第十話 敵が味方で味方が敵で
さて、順調に進むかと思われた今回の行啓も三日目――。
神聖サーカイデス国内に入り、あの峠を越えれば聖都ランヴィオも目の前です! と、ユリウスがフラグを立てた直後、思いがけないトラブルが発生して馬車の歩みが止まりました。
トラブルといっても崖崩れや豪雨、落雷などという不可抗力の天災ではなく。また、馬車の故障や魔物の襲撃などという予期しえるものではなく、完全な人災――それも、まず可能性はないだろうと当初から除外されていた類いのトラブルです。
「全員、抜剣! 弓兵及び宮廷魔術師は作戦行動プランDに従って攻撃開始せよっ。敵の数は少ない。王国近衛騎士隊は迎撃に専念。帝国近衛騎士は皇女様方の御座所を護れっ!!」
「軍用馬車を回して壁にしろ! 軍馬が暴れださないように注意っ。ここが天王山だ。帝国近衛騎士の名にかけて、皇女様には毛ほどの傷ひとつつけるな! 皇女様がご覧になっているんだ、無様は晒すなよ!!」
「王国近衛兵団っ。包囲殲滅陣を取れ! 襲撃の実行犯は数人拘束できればよい。それよりも我らを相手に舐めた真似をしくさる連中を生かして帰すな!! 勝利は我が手に!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』
はい。すなわち、武装した謎の集団による皇女&王女様に対する襲撃です。
旅行中のお姫様に降りかかる苦難としては定番中のド定番ですが、いまのところさほどの危機感は覚えていません。
それどころか、『襲撃だーっ!!』という護衛の切迫した叫びを聞いて真っ先に思ったのは、
「――どこの勇者さんなのかしら、完全武装した王国と帝国の近衛騎士団三千名が護る行列に喧嘩を売るなんて……」
という驚きのほうが大きかったくらいです。
近衛騎士、近衛兵といえば軍人の中でも最精鋭。三千とはいえ、実力的には小国の軍なら一息で捻り潰せ、また魔竜が襲来したとしても斃しうる錬度と装備を誇っています。
さらには今回は、彼らが命がけで護るべき対象であるか弱い姫君(笑)が二匹もその背後に控えているのですから、張り切らざるを得ません。実力的にも、また面子にかけても負けるわけがないのです。
実際、面子を潰された近衛騎士たちは、投降の呼びかけも捕虜の捕縛もする気はまったくないみたいで、見敵必滅の構えで敵集団と向かい合っています。怖っ。こんな連中が十五年前は三百六十万人も攻め込んできたんですから、そりゃ負けるわな。
味方の恐怖に震える私の様子に気付いたユリウスは、そっと私の手を両手で包み込むように握りました。
「襲撃者の正体については現在、確認を行っていますがご安心ください。賊はせいぜい百人程度の小規模集団のようですし、伝書鳩と早馬を飛ばして聖都にも急を知らせましたので、おっつけあちらからも増援が来る手はずとなっております」
まあ、その前に賊どもは討ち取られているでしょう。ですから皇女様がたには指一本触れさせません、と続けて私たちを安心させるように微笑むユリウス。
「ええ、ユリウス様のおっしゃることなら信用いたしますわ。セラ様、ご安心ください。たとえなにがあろうとも、わたくしがこの身と命に代えてもお守りしますわ」
そしてクリスティン王女も、悲壮な表情で――時折涎を垂らして、うへうへ言っているので、もしかすると内心は混乱しているのかも知れませんが――私を膝の上に抱きかかえて、ぎゅっと力一杯ハグするのでした。
つーか、痛い痛いいた~い! 人ひとりがどうにか座れる狭い場所に無理やり押し込まれて、全力で王女にフォールドされる現在。賊に指一本触れられなくても、この場でサバ折で圧死しそうなんですけど……! つーか、これ、襲撃のドサクサ紛れに未必の故意を装った認識ある過失で私を亡き者にするつもりなのではないでしょうね?!
気持ちを切り替えるために、密かに目と耳とを同調させる魔刻陣法で、分厚い仕切りを隔てた向こう側、先ほどまで私たちが座っていた座席に腰を下ろしているファニタと同期させます。
ちなみにこれはファニタに最初に会った時に抱きついたドサクサ紛れに仕込んでおいた仕掛けです。現在、魔刻陣法が使えないファニタに危険な目に会わないようにと配慮した結果であり、ファニタが裏切っていないかどうか、密かに見張るために仕掛けた罠ではないので悪しからず。……ホントだよ。
「……いや、あの、何かあったらこの身と命を犠牲にするのはあっし……じゃなくて、あたしですよ……ねぇ?」
皇族用の専用馬車に施された仕掛け――最後尾に存在する隠し部屋――の壁に偽装された仕切りの向こうでは、銀髪のウイッグを装着して原色の目立つドレスに着替えさせられた侍女のファニタが、落ち着かない様子でキョロキョロと慌しい周囲の様子を覗いながらぼやきいていました。
「皇女様、ここは皇族らしく落ち着いてどっしりと構えていてください。それではまるで品のない野良猫のようですよ」
ファニタの隣に座る金髪で十四~十五歳ほどの少女――クリスティン王女の侍女だと紹介された女性――が、冷たい目でファニタを一瞥してそう嗜めます。
王女の侍女ということは、彼女も中級貴族以上のご令嬢なのでしょう。真っ白い清楚なドレスにティアラを装着して、気品も感じる佇まいはお流石というところで、振る舞いも見事に王女様に成りきっています。
まあ、要するに替え玉の皇女と王女を、それぞれの侍女が演じているわけです。
襲撃してきた賊の目的が何なのかはまだわかりませんが、一番可能性が高いのは帝国で唯一の皇女である私の殺傷、もしくは誘拐でしょう。そう判断をした護衛隊長の指示に従い、ハ○エースされないように、こうして替え玉を準備して本物の私たちは馬車の後部座席裏にある隠し部屋に避難しているのでした。
「嫌な予感がしてたんすよねぇ。雇われて二ヶ月も経たないあちしまで、わざわざ指名されて旅行に同行させられた時点で……」
「泣き言を言っている場合ではないでしょう。そもそも私たち侍女は、万一の際にこの身を盾にして主人を護るのがつとめ。他の誰にもできない仕事なので、そのことを誇りに思いなさい」
冷徹な王女(偽)の戒めに、皇女(偽)は、
「ういっす。……つーか、あたし前世の時も殿任せられて討ち死にしたっすよ。こういう運命すかねぇ」
と、さめざめ泣きながら小さく呟きます。
一方、本物の王女に大好きホールドを掛けられっぱなしの私は、「チョーク、チョーク!」必死にタップしながら、さめざめと涙を流すのでした。
とりあえず半分幽体離脱しながらファニタへ意識を向けます。
「――押しているみたいですねぇ」
カーテンを下ろした窓の隙間から外を窺うファニタですが、時折、遠くから煙が上がるのが見えるくらいで、この皇族専用馬車の周辺は静かなものです。
「当然です。どこの愚か者が襲撃してきたのかはわかりませんが、帝国と王国の誇る最精鋭部隊が終結しているのですよ。万の軍隊を揃えるのならともかく、百名程度の少数での奇襲など――ふっ。自殺行為も同然ですわ」
味方に対して絶大な信頼を寄せる王女(偽)の言動に感化されたのか、「なるほど」と、ファニタも落ち着きを取り戻して、再度カーテンの隙間から外の光景を眺めます。
「どこの馬鹿かはわからないですけど、こっちは大船に乗った気でいればいいんすね。ちゃっちゃと片付けてくれるのを待っていればいい、と」
そうこうしているうちに斥候が戻ってきて、馬車の傍に待機していた護衛隊長(王国の元帥だとか)に伝令を伝えました。
「報告いたします。敵戦力は確認しただけで百十五名。うち八十九名を無効化。三名を捕縛。残りの者は逃走したため、現在、分隊規模で追撃を行っております」
「そうか、ごくろう。捕縛した者の尋問は後ほど行おう。まずは皇女殿下をランヴィオへお連れするのを最優先する」
「はっ!」
聞こえてきたこの遣り取りに、王女(偽)は「ほら、ごらんなさい」と口の端を緩め、ファニタも「勝ったなガハハ!」と呵呵大笑しています。
……いや。なんで私の周囲の人間は、いちいち発言がフラグっぽいんだろうなぁ……と、思ったまさにその瞬間。
轟音とともに隣の馬車が爆発しました。
「「どええええええええええええええっ!?!」」
衝撃でぐらりと揺れるこちらの馬車。
ひっくり返りそうになったファニタとともに悲鳴をあげる私――というか、ファニタの目に飛び込んできたのは、粉々になった頑丈な軍用馬車の残骸と、血相を変える帝国近衛騎士団の面々。そして、
「ふはははははははははっ!!」
翼の生えた甲冑を身に纏い、頭上三十メートルほどの高さからこちらを見下ろす、灰色の髪をした青年の姿でした。
「何者だーーーっ!!」
護衛隊長の誰何の声に、二十歳程だと思える青年はオールバックにして背中でまとめている長い髪をふわさと片手で梳いて、いかにも芝居がかった仕草で朗々と謳うように答えます。
「私は元エグべリ大陸統一魔刻帝国の十二魔刻匠っ!」
「――な……っ」
「の一番弟子にして、貴様ら三大陸にのさばる劣等人種を駆逐し、偉大なる魔刻帝国を復活させるという亡きシルヴァーナ女帝陛下の遺志の下、活動を続ける『エグべリ解放機構《こだわりのある魔刻陣師の集い》』西部方面リーダー〈鋼鉄のデューク〉とは私のことだ!!」
威風堂々と言い放つ自称魔刻陣師〈鋼鉄のデューク〉。
つーか、つまりこの襲撃の実行犯である勇者は、元シルヴァーナの部下ってこと!? おまけにシルヴァーナの遺志とか、非戦平和を願う私の意志を無視して勝手に捏造されてるし!
「……つーか、あんな奴いたっすかねえ? 氷嵐の門派では見たことないし、あと少なくとも十二魔刻匠の直弟子にはいなかったと思うっすけど」
小首を傾げるファニタに大いに同意します。
「弓兵、狙えっ! 奴を打ち落とせ!」
指示を飛ばす護衛隊長と素早く準備を整える近衛騎士たちの動きを睥睨しながら、〈鋼鉄のデューク〉はにやりと爬虫類のような笑みを浮かべて、
「ふふふふふふっ。いまのは警告だ。言っておくがお前たちが倒したと思っている連中は我らの同志にあらず。単に金で雇った破落戸に過ぎん。魔刻陣師である私がその気になれば、貴様ら有象無象がいくら集まったところで意味をなさん。皇女の命など風前の灯に過ぎん」
言い放つ、その言葉の意味――もしも最初の一撃をピンポイントでこの馬車に叩きこまれていたら――を理解して、護衛隊長の厳つい面立ちが恥辱に染まりました。
ついでにいよいよクリスティン王女に締め上げられ、呼吸困難になってきた私の命も風前の灯で、鬱血して顔面が朱に染まっています。
「だが、私としても幼い皇女を進んで手に掛けたいわけではない。ゆえにこれは警告だ。皇女がランヴィオに滞在中に、貴様らが聖都と呼ぶそこに隠されているエグべリ大陸統一魔刻帝国の秘宝を我らに返還せよ。それがなされない場合は、私はこの手を幼子の血で染めることも厭わない!」
明白な脅迫と恐喝を前にして、ついに堪忍袋の緒が切れた護衛隊長が、周囲の空気を轟かせんばかりの怒りの咆哮を放ちました。
「ふざけるなっ!! 皇女殿下に対するその不敬、あの世でシルヴァーナとともに償うがいい! 全員、攻撃せよっ!!!」
「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」」」
途端、雨あられと放たれる矢と各種魔術。
さすがは選ばれた近衛騎士団だけあって、見事な的中率を誇るのですが……。
「――ふっ。このようなもの、我が華麗なる魔刻陣法の前では蟷螂の斧も同然」
鼻先で嘲笑った〈鋼鉄のデューク〉の鎧のあちこちがギミックとして開閉して、刻まれた魔刻陣が展開されました。
「魔刻陣法第二階梯“断空”」
その言葉に合わせて、デュークの前に幾つもの光る盾が現れて、近衛騎士たちの攻撃をすべて防ぎ切ります。
「……魔刻陣法というよりも、魔術との混合術っぽいすねぇ。師匠が見たら激怒しそうなお粗末な術だすね」
ファニタの呟きに同意するよりも、そろそろ私の意識が遠のいて行きます……。
「ふははははははっ。では、良い返事を待っているぞ。さらばだ!」
こちらの攻撃が通じないことで埒が明かないと判断した護衛隊長が、念のために持参した攻城兵器を組み立てるよう指示を出したところで、デュークはひとしきり小ばかにした笑いを放ちながら、頭上はるか彼方へと飛び去っていったのでした。