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奴隷市場(2)

「そこまでです!」

 ファーティマが使役する悪魔サブナクが、奴隷商人たちに斬撃を加えようとした時、エディルは慣れない大声で静止の命令を発した。

 エディルが懐から取り出したのは筒状の魔法アイテム。

 長さ、太さは、エディルの腕ほど。その根本はدの字型に曲がっている。

 その筒の先端から、一直線の光が放出された。

 光の矢。

 太陽光でも焔の光でも無い、不自然に人智を超えた光矢だ。

 その光線は振り下ろされんとしたサブナクの長剣の刃に衝突。鋭利な白銀は弾かれ、人間の血肉を斬ることは出来なかった。

 サブナクの猫目が驚嘆によりほぼ円形に見開かれる。

「む、何だこれは……」

「もう、何やってるのよぉバカバカぁ」

「すまぬ、召喚者よ」

 悪魔召喚者のファーティマは、今までゴミだこれと無視してきたちびっ子、つまりエディルの持つ筒状アイテムを見た。

「何なのよそれぇ……ボクちゃんなにやっちゃってくれてんの」

「これはマドファアといいます。」

「マ、放出するもの(マドファア)ァ……ァァァアァ??? 何を放出するのぉ……ハァハァ……大っきいよぉ……」

「マドファアか、聞いたことあるぜ。中国人(スィーニー)の武器らしいな。なんでも火薬とやらの動力で矢を飛ばすという。ま、俺なら弓矢を使うがな」

 なお、マドファアは将来、銃という凶器へと進化を遂げて世界を変えることとなる。

 しかし当時はまだイノベーションは起こっておらず、弓矢の方が手軽で強力であった。

「ハサンさん解説ありがとうございます。しかし僕のマドファアは特別製なんです、なんと!」

 エディルはマドファアを構え、サブナクを狙う。

「ふん、人間の武器に悪魔に勝てると思うか?」

 サブナクの猫目が相手への警戒と軽蔑と敬意の入り混じった満ちた剣士の色に変わる。

 エディルのマドファアが火を噴いた。

 燃える水こと石油すら実用化に至っていない当時としては珍しい、レーザービーム状の光線である。

 光を見たサブナクの顔色が変わり、たてがみが総毛立つ。

「ま、待てなんだこれは……! この炎は! 人間風情がっ!!!」

 エディルのマドファアのヤバさに気づいた時は遅く、光線はサブナクの鎧に命中した。

 熱を持った光は漆黒の鎧を溶かす。

 貫通こそしなかったが、体内には届いたようだ。鎧と同じ漆黒色に焦げた悪魔肉がジュウジュウと悲鳴を上げている。

「サブナク、うそぉ!」

 この悪魔が負けることなど、ファーティマは全く想定していなかった。本来ならば今頃は奴隷商人らを暴力で屈服させ、イケメンマッチョ奴隷共を略奪しているはずだったのに。

「おい、聞いちゃいねえぜ。その光はこの世のものではない……」

 サブナクはエディルを睨みつける。

「この光は地獄の業火そのものじゃねえか……」

「そうです。簡単に言うと、僕のマドファアは火薬を突っ込むこの部分に、炎系魔法の魔法円が組み込まれているんですよ」

「……バカな……魔法円と魔法アイテムだけで地獄の業火を召喚するなど……貴様一体何者だ……」

 ぐはっ、とサブナクは血を吐いた。

 鎧を含む彼の肉体が透過し、輪郭がぼやけ始める。まるで水中に溶ける砂糖の様に。宵闇に立つ黒馬の様に。

「サブナク!」

 ファーティマが叫ぶ。

「あなたが居ないとあたしはどうなるの!」

「すまぬな、召喚者よ。少し休むぜ俺は。次に召喚する時はもっとデカい戦争や築城に使ってくれよ? ったく、悪魔召喚技術を一般人相手にオラつくために使うなんてよお……」

 サブナクは消滅した。

「ちょマジざけんなってサブナク」

「ざけんな、って言いたいのは俺たちだ、ファーティマさんよお」

 ハサンが言う。

「今や悪魔はいねえ……どうする?」

 ハサンは彼の拳二つを、わざとらしく、胸の前でゴツリと合わせた。

 エディルも未だ警戒心を緩めず、マドファアを下ろさない。

 もはやファーティマの不利は地獄の業火を見るよりも明らかだ。

「……あ、あははは……冗談よもう! 許して冗談よ、ねぇ、ハ、サ、ンさぁん。ねぇ……見逃してくれてら……」

 ファーティマは甘えた声を出した。あからさますぎて、もはやそんな態度に引っ掛かる者は居ない。

「悪魔が居ないお前なんてもう怖くねえぜ!」

「そうだそうだ」

「殺せ! 殺せ!」

 奴隷商人たちが口々に叫ぶ。

 今まで散々、このビッチに沸湯を飲まされてきたのだろう。

 ファーティマは交渉を諦める。そもそも最初から対話する気などなかったのは彼女の方であるが。

「……何だこのクソ男どもが、つまんねえよ! だいたい何で今日に限って魔術師が居るのよ。ズルいわ! 何よマドファアってチートじゃない! 悪魔の力こそ頭パッパらパーのアホ女でも使える最強のチートじゃなかったよ、上回ってんじゃねーよ! いつか殺すわよ、調子のんなクソガキ」

 好き放題、捨て台詞を吐いた。

「ひ、酷い言われようですね、僕はただハサンさんを守ろうと」

「ふん、エディルだっけ? 僕ちゃん、魔法が使えるなら、これ何か分かるでしよう?」

 ファーティマは指を開いて見せた。

 細い奇麗な指を自慢したかったのではない。彼女の右手、中指と薬指に一つずつ、指輪が嵌められている。

 装飾は無い、シンプルなリングだ。しかし鈍色の金属製で、安っぽくは見えない。

「その指輪がもしかして悪魔召喚のリングなんですか」

「ご名答! かの有名なソロモン(メレク・ソレイマーン)の指輪を模して作られた悪魔召喚リングなのよ!」

 古代イスラエル王国第三代目の王、ソロモン王は、72匹の悪魔を指輪を用いて召喚し、自在に操った。そういう伝説がある。

「ま、模倣品なので一つの指輪につき一体の悪魔しか召喚できないんだけどねぇ……」

 ファーティマの指輪は、二つ。

 悪魔はサブナクの一体。

 つまり、あと一体、彼女は別の悪魔を召喚できるということだ。

「何……!」

「ふふふふ、33の軍団を率いる第48の総帥、ハーゲンティよ! 現われよ!」

 ファーティマの号令とともに現れたのは、外国語やシンボルや幾何学模様の入り混じった円形の図形。つまり魔法円である。

 その魔法円は指輪を中心に、マドファアの光線と似たような色の光を淡く放ちながら、空中に展開した。

「おいエディル! 気をつけろ!」

「はい、ハサンさん! 大丈夫です、魔法円からこの世に召喚される悪魔は、地獄での姿に比べて力を制限されているんです。バアルレベルの大悪魔じゃない限り、僕のマドファアで対処できるはずです!」

 消えるサブナクの逆、魔法円の上に浮かび上がってきたのは、牛頭の男である。

 上半身裸の肉体には筋肉が発達しており、腕などはエディルの胴体ほどの太さもある。さきほどのサブナクといいファーティマの趣味を伺い知る事が出来た。

「ハーゲンディ!」

「おお、召喚者よ。33の軍団を率いる第48の総帥たる我を呼び」

「いいから、逃げるわよ!」

 ハーゲンティの雄牛の瞳は、マドファアを構えるエディルと奴隷商人たち、野次馬の群れ、その注目の的となっている彼の召喚者様を見て、瞬時に状況を理解した。

「掴まれ、召喚者様よ」

「きゃはは」

飛ぶぞ(ハイヤー)!」

 ハーゲンティの背中に、鳥の翼が開く。

 牛頭に鳥の翼というキメラはいかにも中世の悪魔らしい。

 ハーゲンティはその厳つい腕に召喚者ファーティマの女体を抱えると、地面を蹴り上げ浮揚した。

「逃げるのか!」

 ハサンが見上げ、叫んだ。

「エディル、撃ち落とすんだ!」

「え……あ、は、はい」

 墜落すればファーティマが死ぬかもしれない、と気が引けたが、マドファアで狙う。即死ならヤバくても翼一つ撃ち抜いて機能停止させるくらいならば、緩やかに墜落するので命は助かるだろう……という願望を少しだけ込めて、光線を発射しようとマドファアの引き金に指を。

「うわっ!」

 発射しようとしたエディルの頭上に粘液が降ってきた。異臭を放つ、固形物と液体の混じった、茶色の汚物だ。

 泥状のそれは見事にエディル顔面に命中し、視界を遮った。

「げええ、きったねえあの女! 遠距離で上空から攻撃する手段が無いからって○○を落としてきやがった!」

 ハサンが鼻を摘む。

「エディル、大丈夫かお前……うわ、気絶してる……誰か! 水、それから浴場(ハンマーム)に連れて行くんだ!」

 ハサンの声を遠くに聞きながら、エディルの意識は異臭の底に沈んで行く。



 ……。

 ……夢を見た。

 無名都市の地下、内部の空間が歪んでいて異星と繋がっているというダンジョン。

 求める場所も宝も知らず、彷徨うアブーアリーとエディルの二人。

 異様な爬虫類型クリーチャーの描かれた壁。砂の溜まった床。灯りは魔術で出した地獄の炎。その炎でさえ無名都市の空気に比べればまだ優しい。

 腐臭のする冷たい空気。

 その中を二人で延々と歩き続けた……。

 ……。

 


「……ご主人様! あれ……?」

 エディルは奴隷商人たちの介抱により、すぐに目を覚ました。

 おのれの肌と髪からは石鹸と香水の臭い。

 かなり綺麗にしてもらったが、まだ、どこかから汚物が臭う気がする。

 もしかしたら髪の中に固形物のカスがこびりついて取れないのではないか、と思ってエディルは頭を掻きつつ、周囲を見回した。

「お、気づいたか」

 ハサンがエディルの顔を覗き込む。

 奴隷市場の一角にある宿。

 土の壁と土の床、ペルシャ風の絨毯とナツメヤシの幹の家具がいくつか。それだけの簡素な部屋の床にエディルは寝かされていた。

「ありがとうございます、ハサンさん」

「いや、礼を言うのは俺たちの方だ。ファーティマさんを追い払ってくれたからなあ。コイツで」

 コイツ、といってハサンはマドファアをエディルへと渡した。

「……撃ってみたんですか?」

「すまんな。だが俺たちの誰も出来なかった。この棒は何の反応もしねえ。どうやるんだ?」

「火薬の変わりに地獄の業火を召喚する際、人の精神を削らなきゃいけないんですが、このマドファアは僕の魂にしか反応しないように出来てるんです」

「精神を削るってお大丈夫なのかそれ?」

「あ、その点は心配しないで下さい。精神力鍛えてるので」

「精神力か。そうか……」

 ハサンはそれ以上追求しない。

「ところで、これからパレスチナに行くんだったな?」

「あ、そうでした」

 エディルの妹ルミサを買ったのはパレスチナのギリシャ人魔術師、アルガデス。

 ファーティマとの諍いで危うく忘れるところだった。

「そういえばハサンさん、パレスチナについて何か言いかけてましたよね?」

「ああ、そのマドファアがあれば心配無いかもしれないが、一応は旅の商人として忠告させてくれ。いいか。今、アッバース朝は空前の魔術ブームだ」

「ブームですって!」

「ああ。もともと魔術なんて世間から秘匿されて日陰で細細と研究されていた代物だったんだがな。最近、一般人でも簡単に魔術を使えるアイテムが少しずつ市場に出回ってるらしい」

「魔術アイテム……ファーティマさんの悪魔召喚リングみたいな?」

「ああ。それにお前のマドファアもだろ?」

「これは僕がご主人様……アブーアリーさんから貰ったやつですよ」

「ま、出どころはどうであれ、そういう魔術アイテムが明るみに出始めてるっていうことだ。そして、パレスチナ地方なんだが、今のパレスチナ地方の総督(アミール)は、魔術を使うらしい」

 アッバース朝は北アフリカからエジプトにアラビア半島、ペルシャまでを支配する大帝国だ。その広大さ故に(カリフ)の直接支配は困難なため、各地は分割され、総督により管理されている。パレスチナ地方もそのような一つの区であった。

「パレスチナ総督は魔術で人々の上にまるで王の様に君臨している。強大な魔術師なのでアッバース朝も手懐けるのに精一杯なんだと」

「そんな事が……」

 後世では、各地の指導者らは自立し、アッバース朝の支配を脅かす事になる。エジプトのターヒル朝やファーティマ朝、ペルシャのブワイフに、トルコ系の王朝……。しかし当然ながらエディルらにはその歴史を知る由は無かった。




 バグダードに居る間は奴隷市場の宿に泊まっていけ、とハサンや奴隷商人たちは言ってくれたが、エディルは一応は隊商宿に部屋を借りている。

 その日も一旦は隊商宿に戻った。

 バグダードからパレスチナまで、ローマ帝国時代からの街道がそこそこ整備されているとはいえ、それなりに距離がある。

 しっかり計画を立て、出発の準備を念入りに行わなければならない。

 あと数日は、このバグダードに居なければならないだろう。

参考、悪魔ハーゲンティについて(Wikipedia様より)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3

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