17.世界の敵
ブレイアの拘束がシュルシュルと外される。
スタン、とようやく足を地面につくが、すぐにでも倒れそうだった。
「お兄い……冗談だよ、ね」
「そんなわけないだろ! 気持ち悪いんだよ、勇者! お前がやっていたのは家族ごっこだったんだよ! お前みたいな化け物に兄扱いされて、不憫だよなあ、賢者も!」
冗談だと言ってやりたい。
だけど、そうはいかない。
誰だって分かる。
天秤をかけるまでもない。
個人と全て。
救うべきはどちらかなんて明白だ。
「悪いな、ブレイア。さっきのは冗談なんかじゃない。賢者として俺は世界を守らなきゃいけないんだよ」
「そんな……」
賢者でなくとも、普通の人間の神経ならば賢い選択を選ぶ。
だが、それができないというのなら、
「俺が、本当に賢者だったならな」
きっと、俺は普通ではないのだろう。
ただただ、愚かなのだろう。
「え?」
「誰からも尊敬され、世界でも有数の天才。スキルを極めた熟練の達人。仙人。知恵を授ける助言者。先見の眼を持ち、預言者とさえ呼ばれる。――それが、賢者。絶対に世界にとって正しい答えを導くことができることが賢者。そうだよな?」
「そ、そうだ! それこそが賢者だ! だったらお前は――」
「だったら、俺は賢者じゃないよ。ただの愚者だ。だって、世界なんかよりも、たった一人を生かそうとしているんだから」
ファングが眼を見開いてふらつく。
「……何を、言っているんだ……お前は、この不平等な世界のままでいいのか!?」
「それはこっちの質問だな」
「は?」
「さっきからお前の言葉を聴いていて、違和感しかないんだよ。お前は誰もが主人公になれる世界で本当にいいと思っているのか?」
「そんなの当たり前だろ! 誰だって主人公になれる資格はあるんだよ!」
「違うな。お前は、お前自身が主人公になりたいだけだ」
「なっ――」
「小春が全ての元凶? ブレイアが『世界の破壊者』だ? そんなの違うに決まっているだろ!」
「何を言っているんだ、賢者。錯乱しているのか? 言っておくが、私は嘘なんてついていないぞ……。勇者には世界の法則を歪めるだけの力が確かにあるんだ!」
「確かに、そうなのかもしれない。勇者は生まれながらの主人公で、主人公補正があるのかもしれない。――だけど、だからどうしたんだよ? 誰かが特別だからって、お前は努力することを諦めるのか? お前の怠惰のつけを、全部勇者に負わせるつもりか? お前がやろうとしていることは、自分より凄い奴がいて目障りだから消してしまおうって言っているのと同じなんだよ! お前はただ、自分が傷つくのが怖いだけだ!」
小春を殺したところで、きっとファングの世界は救われない。
だって、なすりつけているから。
自分の責任を、自分の弱さを、自分の至らなさを、誰かのせいにしなきゃ生きていけないのだ。そして、このままではそれを永遠に繰り返す。
他にもそれっぽいスキルを持つ人間を見つけては殺すだろう。
そのスキルのせいにするだろう。
才能のせいにするだろう。
自分が幸福になれないのは、誰かが幸福であるから。
自分が主人公になれないのは、誰かが主人公だから。
そんな弱い心が孕むのは、終わらない殺しの連鎖。
自分が舞台の真ん中でスポットライトを浴びていなければ発狂してしまう。それが、ファングの特性で根源で源泉なのだろう。そのまま突き進んだところで待っているのは、孤独だけだ。そんなの幸せなんかじゃない。からっぽなままだ。
「いつからそんな話になっているんだよ? すり替えるなよ! そいつが元凶なんだ!」
「違うよ。断言してやる。なあ、お前は小春を知ったように語るけど、小春を知らないだろ。小春は才色兼備だよ。テスト結果はいつだって学年主席だし、部活の剣道だって全国大会で優勝するぐらい強い。誰もが羨む才能を持っている」
「それこそが、スキルを悪用している証しだろうが!」
「違う。小春は誰よりも努力しているんだ。俺は、知っているぞ。周りから妬まれ陰口を叩かれようと、毎日休まず誰よりも努力している。最後まで体育館に残って竹刀を振るっているのは小春だし、この前だって夜中の三時に起きたら、小春の部屋は明るかった。こっそりのぞいたらさ、徹夜で小春は勉強していたよ。気になって覗いたら、次の日も、その次の日も研さんを重ねていた。その積み重ねを、天才だからとみんなが小春の努力を否定している。どんなに努力しても、お前みたいにやっかむ連中は後を絶たないよ。周りから揶揄されることは変わらないのに、それでも! 小春は頑張っているんだよ! 俺は、全部、知っているぞ! 小春が、どれだけ影で頑張っているかを!」
頑張れば頑張るほど、みんなと差がついてしまう。
そのせいで、足を引っ張ろうとする連中は増え続ける。
それでも、努力しているのだ。
努力して努力して、天才だ、主人公だとレッテルを貼られても、それでもなお努力し続ける。小春にもしも才能があるとしたら、それは『努力する才能』だ。世界中の人間が小春を敵に回しても、俺は味方でありたい。小春の努力を認めてやりたい。
「賢人兄ぃ……」
ブワッ、と睫毛のダムが崩壊したかのように、小春の瞳から涙が流れる。
眼の下にはうっすらと黒いものがあった。
刻まれている努力の跡が。
それさえなければもっとかわいいのに。もっとちやほやされるだろうに。それなのに、跡がついている。
「眼の下にくまができようが、泣きごとひとつ言わずに毎日努力を積み重ねている小春が、何もかも捻じ曲げて自分のいいように世界の中心に居座れるはずがないだろ! 何も知らないお前が俺の妹を語るなよ! こいつのすごさの一ミリだってお前は理解できてないんだ!」
「そ、そんな言葉でごまかせるか! 私は我慢していたんだ! 辛かったんだ! 真実を告げれば、勇者は仲間に殺されていたのに、私は黙っていたんだ! そいつの恐怖を知らないのはお前だよ!」
「言えばよかったんだよ」
「なに?」
「どうして言ってくれなかったんだよ。たった一言だけでいい。相談してくれればよかったんだ。俺も自分のことを家族に打ち明けなかったことを後悔している。だから、あえて言うよ。何かを言ってくれたら世界は変わったかもしれない。それなのに、お前達が何もしなかったから、世界は崩壊したんじゃないのか?」
「そんなの結果論だろ!」
「じゃあ、お前が言っているのは結果論じゃないのかよ? 世界が崩壊したから、誰かのせいにしよう。あっ、そうだ、こいつがいるよ、ってやり玉に挙げたかっただけだろ。集団で叩く相手がお前は欲しかっただけだ。お前がやっているのは弱い者いじめでしかない」
世界は戦犯探しに躍起になり過ぎている。
誰か標的を見つけるとこぞって石を集団で投げ続ける。
誰だって失敗ぐらいするのに。
間違ったり、冤罪に苦しむことだってあったりするはずなのに。
それなのに、自分のことは棚に上げる。
吊し上げることが正義だと信じきっている。
特に事情を知らずとも、興味本位でみんなの真似をする。
同調する。
たとえそれで誰かが犠牲になっても平然と日常を送り続ける。
誰かが死んでも、次の話題にくいつく。どんな大事件でも忘れてしまう。色褪せてしまう。
でも、当事者にとっては、鮮明で鮮烈なのだ。
日常は尊いものなのだ。
それを壊そうというのなら、俺も戦おう。
世界と、戦おう。
「違う。魔王様だって、私のことに賛同してくれたんだ!」
「それだよ、ファング。どうして、そこで魔王様って言葉がでてくるんだ」
「どうして、って。ただ私は事実を……」
「普通はさ、そこで誰かの言葉がでてくるのがおかしいんだ。お前はお前の言葉で、お前の意見を言っていないんだよ。世界の敵だとか言っているけど、お前が気に喰わないだけだろ。お前は自分が否定されたくないから、魔王の肩書を借りているだけだろ。魔王って言えば、俺達が怯むと思っていたんじゃないのか。もしも反論されたら、魔王のせいにしようとしているんじゃないのか。お前は、ずっと、誰かの代弁者を気取っているけど、結局、お前はただ自分の弱さを見たくないだけだ。そうだろ? 誰かを否定している時は、自分を否定しなくてすむもんな……」
「違う! 違う! 違う! 私は世界のために! 私はみんなのためにやりたくもないことをしているだけなんだ!」
また、誰かのためにと言っている。
そのことに気がつかないまま、駄々っ子のようにただ喚く。
「お前が正しいだけの正論を振りかざして弱者を虐めるっていうんなら……。俺の家族を敵に回すっていうんだったら、俺が先に立ちはだかってやる! 俺が相手になってやる! お前が莫大な量のスキルを持っていようが関係ない! 俺はたった二つしかないスキルでお前に勝ってやる。勝って、小春を、俺の家族を守るんだ!」
「それが、世界の敵になることだとしてもか?」
「ああ、そうだ! 俺は世界の敵になってやる!」
小春が頭を振る。
「お兄い、どうして? やめて、やめてよ。私のために、どうしてそこまでできるの?」
「俺はお前を信じているんだよ」
「でも、本当は、私だって分からないんだ。私のスキルは無意識に働くものだから。だから、私自身どんな風に発動しているのか分からない」
「大丈夫。小春は自分のことだけしか考えられないような人間じゃない。だって、そんあに苦しそうにしている。一番初めに俺のことを気遣う言葉が自然と出る優しい奴だ。だからさ、絶対にお前は誰かを傷つけて平気でいられるような奴じゃない。たとえ、お春自身が信じられなくても、俺はお前を信じている。それでも信じられないなら、小春を信じている俺のことを信じてくれないか?」
「お兄ぃ……」
「勇者と一緒だったら、世界が敵だろうが関係ない。昔から俺達が組めば無敵だっただろ?」
「……うん、そうだね……。私達がいればどんな戦いだって勝てるよね!」
いつだって二人で戦ってきた。
どんなに理不尽なことがあっても、二人でいれば乗り越えことができたのだ。だから、笑顔で対峙できる。
どんな絶望にだって屈しない。
久しぶりに肩を合わせるようにして隣にいるブレイアを見やって安心した。
もう、誰にも負ける気がしない。
チッ、とファングが舌打ちする。
「……サモナー、分かっただろ。私がどれだけ苦心していたか。あんたのマンドレイクだったら相手が何人いようと関係ない。さっさとやってくれ」
「ああ、事情は呑み込めた。いきなり西野を襲うなんて言うからお前に手を出してしまったけど、これで、私もどうするべきか分かった」
グアッ! とエシオルの操る木々が迫る。
俺の身体よりも太い幹をしている木が迫ってくるが、俺はガードしなかった。する必要がなかった。何故なら、襲い掛かったその先が、俺ではなく、ファングだったのだから。
「――なっ!」
おそいかかる木々を、爪を伸ばした手で軌道をずらす。
とんでもない腕力だが、枝がひっかかったらしく腕から血が出ている。
本来、炎で焼き払いたかっただろうが、その炎すら吸収してしまうマンドレイクは、ファングにとって天敵ともいえる相手だ。
「……なんのつもりだ? 聴いていたのか?」
「聴いていたよ。聴いたうえで、お前を止める。かつては敵だろうと、今では私達は家族なんだ。だから、お前の世界を助けるために、私はお前を倒すよ」
「馬鹿が……」
悪態つくファングの頭上から、無数の拳が降り注ぐ。
「くっ――」
肩に拳の一撃がかする。
そのダメージを与えたのは、湯田のスキルによるものだ。
「私だって戦います。世界の命運を決める戦い……。うん、きっと、私はこの時のために生まれてきたんだと思いますから」
「調子に乗るなよ、雑魚どもが。私が協力を仰いだのは私が弱いからじゃない。ただ面倒だったからだ。この中でもっとも全盛期に近い力を持っているのは私ということをその身を持って味わうといい――『装炎獄葬』」
ゴォオオオッ! とファングの全身に炎の鎧が纏われる。
ファングに手を出せばこちらが逆に深手を負ってしまうスキル。
あちらは継ぐに繰り出す炎のスキルの全てが破壊力を増すことができる。
つまりは『臨戦火装』の上位互換みたいなものだ。
マンドレイクによって吸収はできるだろうが、あからさますぎる。
罠と考えるのが自然。
エシオルもそれが分かっているようで、すぐに手出しはしなかった。あの炎を吸収することで一手遅れる。その隙にファングが何をするか分からない。
「勇者と、そして賢者。お前らはどんなことがあっても全力でこの場で消してやる。魔王様が常に一番危険視していたのは、賢者、お前だったよ。どうしてだか私には分からなかった。勇者よりも危険なはずがないって内心思っていた。だが、やはり魔王様の考えは正しかった。お前を眷属にする標的に選んで正解だったらしい……。さっきまでここにいる奴らは揺らいでいた。私の考えに傾こうとしていた。だが、お前の言葉でひっくり返った。お前は危険だよ。お前がここにいる連中の心を、たった一言で変えたんだ。敵だったはずの奴を味方にしたんだ。お前の存在そのものが世界に絶望を与えるなら、私は世界の希望のためにお前を殺すよ」
炎が勢いを増す。床を焦がし、ビキビキッと割れていく。その割れた隙間から木の根が飛び出して、そして、
ファングの背中から肉体を貫通する。
花弁のように木の根は、赤い血で染まっている。
背後からの不意打ち。
床から生えた木は炎の鎧を一瞬で吸収すると、ファングを貫いたのだ。それだけでは終わらない。木がファングの肉体から引き抜かれると、さらに血が噴き出す。
「がはっ、くっそ――」
ドガガガッ!! と、反撃しようとしたファングを引きずって木は、床を擦るというよりは破壊する。
「あああああああああああっ!!」
肉体が鉛筆みたいに削られる。
ファングでなければ、既に息はしていないが、死んでしまった方が楽だと思ってしまうほどに重症。
抵抗しようにも、できない。
マンドレイクはどんな衝撃だろうと吸収してしまう。
炎だろうが、どんなスキルだろうが、どんな力も吸収し、糧にして、成長してしまう。強くなってしまう。
一度捕まれば、もう、どうすることもできない。
養分になるしかない。
「……なんだ、何が起こっているんだ?」
「だから、言ったのに……。もう、手遅れた。ここにいる全員は、勇者によって殺される」




