20.家族の絆
朝の登下校。
近隣の中学生や高校生などが混じりあっている中、一際異彩を放つのは俺達だろう。
女二人に男一人。
しかもその内の女子は二人とも均整な顔立ちをしているとあって、衆目を集めるには十分すぎるほど。
そして、極め付けとして男の顎のラインあたりには赤い跡がついていて、なにやら修羅場でもあった予感。こそこそと、なに? あの人達? 二人であの男の人取り合っているの? 男の方は冴えないのに物好きぃとか下世話な噂話まで飛び出す始末。
そんな愉快な話などなく、ただ小春が投擲した辞書が顎に直撃しただけの話。色気もへったくりもないのが少し悲しい。まあ、現実なんてそんなものだ。
「……いてえ」
「大丈夫? 賢人クン。やっぱり今日は休んだ方がいいんじゃない? 私が看病してあげるよ」
「いや、夏純姉と二人きりになるのはちょっと」
「ガ、ガーン。そんな……。最近優しくなったと思ったらいきなり突き放すなんて……。賢人クンの心と秋の空は移ろいやすいのね……」
「そういうわけじゃないんだけど、ほんと……ちょっとな……」
万華鏡のように表情が変わる夏純姉ほどじゃないけどな、と内心でツッコミを入れる。
そもそも説明が難しい。
優しくなったのはきっと、家族のありがたみや日常の尊さを再確認にしたからだと思うが、突き放したのはやはりトラウマがあるから。
信頼している人間に裏切られ、背後から刃を突き立てられる。
そんなこと、前の世界じゃありきたりではあった。
だけど、やはりこの日本という平和ボケした世界に浸かりきったせいで、いつの間にかかつての凄惨たる記憶は僅かながら漂白していたのだろう。
それが悪いことだとは思わない。思いたくない。
これは、俺が望んだ世界なのだから。
この幸福なる世界への不満よりも、戸惑いの色合いが多い。
こんなにも俺は馴染んでいるということに。
前世の記憶があり、そしてそれが夢うつつではなく、現実のものだと俺は認めた。
そうしてこなかったのは、そうするのが怖かったから。
認めてしまえば、俺の世界は戦場にしかないと思っていたあの頃の俺に戻ってしまうと思った。だけど、そうではなかった。俺はもう、ワイズ・イーストではなく、西野賢人なのだ。落ち着いた今、自分を省みる余裕があるからこそしっかりと思える。それを素直に認めることができている。
だが、それは過去の自分を否定するわけじゃない。
ただ、過去の俺がいるから、今の俺がいる。
それだけだ。
「……ふん」
小春が腕を強引に組んでくる。
「お、おい?」
「そこまで強くしていないでしょ? それより――」
ぐい、と引き込まれる。
「夏純姉ってなんであんなに平然としているの? 確かに昨日、全部カミングアウトしたよね?」
「ああ……」
こそこそと内緒話を始める。
距離の空いた夏純姉を見やると、ん? と小首を傾げている。
「うちの母親もだけど、マイペースというかなんというか。騒がれて二人とも精神科の病院に強制搬送されるよりかはましだけど、たまに心配になるよな……」
「うーん。信じていない訳じゃないと思うんだよね。それでも何の抵抗もなく受け入れているところが、恐ろしいよね」
「いや、そこはいいところだと言っておこうよ、家族なんだし……」
「えっ?」
「どうしたんだよ」
「……いや、お兄の口から、私達のことを家族だって認めてくれた言葉を初めて聴いた気がしたから」
「ええ!? そうだったかな」
スン、と小さく聴こえる。
ぎょっ、とする。
何の気なしに音源をたどると、小春の瞳からキラキラと光り粒子がこぼれていた。
「お、おい? 大丈夫か!? なんでいきなり?」
「ごめん、ちょっと感極まっちゃって」
「……な、なにも泣くことはないだろ」
「だって、だって、嬉しいんだもん……」
「小春……」
なんで言ってやらなかったんだ。
もっともっと、愛しているって。
家族として小春のことが大切だって……もっと口が酸っぱくなるぐらいにしつこくっ……。
不安だったんだろう。
ファングから全ての元凶だと罵られ、自分でも俺の両親や元の世界での仲間達が死んだのが、自分のせいだと責めていたのだろう。
それなのに、俺は何をやれたんだ?
救えたのか?
ただ身体を張っただけだ。
形のないものほど大切なものだけど、それでも言葉にしなきゃその大切さは伝わらない。だから、もっと、言ってやらなきゃいけなかったんだ。
「愛しているよ、小春」
「は、はあ!? 何言っているの! お、お兄! 気持ち悪いしっ!」
「いてぇ!」
全然伝わらなかった!
俺の気持ち!
怒りのあまり紅潮させながら、足を何度もゲシゲシ踏んできた。
「あーもー、何やっているの? 賢人クン。小春ちゃんのこと、泣かせちゃだめでしょ! めっ!」
「いやいや、これにはちゃんと訳があって!」
「言い訳禁止だよ! 罰として、今日わあ、私と肩組んで登校だよ!」
「待て待て! 肩どころか当たっちゃいけないところがガッツリ当たってますけど?」
「ええ!? どこお。どこが当たっちゃいけないところなのお?」
「ぐっ……」
舌足らずな言い方で甘えるように言ってくる時点で、分かってるだろおおお?
確信犯か?
だがこれで口に出してしまったら、夏純姉の思う壺。
ここは知らぬ存ぜぬを貫いてこのまま腕を、胸クッションにうずめることを選択する! 決してこの感触を味わいとか邪な想いがあるわけではない。
ただ、夏純姉の思惑のまま動くのは気が引けるだけだ!
「………………」
するっ、と無言で小春が再び腕を組んでくる。
今度は密着度がさらに上がって、夏純姉と対抗するように睨んでいる。
な、なんだ?
小春のことだから辞書で頭を陥没させることぐらいはやってのけると思っていたのに……。
なんだこれ?
新しい攻撃か?
「お、おい。小春、止めてくんない? なんで、お前までやるんだよ。収拾がつかなくなるだろ? ある意味お前のツッコミ待ちだったんだけど!」
「なんで私だけ!? なんで私だけ注意するの!?」
「いっ! 足踏むなよ! なんのことだよ!?」
どこに怒っているのかさっぱりわからない。
情緒不安定過ぎる!
やっぱり、昨日のことがあって混乱しているのか? わけわかんなくなっているらしい。
「わ、私だって高校生になればちゃんと谷間だってできるもん! そうしたら、私にだけ止めろなんて言わないよね!?」
「谷間!? どんな逆ギレのしかた!? わけわからねえ!」
引き剥がそうとしたのだが、小春はどうしても譲らなかった。夏純姉も笑いながら俺の腕を放すことをせずに、結局串団子みたいに俺達は三人仲良く門をくぐった。
ドスドスドスッ! と周りからの視線が突き刺さったが、まあ、今日のところは別にいいか!
ようやく俺達の世界が平和になった記念日なのだから。




