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ファルージャ(3)

 グール騒動に巻き込まれたせいで、市場での食料買い出しなども出来なかった。

「ルタイバ、グールには詳しい?」

 隊商宿の一室。

 エディルは魔導書と一緒に持ってきたクリーチャー図鑑ケターブ・ハヤワナート・アジャーイブの頁をめくりながら尋ねた。

 外ではグールが時折、蠢く音が聞こえる。

 隊商宿の室内ならば安心らしい。しかし不快だ。

「うーん、グールについては、こういう詩を知ってるっす。『青い瞳に黒い顔、鎌の縁によく似た爪』っていう。無明時代(ジャーヒリーヤ)の詩人、アンタラの作品っす」

 瞳は赤かったが、特徴はだいたい合っている。グールの種類によるのだろうか。

「暗闇でしか生きられない、っていうのは聞いたことある?」

「いやー無いっすねぇ……夜行性らしいっすけど。サロメさんも言ってたじゃないっすか。ヴァンパイアがどうのこうのって」

 ルタイバはエディルの真横に座ると、一緒にクリーチャー図鑑を見た。

 顔が近い。

ヴァンパイア(masās)……いやいや、血は吸わないっすよ。アイツら」

「血を吸うっていうより肉を食う感じだもんね」

「あ、そういえば」

 ルタイバは本から目を上げ、エディルを見た。

「グールってどうしてファルージャに来るんだろ」

「あ、僕も思った」

 旅人を襲う砂漠のクリーチャーだ。

 都市部に来る事例はあまり耳にしたことがない。

 しかもバグダードからファルージャに来るまで、グールの話はほとんど聞かなかった。

 ただ、この都市だけが夜中、グールの被害に悩まされているのだ。

「……怪しい。ちょっと、ルタイバ」

「はい、ご主人様」

「ちょっと腕を捲ってみて」

「はい? な、何するんっすか! ご主人様!」




 月明かりのみが全く人影の無い通りを照らす。

「ご主人様ぁー」

 ルタイバがエディルに寄り添いながら言う。

 他所から来た旅人なうえに魔術を使えるエディルには、夜間外出禁止など関係なかった。

「何? ルタイバ」

「ぶっちゃけ、ファルージャには隊商宿借りに立ち寄っただけじゃないっすか」

「うん」

「目的地はパレスチナ。まだ二十日はかかるんですよね?」

「そうだよ」

「だったらわざわざ外に出ることないのでは? 宿で止まって明日の朝にさっさと出発すれば良いじゃないっすか」

「な、何が言いたいの」

「良い人っすね」

「え」

「ご主人様がグール騒動に首突っ込む事ないのに……サロメさんに助けてもらった恩返しっすよね。頼まれてもいないのに」

「……」

「ご主人様のそういうところ好きっすよ」

 照れる。

 どう返事をしようか迷っていると、ちょうど見つけた。

 前方に、フラフラと彷徨く影が一つ。

 グールだ。

 月明かりが濃い灰色の表皮をテカらせている。

「居た! いくよ、ルタイバ!」

「はい! ご主人様!」




 魔術のタレント。

 手順を間違わなければ誰でも使える儀式魔法やユニバーサルな魔術アイテムの使用には関係がない。

 魔術のタレントが重要になるのは、その肉体に対して魔術をかける時だ。タレントの無い者が耐えられずに発狂するような魔術をかけられても、タレントがあれば平気で乗り切ったり受け入れることが出来るのである。

 エディルはルタイバの肉体を魔術で強化した。

 それは四つの体液(الأخلاط)による自律的バランスの意図的な崩壊である。

 血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液の四種類の体液が人体には流れている。血液は熱+湿、黄胆汁は熱+乾、黒胆汁は冷+乾、粘液は冷+湿。また、物質としては熱+湿は風、黄胆汁は熱+乾は火、冷+乾は土、冷+湿は水とされる。

 それらのバランスが崩壊した時、人体に不調を来たす。それを物理ではなく魔術だけで乗り越えようとすれば精神が崩壊する。

 しかし魔術のタレントがあれば、崩壊を利用して人体の内なる力を呼び出すことが可能だ。

「うおおおご主人様! 腕が熱いっす!」

 ルタイバの右腕、手首に魔法円が記されている。

 細い手首を囲うその魔法円は、手首の太い血管や細胞に作用。

 右手の体液バランスを崩壊させ、さらに魔術で有益な効果をもたらす。

「ルタイバ、これを!」

「はい! ご主人様!」

 エディルはルタイバへとナイフを渡した。

 以前、魔法など使わずに物理的にグールを倒したナイフだ。

 ルタイバはナイフを受け取ると、グールに立ち向かった。

 ゲェ、と小さな鳴き声をグールが上げる。

 バトルなんてした事のないルタイバのナイフは、ただ、グールの表皮を掠っただけだ。

 しかしそれで十分である。

 ナイフで傷つけた部分から魔法が侵入し、対象の体液バランスを崩壊させる。

「や、やったっす! ご主人様!」

 ルタイバの初陣は成功だ。

 今回は熱と乾を増幅させた。熱と乾は火。故に切り傷を中心にグールの身体は燃え上がる。

 ゲェェ、ゲぇー、と、宵闇の中火だるまが叫ぶ。

 やがて動かなくなり、残ったのは黒墨だけだ。

 エディルもこの魔術を試したことがあるが、肉体も精神も崩壊しそうになったため、中止になった。しかしルタイバは涼しい顔だ。さすがジンである。

「……うーん」

「何か分かります?」

 エディルはグールの死骸を調べる。

 ただの焼けた生物だ。

 いかなる物質で出来ているのか、グールは骨格も黒い。

「熱と乾が一番強いんだけど、やっぱり新鮮な死体が欲しい。今度は冷を強くイメージしてみて!」

「了解っす! あと、ナイフじゃなくて剣とか無いっすか?」

「そうだよな。でも今は刃物がこれしか無いんだ……あ、明日、市場に見に行こう」

「あ、ありがとうございます!」

「まあ僕にとってもルタイバがバトル出来たら心強いし……」

「伝説の始まりっすよ……」




 二人がグールの焼死体を放置して去る、その後ろ姿を見守る影があった。

 闇に紛れる漆黒色の巨人。

 ゴーレムだ。

「あいつらは、確かサロメと一緒に居た……」

 ゴーレムの中、操縦するシオンは呟いた。




 二体目のグールは、昼間に市場が立っている広場に居た。

 目的もなく歩いている。

「うおおおお! 腕が冷たいっす!」

「いざとなったら僕がグールを殺す! 気にせずに突っ込め!」

「はい! 行きまあああっす!」

 ルタイバは言われた通り、冷気を送り込んだナイフでグールを切りつけた。今回も少し皮膚に掠った程度だ。

 ゲ、と不思議そうな態度でルタイバを見たゴーレムは、そのままの大勢で固まる。

 成功だ。

「よし、凍死してる」

 エディルはグールをコンコンと叩いた。

 体内の熱は冷に変質し、運動は完全に停止している。

 エディルの故郷よりさらに北方では、時折大昔の生物が氷漬けで新鮮な状態で発見されるという。それと同じだ。




 アフリカの角(カルヌ・アフリキヤ)からもたらされたコーヒー(カフワ)を飲みつつ、ランプの明かりの中、グールを解剖する。

 途中、ナイフをルタイバから受け取ろうとしたエディルが軽く体液変質魔法にかかってしまうというハプニングもあったが、それ以外の失敗は無かった。

 しかし失敗はなくとも、成功もしていない。

 頭に四肢、人間とは形状の異なる臓器。

 エディルとルタイバがそれらをいくら見ても、グールのことはさっぱり分からなかった。医学(ティッブ)生物学(イルム・ハヤワナート)も専門外だ。クリーチャー図鑑に乗っている以上のことは不明である。

「ご主人様……コーヒーもう一杯飲みます?」

「あ、うん、お願いします……」

 ルタイバは瓶の中に湯を沸かし始めた。外では、東方の空の星色が徐々に薄くなり始める。




 やがて朝が来た。

 日の出の礼拝時刻を告げるアザーンが遠くから聞こえる。

「ルタイバ起きて!」

 床にぶっ倒れていたルタイバは飛び起きる。

「敵襲!」

「違う! グールの身体が消える!」

 グールの頭、四肢、臓器群からシュウシュウと黒い煙が出てくる。

 状況を理解したルタイバはナイフを取ると、試しにグールの心臓に刺して冷気を送り込んだ。

 反応は無い。

「ご主人様、ダメみたいっす」

 既に体液は停止し、恒常性の機能も失われている。今さら冷凍することは出来なかった。

 黒煙が空中に溶けていくにつれて、グールのパーツも崩壊を始めた。

 まるで蝋を高熱の中に入れたように。

 ただし溶け跡は残らない。どんどん体積だけが消失していく。

 完全蒸発。

「……ま、こんな事もあるさ」

「ご主人様、気を落とさないで……あれ?」

 ルタイバは不思議そうにナイフの先を見た。

 今まで心臓のあった部分。

 既に心臓は消失してしまっているが、別の物がある。

「ご主人様、これ見てください」

「これは……」

 エディルはナイフが刺している物体を取り上げた。

 平らな円形で、大きさは銀貨ほど。

 素材はこの辺り(メソポタミア)で古代からよく利用されている粘土板と同じものだ。

 その円形板にはヘブライ文字が記されていた。

 魔術師には馴染み深い三文字。つまり「אמת」である。




 朝っぱらから宿に引きこもる。普通の生き方が出来ない魔術師の定めだ。

「いくよ、ルタイバ」

「はい……初めての共同作業っすね」

「いや共同作業けっこうしてるじゃん。いくよ、せーの」

 二人は床に敷いてあったカーペットを持ち上げた。

 ラクダの毛で出来た、シンプルだが分厚いものだ。

「もうちょっと右、あ、その辺」

「こっちっすね」

 厚いカーペットで窓を防ぐ。

 室内は闇に包まれた。夜の再現だ。

 エディルはマドファアを構え、ルタイバも体液操作魔法を準備する。

 しばらくの間、瞳が闇に慣れるほどの時間、二人はこの暗室で息をこらした。

 床に置いた円形板。

 その周囲だけ異様に闇が深い。

 闇の中の更に闇。そこだけ物体の影になっているかのようだ。覆うものなど何も無いのに。

 やがてその濃い闇は特定の形を成し始めた。

 人形、爪、そして赤目。

 グールだ。

 ゲェ、ゲェ、と鳴く。

「出た、ルタイバ!」

「はい、ご主人様っ!」

 ルタイバのナイフがグールの頭蓋に直撃。

 体液を冷やす。

 出現したグールはすぐに活動停止する。

「やっぱりだ」

 カーペットを外した。

 日の光が室内に入る。と、グールの死骸が黒い煙を吐き出し始めた。

「この板……」

 蒸発を待つまでもなく、エディルは円形板を拾い上げた。

「……闇を材料にしてグールを生成するんだ」

 光や魂、炎や水など、様々な素材から新たな物質を生成する魔術はある。闇からグールを生成する板も同種の技術だろう。

 しかしグールとはいえ生命活動をするものを生成するとは、かなり高度な魔術だ。しかも大規模な魔術ではなく、半自動の小さな板切れである。

「この板がファルージャの街中にばら撒かれたんだ。そして夜になると闇を素材にしてグールを作成し、明るくなると消えるんだ」




 お昼前、外には普通に人が歩いている。

 闇が迫る前に用事を済まそうとしているのだろう。日常の活動なのに皆どこか急ぎ足だ。

 エディルとルタイバは、昨日グールに襲われた路地裏を訪れた。

「ご主人様、ありました!」

 ルタイバは地面を指さした。

 小石に紛れて円形板が落ちている。

「これが昨日のグールの正体だ」

 もう少し探すと、合計三枚見つかった。

 昨日のグールの数と一致する。

「それにしても、何で街にこんな板があるんっすかね?」

「さあね……でも、グールの原因は分かった。この板を始末すればいいんだ。あとはサロメさんたち、ここの人に任せよう……」




「……ここのゴーレム使いさんたちに任せようと思ったけど、よく考えたら、旅人の僕らが一晩で気づいた事に、ここの魔術師が気づかないわけ無いですよね」

 数体のゴーレムがエディルとルタイバを囲む。

 昨晩グールを焼き殺したストリートだ。

 ゴーレムの集結に何が起こったのかと、周辺の住民たちは避難、もしくは安全な位置から眺めるのみ。

 一体のゴーレムから声がする。

「犯人は現場に戻ると思ってましたわ」

「その声は……シオンさん!」

「あなたたち、ただのお子様カップルじゃないみたいね」

「一応、まだあなた方の正義を信じて報告します。グールの正体はこの小さな板切れなんです。闇を素材にグールを作り出すこの板が、ファルージャのあちこちにばら撒かれています」

 エディルの言葉に対してゴーレム部隊の間に動揺があったとすれば、それは未知の事実を知らされたからではなく、彼ら以外の者に知られてはいけない事実を部外者の子供が知っていたからだ。

「まさか、あなた達が自作自演でこの板を使ってグールを召喚し、ゴーレムで倒していたなんてことは無いですよね?」

 ゴーレムたちの動揺はその無機質な固体越しにもエディルに伝わった。

「……排除するしかあるまい」

 一体のゴーレムから、男の声が言った。

「了解」

 返事をして、シオンの乗っていると思われるゴーレムが殴り潰す体勢を取る。

「熱っすか! 冷気っすか! ご、ご主人様! あたしがやっつけちゃいますよこんなゴーレム!」

「待って、ルタイバ。君のそれは体液を持つ者にしか効果は無いんだ」

 ルタイバを一歩下がらせ、エディルはマドファアを構えた。

 業火のレーザーがゴーレムに効果があるか分からない。しかし今はやるしかなかった。

「待ってください!」

 一体のゴーレムが現れた。

 エディルたちに攻撃を仕掛けてきた軍団とは別に、独自にやって来たようだ。

 そのゴーレムから響いたのはサロメの声だ。

「シオン、それにヤアクーブさん、アリーさんまで……この子たちに何をするんですか!」

「サロメ! あんたには関係ないことよ! これは伝統的な魔術師だけの問題だわ!」

「ですが、エディル君たちをあなた方は今、殺そうと……」

 ゴーレム同士、サロメとシオンが睨み合う。

「ご主人様、あたしたち、サロメさんのおかげで助かったんすかね……」

「むしろもっと面倒くさいことに巻き込まれた気がする」

אמת

a(א)m(מ)、t(ת)、つまりゴーレムの頭に書かれることで有名なヘブライ文語の単語エメトはフォント表示の都合上、amtの順に並んでいますが本来は左←右に記します。

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