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16.賢者の選択

「勇者? 小春が? それに、一連の騒動の黒幕がこいつって、そんなの誰が信じるっていうんだ……」

「まあ、そうなるよな。――実際に観ないことには」

 ファングはそう言うと、手のひらを掲げる。

 今からファングがしようとしていることを察して、俺は全力で止める。

「やめろっ!」

 基本的に、俺には遠距離攻撃はない。

 あるとすれば、地面に亀裂をいれて足場を崩すことぐらいなもの。

 だが、そうなると周りにも被害が及んでしまう。

 その一瞬の躊躇をファングが見逃すはずがなかった。

「『砲穿火弾ほうせんかだん』」

 そこら一体の空気を揺らめかせるほどに熱く燃え盛る火球が、小春に襲いかかる。

 眷属とは桁違いの威力と速度の火球に、誰も対応できないでいた。――たった一人を除いて。

「――っ! 『光刃剣ライトニングブレイド』」

 火球は斬られ、真っ二つになった。

 周囲の光を吸収することによって剣を生成するスキルは、誰もが使えるわけではない。

 一度聖騎士になり、剣技を極めたものにしか習得できない。

 特殊スキルの一つに数えられる。

 影のあるところでは力が半減してしまうという条件があるが、それを補って強力な破壊力をもたらす。

 屋内では光があまり入らない。

 それを見越して彼女は、炎の光を使った。目の動き、手の動きからして、見切っていた。だが、あえてギリギリまで火球を引きつけた。そうした方が、より自分の光の剣を強くできるからだ。光が手元にあればあるほど破壊力が増すからだ。

 相手の力を最大限に利用して自分の武器を強化している。この一合だけでも並の剣使いではないことが分かる。

「そのスキルと、その咄嗟の機転……まさか、ほんとうに?」

「……………」

 小春は下唇を噛みしめながら視線を下に落とした。俺と眼も合わせられずに沈黙している姿が、雄弁に語っていた。

 ファングの言っていることは全て真実であることを。

「アハハハハハ! そうだよ、賢者! お前は騙されていたんだよ、ずぅーとな! お前の妹はな、勇者だったんだよ。ずっと前から覚醒していて、お前に正体を隠していたんだ! 嘘をついてお前に近づいていたんだよ!」

「ち、違う、私は、別に騙そうだなんて……」

「そ、そうだ! 俺だって前世の記憶が本物かどうか確証なんてなかった! だから家族には黙っていた! そういうことだろ? なあ、小春!」

「…………うん」

「? ……小春?」

 消え入るような声で返答する小春を見やって、ファングが哄笑する。

「フハハハハ! そうだよなあ。お前が嘘をついていたのはそれだけじゃない。もっと前から、そう、お前との出会いからずっとだよ。前世の頃からずっとお前や、お前の周りは騙されていたんだ!」

「……西野の妹――いや、勇者が、私達のことを? どういうことだ?」

「ブレイアはな――」

 エシオルの質問に答えようとしたファングは、言葉を紡ぐことができなかった。何故なら、一足飛びに肉薄した小春が、斬りかかったからだ。

「『炎刀えんとう』」

 轟々と燃える刀で受け止めると、鍔迫り合いになる。

 しかし、均衡はすぐに崩れる。

「くっ――」

「――死ね」

 小春の光の剣が、炎の刀を叩き斬り、そのままファングの腕をも両断してしまう。

 ボトリ、と落ちた腕を拾いもせずに、ファングはにやりと笑うとすぐに新しい腕を増やす。ジャキン、と刃のように鋭く伸ばした爪で頬を裂こうとするが、飛び退いて小春は距離を取る。落ちていた腕は灰となって、風に飛ばされる。

 こいつら――どっちも化け物だ。

「ほう、勇者の力は健在だな」

「……どうして、あなたがそれを知っていたの?」

「私のスキル『邪眼イビルアイ』は、どんな防護スキルをも突破し相手のスキルを看破することができる。それより気がついているか、今、お前がどんな風に観られているのか?」

「どんな風に、って……あ……」

 俺達は黙っていた。

 顔を見合わせなくともお互いにどんな顔をしているのか察しが付く。

 恐らく、小春に対して恐怖を覚えているような顔をしているだろう。何の躊躇もなくファングを斬りかかっていたブレイアは、確かに勇者だ。

 だが、あまりにも強すぎる。

 強すぎるし、そのことをずっと小春は隠していた。

 特に、俺とはずっと同じ屋根の下にいるのに何も言わなかったことが気にかかる。

 湯田やファング『世界の破壊者』とさえ呼ばれる勇者が何を考えていたのか知る由もない。そう、小春の考えが不透明なのだ。

 湯田や委員長のように行動していたわけではない。

 そして、何もせずに、いきなり斬りかかっている。

 ファングの言葉を封殺するように。自分にとって不利なことを口封じするために、腕さえも切り落とすような勇者を見て、喜ばしいとはまず思えない。人間は自分の頭で理解できないことには、本能的に恐怖を覚えるようになっているのだ。

 だから俺達は何もできずに棒立ちになっていた。どちらに加勢すればいいのか分からないような状態なのだ。

「フハハハハハハ! 墓穴を掘ったようだな、勇者。お前が必死になればなるほど、自分の首を絞めることになるんだ。お前はもう、私の口を塞ぐことはできない」

「こ、こいつ――」

 鬼のような形相になって、小春は剣を振りかぶる。

 ファングの首をはねるつもりだ。

「やめろ、小春」

 俺は腕を後ろからつかんで、斬首しようとした小春を止める。

「お兄、や、やめてよ!」

「やめるのは、お前だ。こいつを喜ばせるのは癪だが、それでも今はファングの言葉を聴かなきゃ、お前を信じられない。お前のことを信じたいんだ。だから、聴かせてくれ。小春のことを知るために」

「賢明だね。流石は賢者様だ。さあ、どうする? 勇者様。この期に及んで隠せるとは思っていないよなあ?」

「うっ――うああああああああああああ!」

 腕の拘束から力づくで抜けた小春は、ファングの挑発に乗って斬りかかる。――だが、その腕、いや、身体ごと蔦が巻きついていく。二重、三重に、縄のように巻きつけたのは、エシオルの眷属であるマンドレイクの所業だ。小春は拘束されて身動きがとれない。

「くっ、エシオル、お前――」

「少し話を聴くだけだ。こいつをみんなで総叩きするならそれからでもいい」

「私も聴きたいです……。部外者だけど、それでも私は戦ってきたんです。どうして彼女が黒幕扱いされているのか気になります」

 エシオルや湯田の言うとおりだ。

 こうまでして小春が隠したい秘密を聴かないことには、俺は戦えない。誰が敵で誰が味方なのかさえも分からない。

「いいね。みなさん協力的でなによりだ。教えてやるよ、そいつの罪を。隠してきた秘密を。それは――」

「やめ――んんんんんんっ!」

 小春が暴れるが、口元にまで蔦がからんで塞ぐ。


「『主人公補正パーフェクトストーリー』――勇者が持っている世界で一番危険なスキルだ」


 ついに明かされる。

 勇者がどうして『世界の破壊者』となってしまったのか。その根本を。

「んんんんんんんっ!!」

「『主人公補正』? ずっと戦ってきたのに、そんなスキルを持っているなんて、知らなかったぞ?」

 暴れる小春と大分温度差があるのを感じてしまう。

 そこまで慌てるようなことなのか? 

 勇者が主人公だと言われても何の違和感もない。

 むしろ、勇者らしいとさえ思える。

「それもそのはずだ。そのスキルを口外するなんてできないだろうからな」

「なんなんだよ、そのスキルは。噂ですら聴いたことないぞ。どんな効果なんだ?」

「『主人公補正』は、完璧なるご都合主義だよ。主人公だから戦いには必ず勝つ。主人公だから死なない。主人公だから周りには自分にとって都合のいい奴だけが集まる。それが『主人公補正』の特徴だ。――つまり、自分が思い描いた完璧なるストーリーがそのまま現実となって起こってしまうスキルだ」

「はあ? なんだよ、そのスキル……そんなのって……」

 神と同等の力を持っているようなものだ。

 最早、強いスキルとか弱いスキルとか、そんなものを語るレベルではない。

 人間の域を超えている。

「このスキルには際限がない。つまり、あの大戦を引き起こしたのだって、勇者ブレイアのせいなんだよ」

「な、なに言っているんだよ、そんなこと、あるはずがないだろ? ほんとうにそんなスキルを持っているなら、今、この状況こそがおかしいだろ!?」

 自分の理想通りに話が進むのならば、苦戦すらしないはずだ。敵などいないし、周りは味方だらけ。今、マンドレイクに拘束されているのもおかしいし、それに、ジェドレンでは何度も死にかけたし、絶望のあまり自ら命を絶ちすらした。

 チート主人公のように無双しなければ、吸血鬼のように不死身でもない。

 どれだけ強くとも、心は傷つきやすい普通の女の子のはずだった。

「それがあるんだよ! そいつは戦いを望んだ! 平穏過ぎる世界は退屈を生む。だから、自分が活躍できる戦いを世界で引き起こしたかったんだ! だから敵を作った! 仲間を生んだ! そして、いつだって自分がギリギリの実力で勝てるような敵をタイミングよく配置し、戦った! ピンチでハラハラした方が楽しいもんなあ!」

「なんだよ、それ、何を言っているんだ?」

 まるで、ゲームみたいに。

 人間をNPCみたいに小春が扱うわけがない。

 箱庭を俯瞰する神様が至りそうなそうな思考になるわけがない。

「おかしいとは思わなかったのか? どうして旅の初めに魔王様と一度も出会わなかったのか。強敵と出会わなかったのか。まるで計ったかのように自分達よりちょっぴり強い敵に会ったことを! そして旅の先々でお前に協力してくれるような仲間と、どうやって出会った? かつての敵が改心して仲間になったりしたよなあ!? なんだ、このご都合主義の展開は? お前は本当にそのことについて、世界について疑問を持たなかったのか?」

「そんなの、俺達だって努力して――」

「努力? そんなもの報われるようには世界はできていないんだよ! こいつのせいなんだ、全部! 全部こいつの仕組んだことなんだよ。あの世界が不幸だったのも、全部な!」

「……なにを……」

 言い返したいのに、舌が張り付いたように動かない。

 信じてしまいたくない。

 小春が顔面を蒼白にしたまま横を向いている。まるで、


「『世界の破壊者』の勇者は望んでいたんだ。お前と二人きりになることを。ただそれだけの理由で世界を崩壊させたんだよ!」


 ファングの言っていることが、全て真実だと告げているかのように、黙っている。

「なっ――」

「もう分かっただろ? そいつは全てを支配できるんだ。お前にだって艱難辛苦を乗り越えた仲間がいた。共に戦ってくれる友がいた。戦い方を教えてくれた師匠がいた。温もりをくれた家族がいた。愛する人間だっていた。その全てはそいつによって殺されたんだ! 自分にとって都合のいい世界を造り上げるためにな!」

 目の前が真っ白になる。

 ぼう、と浮かび上がるのは、死んでいった人達。みんな俺にとって大切だった人達。みんな残らず俺より先に死んでしまった。仇は魔王とその配下の者達のはずだった。それなのに、仇はずっと近くにいた? 些細なことで笑い合って、旅先では一緒のテントに入って夜通し語っていた奴が、俺の敵で世界の敵だった?

「……それじゃあ、この世界で西野の家族が死んだのは?」

「おかしいと思っただろ? お前の両親が死んだ交通事故は、車が大破した。完全につぶれたらしいな。だが、何故かお前だけ無傷だった。そして、勇者とはたまたま同じ世界に転移し、同じ時代で巡り合った。たまたま知り合いの家に転がり込んで、その家には勇者の西野小春がいた。いやいや、偶然なはずがないだろ? 全部、勇者が望んだことなんだよ! お前は二回両親をそいつに殺されたんだ!」

「ま、待てよ……。そんなの嘘……だろ?」

 スキルはこの世界にも受け継がれている。

 ブレイアの『主人公補正パーフェクトストーリー』だって例外ではない。そのせいで、この世界の両親でさえ殺された? 無関係なのに。俺の前世のことさえ知らなかったのに、両親は小春によって直接手を下されずに殺されたのか?

「だ、騙されないでください! その人の言うことが本当だとしても、私達は勇者の操り人形なんかじゃないはずです! 今、あなたが苦しんでいるその心は操られていない証拠です! だからちゃんと考えてください! 誰が本当の敵なのかを!」

「そ、そうか……」

 湯田の怒鳴り声で少しだけ頭が冷静になる。

 言われてみれば、そうだ。そのはずだ。

「おいおい、賢者様ともあろうお方が、そんな雑魚の言うことを信じるのか? それとも、現実を直視したくないだけか? お前だって薄々気がついているんだろ? こいつの主人公補正の強制力がどれほど強力なものなのかを……」

 ファングは腐った生ゴミを見るような顔で、小春を指差す。


「こいつはな、お前の心さえも支配しているんだ」


 小春は諦めたように項垂る。

 これ以上抵抗しても無駄だとあきらめたようだった。

「心を支配……? 吸血鬼の眷属みたいなものか?」

「いいや、それよりももっと陰湿なものだ。直接的に心の支配ができるわけじゃない。そういう状況を造り上げるんだよ。庇護欲を誘うような見た目をしているよな。それに、お前の生い立ちだって前世でも現在でも、決して幸福ではなかった。それは何故か? 仕組まれたんだよ。お前が幸せを渇望するように。家族を求めるように。前世でも勇者と家族同然で過ごしたらしいな。それが全てだよ」

 過去から全てに干渉できるならば、人格形成さえ自在に操れるってことか? そんなわけがない。

 俺だって造り物じゃない、本物の記憶があるんだ。

 それが小春によって造られたものだって信じられるわけがない。

「違う。俺は自分の意志で家族を助けたんだ! 自分が死ぬことになったとしても、夏純姉を助けたんだよ!」

「それがおかしいだろ。誰かのために自分の命を捨てるなんて狂人の発想だ。狂っているよ、お前は。お前はそこの勇者によって心を支配されたんだ。哀れだな。心を操られているのさえ気づかないなんて……」

 急に身体から体温が低くなっていく。

 身体の傷もズキズキと痛みだした。

 名誉の勲章とさえ心のどこかで思っていた自分が恥ずかしくなってきた。

「こんなに俺が怪我しているのも小春が望んでいるからか?」

「そうだ。痛みは安息を求めるようになる。お前が家族を求めるように仕向けているんだから、それは当然だよな。お前の姉が眷属化したのだって偶然じゃない。そいつがそう望んだからだ」

「そんなの、お前の意志以外じゃどうにもならないことだろ?」

「私には時間がなかった。だからお前に近づくためにお前の周辺を狙っていた。そして隙があったのはお前の姉しかいなかった。だが、それは偶然ではなかったんだ。思い出せ、賢者。お前の妹は、姉と一緒にいる時敵意をむき出しにしなかったか? 攻撃して引き離そうとしなかったか?」

「それは……」

 足を踏まれたり、姉と一緒にいると必ず小春が邪魔してきたりした。

 不機嫌な顔を隠そうともせず――必ずだ。

 でも、そんなのただのじゃれ合いのはずだ。

 家族がする冗談の範疇のはずだ。

「自分の姉が邪魔になったんだよ。自分こそが賢者にとっての居場所になるつもりだった。それなのに、そのポジションを姉にとられそうだった。唯一無二の存在にならなければならない勇者は焦った。だから排除することにしたんだ。自分の家族すらも邪魔ならば消す。そいつは、そういう奴なんだよ……」

「そんなこと……。だからって、世界なんかが簡単に壊れるはずが……」

「実際に壊れたんだよ。ジェドレンは、お前の知らないところでな。勇者が死んだその後こそが、本当の絶望の始まりだった」

 ファングは不死である吸血鬼であるが故に、魔王の死後も生き延びたのだろう。とうとうと前世のことを語り始める。

「世界大戦が終結した後、その倍以上の規模の世界大戦が起こった。第二次大戦によって世界は半分以下の人口になった。勇者と魔王、統率者のいなくなった世界はどんどん総崩れになった。覇権争いで戦争が起こり、戦争が長引けば飢える。飢えた民衆は王を討ち、足並み揃わなくなった国家は勝手に自滅する。世界は滅びへの道へ進んだ。勇者が死んだ瞬間、主人公が死んだ瞬間、物語が終わるみたいに、世界は終わったんだ」

 湯田の話の続きを聴かされている。真の絶望とは魔王という明確な敵がいなくなった後に、隣人を敵だとみなした。味方同士で殺し合う……そんなのひどすぎる。

 平和のためにやっていたことが、逆にみんなを苦しめることになっていた。

 こんなことなら、魔王が生存していた方がよっぽどよかった――なんて思いたくない。魔王達を倒すために犠牲になった仲間は、一人や二人ではないのだから。

「仲間だったはずの奴同士での殺し合いが始まった。私も見たくなくなって、そして自殺した。不死であるはずの私は、自殺した。だが、この世界は救える。希望はあるんだ。まだ間に合うんだよ。そいつの強制力が少ない今なら、必ず世界を救える」

「世界を救うだと? お前らはそんなことを言いながら、お前がやってきたこそ世界の破壊だっただろ!」

 戦いたくて戦ったわけではない。

 魔王が支配する世界を解放したかった。

 奴隷同然で働かされる人々だっていた。

 理不尽に殺される人たちがいた。

 それらが嘘だったとは言わせない。

「仕方がなかったんだよ。徒党を組むことでしか勇者への対抗手段がなかった。もちろん、暗殺者を送って何度も勇者を殺そうとしたさ。その度に阻まれた。不特定多数の無知な善意によって魔王軍は討たれた。時には天候さえも牙を剥く勇者に私達ができたことは、何もなかった。だが、この世界ではスキルが使える代わりに、かつての力の半分も引き出せない。そうだよな?」

「確かに、まだしっくりきていないな……」

 エシオルが手のひらを開きながら、実感のこもった声で呟く。

「そう。覚醒してまだ時間が経っていない今だからこそ、私はお前達に協力を求めようとしたんだ。私は、お前たちの味方なんだよ」

「味方って、夏純姉や朱雀達を操って俺を殺そうとしただろ!」

「私に襲い掛かった時もありましたね。あれはどう言い訳するつもりですか?」

 俺達の糾弾にふぅ、と嘆息をつく。

「暴走したんだよ。きっと、それも勇者の強制力が働いたせいだ。私の力も十全ではない。眷属が勝手に暴走した結果があれだよ。本当は殺すつもりなんてさらさらなかった。まっ、保険として、お前の姉や友人達を操ろうとしたのは間違いなく私の意志ではあるけどな。殺すつもりは毛頭なかった」

「そんな言葉信じるとでも?」

「信じるか信じないかは別だよ。私はただカミングアウトしたかっただけ。お前達がどう受け取ろうがお前達自身で決めるといい。結局、私の計画のほとんどは失敗したけど、今回は成功した。お前達を疲弊させさえすればこうやって交渉のテーブルにつかせることができた。これでようやく世界は正しく回ると私は信じている」

「……どうして。どうして言ってくれなかったんだ。そうすれば、どうにかできるかも知れなかったのに」

「いつだって取り返しのつかない時になって、人は他人の忠告を聴くものだろ? 平和だった時に勇者が全ての元凶だと言って誰が信じてくれる? それに黙っていたのは、これは魔王様のお考えでもあったんだ」

「あいつが?」

 思えば魔王のことはあまり知らなかった。

 あっちは俺のことを知っている風だったが、特に語る言葉もないまま戦った。だから、あいつのことはほとんど知らない。考え方や生き方も。

「魔王様はね。お前達を救おうとしていたんだ。もしも勇者が世界の敵だということを世間に公表すればどうなる? 世界は結託して勇者を殺すことは可能だったはずだ。だけど、それをしてしまったら、近くにいるお前達にまで危険が及ぶかもしれない。魔王様はあくまで勇者だけを殺そうとしたんだ。――まっ、結局は失敗してしまったんだけどな……」

「だからって、勇者を殺すのか? 魔王だって勇者だけは殺そうとしたんだろ!?」

「世界の幸福のための犠牲は必ず必要なんだ。この平和な日本という国だって、悪い人間を牢に幽閉したり、死刑に処したりしているだろ? それが犠牲でなくてなんだ。人が人を殺すことを、国家が法の下で認めているんだよ。世界が悪を断罪することに賛成しているんだ。みんなの幸せのためには誰かが不幸にならなければならない。それはこの世界の絶対の真実で真理なんだよ」

 無条件で平和な世界など存在しない。光があるところには必ず闇ができる。俺は天の導きで完全無欠の理想郷を求めはしたが、そんなものはなかった。

 人が人を殺す。

 その悲しい業から逃れることは、たとえこの『日本』という異世界に転生したところでできなかった。ただ身近にあるから、隠されているか。ただそれだけのことだった。

「あえて言おう。この世界は不条理で不平等だ。生まれた場所や環境、才能によって人生は決定づけられてしまう。人間は運命に翻弄されるだけの、ただのちっぽけな存在なのかもしれない。――でも、それでも、私は抗いたい。運命とは自分の手でつかみとるものだと。努力さえすればいつかきっと報われるってことを、私は信じたい! だから! みんなで手を取り合うんだ! みんなで協力して、世界の敵を倒そう! そうすれば、世界が劇的に変わるなんていわない。飢餓や貧困が世界からなくなるなんていわない。でも、世界がほんの少しばかり幸せになれる。本当はこの世界に脇役なんていない。みんながみんな自身の物語を持っていて、みんなは主人公になれるんだ! たった一つの障がいを取り除くだけで、世界の在り方は変わるんだ! いや、みんなの力で変えるんだよ!」

 勇者は全てを歪めることができる。

 主人公の思うがままに環境や思想を変える。

 本当に危険なのは改変された世界に誰も違和感を持てないことだ。気づかない内に自分が自分でなくなることは、殺されてしまうのと同じことだ。

 小春が顔面蒼白でいる。

 小春に今、同情しているこの気持ちさえも、洗脳されている結果だとしたら? だとしたら、俺達はずっと間違っていた。

 魔王達が正しかったのだ。

 小春がこの世界からいなくなったら、世界が終わってしまうかもしれない。いや、実力の半分以下の今ならば世界はきっと大丈夫だ。

 それどころか劇的に変わらない。主人公補正がなくなり、運命に翻弄される人々はいなくなる。少しでも幸せになれる人たちが増える。

 少なくとも、救える人達が増える。

 そんなちっぽけな希望のために、俺達は戦っていたはずだ。

 だったら、もう、何も迷う必要はなかったのかもしれない。

「手を取ってくれ、賢者。ほんの少しの勇気でみんなに、世界にちっぽけな幸福を与えてあげようよ」

 賢者。

 ああ、そうだ。

 俺は賢者だ。

 だったら賢い選択をしなければならない。

 より多くの人の幸福のために、取るべき行動は一つだけだ。

「ああ、そうだな。全部、お前の言うことが正しいって思うよ。だから――ブレイアには幸せのために犠牲になってもらおう」


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