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パレスチナへの準備(1)

 ラクダは「砂漠の船(サフィーナ・サフラー)」と呼ばれ、中東の交通には不可欠だ。さながら1200年後日本の田舎における自動車のようなものである。

 出発までにエディルは相棒のラクダにたらふく脂肪を蓄えさせ、直前に水をたっぷり飲ませなければならない。

 中央アジアにはフタコブのラクダが生息している。しかし中東地域、つまり北アフリカから西アジアにかけて生息しているのは、アラブラクダともよばれるヒトコブのラクダである。

 ヒトコブラクダを示す単語はアラビア語には多く存在する。

 イブル(ibl)もしくはバイール(ba`īr)は一般的なラクダを意味する。

 オスラクダはジャマル(jamal)、メスラクダはナーカ(nāqah)と呼ばれる。

 力の強いオスラクダはダーイル(dā'il)と呼ばれる。

 物の運搬に用いられるラクダはファフド(fahd)である。

 さらにラクダの用途、水の飲み方、細かい身体的特徴、色、数によって異なる呼称があり、その名詞の数は数千に及ぶという。

 エディルのラクダ(ibl)は「オス(jamal)」で「水をあまり飲まない(qisreed)」ので長旅でもセーフな「強いラクダ(dā'il)」である。

 名前はシャタリー。

 シャタリーはアル・アインの砂漠を放浪していた野生の一匹だったが、エディルのご主人様だったアブーアリーが手懐けた。以降、彼の所有物となり、無名都市で彼が亡くなってからはエディルが受け継いだ。




「ありがとうございます」

「んーん、逆に捨てる手間が省けて助かったよー」

 市場の果物屋さんのお姉さんから、エディルは悪食のシャタリー向けに腐りかけの食品を受け取った。人間用の食料品を買うついでだ。

 彼女の予言どおり、無料サービスはリンゴ一つだけだったが、今でもそれなりに贔屓にされてるらしい。

「ねえ、聞いたよ。エディルくんって、魔法が使えるんだって?」

「はあ、まあ、一応……」

「すごい! ね、見して見して」

 マドファアをぶっ放すわけにはいかない。

「あ、えーと、魔法アイテムを忘れたからまた今度ね」

 その日は適当に誤魔化して隊商宿へと戻る。

 魔術師が身分を隠している理由かすこしだけ理解できた。




 質素な石部屋の隊商宿の一室で、エディルは地図を睨む。

「なんだよシリア砂漠(バーディヤッシャーム)ってこれ……デカすぎるよ……」

 シリア砂漠。バグダードとパレスチナとの間に広がるバカ広く厳しい自然だ。

 雨の殆ど降らない、砂の荒れ地と岩山。生息できるのは水を蓄える多肉植物だの朝露を舐めるトカゲだの甲虫だのという特化した生物のみ。オアシス都市が点在してはいるものの、都市間の砂漠で迷えば死。シリア砂漠に住む遊牧民の部族もあるが、全員が友好的という訳では決して無い。

「お、エディル、どうだ調子は?」

 ハサンがノックと同時に木扉を開いて入ってきた。

「パレスチナまでどうやって行こうかな? ……って思ってるんです」

「シリア砂漠か、面倒くさいよなあ。俺たちはあんまり行った事無いが……。時間があるなら、ずっとユーフラテス川に沿って北上すると、砂漠はマシになる。ハレブ(アレッポ)付近では砂漠のクソゲー気候から徐々にイージー気候へと移って行くんだ。そこまで行けば肥沃な地中海沿岸を観光でもしながら南下して行けばやがてパレスチナへと到着するぞ」

 だが遠回りだ。

「それか、砂漠をぶった切ることになるが、タドモルを経由するのがオススメだ」

「タドモル……あ、聞いたことあります」

 シリア砂漠にはかつて強大な国が存在した。

 その国の名は、タドモル王国――ローマ人からはパルミラと呼ばれ、ローマ帝国とペルシャ帝国という二大帝国に挟まれながらも、独立を保っていた。

 タドモル王国が首都としたのが、シリア砂漠の中央に位置する、オアシス都市、タドモル。

 およそ500年前にローマ帝国に敗れて以来、衰退の一途を辿っているが、現在でも交易拠点としてのポテンシャルが無くはない。

「ユーフラテス川を北上して途中アブーカマールかダイルッザウルの辺りまで行った後、西に向かい、3.5マルハラ(≒160km)ほどシリア砂漠を歩け。そうすれば十日もかからずにタドモルへと到着する。その距離ならお前のラクダの、何だっけ」

「シャタリーです」

「そ、シャタリーならば、よっぽどの事故が無い限り、飲まず食わずで移動できるだろう。で、タドモルで休息を取った後、アブールジュマイニ山脈に沿って更に十日ほど行けば、シャーム地区まで到着するのよ。シャーム地区まで行けばもうパレスチナ地区に着いたも同然だ」

 あまり時間はかけたくない。

 アナトリア南部まで行くよりも、後者の、オアシス都市タドモルを経由する行程の方が良さそうだ。

「ところでハサンさん、どうしてうちに来たんですか?」

「そうそう、忘れるところだった、いや、忘れちゃいねーけどよ。こないだはファーティマさんを追い払ってくれてありがとうな。ヤツは悪魔の力で好みの男をねじ伏せて奴隷にし、奔放の限りを尽くしてたんだ。あの女のせいで崩壊した家庭まであるという。だが奴隷市場の戦いでお前に敗北して以来、ファーティマと悪魔の被害は無い。どこかに逃げて行ったんだろう。そこでだ、エディル。俺たちバグダードの奴隷商人から、バグダード市民を代表して、ささやかな礼をしたいんだ」




 エディルはハサンに連れられて奴隷市場へと向かった。

 人間に対し家畜以下の扱いをする奴隷商人も他の場所には居るだろうが、ハサンたちのグループは優良。確かに人間扱いはしていないが、高級品扱いであり、品質管理こと体調管理は十分である。

「一人でこのオリエントを旅するのは大変だろう。だから、良かったらパートナーを選んでくれ」

 ハサンが合図すると、彼の仲間が荷車の扉を開いた。

 内部からゾロゾロと、鎖に繋がれた奴隷たちが現れる。

「おお、あんたが、ファーティマの悪魔を倒したっていう」

「ヤツが俺を奴隷にしないかと、いつもビクビクしてたんだ」

「俺、見てましたよ。荷車ん中から。最後は災難でしたね」

 奴隷たちが口々に言う。彼らの間にもエディルのファーティマ撃退は伝わっている様だ。

「さ、エディル。彼ら彼女らの中から一人、選んでくれ。俺らにできる礼だ」

「え、僕は別に」

 不必要な訳では無い。奴隷がいれば何かと便利だ。だが、奴隷身分が長かったため、自らが人に仕えることは容易でも、人を支配することは想像すらできなかった。

「俺ならラクダほどじゃないが、3日は飲まず食わずで生きてけますよ」

「わ、私も簡単な荷物運びくらいなら……はわわわわわ、やっぱり私はちょっと怖いです」

「私はフランク出身なのでヨーロッパの言語ならいけます。通訳にどうぞ」

「意識の高い奴隷としてマンパワーからイノベーションを。ご主人様(クライアント)にベストなソリューションを提案します。インターンで良いので行かせてください」

「にゃんにゃんにゃんにゃん、にゃにゃにゃにゃにゃーん」

「ひゃはははは、コロシなら任せてくだせぇ。おっと、ここじゃやりませんよ? あくまで盗賊退治みたいな正当防衛ですぁ」

 様々な奴隷がいるものだ。

 奴隷と自由民を分けるのは身分のみ。そこに性別、年齢、人種、民族、言語は関係無い。名目上、イスラム教徒の奴隷化は禁止されていたが、他の民族が全て奴隷であるという訳でもない。故に奴隷たちの性質も、自由民に負けず劣らず多様なのだ。

「あ、じゃあ、こうしましょう」

 何となく欲しい奴隷像がエディルの胸中に固まってきた。

「皆さんの魔術のタレントをテストします。そのタレントによって、僕がいただく方を決めようかと想います」

「タレントをテスト……おい、それって確か」

 ハサンも覚えていた。

 エディルは三年前を思い出す。

 魔術師アブーアリーも同じやり方でエディルを選抜したのだ。

「……でも、最後の人はたとえタレントがあってもやだなあ……」



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