畑へ――!
ディートハルトと昼食を取る。このように、明るい時間に食事を共にするのは久しぶりであった。
「なんだか、幼い頃を思い出しますわね」
「うん。レオノーレが来てくれた日は、嬉しかったな」
「本当ですの? 毎度毎度、また来たの? なんて言っていたような気がしますが」
「言っていたっけ?」
「言っていました」
幼少期のディートハルトは、今よりずっと生意気であった。
いじわるを言うのは日常茶飯事で、レオノーレは毎日怒っていたような気がする。
「それなのに、わたくし達、ずっと腐れ縁が続いていますわ」
「腐れ縁って思っていたんだ」
「他になんと言えばいいと?」
「え、〝運命〟?」
危うく、口にしていた紅茶を噴き出しそうになる。王妃教育を受けていなかったら、確実に紅茶を噴水のように散らしていただろう。ナプキンで口元をぬぐい、ついでに浮かんだ冷や汗も吸い込ませた。
「何、その反応」
「ディートハルトの口から、ロマンチックな言葉がでてくるとは思っていなかったので」
「ねえ、レオノーレ。俺のこと、五歳児か何かだと思っていない?」
「ごめんなさい……」
「いや、謝らないで、否定してよ」
そんな会話をしつつ、おいしい昼食に舌鼓を打った。
◇◇◇
午後からは、ネネに畑仕事を習う。
華美な恰好は作業がしにくいので、メイドが着ているようなエプロンドレスをまとった。
ディートハルトも行くと言っていたが、フロックコートをまとった姿でいる。彼にとっては服に皺が寄ろうが汚れが付こうが、関係ない恰好なのだろう。洗濯メイド泣かせの男である。
「せめて、上着は脱いでから、作業をしてくださいませ」
「わかった、わかった」
ディートハルトがいるので、イルメラは鳥かごの中に入れていた。お昼寝しているようで、大人しい。
ディートハルトが鳥かごを持つと暴れるので、レオノーレが持ち歩いていた。けっこうな重さだが、自由にさせていると周囲の者に喧嘩をふっかけたら困る。これも主人の務めだと思うようにしていた。
「畑は、あちらです!」
ネネの先導で、離宮にある畑を目指した。笑顔で案内してくれる。レオノーレが畑仕事に興味を示してくれたことが嬉しいのだろう。
昨日は遠くから見るだけだったが、近づいてみるとさまざまな種類の野菜が栽培されていることに気づく。
道は舗装されておらず、土を押し固めただけのでこぼこ道であった。
「レオノーレ、気をつけて」
「え、ええ」
ディートハルトがレオノーレの腕を引き、腰を支えてくれる。踵の低い靴を選んだつもりだったが、あぜ道は歩きにくかった。
「鳥かごも持ってあげたいけれど、暴れるもんなー。あ、そうだ」
ディートハルトが立ち止まるので、レオノーレも歩みを止める。何を思いついたのか、まったく想像できなかった。が、次なる瞬間には、ディートハルトは行動に移す。
「レオノーレ、抱き上げるよ」
「はい?」
ディートハルトは鳥かごごと、レオノーレを横抱きにした。
「きゃあ! ちょっ、な、なぜ!?」
「レオノーレが、歩きにくそうだから」
「過保護が過ぎるのでは?」
「そんなことない」
下ろしてくれと訴えたが、聞き入れてもらえず。畑に到着するまで、レオノーレはディートハルトに運ばれてしまった。
ネネは誇らしげな様子で畑を指し示しながら、本日の作業を発表した。
「今日は、甘露ニンジンの収穫をいたします!」
「甘露ニンジン、ですか?」
「はい! 果物並みに、あまーいニンジンなのですよ」
「へえ、そんなものがあるのですね」
感心し、頷くレオノーレの隣で、ディートハルトは顔を顰めている。
「ディートハルト。あなたまさか、まだニンジンが苦手ですの?」
「苦手っていうか、嫌い」
「もっと大問題ですわ」
幼少期、ディートハルトはニンジンを食べず、代わりにレオノーレが何度か食べた記憶が残っている。大人になっても引きずっていたとは。レオノーレは呆れてしまった。
「こちらの甘露ニンジンは、ディートハルト様がお召し上がりになるように、栽培を始めたものなのです。きっと、お気に召すかと」
「ですって」
「いやー、お気に召すとは思えないんだけれど」
「あなたね……。どうして、ニンジンが苦手ですの?」
「だって、あの色、絶対食べ物の色じゃないし」
「ということは、カボチャも苦手ですの?」
「いや、カボチャは食べられる」
「意味がわかりませんわ」
単に、いちゃもんを付けて嫌っているだけだと。レオノーレは呆れてしまった。
「ニンジン嫌いは放っておいて、収穫いたしましょう。ネネ、やりかたを、教えていただけますか?」
「はい!」
ネネはためらうことなく、畑に入っていった。そして、ニンジンの収穫方法を説明してくれる。
「収穫するときは、ニンジンの葉の根元を掴んで、一気に引き抜きます」
ネネは片手でニンジンを難なく引き抜いた。土の付いた、鮮やかな橙色のニンジンがお披露目となる。
「わたくしも、挑戦してみます」
畑の畝と畝の間に、足を踏み入れ、ニンジンの葉が生い茂っている中を通っていく。
「うう……ニンジンの葉は、わさわさしていますのね」
「はい、わさわさです」
慣れないわさわさ感に堪えつつ、ニンジンの葉の根元を掴んだ。思いっきり引っ張ったが、びくともしない。
「片手では、無理ですわ」
両手で持ち替えて、再びニンジンを引っ張る。
ぐ、ぐ、ぐと、先ほどは感じなかった手応えがあった。もう少し力を入れたら、引き抜けるだろう。
渾身の力を込めて、ニンジンの葉を引っ張った。
「よい、しょっと!!」
力を込めた瞬間、ニンジンがスポーンと気持ちよく抜けた。が、勢い余って、レオノーレは背後に向かって倒れそうになる。
このままでは、ニンジンのわさわさに身を委ねることとなるだろう。
衝撃を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。しかし、レオノーレの体を、誰かが受け止めてくれる。ディートハルトであった。
流れ星のように弧を描いて引き抜かれたニンジンが、泥を散らす。それを、ディートハルトは顔面で受け止め、泥だらけとなっていた。
「ディートハルト、あ、ありがとう」
「ニンジンを引くだけで、背後にひっくり返るとか、ありえない」
ディートハルトはレオノーレの顔を覗き込み、呆れたように言う。
顔面泥まみれのディートハルトの向こうには、青空が広がっていた。今まで見たことのない光景である。
なんだか楽しい気分になって、レオノーレは微笑んだ。つられて、ディートハルトも笑い始める。
なんだか久しぶりに、こうして笑い合ったような気がした。
『ぐるるるるるるう!!』
楽しそうにしている声で、イルメラが起きてしまったようだ。かごから出せと、暴れ回っている。
「どうしましょう。出してあげたいけれど……」
どこかへ逃げてしまったら大問題だ。かと言って、ずっと胸に抱いていたら仕事にならない。
「犬みたいに、首輪を付けて、紐で繋いでいたら?」
「それですわ!!」
離宮には、以前寵妃が使っていたさまざまな品がある。その中に、小型の愛玩動物用の首輪や散歩紐があった。ネネに持ってきてもらい、イルメラに装着させた。
嫌がるかと思いきや、イルメラはあっさり受け入れる。そして、外に出た瞬間、嬉しそうに飛び跳ねた。
ニンジンの収穫を手伝いたかったのだろう。小さな前脚で根を掴み、見事ニンジンを引っ張った。
「まあ! イルメラ、ニンジンの収穫がお上手ですのね!」
『ぎゅるーん!』
イルメラは嬉しそうに、耳を左右に振っていた。そんな魔石獣から少し離れた場所で、ディートハルトがぼそりと呟く。
「ニンジンの収穫なんて、俺のほうが上手いし」
「あの、イルメラと張り合わないでくださいまし」
そんなレオノーレの言葉など、ディートハルトには届いていなかった。
ディートハルトはイルメラを、ジロリと睨んでいる。
『ぐるるるるるるう!!』
「うううううううう!!」
ディートハルトはイルメラのうなり声に、どすの利いた声を返していた。
そして、合図もなく、ディートハルトとイルメラは猛烈な速さでニンジンを引き抜き始めた。
謎の争いが今、始まる。
そのおかげで、甘露ニンジンの収穫は一時間半ほどで完了となった。
ディートハルトとイルメラは、仲良く並んで転がっていた。さすがに、休憩なしで慣れない作業をするのは疲れたのだろう。
「レオノーレ様、この甘露ニンジン、生でもおいしいそうですよ」
「まあ、そうですのね」
「食べてみますか?」
「はい」
ひとまず、イルメラの紐はディートハルトに預けておく。そして、井戸のあるほうへと向かった。
くみ上げた井戸水で、ニンジンを洗う。泥を落としたら、よりいっそう鮮やかな橙色に見えた。
「これを、どうやって食べますの」
「そのまま、カリッとかぶりつきます」
ニンジンを手に、レオノーレは戸惑う。食材に直接かぶりつくことなど、生まれて初めてだからだ。
ネネが見本を見せてくれた。ニンジンを横に持ち、そのままがぶりと噛みつく。
「わー、甘いです! おいしくできています。レオノーレ様も、ぜひぜひご賞味ください」
「そ、そうですわね。では――」
思いっきり、ニンジンにかぶりついた。パキッという、心地いい音が鳴る。それと同時に、甘みが口いっぱいに広がった。
「あ、甘い!!」
こんなに甘くておいしいニンジンなど、初めてであった。
レオノーレは嬉しくなって、ディートハルトとイルメラのもとにニンジンを持って行った。
「これ、食べてみてくださいませ! とってもおいしいニンジンですの!」
ニンジン嫌いのディートハルトは、顔を歪ませる。一方で、イルメラはむくりと起き上がり、レオノーレが食べかけたニンジンを食べ始めた。
『ぎゅるるるるう!!』
ニンジンを掲げ、「おいしい!」と主張する。そして、ディートハルトのほうを見て、勝ち誇った表情を浮かべていた。
「うわ、このウサギ、むかつく!」
イルメラは甘露ニンジンが気に入ったようで、カリコリといい音を鳴らしながら完食した。
幻獣の主食は果物のようだが、ニンジンもいけるよう。
ちなみに人工魔石獣は肉食であった。甘いものは口にしない。
食性にも、本物の魔石獣と人工魔石獣には違いがあるのだ。
「これ、本物の魔石獣だったんだなー」
「あら、信じていませんでしたの?」
「まったく」
その発言を聞いたイルメラは、ディートハルトに連続蹴りを繰り出していた。
「いたっ、痛い! こいつの蹴り、めちゃくちゃ強い!」
「イルメラ、暴力はよくありません。話し合いで、解決なさい」
『ぐるるるるるるる!!』
「いや、何言っているかわかんないし!」
ディートハルトとイルメラが打ち解ける日はやってくるのだろうか。
レオノーレは額に手を当てて、深いため息をついた。
「とにかく、ディートハルトも甘露ニンジンを食べてみてください」
「え、普通にやだ」
「どうしてですか?」
「生のまま野菜を食べるなんて、お腹を壊しそうだし」
「だったら、加熱してみます」
従軍回復師をしていたころ、腹を空かせた軍人達が焚き火でジャガイモを焼いていたのだ。それを、ここでしてみないかとネネに提案する。
「焼きイモならぬ、焼きニンジンですね! やったことはないのですが、おいしいかもしれません」
ネネと一緒に枯れ草や木の枝を集め、焚き火を作る。そこに、収穫したばかりのニンジンを放り込んだ。
十五分ほどで、焼けた。焚き火から取り出したニンジンは、真っ黒に焦げている。
「うわ、これ、失敗じゃん」
「中身は無事ですわ」
ネネがナイフで焦げを落としてくれる。すると、中からニンジンの蜜がじゅわーっとあふれ出てきた。
「ああ、なんて甘くてよい匂いなのでしょう」
甘露ニンジンは火を入れると、水分で実がじゅくじゅくになる。匙で掬って、パクリと食べた。
「~~~~ッ!!」
あまりのおいしさに、言葉がでてこない。レオノーレはディートハルトの「おいしい?」という言葉に、こくこくと頷いた。
「さあ、ディートハルトも食べてください」
「いい」
「はい?」
「だから、ニンジンは嫌いなんだって」
「でもこれは、ニンジンというより、食後の甘味といったほうがいいくらい甘くて」
「でも、ニンジンであることに変わりないし。俺、ニンジンにそういうのは求めていないんだよねえ」
「……」
結局、ディートハルトは甘露ニンジンを一口も食べなかった。
レオノーレの中で、怒りだか悲しみだかわからない感情がメラメラと渦巻く。
こんなにおいしいのに、食べず嫌いをするなんて。
「この甘露ニンジンをディートハルトに食べさせて、おいしい、と言わせてみますわ!!」
これまでにないくらい、レオノーレはニンジンに対する情熱を燃やしていた。




