葬儀にて
4月も終りに差し掛かった頃、『あいつ』が死んだとの知らせが入った。それで、長く『あいつ』を知っている俺は葬儀へ向かうこととなった。
葬儀の日は雨がしとしとと降り、葉桜となった桜を散らしていた。新葉の鮮やかな緑と、散りゆく桜のピンク、そして雨雲の灰色が異様なコントラストをなしている。それが、これから喜び満ち溢れ成長していく赤ん坊と役目を終え死にゆくのを待つ老人、そして老人の死を待つ死神に思えて仕方なかった。それらは葬儀場へと向かう心をより鬱屈とさせた。
俺は、葬儀場に着くと記帳のため受付に向かい、受付の女性に
「この度はご愁傷さまでした。」
と、型通りの挨拶をし頭を下げた。しかし女性は能面のように表情を変えず、お辞儀もしない。
(聞えなかったか?)
と思いつつ、さらに女性の顔を覗き込んだが、やはり反応がない。
気まずくなった俺は、再度口の中でもごもごと挨拶を述べると手早く記帳をすまし会場に入った。
会場には、親族であろう人々がすでに着座しており、寺から呼ばれた坊主が抑揚のない声で読経を始めていた。俺は末席に座り、自然と『あいつ』のことを思い出していた。
小さな頃は、正義感が強くいじめられっ子をよくかばっていた優しい『あいつ』。
家の経済事情を考え、勉学に励み有名私立大学ではなく地方の国立大学に進学した親思いで頑張り屋の『あいつ』。
社会に出てから、大きくは出世をしなかったが部下から慕われていた人望のあった『あいつ』。また、その職場で最愛の妻を見つけ結婚できた『あいつ』。
大きくはないが一戸建ての家を建てることができた『あいつ』。
ふたりの子供を立派に大学まで進学させた良き父親としての『あいつ』。
こうして、思い出すと『あいつ』は実に幸せな人生を送ったのだ。また、幸せな人生を送れたのには『あいつ』の誠実であり、まじめであり、慈愛に満ちた性格の賜物だったのだ。
俺はいつの間にか涙を流し、『あいつ』の死を悼んでいた。それと同時に『あいつ』が生前どれだけすばらかったかということを、ここにいる参列者知らしめなければならないという義務感のようなものが芽生えていた。
その義務感は葬儀が進むにつれ大きくなり、読経が続くのもお構いなしに、俺は席を立ち、『あいつ』の棺にすがりついて男泣きに泣いていた。そしてついには参列者の方を振り返り大声で訴え始めたのだ、『あいつ』のすばらしさを。
「皆さん…、他界した『あいつ』は、『あいつ』は本当にいいやつでした。」
「小さなころから、優しく、まじめで、勉強に励み、会社に、家庭に貢献していました。」と、先述のようなエピソードを交え、身振り手振りを交えて『あいつ』の生前の人格を熱くほめちぎった。
どれくらい話しただろうか、話し終わった俺は満足し、涙にぬれた目を拭い参列者を見渡した。拍手が起こり、「よく言ってくれた!」と同調する声が聞こえるのではないかと思った。しかし、そこにあったのは響き渡る読経と、受付の女性のように能面を思わせる無表情な参列者の顔であった。
予想外の反応に、しばし唖然とし、棺の前で参列者たちを見まわしていると、突然
「嘘をいうな!嘘を!!」
という男の大きな声が会場の奥の方から聞こえてきた。さらに男は大声で続ける。
「『あいつ』はなぁ、優しい奴なんかじゃなかったぞ!正義感も強かったんじゃない!いじめっ子とたまたま仲が良く、いじめられてた女の子に気があったから助けてただけだ!」
さらに、男は続けて逐一反論してくる
「家庭の経済事情で私立大学に行けなかったんじゃなくて、勉強しても私立にいく偏差値がなかったんだよ!」
「会社で部下に慕われていた?飲みにも連れて行かないケチで、仕事のできないバカ上司って陰で言われてたよ!」
「最愛の妻を見つけたって?『あいつ』は本命がいたけど手が届きそうにないから今の妻と結婚したのさ。」
「家を買ったのだって、ほとんど『あいつ』の妻の両親からお金を出してもらってんだよ!それを我がもの顔で居座っているだけだ!」
「子供の世話もほとんど妻任せ、ふたりの子供は『あいつ』がいなくなって清々してるだろうよ!」
故人の前で何という暴言か!また、親族など参列者の気持ちを考えるといたたまれなくなり、俺はまた大声を上げた。
「あ、あんた…、『あいつ』の何を知っててそんなこというんだ!俺は『あいつ』と長い間一緒だった!その俺が『あいつ』を…『あいつ』の人生を肯定してるんだ!なんで、わざわざ別れの際に故人を否定するようなことを言う!」
男も負けておらず、こちらに向かいながら同じく大声で反論している。
「俺も、『あいつ』を長く知ってるからだ!あんたの肯定した『あいつ』の人生は、否定とまではいかなくても偽善と欺瞞の塊だったんだよ!人生の別れの間際だからこそ、ここにいる参列者の方々に『あいつ』の本性を知ってもらわないといけない!」
男はしゃべり終わるのとほぼ同時に、俺の正面に立った。
俺は、
「訂正しろ!故人の侮辱は許さんぞ!」
男も黙ってはいない
「訂正だと、真実を言ってなんで侮辱になる!」
二人は、そのまま距離を詰め、ほぼ同時に手を相手の胸ぐらに押し付けた。
お互いに胸ぐらをつかみ、顔が近づいた。はっとして、二人動きが同時に止る。
俺が胸ぐらをつかんでいる男は、紛れもなく、間違いなく俺だったのだ。そう、『あいつ』について全く逆の人格を主張していた二人は、俺ともう一人の俺だった。俺ともう一人の俺は信じられない無いという顔でお互いを見つめていた。そして、二人同時にそろそろと『あいつ』の遺影のほうへ目線を写した。
そこにあるのは、俺の遺影であった。
そして、俺たちは一瞬のうちに霧散した。
後には、坊主の抑揚のない読経と、強くなってきた春の雨が会場の屋根をたたく音のみが、ただ響くばかり。
(了)