第十一話 心の友、近衛騎士ベルク
どうにか襲撃も収まり、幸いこちらには死傷者なし。物的被害は軍用馬車が一台吹き飛んだだけで、他に目立った被害はなく、強いてあげれば私が危うく密室で殺害されそうになったのと、爆発の衝撃で驚いた軍馬から振り落とされたらしい、頓馬な王国の近衛騎士がひとり怪我をしたくらいです。
「うえ~~~~~~~~~~~~~~んっ、怖かったよぉ!!」
安全が確保されたと護衛隊長が判断したところで、狭苦しい避難所とクリスティン王女の戒めから解放された私は、馬車から降りた途端、安堵のあまりその場にへたり込んで、思わず号泣してしまいました。
怖かった。これまで三回繰り返してきた人生の中で一番怖かった。
暗くて狭くて密閉された場所で羽交い絞めにされて、時折、「はあはあ、すんすん、ぐへへへへっ……!」という怪しい笑いが耳元で囁かれ、生温かい吐息がうなじに当たる恐怖感! いっそ殺せ!! と、途中から自暴自棄になって、天井の節目を数えながら意識が暗転していったあの刹那の絶望感は、しばらく夢に出ること請け合いです。
そこから無事に生還できたと知った瞬間、幼子のように(見た目は子供、頭脳は大人とはいえ)手放しで泣き喚いても、これはもう仕方がないでしょう。
「お気の毒に……」
「さぞかし怖い思いをされたんでしょう」
「我々が不甲斐ないばかりに皇女殿下を――くっ!」
そんな私の様子を遠巻きに眺めながら、侍女や文官、近衛騎士たちが同情、憐憫、あるいは己の不甲斐なさに身を震わせています。
なにか誤解が蔓延しているようなので、「違――」と否定しかけたところへ、諸悪の元凶が両手を広げてこちらへ猪突猛進してきました。
「あああっ。セラフィナ皇女殿下、そんなに泣かないでくださいませ。もう安心ですわよっ」
長いスカートを引き摺りながら、素晴らしい脚力で一気にこちらに向かってくるクリスティン王女。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」
「――セラ様、危ないっ!?」
「お……? おおおおおお……おっとと……?!?」
ショックのあまり全身痙攣を起こしてひっくり返りそうになる私を、素早くユリウスが支えてお姫様抱っこ――つーか、単に子供をあやしている気のいい兄ちゃんの図ですね。
で、直前で目標を見失ったクリスティン王女は、スカッと両手を空振りし、そのまま体勢を崩して王女にあるまじき姿勢のまま地面にダイレクトアタックを仕掛けました。
「ほげええぇぇぇっ!?!」
「ひ、姫様!?」
慌てて飛んでくる替え玉姿の侍女。他の皆さんは紳士的な対応で、いまの醜態を見なかったことにして視線をあらぬ方向へ逸らしています。
「お~~っ、師し……皇女様、ひゅーひゅー、役得ですねぇ。イケメンに抱えられてモノホンのお姫様抱っこされるたぁ」
暢気に冷やかしてくるファニタを八つ当たりでぶん殴りたくなりましたけれど、ぐっと震えて我慢をすると、
「ご安心ください。これから先、幾多の危機、幾万の敵が現れようとも、貴女の騎士である私がずっと傍におりますので」
ユリウスが真摯な瞳でそう宣言するのでした。
あれ? これってゲームの『幻想魔境ルーンブレイカー』で、クリスティン王女がヒロインルートになる最初の分岐で掻き口説かれた台詞じゃね? と、怪訝に思いながら侍女に介抱されて、鼻血の処理をしている当人を眺めてみれば、「大丈夫ですよ、皇女殿下~」えへら~と、だらしない笑みが返ってきます。
おっかしいな、こんな残念王女だったかなぁ? と重ねて疑問に思っているところへ、あちこちに包帯や傷薬を塗り付けた、王国近衛騎士の鎧を着た青少年――ユリウスと同い年くらいでしょうか? ただし体型は大違い――がやって来て、ユリウスに向かって親しげに話しかけ始めました。
「よう、親友、いや心の友よ! 息災そうでなによりだ!!」
「――ん? ベルク……ベルトラン、君か!? 久しぶりだね、会わない間にずいぶんと肥え……いや、君も元気そう……ではないのか。どうしたんだい、その怪我は?」
「なーに、大した事はないさ。逃げた賊の一部を追って少々深追いし過ぎてね。気がついたら一対五の状況に陥って、この様さ」
包帯の巻かれたボンレスハムのような二の腕や額を指差して、自嘲の笑みを浮かべるベルク君(?)。顔立ちそのものは整っている方だとは思うのですが、なんというか……ぶっちゃけデブです。見た感じ体重は百五十キログラムくらいあるでしょう。
「へえ、驚いたな。君が近衛騎士になっていたこともそうだけど、騎士学校では『勝ち逃げベルク』『騙まし討ちアンドレー』『動けるデブ戦士』と呼ばれた君が、たとえ五人が相手でもそれほどの怪我をするなんて……」
どんなあだ名だ、をい。
「ふっ、所詮、学校と実戦とは違うということだね。私のことよりも心友、君こそ麗しき皇女殿下の護衛騎士なんて大抜擢じゃないか。友として鼻が高いよ」
「――あっ、申し訳ございません皇女殿下。彼は僕の……あ、いえ、私の騎士学校幼年課からの友人で剣のライバルでもあった、王国子爵家の嫡男ベルトラン・ロベルト・アンドレーです」
ユリウスの紹介を受けて、ベルクはその体型とは裏腹の軽快な動きで、その場で片膝をついて一礼をします。
「ベルトラン・ロベルト・アンドレーと申します。このような見苦しい姿で、いと尊きセラフィナ・ファウスタ・ルーナ・セクエンツァ皇女殿下へ拝謁の栄を賜りましたこと、誠に恐悦至極に存知奉ります」
「いえ、こちらこそ――」
言いかけたところで、『ベルク』と呼ばれ、『ユリウスの親友』『昔からの馴染み』『子爵家の嫡男』『近衛騎士』という、バラバラのピースが頭の中で繋がって、ひとつの結論を出しました。
あ、こいつ途中で死んで脱落する勇者のパーティメンバーじゃん!!
あまりにもゲーム中のグラフィクと一致しないので――『幻想魔境ルーンブレイカー』では、どちらかと言えば細面で陰のあるキャラだった――パッと見ではわからなかったけど、よく見れば顔のパーツには見覚えがあるわ。
「それにしても、またずいぶんと恰幅が良くなったなぁ。昔から食べるのが好きだったのはわかってるけど」
「はっはっはっ。宿舎の食事が食べ放題なもんで、ついつい食べ過ぎてしまってねぇ。まあ、私は動けばその分だけ痩せる体質ではあるんだけどね」
「どうせ無理を言って夜食とかも摂っているんだろう? 君は食べられないと見るからに不機嫌になるからなぁ」
ユリウスとベルクのやり取りを聞いていて、ああなるほど、と思いました。
つまりゲーム中で痩せていたのは、復活したシルヴァーナによって物資が不足したせいで、あと常に不機嫌そうな顔をしていたのは、単に空腹でひもじかっただけ、と。
さらに考察を重ねてみれば、確かユリウスの勇者パワーが覚醒したのは、このベルクが犠牲になったことによる、激しい怒りと悲しみで心の箍が外れたことによるもの。いわゆる『イヤボーンの法則』に従った展開のはず。
つまり、この豚……もとい、近衛騎士ベルクを肥え太らせたまま、なおかつ死亡フラグを回避させれば、自動的にユリウスが勇者となる道を迂回させられる。そうすれば私も平和に暮らせる。一挙両得……どころか一挙三得です。誰も不利益は被りません。
「――どうされましたか、皇女殿下。急に考え込まれて?」
ふと、静かになった私の様子を不審を覚えたのか、ユリウスとベルクが心配そうな顔で私を覗き込んできました。
うわ、ユリウスの顔が近いわ……って、いつまでもこんな格好はしていられないわね。なんだかクリスティン王女が恨みがましい目でこちらを睨んでるし。
ということで、「いえ、もう大丈夫です」と言って、あと身振りで下ろしてくれるように頼みました。
地面に足を下ろした私は、恭しい態度で片膝を突いたままのベルトに向き直り、
「――えーと、アンドレー卿」
「皇女殿下、どうぞ私めのことは我が心の友、ユリウス同様“ベルク”とお呼び下さい」
「ベルク様は先ほどの襲撃で負傷されたのですわね? 私のために……可能な限り治療を最優先させるようお願いしますので、どうぞご自愛ください」
死ぬな~っ! 私の平和のために絶対に死ぬな~っ!!
「ははあっ! ありがとうございます。殿下のこの優しいお言葉で傷など一遍で治った心持にございます」
ひれ伏すベルクと、うんうんと感動の表情で頷く周囲の面々。
「それにしても、連中はそんなに手ごわかったのか? あの魔刻陣師以外は烏合の衆だって聞いたんだけど……」
どうにも腑に落ちないという表情で、ユリウスが先ほどと同じ質問をベルクにぶつけました。
「いや、実際たいした腕の連中じゃなかったんだけども――」
と、ベルクが語った当時の状況を整理すれば。
『――むっ、一部が逃げたぞ。追え!』
『よし、行くぞ~っ! この私は逃げる相手を追撃することにかけては自信があるのだ!』
『それ自慢じゃねえ!』
近衛騎士でもまだ新人ということで、ベルクは比較的列の外れのほうにいたそうですが、敵の一部が逃げてきた方向にちょうどいたということで、仲間とともに馬に乗って追いかけたところ、
『おい、いつの間にか俺たちだけになっているぞ。相手は六人だ、さすがにマズくないか』
『大丈夫さ。こっちは騎馬だし、あっちは徒歩だ。このまま馬ごと突っ込めば問題ない!』
『……いや、お前の馬。すげー、辛そうにへばっているんだが』
そう言っている間に、追いつかれた敵の隊長格の男が仲間五人を捨て駒にして単独で逃亡を図る。
『むっ、まずいぞベルトラン。他の雑魚はともかくあいつは捕まえた方がいいだろう』
『わかった、ならここはボクに任せて、お前は先に行け!』
『馬鹿野郎っ、お前ひとりを残して行けるか!!』
『――ふっ、大丈夫さ。ボクはこの任務が終わったら伯爵令嬢のフレドリカ嬢に告白する予定なんだ。こんなところでは死なないさ。だけど、もしも万が一があったらフレドリカ嬢に……』
『言うな! その言葉、お前が伝えるんだっ』
『っ! わかった。だから逃げた奴を追ってくれ!』
『ああ、絶対に捕まえてみせる。約束だ!』
『……ふっ。まさか君とこうして話せる日ががくるとはね』
『ベルトラン。俺、本当はお前のこと嫌いじゃなかったぜ……』
「ということで、一対五になった結果がこの様でして」
見た目はひどい怪我をしているようですが、ペラペラと陽気に喋るベルク。
てゆーか、どんだけ死亡フラグ立てるんだろう、この彼。よく生きてたなぁ……。
「で、馬が限界そうだったので、その場で馬から下りたところ」
『けっ、近衛騎士だかなんだか知らんが、餓鬼がひとりで俺たちを相手にするつもりか!?』
『ふっ、勿論――』途端、腰に佩いたままの剣を鞘ごとその場に投げ捨て『すんませ~んっ、調子こいてました! つい仲間の手前格好つけたんですぅ……!! 降参しま~~す、うすっ』
『『『『『おい、こら。ちょっと待てや!!!』』』』』』
『――と、見せかけて』
『『『『『――ぐあっ?!』』』』』』
素早く袖口に隠していた投げナイフを五人全員へ投擲するベルク。
『暗器か!? てめー、騎士じゃねえのか!』
『別に騎士が暗器を使っちゃ悪い法律はないだろう? 私は勝つためなら闇討ち不意打ち人質なんでもとるよ』
にこにこと笑いながら落とした剣を拾って、すらりと引き抜くベルク。
『いまので三人は急所を打たれて反撃不能だろう? 残りふたりで頑張ってみるかね? いっとくが私は弱った相手をケチョンケチョンにするのが得意なのだよ』
『……ぐうう……』
「――おい、ちょっと待て。その状態からどうして、そんなズタボロになっているんだ?」
思わず、といった口調でユリウスが口を挟みます。
「いやぁ、それが丁度佳境ってところで、あの大爆発だろう? びっくりした私の馬が暴れだしてね。賊に向かえばいいものを、いきなり背後から私を蹴飛ばしてもみくちゃにして走り出したもんだから、この怪我だよ。いやぁ、お恥ずかしい」
本当に恥ずかしい話だよ!! つーか、話を聞いてみると馬のほうも日頃からコレを背中に乗せていて、いろいろとフラストレーションが溜まっていたのかもしれないなぁ、と思えました。
「まあ、ともかくこれから行く先が太陽神殿だったのは不幸中の幸いかな。あそこなら治癒の奇蹟も施してもらえるだろうからね」
「そーだね。神殿の巫女さんも美人揃いって評判だし」
お気楽に笑うベルクを眺めながら、どうにかこやつの死亡を回避させなければ。そうなると問題は〈鋼鉄のデューク〉と、彼が言っていた『魔刻帝国の秘宝』とやらの処遇よねえ。
思わず先行きにため息をついていると、傍に寄って来たファニタが、「どうしやした、師匠?」と小声で囁きます。
私も同じく小声で、
「今後どうしたものかと思って。そもそも襲ってきたのが『エグべリ解放機構《こだわりのある魔刻陣師の集い》』とかいう、わけのわからない集団だし。あんた知らないの?」
「知らないっすね。でも、まあ師匠――というか、魔刻帝国の復興を夢見て破壊活動や、シルヴァーナ様の復活を信じて儀式をしている団体も多いらしいでやんすよ」
「いや、復活も何も私はこうして元気に転生しているわけだけど?」
「そうなんすよねェー。普通はもっと盛り上がってから復活するものなんじゃないんすか? 勝手にそれも七~八年っていう半端な時間で復活するとか、あっしが活動家だったら『もっと空気を読め』って一言文句を言っているところでやんすよ」
なにか理不尽な非難をされている気がして、思わずファニタを睨みつけます。
「他人のこといえないでしょう、アンタは!?」
「ですから、あくまで他の連中の見解を想定しての意見でやす。――あ、猫」
慌てて視線を逸らせたファニタの見詰めた先――ベルクの目の前を、真っ黒い猫が横切っていったのを見て、わざとらしく追いかけて逃げていきました。
う~~ん、でも、やっぱりいるのか魔刻帝国の残党。そして、いまだに信奉されているのか、シルヴァーナ。これは何が何でも私が転生したことは悟られるわけにはいかないな。
そう改めて確信するのでした。
8/7 入れ忘れていた描写を追加しました。




