(11)少女型嘘発見器
僕は洗面所で涙をぬぐい続けていた。
書斎を出た瞬間に溢れてきた、わけのわからない涙。冷たい水で顔を洗っても、それはなかなか止まらなかった。
しばらくして、ようやく少し落ち着いてタオルで顔をぬぐっていると――
足音。顔を上げると鏡の向こう、洗面所の入り口の前を影が横切るのが見えた。
僕は咄嗟に洗面所から廊下に飛び出した。
リツがいた。こちらに背を向けて歩いていた彼女が、立ち止まる。
「…………」
彼女は立ち止まったまま、ただじっとして黙っている。
……僕が話しかけるのを待っている。
そう、僕は彼女に、話をしなければならなかった。
「……リツ、ちゃん」
「はい」
彼女が振り向く。
彼女はもう、視線を逸らしたりはしなかった。
笑ってはいない無表情、それでも確かにどこかスッキリとした印象のある瞳をまっすぐ僕に向けてきていた。
「……あの……」
さっきの件について口にするのには……激しい抵抗があった。
だが、リツはじっと僕の言葉を待っている。心を読んでいるはずなのに、僕がはっきりと口にするまで待っているのだ。そして僕は、彼女の要求に従うしかなかった。
「…………さっきの。なんで、あんなこと……言ったの?」
「……白井さん」
リツが一歩、僕に近づいてくる。
その、表情。それは、僕が初めて見るリツの表情だった。
瞳が潤んでいる。頬には柔らかな朱が差して、唇には艶が浮かび、睫毛が広がるように上を向いている。
――女。
その表情は、彼女が『女』であることを鮮烈に訴えていた。
そして彼女は、いつもよりわずかに高い声で言ってきた。
「白井さん、私は――あなたのことを、愛しています」
それは僕の質問に対する答えのようで、しかし――単なる告白のようでもあった。
ゾッとした。
ゾッとしたが、しかし僕はまだその感覚の正体をわからずにいた。
それがはっきりしたのは、リツの次の一言によって。
彼女は言った。
「白井さんは私のこと、愛してますか?」
「っ」
……彼女は。
彼女は人の心を読む。
だから、わかっているはずなのだ。
知っているはずなのだ。
僕が、彼女を恋愛対象としては見ていないということを。
そして、僕には、僕にはもう、山本……
山本雪菜という、結婚を約束した、心から愛する恋人がいるということも。
「……白井さん?」
答えを促すリツの言葉。
まっすぐにこちらを見る女の顔。
僕は、恐怖の正体を理解していた。
僕は、彼女に弱みを握られている。
僕は、彼女を拒むことができない。
僕のことを、彼女は――脅迫してきている。
……僕の心を読む彼女が、鼻で笑うように、小さく息を吐いた。
僕は――頭の中が麻痺したような感覚の中で、たどたどしく答えた。
「……リツちゃん。僕も、リツちゃんのことを、あ――愛してる、よ」
「本当ですか!? 嬉しい! 私たち、両思いだったんですね!」
リツは、まるで以前の彼女とは別人のように明るくハシャいで喜んで見せた。
……僕の目からはなぜか再び、涙がじわりとあふれ出していた。
蔵人老人の激高に対する怯えとは異なる――神経の一本一本を蝕むような冷たい恐怖に支配されていくのを、僕は感じていた。奇妙に落ち着いた気分で、ただ心の底だけが死んだように冷え切っている。
そんな僕に、リツは頬を染めた笑顔で、以前と同じ言葉を投げかけてきた。
「――辞めないでくださいね、白井さん」
第一幕終了です。
第二幕へと続きます。