12.賢者の舞台
対峙する小早川さんの傷は、みるみる内に修復していく。
吸血鬼の眷属特有の再生能力だが、焦って攻撃することはない。
傷は回復しても、小早川さんの体力が回復するわけではない。
相手の出方を見て、慎重に対処するべきだ。
手傷を負った獣がある意味一番厄介。ここまで追い込んでおいて、窮鼠猫を噛むなんて洒落にならない。
「『炎纏渦』」
小早川さんは拳に渦巻く炎を纏わせる。
回転させることによって破壊力を増すことができ、身に纏うことができるスキル。
これも一種の強化系のスキルだが、自分にもダメージがあるために、このスキルの使い手は少ない。だが、再生能力持ちの眷属にとっては、デメリットが少ない強力なスキルだ。
「近距離系の攻撃スタイル? だったら私は遠くから攻撃させてもらいます!」
わざわざ相手の得意分野で戦う必要はない。
遠距離からチクチク攻撃して、トドメを刺させてもらう。
ボコボコッ、と床から拳を生成する。
大量の拳で一気に殴りにかかる――が、その拳全てが炎の拳で打ち砕かれる。
「くっ」
削岩機みたいに岩が破壊されていく。
チラリ、と中空に一瞥する。小早川さんの背後からひっそりと拳を造りだすと、不意打ちする。だが、湯田の視線の動きを読まれたようだった。
「『臨戦火装』」
スキルを発動した者の全身から、炎がただ噴き出すだけのスキル。
単体ではそれほど威力を発揮できない『臨戦火装』だが、既に発動している『炎纏渦』にかければ絶大の威力へと昇華する。腕に渦巻く炎がさらに勢いをまし、背後からの攻撃である拳を振り向きさえせずに相殺させる。
「くっ!」
「『開火散火』」
腕に燃え上がる炎の先端が千切れると、大量なヒトダマの形となって湯田へと降り注ぐ。
「やばっ――」
床を柔らかくして壁を造って、なんとか難を流れることに成功する。
流れるようなスキルのコンボに、どうしても対応が遅れてしまう。だが、それもしかたない。今のところ湯田の攻撃は全て通じていない。これからどんな戦い方をすればいいのか分からず、手詰まりの状況だった。
「どうしてこうも、吸血鬼の眷属の、西野さんの周りの連中はこんなに強いんですか!」
結果論だが、最初から全力で挑むべきだったのかもしれない。
最初の『炎纏渦』を発動させてしまったから、ここまで追いつめられているのだから。
「『火爪』」
ジャキン、と腕にとぐろを巻いている炎から、爪が飛び出す。リーチと破壊力を更に増したようなスキルらしい。これ以上強くなられたら、本当にどうしようもない。いや、既にもう勝機はゼロなのかもしれない。
「『どうして、そこまでお前は戦うんだ? 正直、お前がここまで私に抗う意味が分からないんだよな』」
小早川さんが急に流暢に喋りだしたが、いつもの小早川さんではないようだ。
正気を失ったままの表情に見える。
「……もしかして、吸血鬼本体? 眷属を通して私と話しているんですか? その話し方、やっぱり眷属の眼を通して私達のことを監視できるみたいですね。――どうりですぐ逃げられるわけですね」
「『質問に答えろ、雑魚が。あのワイズならまだしも、お前の前世はたかがスライム。お前は私達と何のかかわりもない、ただのスライムだ。それなのに、どうしてお前如きが舞台にあがろうとする? お前のようなか弱い存在は観客で満足していればいいだろう? そうすれば、傷つかずにすむはずだ』」
「そうですね……。確かにそう。私、かなり後悔しています。どうして、こんな場違いなところまで来てしまったのかって……」
「『なら、投降しろ。それが嫌ならば逃げてもいい。お前ごとき、私は干渉しない。お前がいてもいなくても、何の意味もないのだから……』」
「そうですね……。足止めすら満足にできないんだから。きっと、西野さんだって呆れている。もしかしたら責めているかも。偉そうにいいながら、私は何の役にも立っていない。いても、いなくても戦況に変化なんてなかったんですから……」
眷属となってしまった青田さんを逃がしてしまった。
戦えているのだろうか。
もしかしたら、甘さゆえに手も足も出せずに負けているかもしれない。
前世では何もできなかった。
でも、それでもよかった。
正直、勇者と魔王のどちらが勝とうともどちらでもよかった。
魔王が支配している世界を解き放とうとする勇者には感動したし、魔王の無双の力に憧れだってした。
だけど、それだけだった。
湯田には何も関係なかった。
テレビの紛争地帯を見て哀れと思っても、わざわざ助けに行かないように、湯田にとってあの大戦は遠はるかいものだった。
だって、弱い自分が渦中に飛び込んでも死ぬだけだったから。
でも、それが嫌だった。
無力なせいで、無意味で無価値な人生に嫌気がさした。
湯田だって、何者かになりたかった。勇者になりたかった。魔王になりたかった。賢者になりたかった。
「だけど、私は何者にもなれなかった……」
賢者は憶えていないようだったが、救ってもらったことがある。
姿が変わっているから分からないのか。それとも、それぐらい賢者にとって人助けは普通で普遍なことだったのか。どちらにしても、湯田はそんな人間になりたいと願ったから、ここにいる。
でも、それは叶わなかった。
結局、弱いままだった。それでも――。
「何者にもなれないなら、自分のままでいい! 私は、私のままで強くなってみせる!」
間違っていたのかもしれない。
結局、人は誰かになることはできない。
憧れることはあっても、やっぱり、憧れは憧れのまま。
自分は自分だ。
それでも、今度こそ何かをしたい。何かができるかもしれない。もう、何もしないまま世界が崩壊していくのを俯瞰するのだけはしたくない。そんなことを思うことは、それでも間違いじゃないはずだ。
「これが、私の望んだことだから。どんなことがあっても舞台に立つって決めたから!」
「『お前のような弱者が舞台に立っても、できることなんて道化を演じることだけだ!』」
同じタイミングで駆けだす。
湯田は遠距離からの攻撃を諦めて、近距離戦闘に切り替える。まず『炎纏渦』の対抗手段として、床を水あめのように捻じ曲げると小手を造る。素手よりもましだが、小早川さんにはほとんど意味をなさないだろう。
二人には相性差がありすぎる。
それでも、小早川さんに弱点がまるでないわけではない。
ずっと、思っていた。
戦ってきた眷属はもれなく炎系のスキルしか使わないということを。
火に強いのは水。
だから、雨のようにスプリンクラーから水を噴出させるのは当たり前のことだ。
遠距離戦闘は諦めたが、有利な条件で戦うことを諦めたわけではない。
空手のまま、戦略なきまま戦う勇気など湯田にはない。勝率を上げるためにどんなことだってするのが
「『な……に……?』」
纏っている炎が鎮火する。
再び点火させる前に、ガチガチで固めた小手でブン殴る。
「『がっ!』」
小早川さんは転がるが、まだ意識は失わない。
湯田はあまり殴りなれていない。だから、しっかりと芯にまで届く威力は出し切れていない。それでも眷属が立ち上がれないのはダメージ以上に、自分がスライムごときに倒されたことが信じられないからだ。
「『――そんな、馬鹿な。私は気を付けていたはず……。煙や熱が天井にまで届かないようにしていたはずだ。それなのに、どうしていきなりスプリンクラーが作動したんだ……?』」
「スプリンクラーは熱や煙を探知して作動する仕組みっていう固定概念に縛られすぎなんですよ、あなたは。そんなことしなくても、衝撃を与えれば壊れてスプリンクラーから水は噴出される」
「『い、いったいいつ?』」
「あなたと戦っている最中、普通にやっていたんですよ。ただし、私のスキルで壊す音は消していたんですけどね。それに、あなたの火のスキルは視界を塞ぐ、それを今度は私が利用してもらったんですよ」
背後も見せずに戦うなんて余裕を見せすぎた。
それに、調子に乗ってベラベラと情報を与えすぎたのも致命的だ。
湯田が後ろから不意打ちをしようとした時、振り返りもせずに『臨戦火装』で迎撃した。確かに湯田の視線を読んだのもあったが、あの絶妙なタイミングは眷属の瞳から背後を盗み見ていたと考えるのが自然。
あれほどの数の眷属を一気に昏倒はできなかった。
動きを拘束しているだけの眷属がたくさんいた。そいつらの中に密告者がいることを察した湯田は、そいつらの視界を奪った。床を柔らかくしてバリケードを作っておいた。あとは、小早川さんの視界だけに気をつければいい。
それからあとは簡単。こっそりと天井を柔らかくして生成した拳をスプリンクラーに叩き込むだけでいい。
それでも、スプリンクラーの破壊音やアラームは響いてしまう。それは、空気にスキルを使って防音空間を造り上げることで防いでいた。
「『だが、スプリンクラーだけで、今の水量がいきなりでるなんて……』」
「いきなりじゃなくて、もっと前から水が出ていたんですよ」
「『……なに?』」
「天井を柔らかくして布のようにして、その上に水を溜めていたんですよ。――あなたに一気に水を浴びせるために」
「『ただの、スライムに……どうしてこれほどの力が……』」
「あなた達が役者として舞台を盛り上げている中、私はずっと力を溜めていた。戦うために、必死になって考えて、考えて、考え抜いた。そして私は、固定概念にとらわれない柔軟な発想を手に入れたんです。どうですか? 私の手堅い作戦は思ったよりも軟じゃないですよね?」
「『く、そ…………くそおおおおおおおおおおお!』」
ズアァッ!! と生み出した拳を大量に降らせる。小早川さんが完全に気絶すると、生えていた牙が引っ込む。どうやら、無事に元の人間になったようだ。
「う……」
ぐらりと、視界が揺らぐ。
血を流し過ぎたようで、まともに立つこともままならない。それでも、湯田は手を壁につきながら階段へと進む。まだまだ自分なんかには及ばない賢者がいるステージまで上がるために。
「早く追いつかなきゃ――ですよね……」




