第十六話 やはり神殿は敵だった
さて、当初の目論見とはやや……大幅にズレた私の探索により、いまとなっては代用のモップ並に必要ない魔刻杖《蜃朧杖》を手に入れ、代わりに逃走資金である聖地ダンジョンの財宝を失ってしまいました。
奥津城を後にして、右手にファニタ、左手に《蜃朧杖》(幼女形態)を連れて、仲のいい幼女たちが手を繋いでお遊戯でもしているみたいな格好で、いったん寝所に当てられた建物の近くで、通常空間に戻った私。
いまのところ私がいなくなったことは気付かれていないみたいですが、さて、問題はこれからどうするかよね、と考え込みます。
予定では逃走資金を確保して、今晩中にでもこの国から脱出するつもりでしたけれど、根本的に計画が破綻したわけで、おまけにこうして見知らぬ幼女がいきなり増えたわけですから、問い詰められたらボロを出さない自信がありません。
「……いっそ、こうなったら聖都にある金庫の財宝をガメて行こうかしら」
「ちょっ……師匠、本気じゃないスよ……ね?」
「同意。マスターの命じるままに」
焦るファニタと全面的に肯定する《蜃朧杖》。ちなみに《蜃朧杖》はさっきまでなぜかボコボコになっていたのですが、いまはスッキリと(見た目は)平常どおりです。
「――ほほほほほ、もちろん冗談よ冗談。転生したいまはなるべく魔刻陣法は使わないように注意しているんですもの」
「二、三秒思案したのが気になりますけど、だったらいいっす……」
ほっと安堵するファニタ。ま、半分以上本気だったのは確かですが。
なにしろここは太陽神殿。黄金を太陽神のシンボルにしているので、信者から税や寄進と称して、毎年大量の黄金を集めて懐に納めているのは有名な話です。
表向きの理由としては、神敵である魔刻術師の使う魔刻陣法に対して黄金が効果があるというのと、不毛の地と化した北大陸の監視と邪神の封印を維持するために必要というものですが、魔刻陣法を妨げたり封印の効果があるなどというのは、吸血鬼の弱点は心臓に杭を打ち込むこと……くらいの無茶な理屈です。
吸血鬼だろうと巨人だろうとドラゴンだろうと、そりゃ心臓に杭を刺されたら死ぬわ。
それと同様、金属で遮ればいかなる攻撃でもある程度防御できるでしょう。別に黄金に限りません。もっとも魔刻術師の中級クラスになれば、防御無効で“存在の概念”ごと破壊することは可能ですので、あまり意味はありませんが……。
ちなみに魔刻術師のクラス分けの目安は、下級クラスで『物理及び精神すべてに干渉可能』。中級クラスで『概念への干渉可能』。上級クラスで『世界全体及び法則自体に干渉可能』。十二魔刻匠で『一部、世界の外側に干渉可能』といったところです(シルヴァーナは『三千世界の生殺与奪権保持及び上位世界に干渉可能』でしたが)。
下級の魔刻術師でも、魔術師がいうところの『全属性保持並び経験値倍増、スキル強奪、未来予知、大賢者、死亡時即再生』といったチート能力を常態化(というか、それくらい普通に持ってないと魔刻陣法を学べない)していたので、本来は魔刻術師を斃すには同じ魔刻術師がふたり以上存在しないと無理なのでした。
その無理をひっくり返したのが『勇者』の存在で、そういう意味では太陽神や黄金などより、よほどあちらのほうが天敵といえるでしょう。まあ、さすがに劣性遺伝らしく『太陽神の戦士』級の化け物はホイホイ生まれないみたいですが、その分を数で補っています。
あ、あと別に能力的に魔刻術師が勇者に劣るというわけではありません。というか純粋な能力では獅子と蟻ほどの差があるでしょう。ただし、さきほどの例えの通り、どれほど強靭で老獪な獅子がいたとしても、毒を持った蟻に噛まればお終い……という感じで、生物である以上、どうしたって存在する欠点をピンポイントで狙うよう作られた戦闘生物が勇者なのでした。
「まあ、とはいえ所詮は一芸特化。穴ばかりではあるのだけど、それを補う工夫で単一技能を昇華させてシルヴァーナにすら届かせたところとか、怨みどころか『見事なり、天晴れ』と個人的には好意すら感じているのですけれど」
前世だったら口が裂けても言わない本音を口に出すと、案の定ファニタがアホの子みたいにぽかんとした顔をしました。
「そうなんでやんすか……?」
「ええ、そうよ。基本私の猿真似から脱却できず方向性を間違えたり、一部反抗期の子供みたいに背中から撃ってきた不肖の弟子よりか、なんぼかマシよ」
思わず本音を語ると、元不肖の弟子がそっと視線を逸らせました。
「それはともかく、いまのところ私たちが抜け出したことはバレていないみたいだし、このまま寝室に戻っても問題なさそうね」
「そっすね、さすがに眠いっす」
大欠伸をしながらファニタが同意しました。子供の体で睡魔と戦うのは熾烈を極めるものです。
私もこの場で昏倒してしまいたい衝動を、どうにか『覚醒』の魔刻陣法でカバーしている状態ですので、思い起こせるオフトンの魔力を前に早くも破られそうでした。
「質問。マスター、私はどうすればよろしいでしょうか?」
所在なげに佇んでいた《蜃朧杖》が右手を挙げて今後の身の振り方を聞いてきました。
「う~~ん、とりあえず今日は原型に戻って隠しておく方針で。或いは神殿関係者の精神に干渉をして、前からいた巫女見習いで年が近いので、私の侍女その二として仕えることになった……とか、設定をでっち上げてついてきてもらうのが不自然ではないかしら?」
「了解。では、こう――ですね」
途端、瞬きひとつで《蜃朧杖》の服装が、何の変哲もない白のワンピースから、神殿の巫女が着るような法衣に変わりました。
もともとこの姿も衣装も偽装ですので、周囲の情報を元に再構成したのでしょう。
「そうね。あとは名前も変えないと」
さすがに《蜃朧杖》では不自然過ぎますし、知っている人間は知っている固有名称でしょうからねえ。
「そうね……虹色の髪……虹……イリス、イリスという名はどうかしら」
「承認。では、今後はこの形態の際は“イリス”と名乗ることにします」
無表情に頷く《蜃朧杖》改めイリス。
喜んでいるのか不承不承なのか表情からはイマイチ読み取れません。
「そういうことで、ファニタもお願いね」
と、念を押すべく振り返ったところ、疲労困憊に達したのかファニタは、庭園の雑草の中に崩れるようにして寝ていました。
仕方ないわね、と嘆息したところで、夜の闇に紛れるようにして法衣を着た二十代半ばほどの派手な顔立ちの……どーみても聖職者というより水商売風の女性が、ファニタの背後に立っているのと、ついでにその右手が手刀を振り下ろした姿勢になっていることに気付きました。
「ご安心ください、当身で気絶させただけですわ。お静かになさってください、皇女様」
ニヤリとその女性が妖艶に笑った次の瞬間、私たちに割り当てられていた宿舎の正面玄関のあたりが轟音とともに吹き飛んだのでした。