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奴隷市場(1)

 エディルのかつてのご主人様、アブーアリーは魔術師だった。

 年齢不詳。青年にも見えるが中年にも見える男性。アラブ人らしいが、どこかローマ人にもアフリカ人にも見える。ただし混血という訳ではなく、その立ち振舞いに文化的バックグラウンドが感じられなかったのだ。

 アブーアリーは二つの海の地域、つまりアラビアの海とペルシャの海に挟まれた、バーレーンの島にひっそりと魔術工房を構えていた。しかし彼自身は別にそこの出身では無い様子であった。饒舌なフスハー(共通語)を話していたので出身地も不明。

 そのように身元を隠す事は魔術師たちにはよくあることだった。深い理由があるのか、それとも単なる美徳や自己満足なのかは分からない。

 魔術師アブーアリーはエディルに奴隷としての仕事をさせる一方、弟子のように魔術を教えた。

 奴隷虐待や過労死がたびたび世間で問題になる事を考えるならば、エディルにとってアブーアリーはかなり良いご主人様だった。

 一年前のある日、アブーアリーはエディルを連れ、クウェートの砂漠に位置する無名都市という廃墟に赴いた。

 エディルは無名都市で起こった事を思い出したくは無い。

 ただ、半年以上に及ぶ無名都市の探索を終えた時、そこにアブーアリーの姿は無かった。廃墟の深淵でどうやって生き延びたのか、暗闇から日のもとへと生還出来たのは、前より一層色白になった少年エディルだけだ。

 それ以降、魔術師アブーアリーを見た者はいない。

 そしてご主人様を無くしたエディルは自由身分となった。




「という僕の身の上話はおいといて」

 エディルは奴隷商人ハサンへと言う。

 魔術師だのという言葉にハサンは興味津々だったが無視。

「妹のルミサの事を知りたいんです」

 ハサンはこう見えて商人として几帳面な人間だ。三年前の売買の記録も残っているはずである。

「まったく、しゃーねえなあ……ちょっと待っとけ」

 ハサンは仲間の奴隷商人の方へと向かって行った。




 紙。古代エジプト由来のパピルスの様な伝統的製紙法の他、アッバース朝イスラーム帝国が東方へ拡大するに従って、中国由来の製紙法のもこの帝国に伝来した。およそ五十年前、つまりローマの暦で750年のタラス河畔の戦いが契機だと言われている。ここ、テストにでるよ(高校世界史)。

 ハサンが持参したのは植物由来の紙ではなく、独特の重量と質感を持った羊皮紙だった。

 慈悲慈愛ある神の名のもとに、というお決まりの文句の下、売買の記録が几帳面なクーフィー書体で記されている。

「たしかこの辺だったな……」

「あ、ありました、ここです」

 エディルは妹の名、ルミサを指さした。

「エディル、お前、字が読めるようになったのか」

「はい、ご主人様に教えてもらったんです」

 アブーアリーの魔術工房での労働は単なる家事や彼の身の回りの世話だけではなかった。彼に仕えるには怪しい魔術道具についての知識も必要であるため、少なくともアラビア語は話せなければならなかったのだ。

「ほら、エディル、見ろよここ」

「ふむふむ」

「ムハッラム月の十二日、ドゥルズク族の少女ルミサ・カタラエフ……」

 エディルが売られてから、およそ一ヶ月後だ。

「……彼女を6万ディナールで買ったのは魔術師で名は……」

「また魔術師ですか!」

「……驚くことねえぜ、最近クソ多いんだよ魔術師って連中が。で、買ったのは魔術師。パレスチナ(フェレスティーヌ)地方の魔術師、アル・ガ……いやアルは冠詞(ハルフ・タアリーフ)じゃねえな。魔術師の名はアルガデスだ。アラブ人ではなくギリシャ系の名前だな」

 パレスチナの魔術師アルガデス。

 彼がエディルのご主人様だったアブーアリーと同じくらい、ルミサを大切にしている事を願うしかない。

「ありがとうございます」

「おい、エディル。どうするんだ?」

 礼を言って切り上げようとしたエディルへとハサンが言う。

「まさかパレスチナに行くつもりか?」

「はい。いても立ってもいられないんです」

「それなら時間をかけて準備してった方がいいぜ」

「ナツメヤシの砂糖漬けでも買って行くつもりです」

「いや、そうじゃなくて、もしかして知らねえのか? いいか、エディル、今のパレスチナは」

 ハサンが言いかけた時。

 奴隷市場に震撼が走る。

 商人のフィールドであるはずの領域に不似合いな影が、砂埃を巻き上げながら突如として出現したのだ。

「何だ!」

「まさかコイツ!」

 奴隷商人たちがざわめく。

 荷車の中の奴隷たちの不安が空気となって漏れる。

 現れたのは古風な甲冑だ。

 漆黒の金属プレートが折り重なり、巨躯を防御しつつも攻撃的な印象を放っている。大の大人であるハサンら奴隷商人よりもデカい。

 そして何より異様なのはその鎧の頭部である。

 雄々しい鬣に、大型ネコ科の表情ーーつまり、ライオンの頭である。

 荒々しい呼吸が漏れ、縦割れの瞳は周囲を睨む。マスクなどではない、意思によって動く頭だ。

 人では無い存在。

「悪魔! 貴様、悪魔だな!」

 ハサンがビビりつつも苦々しく言う。

「何が目的だ。真っ昼間の奴隷市場に堂々と来やがって」

「目的ですって。分かるでしょ」

 悪魔の背後から、女声がハサンに答えた。

「何者だ」

「私よ」

 獅子頭の悪魔に隠れていたのは長身の女性だ。

 褐色の肌に、金髪。一応スカーフを被ってはいるが、髪は全く隠れていない。

 ハサンがゲロ吐きそうな表情になる。

「ああ……ファーティマさんか。いい加減にしてくれ」

「誰なんですか?」

「ファーティマ・ビント・マフムード。バグダード、いや、このアッバース朝で一番のビッチだ。マッチョの男奴隷を囲うこと以外に趣味の無い不気味な女だ。金の支払いが遅れる、奴隷を虐待するだの数々の悪行で出入り禁止担ってたはずなんだが。挙げ句の果には色じかけ。まったく、乙女を処女のまま取引する奴隷商人に色じかけが通用するかっての」

「ふふん、もう色じかけなんてクソダサ手段は止めることにしたわ」

 ファーティマは言う。

「だって今は彼がいるものん、うふふふふ」

 そう言って、ファーティマは鎧越しに悪魔のマッチョな二の腕にしがみついた。

「あんた、悪魔を召喚したのか……」

「そうよ。彼はサブナク。50の軍団を率いる第47の侯爵よ」

「お見知りおきを」

「喋った」

 悪魔サブナクの声は低く透き通っていた。

 悪魔召喚の魔法。

 中東にはジンをはじめとして、かつては神と信仰されていた悪魔や悪霊、精霊にクリーチャーが存在している。

 簡単な精霊や下級のジンならば、エディルも魔術師アブーアリーが召喚し使役しているのを見たことがある。しかし名前を持つサブナクといういかにも強力な悪魔が、こんなビッチに召喚されるなど、エディルには信じられなかった。

「ま、挨拶はこれくらいにしてさぁ」

 いちいたエロい仕草をしながらファーティマは言う。

「私の奴隷を返してもらうわよ、やりなさい! サブナク!」

「やれやれ……仕方ないな、召喚者よ」

 サブナクは腰に下げた、鎧と同じ漆黒色をした長剣の柄に手を添えた。

「エロスがだめならタナトス! さあ、サブナク! 暴力で奴隷ちゃんたちを奪うのよ!」

 ファーティマは恍惚の表情でおほほほと笑う。

 一方の奴隷商人たちは嫌な顔をするのみ。

 ファーティマに腹は立つが、暴れる悪魔に勝てる自信は無いのである。

 気付けば周囲に市場の人たちが集まって見物を始めている。

 サブナクが長剣を鞘から抜き、銀の刃に砂漠の太陽がギラと反射する。

悪魔サブナクについての参考サイトです(ウィキペディア)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%AF

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