慈善活動とひき肉パイ
収穫した甘露ニンジンを、ネネと共に養育院へと持って行く。
だが、ニンジンを見た子ども達の態度は辛辣なものであった。
「えー、ニンジンだー」
「おれ、ニンジンきらいー!」
「あたしも!」
がっくりとうな垂れてしまう。ディートハルトにニンジンを食べさせて安堵していたが、またしてもニンジン嫌いに出会ってしまった。
「ニンジンのおいしさとすばらしさを存じ上げないなんて……!」
話を聞けば、昼食の準備はこれからだという。
院長に許可を取ってから、甘露ニンジンを使った料理を作ってもらうよう厨房で働くシスターに頼み込んだ。
「昼食はひき肉パイだったので、甘露ニンジンを入れてみましょう」
「ええ、でも、カットした断面から、ニンジンが入っているって気づく子もいるかもしれないのですが……」
できれば、ニンジンが入っている事実は隠したい。嫌いな子ほど、敏感になっていてすぐに気づくのだ。
「わたくしの知るニンジン嫌いは、肉団子の色がいつもより橙がかっているというだけで、ニンジンが入っていると気づいたのです」
「子どもは、そういうのに気づくんですよねえ」
「本当に!」
レオノーレの知るひとつ年上の十九歳児は、本当に困った奴なのだ。シスターの言葉に、深く頷いてしまった。
ニンジンの色が出ないようにするには、どうすればいいのか。
腕組みして考えていたが、料理経験が皆無なレオノーレに思いつくわけがない。
困り果てているところに、ネネが挙手してアイデアを述べる。
「ひき肉をトマト、パプリカパウダーと一緒に炒めるのはいかがでしょうか?」
そのアイデアに、シスターは「いいわね!」と言葉を返す。
「さすがのニンジンの色合いも、トマトとパプリカパウダーを入れたら、わからなくなると思うわ」
「でしたら、ネネの着想を採用して、ひき肉パイを作りましょう!」
まず、ニンジンは蒸かして潰すらしい。皮にも栄養があるというので、そのままの形で加熱するようだ。
レオノーレはへたを切り落とす作業を行う。シスターは心配そうに、レオノーレの手つきを見つめていた。
「レオノーレお嬢様、ご自身の手は切り落とさないでくださいね」
「ええ。どじを踏まないように、慎重にいたします」
無事、ニンジンを蒸す工程まで進めることができた。
シスター達は、昨晩から仕込んでおいたパイ生地のカット作業を行っている。
生地をパイの型に填め込み、はみ出た部分をナイフでそぎ落としていた。
ネネは、猛烈な速さでトマトをカットしている。トマトはやわらかいので、怪我をしやすい。手伝おうと言っても、させてはくれなかった。
仕方がないので、手の空いたシスターと共に外にある井戸で皿洗いを行った。
寒空の下の皿洗いは苦行に近い。厨房メイドの苦労を、レオノーレは噛みしめる。
厨房に戻ると、ひき肉パイは仕上げ工程にまで進んでいた。レオノーレも手伝う。
トマトとパプリカパウダーを混ぜて炒めたひき肉は、見た目ではニンジンが入っているかわからない。
流れ作業で行われる中、レオノーレはひき肉を覆ったパイ生地に卵液を塗る作業を任された。
そして、熱したかまどで三十分ほど焼いたら、甘露ニンジン入りのミートパイの完成だ。
付け合わせに、潰したジャガイモを添える。これにも、若干甘露ニンジンが混ざっているらしい。少量なため、見た目ではまったくわからないが。
昼食の時間となる。子ども達は走ってやってきて、焼きたてのパイに瞳を輝かせていた。
「うわー、今日のひき肉パイ、具がつまっていてうまそー!」
「本当だ! いつもは絨毯みたいに、ぺらっぺらなのに」
「いい匂いがするー」
見た目は合格なようだ。レオノーレは内心ホッと胸をなで下ろす。
しかし、問題はこれからだ。大事なのは、味である。
甘露ニンジンは、かなり甘い。果たして、ひき肉パイと合うものなのか。
味付け担当はネネとシスターである。どきどきしながら、子ども達が食べる様子を見守った。
食前の祈りを終え、子ども達は勢いよく食べ始めた。
ナイフとフォークで切り分けず、そのまま手掴みで食べる子がいた。モグモグと食べ、叫んだ。
「なんだこれ、うめーーーー!!!!」
レオノーレは首を傾げ、ネネに問いかける。
「あの、ネネ、〝うめー〟とは、どういう意味ですの?」
「あの、とってもおいしい、という意味かと」
「そうなのですね。初めて聞きましたわ」
「えっと、下町のスラングみたいなものですので」
「なるほど」
ひき肉パイを食べた子ども達の表情が、明るくなる。そして、ほとんど会話することなくひき肉パイをどんどんパクパク食べていた。
その様子を見て、レオノーレはホッと胸をなで下ろしたのだった。
帰り際、シスター達が並んで頭を下げる。
「レオノーレお嬢様、本日は、ありがとうございました」
「いろいろと、勉強になりました」
「今まで、野菜嫌いをする子ども達を叱っていたのですが、調理を工夫するだけでこうも食いつきが違うとは……」
これまでも子ども達は野菜を嫌い、食事を残すことがあったらしい。
「これからは子ども達は野菜を食べられるよう、料理を工夫しなくてはいけませんね」
「難しいことかもしれませんが」
「ええ。でも、今日みたいに、みんなが笑顔を浮かべて料理を食べてくれたら、私達も幸せな気分になりますので」
ただ、野菜を嫌う理由の中には、体質的な問題がある。
食べた日に肌に異常が出たり、腹を壊したりする子どもには、無理に食べさせないでくれと、レオノーレはシスター達に訴えた。
「ああ、野菜嫌いの中には、体質的な問題もあるのですね」
「ええ、ですから、その辺もお気をつけて」
ここには、百名以上の子ども達が暮らしている。それを、三十名ほどのシスターで世話しているのだ。
ひとりひとり気に懸けることは、難しい。けれど、精一杯の愛情を注いで育てていきたいという。
レオノーレも、養育院を再訪したさいに役立てるよう、調理の修業をしなくてはと心に誓った。
◇◇◇
昼過ぎからは、毛布やカーテンなどの、大きな布物を洗う方法をノアに伝授してもらう。
今日は休みだという、ディートハルトも参加していた。やる気はないようで、先ほどから欠伸ばかりしている。
魔石獣のイルメラはレオノーレの肩に乗り、昼寝していた。ホカホカで、襟巻きのように温かい。
「カーテンや、分厚い毛布などは、お洗濯が大変なんですー。一枚一枚手で洗っていたら日が暮れてしまいますし、腕も痛めてしまうんですよね」
そんなとき、うってつけの洗い方があるという。
「どうすると、思いますか~?」
「難しいですわね」
手を使わずに、洗う方法。考えた結果、ひとつの答えをひねり出す。
「わかりましたわ! 毛布やカーテンを、滝壺に落とすのです。上から降り注ぐ滝の勢いで汚れもスッキリ!」
「惜し~い! 正解は、足で洗う、でした!」
ノアの言葉に、すかさずディートハルトが指摘する。
「ぜんぜん惜しくないんだけれど」
思わず笑いそうになったが、レオノーレは奥歯を噛みしめて我慢した。
「桶に毛布と粉石鹸を入れて、全体が浸かるくらいに水を張ります。それを、足で踏んで洗うのですよ」
ノアが見本を見せてくれた。エプロンドレスの裾を手でたくし上げ、その場で足踏みするように踏んでいく。
「よく、こんな方法を思いつきましたわね」
「踏み洗いには、興味深いいわれがあるのですよ~」
踏み洗いの歴史は、百年前まで遡るらしい。
主人の態度に腹を立てたメイドが、主人の使っていた毛布を足で踏んで洗ったのだ。すると、毛布は瞬く間にきれいになった。主人も、仕上がりに大満足したという。
手で洗うよりも楽で、きれいになる。おまけに、気分もスッキリするのだ。
踏み洗いの技術は、瞬く間に広がったという。
「ある程度踏んだら水を換えて、今度は別の方向から踏むようにしてください~」
一回目、二回目と踏んだあとの泡を含んだ水は濁っていた。三回目でようやく、濁らなくなる。
「つづいて~、石鹸を落とすのも足で踏みます」
これは、ディートハルトにやってもらうようだ。
冷たいから嫌だと言っていたが、レオノーレが契約を持ち出して命令すると、しぶしぶ行う。
「うわ、冷たい! 死ぬ!」
「ディートハルト、洗濯メイドは毎日、この冷たい水でお仕事をしているのですからね」
「まだ、ディートヘルムの身代わりのほうがマシ」
ギャアギャア騒ぐので、イルメラは目を覚ます。ガタガタ震えながら踏み洗いをするディートハルトを見て、イルメラはケラケラ笑っていた。
「あ、そこの毛むくじゃら、笑ったな!? こっちに来い、踏み洗いしてやる」
『ぐるるるるるる!!』
同じレベルで喧嘩する、ディートハルトとイルメラであった。
すっかりきれいになった毛布を干す。
「毛布は、途中でブラッシングをすると、ふんわり仕上がるんですよ~」
「そういう工夫も、されているのですね」
ディートハルトはノアの丁寧な仕事ぶりを、初めて見たらしい。給料を増やしてやらなくてはと、ぶつぶつ呟いていた。
洗濯を終えたご褒美として、レオノーレは自身が作った菓子をディートハルトにふるまう。
「ディートハルト、見てくださいまし。この色とりどりのマカロンは、わたくしが作りましたの」
「そうなんだ。お店で売っているみたいだね」
「オーズが教えてくれましたのよ」
「そうなんだ」
赤、黄色、薄紅、橙――これらのマカロンは、野菜パウダーを使って作られている。色づけに使っているだけで、風味はでないように工夫されていた。
ディートハルトは野菜が使われていることも知らずに、パクパク食べていた。マカロンは色鮮やかな食べ物だという認識があるので、野菜の関与を疑わずに食べているようだ。
「っていうか、最近精力的にいろいろ作っているよね。田舎暮らし計画に関係しているの?」
「ええ」
生活力を身に付けるうちに、レオノーレは気づいた。料理や洗濯をできるようになっても、生活費がなければ生きていけないと。
「そんなわけで、わたくしはお金になる事業を、始めたいと思いまして」
「いつの間にか、やることが大きくなっているね」
「ええ。ですが、最初から大金を得るのは難しいので、小銭を稼ぐことから始めればいいと、ヴィリから助言をいただきました」
「あーあ。アウエンミュラー公爵家のお嬢様が、小銭を稼ぐとか言っちゃった」
「何か不都合でも?」
「苦労を知らないはずのお嬢様なのに」
「苦労を知った今のほうが、自由で楽しい日々を送っています」
「本当に?」
「ええ。嘘は言いませんわ」
「だったらいいけれど」
野菜のマカロンは、健康と美肌によいものをチョイスしている。貴族女性をメインターゲットとして、売り出す予定であった。
この先生きていくためには、金が必要なのである。
将来、ディートハルトを養うつもりで、今から準備していた。
が、ここで思いがけない話を耳にする。
「あ、そうだ。俺、最近暇だから、副業をメインの仕事にしようと思っているんだけれど」
「ディートハルト、身代わり以外の仕事を、していましたの?」
「当たり前じゃん。個人的に集めた使用人は、国から給金がでるわけじゃないから」
「そうだったのですね」
ディートハルトが働いているとは、夢にも思っていなかった。レオノーレは驚きを隠せないでいる。
「なんの仕事をしていますの?」
「輸入業」
「怪しい物を売買しているのではありませんよね?」
「違う! 取り引きしているのは、紅茶!」
「なんていう商会ですの?」
「……〝シュトラウス〟だけれど」
「まあ! 本当ですの?」
商会名を聞いて驚く。それは、レオノーレが懇意にしている店だったのだ。
「わたくし、五年前から紅茶はシュトラウスと決めていますの。好みの茶葉ばかりで」
「うん。そうなるように、仕入れていたからね」
「え?」
「レオノーレの好みを侍女に聞いて、茶葉を調べてから仕入れていたんだ」
「そう、でしたのね」
レオノーレが好む紅茶は、王都で飛ぶように売れたらしい。そのため、〝シュトラウス〟の売り上げは五年間、上昇し続けているという。
「これまでは顧問という立ち位置だったけれど、ずっと商会長になってくれって、頼まれていたんだよね。身代わりをしなくてよくなるのなら、なってもいいかなって」
「ディートハルト……」
いろいろ考えているのは、レオノーレだけではなかった。
「レオノーレ」
「なんですの?」
「俺のこと、養わなければとか、考えていなかった?」
その質問に、レオノーレは明後日の方向を向く。
瞬く間に、気まずい空気となった。
「酷いな。人を無職だと思っていたり、生活を支えようと思っていたり」
「前者はともかくとして、後者は悪いことではないでしょう」
「俺にだって、自尊心くらいあるんだから」
五歳児のようだと思っていたディートハルトも、いろいろ考えている。
それがわかっただけでも、レオノーレは嬉しくなった。




