」
バルドゥルが差し出した手に、レオノーレは自らの指先をそっと重ねる。
慣れた手つきで、バルドゥルはレオノーレを引き寄せて腰を抱いた。
こうして男性と歩くのは、ディートハルト以外では初めてである。
ディートハルトも普段から体を鍛えており、筋肉質だった。
しかしバルドゥルは、ディートハルトよりも体がしっかりしていた。
いつもと異なるエスコートに、レオノーレは複雑な心境となる。
できれば、ディートハルト以外の男性を知りたくなかった。
ディートハルトのエスコートのみ、受けたかった。
これは、個人的な我が儘なのだろう。
これまでも、バルドゥルはディートヘルムやディートハルトの起こした問題を解決してくれた。
それら行いに、報いなければならない。
「レオノーレ、珍しく、緊張しているのかい?」
「ええ、お恥ずかしながら。注目が、集まっているような気がしまして」
「心配はいらない。主役が登場したから」
主役とはいったい――顔を上げた瞬間、侍従が声をあげる。
「第一王子、ディートヘルム・フォン・ランプレヒト・エーレンフロウト殿下」
ひと目見た瞬間、レオノーレは気づいた。
あれはディートヘルムではない。ディートハルトであると。
そして彼もまた、ひと目でバルドゥルがレオノーレをエスコートしているのに気づいた。




