嫉妬と契約
これ以上面倒事に巻き込まれないうちに、バールケ伯爵夫人を連れて離宮へ向かう。
馬車に乗り込んで出発すると、やっと安堵の息が零れた。
「バールケ伯爵夫人、バタバタして申し訳ありませんでした」
「いえ、それはいいのですが、私までお休みをいただいてよろしいのでしょうか?」
「このところずっと、休みなく働いていたと聞きます。しばし、ゆっくりしてもよいのでは?」
バールケ伯爵夫人は戸惑う表情を見せながらも、コクリと頷いた。
離宮に戻ると、ネネが迎えてくれた。
「レオノーレ様、おかえりなさいませ」
「ただいま、ネネ」
続いて、ヴィリが走ってやってきた。
「レオノーレ様、おかえりなさい。お早いお帰りで」
「ええ。残念ながら、出勤早々一ヶ月の謹慎処分になってしまいまして」
「また、大変な事態に巻き込まれたのでしょうね」
ヴィリとネネに、バールケ伯爵夫人を紹介する。
「彼女は、わたくしのお友達。ここで、過ごすことになったから、お部屋を用意してくれます?」
「かしこまりました」
ひとまず、バールケ伯爵夫人は西の客間に滞在してもらう。
「バールケ伯爵夫人、一度、家に帰られます?」
「あ、そう、ですね」
「では、ヴィリ、馬車を手配してくださる?」
「承知いたしました」
すぐに出るというので、ネネと共にバールケ伯爵夫人を見送った。
「ヴィリ、ディートハルトは?」
「レオノーレ様に置いていかれたので、ふて寝しています」
「そう」
このところ、働き詰めだった。心身共に疲れ切っているのだろう。
そろそろ起こしていいころだというので、ネネと共にディートハルトの私室に向かった。
「レオノーレ様、そちらの鳥かご、お持ちしましょうか?」
「大丈夫ですわ。これですので」
布を取り去り、魔石獣をネネに見せる。
「わー! これ、本物の魔石獣ではないですか!」
「ネネは、魔石獣を知っているのね」
「はい。故郷に、おりました。密猟者のせいで、私が大きくなるころには絶滅してしまいましたが」
魔石獣の魔石は、魔道具の素材となる。質のよい毛皮も、魔法使いの外套作りに使われるのだ。また、血肉を口にすれば大いなる魔力を得られると言われていた。
そんな感じで魔石獣は人に捕獲され、骨の一本も残さないほどすみずみまで活用されていたのだ。
「人間は、罪深い生き物ですわ」
「いいえ、すべての人間が、悪いわけではありません。レオノーレ様や、ディートハルト様みたいに、すばらしい人間もおりますので」
「ネネ、ありがとう」
それから会話なく歩いていたが、途中でネネがハッとなる。
「レオノーレ様、ディートハルト様と、昼食を一緒に召し上がりますか?」
「ええ、そうですわね。用意してくださる?」
「かしこまりました。では、厨房に知らせてきますね」
「お願いいたします」
ネネは小さな手足を一生懸命動かし、てててと走り去っていく。
レオノーレはズンズンと、ネネの二倍はあろう歩幅でディートハルトの私室を目指した。
ヴィリの言っていた通り、ディートハルトは寝椅子に横たわって眠っていた。ブランケットはヴィリが被せたのか。
イルメラが入ったかごはひとまずテーブルに置いて、そっと近づく。顔を覗き込むと、あどけない顔ですうすう寝息を立てながら眠っていた。
起こすのが気の毒になり、どうしようかと迷う。
疲れているのだろう。もうしばし、寝かせておかなくては。
レオノーレが一歩身を引いた瞬間、ディートハルトはカッと目を見開く。そして素早く起き上がると、レオノーレの腰を引き寄せた。
ここまで、十秒もかかっていない。
「きゃあ!」
あっという間に、レオノーレはディートハルトの膝に腰掛ける体勢となった。
「ディートハルト、いつから起きていましたの?」
「馬車が到着したときから」
「そんな前から、眠っているふりをしていましたのね」
「まあ、ね」
レオノーレがキスをして起こしてくれるのではないか。そんな甘美な期待を寄せていたらしい。
「わたくしが、そういうことをすると思っていましたの?」
「俺を置いて仕事に行ったから、それくらいしてくれるかと思った」
「あなたね」
ディートハルトは視線をテーブルのほうへと移す。
「レオノーレ、あれ、何? なんか、獣の気配がするけれど。ただの鳥じゃないよね?」
「魔石獣ですわ」
「は!?」
「ディートヘルム殿下が、サクラ様に贈るために、裏ルートで入手したようなのです」
「あいつ、本当にしようもないことばっかするね」
「それに関しては、同意いたします」
レオノーレがかごの布を外すと、ディートハルトはハッとなる。
「これ――普通の魔石獣じゃない!?」
「ええ。本物の、魔石獣ですわ」
ディートハルトが鳥かごに顔を近づけると、イルメラは『ぎゅるるるるる!!』と獰猛に鳴いた。
「うわ、超凶暴じゃん。何これ。本当に本物の魔石獣なの?」
「ええ。魔石獣研究所のエルマーが言っていたので、間違いないかと」
「エルマーが。そうか」
「現在、わたくしと契約を結んでいまして」
「なんで!?」
「保護すべきものだと、判断いたしました」
イルメラをかごから取り出し、抱き上げる。すると、イルメラは甘い声で『ぐるう』と鳴き、胸に頬ずりしてきた。
「なっ……ずるい!!」
「は?」
「俺も、レオノーレと契約したいのに、どうして先に魔石獣なんかと契約を結ぶの!?」
「何をおっしゃっているのか、まったくわからないのですが」
「俺だってレオノーレと契約して、胸に抱いてもらって頬ずりしたかったのに! どうせ、その魔石獣とお風呂に入ったり、夜一緒に寝たり、寒い夜はお互いに暖を取り合ったりするんでしょう?」
「それはまあ、わたくしは、この子の庇護者ですから」
ディートハルトはずんずんと接近し、しゃがみ込んでイルメラを覗き込む。
「うわぁ、やだ! こいつオスじゃん!」
そうなのだ。つい女性名で名付けてしまったが、イルメラはオス個体である。レオノーレもつい先ほど気づいたのだが。
「どうして勝手に契約するの? 俺のことは、遊びだったの?」
「なんの話ですか!」
『ぐるう!!』
ディートハルトが接近しようとすると、イルメラは噛みつこうと牙を剥く。
「え、そいつ、本当に本物の魔石獣? 獰猛過ぎない?」
「わたくし以外の人には、懐きませんの。ディートハルトと同じですわ」
「そんな……! 俺のほうが先に、レオノーレと出会ったのに……!」
冗談を言っているのかと思っていたが、どうやら本気のようだ。
「せっかく、バカなディートヘルムがレオノーレを手放したのに! こんな毛むくじゃらにかっ攫われるなんて! 許せない……許せない……!!」
何やら、言動や表情がだんだん危ない方向へと向かっている。ここで慰めておかないと、後々面倒な事態になるだろう。
イルメラは鳥かごの中に入れて、布を被せておく。そして、ふてくされるディートハルトの頬に手を伸ばした。
「子どもではないのだから、駄々をこねないでくださいまし」
「でも、俺は、ずっと我慢していたんだ! レオノーレは、ディートヘルムの婚約者だったから!」
「ディートハルト……」
嘆くような言葉に、ツキンと胸が痛む。
幼少期から、ディートハルトとレオノーレは長い時間を過ごしてきた。
互いに励まし合ったり、勇気づけ合ったりもした。なくてはならない存在だったのだ。
何かあれば、抱きしめ、涙を拭い、手を握り合い、寄り添って共にあった。
それらは、ふたりの間にある絆あってのものであった。
遠慮なく接し合っているつもりであったが、ディートハルトはそうではなかったという。
彼の中で、レオノーレはディートヘルムの婚約者であると認識し、線引きした上での関係性を築いていたようだ。
「レオノーレ、俺とも、契約して」
「契約って、あなたは幻獣ではありませんのよ」
「そうだけれど、幻獣みたいにレオノーレの言うことは聞くし、守るし、頑張るから……!」
「ディートハルト。あなたはこれから、自由の身になるかもしれないのに、何を言っているのですか」
もうすぐ、身代わりをしなくてもいい生活が待っているだろう。それから先は、誰に囚われることもなく、ディートハルトは自由に生きるのだ。
「自由なんて、いらない。死ぬまでずっと、レオノーレに囚われていたほうがいい」
「ディートハルト……」
レオノーレに対する刷り込みは、思っていた以上である。たかが幻獣一匹と契約した程度で、ここまで情緒不安定になるなんて想像もしていなかった。
いきなり距離を置くと、ディートハルトは何をしでかすかわからない。だから、しばらくはレオノーレが手綱を握っておいたほうがいいのだろう。
「あの、契約したら、わたくしは具体的に何を対価にすればよいのでしょうか?」
幻獣と契約する場合、魔法陣を通じて魔力を与える。だが、人が人に魔力を与えるとなれば、特殊なやりとりが必要となるだろう。
方法を知っているレオノーレは、勘弁してほしいと内心考えていた。
「対価は、その魔石獣にすることと同じ行為を、してほしい」
「さっきおっしゃっていた、抱きしめたり、頬ずりしたり、温めあったり――みたいなものですか?」
「そう」
そういうふれあいは、以前からしていたような気がする。あれと同じようなものであれば、問題がない。それだけで、ディートハルトの情緒が落ち着くのならば、安いものだ。
「では、期間限定で、契約を結びましょう」
「ええ、何それ」
「契約を結んで、後悔するかもしれないでしょう?」
「絶対しないよ。命を懸けてもいい」
「なんですの、その自信は」
ひとまず、半年間。レオノーレは契約期間を定める。
羊皮紙を広げて、契約内容を書いていく。
まず、もっとも大事なことは、互いに節度を守った付き合いをすること。主人と契約者という以前に、未婚の男と女であるのを前提に行動を共にする。
過剰なふれあいは厳禁。家族の前でできないような話や行為も固く禁じた。
「これを呑んでいただかなければ、契約は結びません」
「いじわるだな」
「誰がいじわるですか!」
念のために、他にも契約を結ぶ。
ディートハルトは項目が増える度に、表情を歪めていた。
「ディートハルト、わたくしと契約しますか? しませんか?」
「するに決まっている」
ディートハルトは契約書にサラサラと署名する。
そんなわけで、レオノーレは魔石獣に続き、ディートハルトとも契約を結んだ。




