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「それにさ」
三浦の発言について考えていると、また三浦が話し出した。まだ何かあるのだろうか。
「もしお前の言っている三世の書がこの世にあるとして、お前がそれを読めたとしよう。お前だけが読めたと仮定しよう。すると、そこにもう大きな問題が起こってくる」
「どんな問題?」
僕ではなく、安丸が聞いた。話に入りたくなったのか、弁当食って暇になったのか、よくわからないが安丸が聞いた。
「何故なら、その書は全ての事が書いてあるにも関わらず、お前がその本を読み、その本に書いてあるのとは違う事をすれば、嘘になる。その本自体が嘘になる。例えば、今、お前は左の手首を触っているな」
確かに、触っていた。
「それが三世の書に書いてあるとして、お前はその時間、タイミングを合わせて、右の手首を触るようにしたら、どうだ? あるいは手に全く触れないとか? 書の存在自体が崩壊する。…いいや、本に強制力があるなんて言わせないぞ。もしその本に強制力があるとして、お前が右の手首を触りたくても左の手首を触ってしまうというのなら、一体、その強制力はどこから来る? 俺達はそんな強制力をこれまでに感じた事はない。少なくとも、俺はないね。もしお前が書を読んで、それに反した行動を取ろうとするならば、それに対する強制が起こる。本に無理矢理合わせる神の力が起こる。だとしたら、神の力ってなんだ? 本の力か? だったら、それが未来と現在と過去を支配しているっていうのか? だったら、本に何の意味がある? 最初から全てを強制すればいいじゃないか? それが過去と現在、未来を全て記述しているのはどっちにしろ嘘になる。それはただ単に、強引に独裁政治でもって人間を強制するのと同じような事だからな。未来の記述をしているんじゃない。未来を強引に固定しているだけなんだ。そんなものは未来じゃない。時間でもない。なんでもない。そんな本はどうだっていいね。そんな本はありえないんだよ。そんな本が存在するのが可能だとしたら、たったひとつの可能性しか考えられない」
「どんな可能性?」
今度は僕が聞く。
「誰も読まない本として存在する可能性さ。それだったら存在可能だね。その本はあったとしても、誰も読まない。何故なら、誰か一人でも読む奴がいたとしたら、途端に、本の存在自体が嘘になる。本に書いてあるのと反した事をやる可能性が生まれる。そうなると本としても困る事になる。強制力を使うにしても、強制力はそれを強制と考えさせた時点でアウトだ。三秒後に俺がこうする、誰がこうする、それが事実だとしても、それを知られるとはそれはすぐに意識に取り込まれて、人はそれに反しようとする。そうなると書物の方でも大ピンチってわけだ。普段から、右の廊下を通らないといないのに、左の廊下を通ろうと体が勝手に動く。そんな事ってあるか? もちろん、そんな経験もないわけじゃないだろう。だが、その書があれば、その感覚が常時続く。だとすると、そいつの人生というのは何だ? 自分は何か大きな神に支配されているという大いなる感動か? 俺はそんな感動はごめんだね。…だからさ、その本が存在しうるとしたら、誰に見られない所で、静かに人間全部の未来を記述してある。それなら存在可能だ。だけど、誰にも読まれてはならない。読まれた地点でその本は嘘になる。だから、結局の所、その本は存在しないと同じ。そんな本は存在しては『ならない』んだ」
「誰にも見られない所ね…」
三浦の言った哲学話も気になったが、僕にはその本が置いてある場所が気になった。三浦の言う通りなら、「誰にも見られない静かな所」という事になる。なるほど…。
「なるほどね、じゃあ、三浦の見解では、そんな本は存在しえないって事か」
要点をまとめる。うなずく三浦。耳を掻いている安丸。
「でもさ、しつこく聞くけど、もし仮に…仮にだよ、そんな本があったとしたら、どうする? 三世の書が実在していたとしたら、お前はどうする?」
「答えは簡単さ」
三浦は余裕そうに答えている。こいつ…そんなに勉強もスポーツもできないのに、なんか余裕ぶっているんだよなあ。
「簡単だよ。俺は書に書いてあるのと逆な事をする。その書そのものを矛盾に晒す。するとどうなるのか、試してみる。可能性としては、そうだな…書そのものが記述を変えるとかかな?」
「記述を変えるっていうのは?」
「例えば今この時、『右の手首を触る』と書いてあったとしよう。俺は同時刻、左の手首を触る。その後、本を見ると、あら不思議、本には『左の手首を触る』と書いてあるんだ。不思議だねえー」
ちっとも不思議でなさそうな言い草。食えない奴。安丸はまた退屈そうにしはじめた。
「だけど、もしそうなったとしたら、それは未来を書いた文章ではないという事になる。その本に未来に対する強制力があるなら、通常、俺達が未来だと思っているものとは違う、時間とは専制的なものだという事が証明される。すると、それはもう未来を書いた本じゃない。人間を一元的に機械化した書物だと言えるだろう。…まあ、そんなわけで、俺はその本がもしあれば…あるわけないけど…そういう矛盾に晒して、本自体を意味のないものにする。それは可能なはずだからな」
「お前も安丸を見習った方がいいよ」
僕は考え過ぎの男ーー三浦の顔を見つつ言った。安丸はキョトンとしてた。
「そんな考え込んでもいい事ないぜ。宝くじ当てようともがく方がまだ幸せになれる」
「あいにく、幸せになる気はないんでな」
「そうか」
僕らの不穏な空気を察したのか、安丸が割って入ってきた。こういう時、安丸という男は使える男となる。
「お前ら、いつまでそんなわけわかんない話してんだよ。他の話しようぜ。俺、飽きた」
「そうだな」
意外にも三浦が言う。いや、話していたのは大半、お前なんだけど…。
「疲れたな。というか、まだ弁当も残ってるし。ってか、安丸、お前は早すぎるんだよ、いつも。ごはんはちゃんと噛んで飲み込めって教えられなかったか?」
「お前は俺の母親か!」
「そうだぞ」
僕ものっかってみる。
「ごはんは五十回噛んでから飲み込めって。うちのばあちゃんの遺言だったぞ」
「お前もか!」
僕と三浦は安丸をいじり出した。僕ら三人はいつもの調子を取り戻した。そんな風にして昼休みは、いわば、いつも通り過ぎていったわけだが…僕には気になる事があった。三浦の言っていた事とも関わりがある。