10.孤立無援の最弱
西野さん達の足音が遠ざかっていく。
無事にこの場を離脱できたようで安心する。
あらかたの雑魚は片づけることができた。だが、スキルを持っている眷属がまだ残っている。
受付の看護師は胡乱な目つきのまま、スキル名を唱える。
「『赤壁』」
縦に炎の壁が展開される。
このスキルは攻撃というよりは、相手を追いつめるためのスキル。
それを敵の横ではなく、縦に使って攻撃してくるということは、そこまで実戦向きのスキルを持っていないとみた。
「くっ――」
床を蹴って避ける。
炎の威力はそれほどでもないが、壁の構築速度は速い。紙一重で避けきるが、看護師は既に次の攻撃予備動作に入っていた。
「『炎刃』」
弓張り月のような形状をしている炎が、先ほどの倍ほどの速度で肉薄する。
同じスキルしか使わなかったのは、こちらの油断を誘うためのものだったようだ。足が床を離れているため、絶対に避けられない。ならば――湯田シモンも――私も、スキルを使わなければ。
「『スライム』」
床を柔らかくし、粘土のようにせり上げて足場を形成する。
造り上げた足場を上に伸ばして、炎の刃を避ける。ザクンッ! と切れ味のいい炎の刃は伸びた足場を真っ二つにした。
一定の範囲の空間にあるものだったらスキルで柔らかくできるのが、湯田のスキルの強みだ。柔らかくするだけのスキルで敵を倒すことは難しいが、捕縛や回避行動などその使用方法は多岐にわたる。ただ炎を闇雲に放つだけの眷属に遅れは取らない。――そのはずだった。
ぬっ、と横合いから現れた小早川さんが、腕をつかんできた。
「――なっ」
先刻から上下に長い形状の炎のスキルをやたら展開すると思ったら、こうして伏兵を配置するためのもの。身体をすっぽり炎の影で隠していたのだ。
「くっ、さっきの攻撃は囮!」
二重三重の罠を、ただ操作されているだけの眷属が地力で思いつけるはずがない。炎を扱うスキル持ちの眷属といい、この戦略といい、湯田専用の対策がなされているようだった。
あの賢者さんと再会する前に吸血鬼討伐をやっていたが、どうやらその時にかなり細かい情報まで収集されたらしかった。
「『炎鎖の炎』」
炎の鎖で湯田の身体ごと縛られる。
これで拘束されると短時間で抜け出すのは困難だ。それで縛って次の攻撃を放つのはセオリー。教科書通りなのだが、おかしいのは自分自身さえも縛っているということだ。
「……どうして? スキルで自分まで縛って?」
疑問に答えたのは、小早川さん以外のスキル詠唱の声だった。
「『昇火咆哮』」
ドガァンッ! とまるで火山が噴火したかのように、火柱が上がる。私だけでなく小早川さんまで、火の柱に取り込まれてしまって燃え上がる。
「ああああああああああっ!!」
スキルを発動したのは、受付の看護師だった。
やはり、一人で複数人相手にするのは圧倒的不利だ。
炎が消えていくことで惨状が明らかになっていく。
瞬間的に燃えた湯田の服は燃え上がっていて、残骸と化している。横たわっている小早川さんは眷属だから原型を保ってはいるが、黒焦げになっている。もしも生身で受けていれば、火傷程度じゃすまない火柱の熱量だった。
受付の看護師は用心深く、どれだけ湯田が致命傷を負っているか調べるために服の残骸を蹴る。衣服はセミの抜け殻みたいに軽く動いて、そして、肝心な湯田はどこにもいなかった。看護師は唖然としていると、
ザンッ! と円錐の形状に尖った床が、看護師の腹を貫通した。
「ア、ガッ?」
看護師が吐いた血の床が、ピシッと罅割れる。
罅割れが大きくなって、そこから手が飛び出してくる。床をバラバラにして、ゾンビのように這い出てきたのは湯田だった。
制服は着用しておらず、上下ともに下着姿になっている。
先ほど燃えカスのように転がっていたのは湯田ではなく、眷属の一人だった。制服を上から被せた眷属は、湯田よりも小柄な眷属。看護師が一瞬でも動きを止めてくれれば、湯田は自らの攻撃が通ると確信した、スキルで床を尖らせたのだが、正解だった。
「――その人は囮ですよ。自分達が囮に使われるのは予想外でしたか? 追いつめたまではよかったですが、その追いつめる場所も次からは考えるべきですね」
看護師達は、湯田に攻撃が当たりやすいように壁際まで追いつめたようだったが、そここそが、眷属達がいた場所。炎の柱が立ちのぼる刹那。壁に取り込んでいた眷属を手元まで引き寄せた。
炎が燃え上がると同時に、炎の鎖を柔くして外し、身代わりとして他の眷属を自分のところに置いて、自分は地下へと逃げていた。床を柔らかくすればモグラのように潜伏することは可能だ。
「言っておきますけど、私は強者である西野さんのように甘くはないですよ。――こんな風に」
床から生成した拳で小早川さんを攻撃しようとしたが、当たる寸前に飛び跳ねて逃げた。一緒に火の柱に焼かれたはずだが、やはり生きていた。気絶していたように見えたのも演技だった。
それどころか持ち前の再生能力で、火傷の跡がどんどん消えていく。長期戦は湯田が消耗する分、不利になるので一気に気絶させて戦いを終わらせたかったが、そううまくはいかなかった。
「避けられましたか。だけど、これで眷属はあと――一人――?」
受付の看護師と小早川さんさえ倒せばここを制圧できると思っていたが、一人、存在を忘れていた。倒れてから一度も起きていなかったので捨て置いたのだが、どこにも青田さんの姿が見えなかった。見失わないようにしていたのだが、戦闘のどさくさに紛れて逃げられたらしい。
「炎は目くらましですか。――やられましたね」
二重の作戦だったのだ。
今度こそ相手の上をいったと確信していたのに、さらに上をいかれた。火の柱は視界を覆うためだった。それに、湯田は床に一時的に身を隠していた。火炎の壁も、本命は伏兵配置ではなく、西野さん達を追うための目くらましだった。
最初からそういう目的だったということだ。
「気をつけてください、西野さん……」
吸血鬼の中でも最上級の吸血鬼が相手と思っていい。これほどの策を一瞬で考えつくなんて尋常じゃない。相手は恐らく魔王の側近クラスだ。すぐに追いかけていかなければ、賢者だとしても相当に危険なはず。
「私が駆けつける前に――死なないでくださいね……」




