(6)遠ざかる少女
「リツちゃん、おはよう」
「…………」
こちらに向かって廊下を歩いてきていたリツは、僕が挨拶をすると無言で踵を返し、そのまま反対方向へと歩き去ってしまった。
……思わず、ため息が漏れた。
リツはすっかり僕を避けるようになっていた。
原因ははっきりしている。
あの日、老人に問い詰められた僕がリツのことを「怖い」と思ってしまったからだ。
それは彼女にとって裏切りだったに違いない。
僕は弁解の言葉を見つけられないまま、できるだけ普段通りにリツに接するようにしていた。だが、彼女は僕に近づくことすらも避けるようになっていた。
「リツのことだがな」
書斎の整理をしていると、蔵人老人がそう声をかけてきた。
リツとは対照的に、蔵人老人はあの日以来僕への信頼を厚くしてくれていた。
いまや、当座の現金の管理まで僕に任せてくれている。とはいえ、蔵人老人の執務机の棚に収められている札束――時には五百万円を超えるそれに触れるのは大変なプレッシャーで、あまり喜ばしいことではなかったのだが。
「リツちゃんが、なにか……?」
リツから距離を置かれている現状について、何らかのおとがめがあるのかと思った。だが、老人が口にした言葉はそんな僕の予想とはまるで異なるものだった。
「いずれこうなるとは思っていた。心を読む相手と人間同士の関係が築けるものか。あれのことは道具と割り切って、気にするな。わかったな」
「な――」
……あんまりな言い分だった。
リツちゃんを道具扱いして、なんら憚らないその言葉。
家族なのに……家族なのに、そんなことを言うなんてひどい、ひどすぎるじゃないか!
そう思った。そう思ったのに、なのに僕は――
「……わかり、ました」
そう言って、老人に対して頷いてしまった。
……僕は、蔵人老人が怖かった。
心に芽生えた感情のままに、怒り出すこともできないほどに。
……気がつけば僕は、この仕事を辞めることばかり考えるようになっていた。