第十五話 獲らぬタヌキの宝箱
「廊下の隅に掃除用モップが押し込まれてたっす」
ファニタが使い古したデッキブラシ風のモップを持って玄室へ戻ってきました。
「ご苦労様。で、これでいいの《蜃朧杖》?」
『無問題。長さといい形状といい適切であると判断。十分であります、華麗にして聡明、偉大にして慈悲深き至高なる我が主よ』
直接ファニタから木製のモップを受け取った《蜃朧杖》は、なぜかビクビクと私の顔色を窺いながら何度も何度も首肯します。
先ほどと違って借りてきた猫状態になった彼女の従順さに、ちょっとだけ引っかかるものを感じて、《蜃朧杖》に探る目を向けると、どうしたわけかダラダラと脂汗を流していました。
「あのォ。師匠、あんましプレッシャーをかけるのは……」
「別にプレッシャーなんてかけてないけど?」
そりゃ確かに、ちょっと立場を弁えさせるための躾けとして、石棺で殴って蹴って、たまらず原型の杖に戻ったところを、掴んで膝でへし折ったりはしましたけど(勿論、修復はしたけど)、そんなもの軽いスキンシップじゃない。
それなのに、これではまるで私が悪い人みたいではないのよ!
ちなみに最初に比べて人型をとっている《蜃朧杖》の姿が変わったのは、元のシルヴァーナとの契約に上書きする形で、現在の私と経路が繋がった影響です。
もっともこの姿もまたあくまで仮初なので、その気になれば変幻自在ですが、原型に次いでこの姿が一番燃費がいいとのことでした。
『確認。とりあえず始めてもよろしいでしょうか、主よ?』
「ええ、眠いんだからさっさと始めなさいよ」
そう言うと《蜃朧杖》は両手でモップを胸の高さに持ち上げて、
『トレース開始――』
得意の『複製』『強化』『変貌』の魔刻陣法を同時に起動させます。
「つーか、あんなんな使い古したモップで誤魔化せるんでやんすか?」
「大丈夫って言ってる以上、大丈夫なんじゃないの」
「全幅の信頼があるんでやんすね」
「まあね。仮にも『シルヴァーナの持つもうひとつの命』とまで謳われた神器以上の代物よ。こと精密作業や幻影や偽装に関しては、十二魔刻匠でもたぶん及ばないと思うわよ」
事実、『神眼』を持つ神官たちを相手に、十五年もシルヴァーナだとバレずに偽装できたわだし。
「なるほど、確かに師匠を筆頭に、あっしら十二魔刻匠の大部分は細かい作業が苦手でがんしたから、そこらへんを肩代わりしていたわけでやんすか」
「〈人形遣いアンティア〉とかは、好んで人の精神を操ってたり、疫病を流行らせたり、策謀を巡らせるのが好きだったけどね」
「あー、でも、師匠あいつのこと嫌いだったでやんしょ? 『コセコセ動きまわるドブネズミみたい』って言って」
「まぁ好みではなかったけど、嫌うほどではなかったわよ。裏切られるまでは」
そんな風に雑談をしている間に《蜃朧杖》は手にしたモップに魔刻陣法を施していきます。
『偉大なりし我が主の名において汝を規定する。汝はすべての理を超越せし魔を刻む者なり』
《蜃朧杖》の詠唱と手印に従って空中に浮かび上がった掌大の魔刻陣が、ゆっくりとスキャンでもするかのようにモップの先端から柄に向かって動くと、それに合わせてモップの姿が変貌して、気が付けば見た目は業物っぽい魔刻陣杖が一振り、その場に鎮座していたのでした。
「おーっ……丸っきり本物の魔刻陣杖っすね」
目と口を丸くしたファニタはまじまじとその魔刻陣杖に顔を近づけ、さらには恐れげもなく両手でその模造品を掴んで振り回し、
「感触も重さも本物ソノモノでがんす!」
と、心から感嘆するのでした。
「まあ、稚拙な魔術と違って魔刻陣法はこの世界の法則……或いは存在そのものに働きかけるものだから、ある意味本物と変わらないわね」
要するにさっきまであったモップに『俺はモップではない。魔刻陣杖だ!』と思い込ませて、さらに世界にも『これは魔刻陣杖です。間違いありません。そう書いてあるでしょう?』と鑑定書をつけて提出しているようなもの。
なので、何かの拍子に『実は俺ってモップなのでは?』と疑問を抱かない限り、まず自然に解けることはない(それを応用して魔刻陣師はほぼ不老不死を実現していた)。
もっとも、もとがモップなので、当然、それ相応の能力しかないけれど。
「つーか、なんで《蜃朧杖》は自分の姿を模倣しなかったんすか?」
身振りで返すように促され、小首を傾げながらファニタはその《偽・蜃朧杖》を戻しました。
『無論、我はこの世に唯一無二、ゆえに紛い物など必要なし』
当然という口調で断言する《蜃朧杖》。
ついでにもう一度魔刻陣法を重ね掛けすると、そこには妖艶な黒髪の美女――つまり私の前世であるシルヴァーナ(死体バージョン)――が寝転がっていました。
『提言。これを我の代わりに石棺内に安置しておくことをお勧めする』
「……まあ、そうするしかないでしょうね」
五感どころか六感まで完璧に偽装されたソレを指さす《蜃朧杖》に対して、私は陰鬱なため息で返しました。
「どうしやした? ダミーとはいえさすがに前世の死体を目の当たりにして気が滅入るんでがすか?」
「いや、そーいうわけじゃないけど」
「じゃあ、偽物の死体だとバレないか心配で?」
『心外。第二の偽装は一定の手順で解除されることを前提としているが、第一の偽装は太陽神の下僕ごときに解けるなど不可能である』
確かに盆暗揃いの太陽神殿の関係者には一生バレないだろうけど、問題は今後の展開がどう変わるかよね、と思案する私。
というか、そもそもこの場所に《蜃朧杖》があったこと自体がおかしいのよね。
と続けて思う。
確かゲームの中だと、この隣のダンジョンの方に安置されていて、勇者が活動資金を得るために足を踏み入れた最奥で、中ボスとして立ち塞がるのが正式なシナリオの筈。
なーんかズレてるのよね。
この上で事前に私が手に入れちゃうとか、ますますシナリオとの乖離が激しくなりそうで怖いんだけど。
かといって付いてくる気が満々の《蜃朧杖》を放置するわけにはいかないし、と思ったところで、ふと本命の宝探しを思い出しました。
「……そういえば、この隣に補給基地を兼ねた地下基地がある筈なんだけど、いまの状態がどうなっているのか、ここから感知できない?」
その気になれば上は無窮領域の呪力変動から、下は素粒子の揺らぎまで、瞬時に把握できる《蜃朧杖》の索敵能力。当然、この程度の岩や土の質量や障壁などないも同然です。
そんなわけで、ダンジョンの六十階に眠る財宝(逃亡資金)の位置がわかれば、この足で移相空間移動を行って、帰りがけの駄賃に回収していこうと思った……のですが、打てば響く調子で、あっけらかんとした《蜃朧杖》の回答が返ってきました。
『ご安心ください。スリープモードの状態でも、かの地下基地に対しての太陽神殿の干渉は計測しておりました』
「おおおっ、さすがっすね」
「ええ、さすがは我が半身、抜かりはないわね」
『結果、遅くとも百五十年後には最深部まで到達する確率が七十三パーセント。また、〈太陽神の戦士〉クラスの超戦士が導入された場合、計測不能……下手をすれば明日にも略奪されるとの危険があることから、五年と八十七日二十時間前に安全装置を働かせ、五十一層以下六十層まですべて虚数空間に廃棄済みです』
手際のよさを褒めてとばかり胸を張る《蜃朧杖》。
「「…………」」
「えーと、つまり最下層にあった貴金属や希少物質は……」
『ゼロ以下となって消滅し、すべての機密を守ることに成功しております、主よ』
ああ、うん。そういう安全装置を考案したのはシルヴァーナよね。
適切な措置というべきだし、責めるなら私を責めるべきよね。
うんうん。
「あああっ、師匠が満面の笑みを……つーか、また石棺を掴んで折檻をするつもりっすか!?」
慄くファニタに向かって笑いながら一言。
「違うわよ。単なる八つ当たりよ♪」
「もっと酷かったっす!!」
絶望したファニタがこの後の惨劇から目を背けて、耳を塞いだのと同時に、私は『???』状況を理解できずに小首を傾げている《蜃朧杖》に向かって、石棺を本気で振り下ろしました。