王弟と話し合い
ディートハルトはこの件を、すぐにバルドゥルに報告した。
今回、アーレント侯爵夫人の暴走もあったので、レオノーレも同席する。
ひとまず、アーレント侯爵夫人が担っていた政務は、バルドゥルに託された。
「まったく、これだけの仕事を、執務経験が皆無な者達ができるわけがないのに」
「えー、でもそれ、レオノーレはやっていたよ」
「本当なのか?」
「ええ。ディートヘルム殿下に押しつけ……いいえ、任されていましたので」
バルドゥルは眉間に寄った皺を揉みほぐしながら、盛大なため息をつく。
「婚約者という立場では、王族が担うべき政務を行う義務はまったくない。それなのに、君は人知れず頑張っていたとは」
「ディートヘルム殿下のためではなく、ディートハルトのためでしたので」
ここで、レオノーレは指摘する。王太子へ任された仕事のほとんどは、ディートハルトが担っていると。
「なんだと!? それは、本当なのか?」
「わたくしは、嘘はつきません」
バルドゥルはディートハルトのほうを見て、問いかける。
「ディートハルト、本当なんだな?」
「まあ、そうだけれど」
バルドゥルの眉間の皺は、さらに深くなった。
どうやら、バルドゥル自身も把握していないことがあるようだった。
一応、身代わりを廃止するために、動いてくれているようだが、国王の承認が下りないという。
それには理由があるという。
「すまない。王太子の命を狙う組織の核となる者を、捕まえられずにいるのだ」
ディートヘルムは王太子として生を受けてから、常に命を狙われていた。
いつもいつでも、暗殺の兇手に倒れるのは身代わりのディートハルトであった。
これまで、数名の暗殺者を捕まえたものの、情報を喋らせる前に全員自害していた。口の中に毒を含んだ状態で、殺しにかかってくるのだ。防ぐのはほぼ不可能である。
この十九年間、騎士隊を任されたバルドゥルはディートヘルムの命を狙う者を探していたが、捕獲には至らず。
辛酸を嘗める日々は続いているという。
「我々は、おそらく近しい者の犯行だと予想している」
「わかる。俺も、ディートヘルムを殺したくなるもん」
「ディートハルト!!」
レオノーレの声が、部屋に響き渡る。それだけでは足りないと思い、ジロリと睨んだ。だが、ディートハルトにとってレオノーレに怒られるのは慣れっこなので、響いた様子は欠片もない。
この発言が許されるのは、毎度命を狙われて大怪我を負っているディートハルトだけだろう。それでも、王弟であるバルドゥルの前で言うのは非常に不味い。
こうして親身になってくれるものの、レオノーレは彼を味方と思っていなかった。
バルドゥルだけではない。レオノーレにとって味方はディートハルトただひとり。そう思って、動いている。そのため、すべての手の内は見せないようにしているのだ。
「まあ、今の発言は、聞かなかったことにしようか」
「申し訳ありません。今後、このようなことがないよう、注意しておきますので」
「レオノーレ、その言い方、なんだか保護者みたい」
「わたくしは、あなたの保護者ではありません」
「だったら何?」
「……?」
改めて何かと聞かれると、言葉が浮かばない。
家族ではないが、家族よりは近い存在である。
親友でもないけれど、親友以上に心を許している。
恋人とも言えないが、恋人以上に共に過ごしてきた。
「え、なんで沈黙?」
「よく、わからなくて」
「わからない?」
「逆に聞きますけれど、ディートハルト。あなたにとって、わたくしは何?」
ディートハルトにとって、レオノーレは姉か、それとも母親か。
もしかしたら、妹である可能性もある。ディートハルトはひとつ年上の十九歳。兄でもなんらおかしくないのだが、なんとなく腑に落ちない。
「それで、どうですの?」
「この世に存在しなかったら、生きる意味がないくらい大切な女性」
「は!?」
想定外の言葉に、レオノーレは言葉が出なくなる。
これまで、ディートハルトはレオノーレを母や姉のように思って慕っていると思っていたのだ。
情緒は五歳児だと決めつけていたが、五歳児があのような発言はしないだろう。
だらだらと、額に汗を浮かべる。なんと言葉を返していいものか、わからなかった。
「レオノーレは? 俺のこと、どう思っているの?」
「わたくしは――」
弟? 兄?
親友? 恋人?
思い浮かんだ言葉は、すべてしっくりこなかった。
ディートハルトはレオノーレを、〝この世に存在しなかったら、生きる意味がないくらい大切な女性〟と言った。
その言葉の深い意味は、理解していない。けれど、とてつもなく巨大な感情が、ディートハルトの中で渦巻いているのは間違いないだろう。
一方で、レオノーレも考える。
もしも、この世界にディートハルトがいなかったら?
そう考えた瞬間、レオノーレの足下の床がパラパラと落ち、急降下するような感覚に苛まれた。
ディートハルトがいなかったら、何をしていいのかわからない。
いいや、そんなことはない。何か、あるはずだ。
そう思って探っても、思い浮かばなかった。
新しく始めた農業も、習った洗濯も、ひとりで着られるドレス作りの構想だって、すべては田舎で暮らしたいディートハルトのために始めた。
ディートハルトがいないとなれば、途端に頑張る理由を失ってしまう。
最初は、彼に対する同情心から、親切にしてやっていたのかもしれない。
けれど、共に過ごすうちに、ディートハルトの生き様を目にしてきた。
王家の家系図に名がないディートハルトは、ほんのちょっと役立たずであると判断されただけで排除される。
それが嫌だと嘆きながらも、彼はこれまでやり遂げてきた。
頼りなかった背中が、頼もしく感じるようになったのはいつからだったか。
気まぐれで我が儘、集中力がないのは相変わらず。
そんなディートハルトを、レオノーレは助けようと努力を続けてきた。
厳しい王妃教育も、難解な魔法も、政務を助けるための知識だって、寝る間も惜しんで学んだ。
彼女が頑張る原動力は、他でもないディートハルトのため。
いつだって、レオノーレはディートハルトを想っていた。
それを今になって、気づいてしまう。
ああ、と嘆くような声を口から出る前に呑み込む。
レオノーレは、気づいてしまったのだ。
自らの生きる理由も、すべてはディートハルトがこの世に生きているからだということに。
それを言葉にしようとしたが、上手くいかなかった。
この不可解で、御しがたく、熱を持ち、思うようにいかない感情とは、もう少し向き合わないといけないのだろう。
「レオノーレ!」
「きゃあ!!」
隣に座るディートハルトが、レオノーレの顔を覗き込む。
驚いたレオノーレは、ついつい悲鳴を上げてしまった。
ただそれは、驚いただけでなく、目の前にディートハルトの顔があったから。
これまで平気だったのに、自らの中にあった感情に気づいた瞬間、平気ではなくなったのだろう。
「レオノーレ、変」
「わ、わたくしは、変ではありませんわ」
「でも、顔が真っ赤だし」
「あなたが、驚かすからですわ」
「えー、驚いただけで、普通顔を赤くしないでしょう」
顔が、猛烈に熱い。心臓が、バクバク音を鳴らす。
明らかに、様子がおかしかった。
「ねえ、レオノーレ。ちゃんとして」
「し、していますわ!」
いつもより、ふにゃふにゃになっていると逆にディートハルトから注意された。
ここで、バルドゥルが咳払いする。
「そろそろ、お喋りを止めてもらえるか?」
「も、申し訳ございません」
すっかりディートハルトの調子に乗ってしまい、バルドゥルの存在が見えていなかった。
レオノーレはしょんぼりとうな垂れ、反省する。
「あ、そうそう。魔石獣の闇取引について、何かわかった?」
ディートハルトはバルドゥルに、調査を頼んでいたらしい。
魔石獣が本物であっても、幻獣の売買は国内で禁止されている。厳しく取り締まらないといけないだろう。
「すまない。調査をしているのだが、まだ尻尾を掴めていない現状だ」
「そう」
明日、ディートヘルムが帰ってくる。改めて、詳しい話を聞くつもりだという。
「いや、もうディートヘルムからは、何もでてこないでしょう」
すでに、ディートヘルムから事情聴取している。
なんでも、魔石獣の入手先は不明。ディートヘルムの私室に、〝聖女様へ〟と書かれたカードと共に置かれていたのだという。
「なんていうか、驚くほど警備もザルだよね」
「その辺も、見直しておこう」
問題は山積みであった。
「聖女の新しい侍女の選定に、王太子暗殺問題、身代わり問題、魔石獣の不正取り引き……はあ、眠る時間もなさそうだ」
「ご迷惑をおかけします」
「レオノーレ、君が謝ることでもないだろう」
「ですが」
現状、バルドゥルにばかり負担がいっている。
連日、睡眠時間を削って仕事をしているのだろう。目の下には、クマが浮かんでいた。加えて、先日会ったときよりも、痩せているように見える。
「あの、わたくしにお手伝いできることがあれば――」
「ないよ」
なぜか、ディートハルトが言い切った。
「どうしてあなたが返事をしますの?」
「レオノーレは、別にすることがあるでしょう? 農業とか」
「農業?」
バルドゥルがポカンとした表情で、聞き返す。レオノーレと農業という言葉が、結びつかないのだろう。
「ディートハルトが田舎暮らしをしたいというので、農業を習っていますの」
「ちょっと、なんで言うの!?」
「ふたりの秘密だと、約束しましたっけ?」
「していないけれど、普通、ふたりきりで話したことは、全部内緒でしょう?」
「初めて知りましたわ」
どうやら、田舎暮らしについては内緒だったらしい。相手がバルドゥルなので、問題ないだろう。そう言って、ディートハルトを落ち着かせる。
「君達は、面白そうなことを計画しているんだね」
「ええ。いつか、ゆっくり暮らせたらなと」
「そのときは、支援させてくれ」
「でしたら、野菜が実ったら、バルドゥル殿下に送りますわ」
「楽しみにしているよ」
ここで、お開きとなる。
ディートハルトはふてくされた様子だったが、背中をぐいぐい押して離宮に戻った。




