(23)婚約
私はもう、部屋を出る気になれなかった。
白井さんが部屋の前に置いておく食事を部屋の中に持ち込むときと、トイレに行くとき以外、一歩も部屋の外にはでなかった。
お風呂にも入らず、洗面所にも行かなかった。
私は、自分の髪がぼさぼさで、肌はかさかさで、ひどい姿をしているとわかっていた。
だから、鏡には布をかぶせて、自分の姿が見えないようにした。
もしかしたら、私は白井さんに嫌われたいのかもしれない、と思った。
それならそれでいい、と思った。
いまみたいに、白井さんがなにを考えているかわからない状態よりは、はっきりと嫌われたほうが、気が楽かも知れない、と思えた。
最悪の想像ばかりが、夢になって現れた。
白井さんは、やっぱり私のことが大嫌いなんじゃないかと思った。
いまも、私のことを騙しているんじゃないかと思った。
私がいま、こんな風に、部屋に引きこもってみすぼらしい姿になっているのを、白井さんは残酷な気持ちで楽しんでいるんじゃないかと思った。
私は、まともな思考ができなくなっていた。
時間の感覚も無くなって、昼も夜もわからなかった。
部屋の中に充満する、自分の体臭に、吐き気を覚えた。
……助けて。
私は、気がついたら、呟いていた。
助けて、助けて、助けて。
助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて、助けて――――
「リツちゃん」
……気がついたら、目の前に白井さんがいた。
白井さんは、私の頭を撫でた。
怖かった。
私の脂ぎった髪を、気持ち悪がっているんじゃないかと思って、とても怖かった。
その気持ち悪さを我慢して、大嫌いな私を騙すために撫でてくれてるんじゃないかと思って、とてもとても怖かった。
そのうちに、白井さんが言った。
「リツちゃん。僕は、君に対してどうしたらいいのかわからない。でも、それでも僕がどうするのかを、君にわかって欲しい」
「…………」
黙っていると、白井さんはポケットから、小さな箱を取り出した。
「僕は、ずっと君と一緒にいるよ――結婚しよう、リツちゃん」
「け……こん……?」
白井さんの差し出した箱の中には、指輪が入っていた。
……はっとして、気づいた。
私は、三月の誕生日を過ごして、もう十六歳になっていた。
白井さんは、私と結婚をすると言って……
「……なん、で?」
「え?」
私が呟くと、白井さんが目を見開いた。
私は、ハッとした。
なんで、と訊いてしまった。訊いてしまったのだ。
……バレた。
私が、もう、白井さんの心が読めていないと、バレてしまった。
「……リツちゃん、もしかして――」
白井さんが何かを言おうとする。
私は、もう、駄目だった。
ぶるぶると震える腕を振り回して、泣きながら、叫んだ。
「出てって!! 出てってください!! 出てってぇぇぇ!!」
私は、白井さんの胸や顔をひっかいた。爪が痛かった。指が痛かった。
気がついたら、白井さんの頬から血が流れていた。
私は、立ち上がって、白井さんを必死に追い返そうとした。
「リツちゃん……リツちゃん!」
白井さんは、血を流しながら、それでも私に向かってきた。
そして、私を、両腕ごと、力強く抱きしめてきた。
「リツちゃん、大丈夫、大丈夫だから!」
「やあああああ、や、やああああ!! あ、あああああああああああああ!!」
私は叫んだ。叫んで、暴れた。
もう、何をどうしたいのかもわからなかった。
全部、なにもかもが、限界だった。
「ああああああああああああああ!! ああああああああああああああ!!」
喉が激しく痛んだ。でも私は叫び続けた。




