第07話:世界の管理者と叛逆者(1)
ここから起承転結の転。
アラタとミリアの交流は定期的に続いていた。
時折アラタがジャブのような問い掛けを放つも、慣れてきたのかミリアは最初の時のような大きな反応を示すこともなくなってきている。アラタにしてみれば彼女の反応を引き出さなければ任務が達成出来ないため決して望ましいことではないのだが、心の何処かにそういったしがらみを疎ましく思う気持ちもあり、手掛かりを得られないことに対する僅かな焦りを感じながらもミリアと言葉を交わすことを楽しむようになっていた。
一方のミリアの方も、同級生の友人達では出来ないような会話が出来ることもあり、アラタと会う機会を楽しみにしていた。勿論、同級生達との交流自体も大切にしては居るのだが、偶には趣味にしている本のことで語り合ったりしたいという欲求がある。時折、相手が年上の男性であることを思い出して無性に恥ずかしく感じてしまうこともあるが、努めて表には出さないように気を付けている。幸か不幸か、感情を表に出さないことに関しては、彼女の得意とする分野だった。
そんなある日、喫茶店でアラタと談笑していたミリアは、ふと気付くと予定よりも時間を大分過ごしてしまい、焦ることになった。どうやら、話に熱中し過ぎてしまったようだ。後ろ髪を引かれる思いを噛み締めつつ、対面に座るアラタに帰宅を告げた。
「ごめん、もう帰らなきゃ」
「ああ、もうこんな時間か。送っていかないで、大丈夫か?」
「大丈夫、一人で帰れる」
ミリアは慌てて立ち上がると、早足で店を出ていった。
珍しく慌てた彼女の様子に苦笑していたアラタだったが、ふとつい先程まで彼女が座っていた席の方に目を向けると、そこに彼女の鞄が置き去りになっていることに気付いた。
思い返してみると、今日のミリアは普段持っている鞄の他にもう一つ鞄を持っていた。おそらく学校から何かを持ち帰ってきたのだろう。しかし、普段は一つしか鞄を持って居ないこともあって、慌てるあまりに片方を置いていってしまったものと思われた。普段と異なる行動を取った時にありがちなことだ。
「おいおい……」
次に会った時に渡すという手もあるが、それだといつになるか分からない。中身にも拠るが、場合によっては彼女が困ることも考えられる。端末にメールを送ることも考えたが、あの慌てた様子だと送ったメールに気付くのは家に帰ってからになりそうだ。
彼女が店を出てからまだそれほど時間が経っていないから、自分の足で急げば追い付くことも出来るだろう。そう考えたアラタは、鞄を手に取ると店を出てミリアの家の方へと駆け出した。
果たして彼の予想通り、数分程走ると彼女の姿が見えてきた。
「居たか……ん? なんだ?」
ミリアに追い付いてアラタがホッと安堵するのも束の間、すぐに様子がおかしいことに気付いて彼はその表情を険しくした。視線の先に居る彼女は一人ではなく、複数の人間に囲まれるように立っていたのだ。その上、彼女を囲んでいる者達は何れも黒のスーツを纏った堅気とは思えぬ格好だ。それはまるで、絶滅危惧種であるヤクザか何かのようだった。尤も、そんな分かり易い極道は善行システムの普及により、とうの昔に成り立たなくなって廃れているのだが。今の世の中の極道はもっと巨大で、社会の陰に隠れている。
場所は人通りの薄いところで、陽が落ちかけていることもあり彼ら以外の人影はない。おそらくアラタがミリアを追い掛けて来なければ、誰の目に留まることもなかっただろう。
最初アラタはミリアを取り囲んでいるのは全員男性だと思っていたが、後方から追い掛けてきた彼から見てちょうと彼女の影に隠れる場所──すなわちミリアの正面に一人の少女が立っていることに気付いた。
その者はミリアと同じくらいの歳に見える金髪の少女で、東欧系の顔立ちをしていた。まるで人形のように整った顔立ちだが、それゆえに周囲に冷たい印象を与えている。彼女も周囲の男たち同様に黒いスーツを着ていた。それも女性用ではなく男性用のものを。年齢といい性別といい場の雰囲気にそぐわないようにも見えるが、彼女はミリアを取り囲む男達の中心に立っており、彼らを指揮する立場のようだった。
「おい、何をしている!?」
「──────ッ!」
「アラタ!」
険呑な雰囲気を放っている場に向かいアラタが一喝すると、ミリアを囲んでいた者達が驚愕と共に彼の方を睨み付けた。ミリアもアラタのことに気付き、声を上げる。そこには、救いを得た喜びが籠められていた。
男達のうち何人かが反射的にジャケットの裏へと手を伸ばす。しかし、それを見た少女は彼らに対して制止を命じた。
「やめなさい」
少女の命令を受け、男達は素直に引き下がる。少女はそのまま、目の前に立っているミリアへと話し掛けた。
「どうやら邪魔が入ってしまったようですね。仕方ないのでここは一旦引きますが、近い内にまた訪ねます。その時には良いお返事が聞けることを願っていますよ、──────」
囁くように告げられた最後の部分は少し離れた場所に居たアラタの耳には聞こえなかったが、間近で聞いていたミリアには聞こえたのだろう。彼女の表情がハッキリと強張ったのが、アラタにも分かった。
「それでは、失礼致します」
「!? 待て!」
少女は丁寧に一礼すると踵を返し、男達を伴ってその場から立ち去っていった。一瞬彼女達を追い掛けようかと考えたアラタだが、この場にミリアを残していくのも危険だと考えて思い留まる。
少女達の姿が見えなくなると、ミリアは気が抜けたのかその場に座り込んでしまった。アラタは慌てて彼女の近くに駆け寄ると、隣にしゃがみ込みながら声を掛けた。
「大丈夫か?」
ミリアは声を掛けてきたアラタの方を見上げるように顔を向けると、無言のままこくんと頷いた。座り込んだ彼女の姿を上から下まで眺めて、どうやら怪我などは無さそうだと胸を撫で下ろした彼は、彼女に提案する。
「あの少女達のことについて聞きたいが、取り敢えず今は安全な場所に移動しよう。此処からならミリアの家の方が早いな。立てるか?」
「うん、ありがとう」
アラタに差し出された手を取り、ミリアは立ち上がった。が、膝に力が入らずふら付いてしまい、アラタが支えるために伸ばした手にしがみ付く形で何とか転倒するのを避ける。そのせいでまるで彼の腕に胸を押し付けるような形になってしまったが、焦りを浮かべた二人はそのことにはすぐに気付かなかった。
「立てそうにないか?」
「大丈夫、ちょっとふら付いただけ」
不安そうにするアラタに大丈夫だと首を振り、ミリアは改めて一人で立った。先程と違って予め備えていたため、ふらつく様子はなくきちんと自分の足で立つことが出来たようだ。それを見たアラタは、大丈夫そうだと判断して手を引いた。
その時になって初めて先程の自分の姿勢を思い出したミリアは密かに顔を赤く染めたが、幸いというべきかアラタがそれに気付くことはなかった。朴念仁とも言える彼の反応に安堵と僅かばかりの不満を抱きながら、彼女は溜息を吐いた。
「これ以上暗くなる前に移動するぞ」
「うん」
二人は周囲を警戒したまま、近くにあるミリアの家まで歩いていった。
数分後、二人は彼女の家に着いたが、アラタは家の灯りが付いていないことに気付いた。まさか先程の連中が家の方も襲ったのかと一抹の不安を覚えたアラタは、ミリアにそのことを尋ねた。
「家には誰も居ないのか?」
「この時間は私だけ。お母さんは仕事からまだ帰って来ない」
それを聞いて襲撃があったわけではなさそうだと安心し掛けたアラタだが、別の問題があることに気付いた。先程までは家に送り届ければそれで大丈夫だと思っていたが、今聞いた答えからすると彼女は家に一人になってしまうことになる。せめて親が帰ってくるまでは一人にするべきではないのではないかと迷うアラタを置いて、ミリアは家の扉を開いて彼の方を向き直った。
「上がっていって」
「……ああ、そうさせて貰うよ。念のためにご家族が帰ってくる頃までは一人で居ない方がいいしな」
彼女を一人にすることを危険だと考えていたこともあり、ミリアの誘いに従って彼は家の中へと足を踏み入れた。居間へと案内されたアラタは、勧められるままにそこに置かれていたソファへと腰掛ける。
「コーヒーでいい?」
「ああ」
ミリアは鞄を置いて台所の方へと入っていった。そんな彼女の背を見送りながら、アラタは今の中を見回す。しかし、見る限りはごく普通の一般家庭の居間であり、特におかしいところは見当たらなかった。
暫くして、ミリアがお盆にカップを二つ載せて戻ってきた。片方はコーヒー、もう片方にはカフェオレが入っているようだ。カフェオレの方は彼女自身のものだろう。このメニューは、喫茶店で会う時も二人のお決まりのパターンだった。
「はい」
「ああ、すまない」
「砂糖とかミルクは無しでいい?」
「ああ、いつも通りだ」
アラタは差し出されたカップを受け取り、礼を言った。ミリアも自分のカップを持って反対側のソファへと座った。
「さっきは助けてくれて、ありがとう」
「ああ、それは構わないんだが……何があったか聞いてもいいか?」
「それは……」
アラタの問い掛けに、ミリアは答え辛そうにして俯いた。
冷静に思い返してみれば、ミリアを取り囲んだ者達の行動には違和感があった。善行システムの支配下において、脅迫や誘拐などの犯罪は激減している。そのようなことをすれば、特大のマイナス評価となり生活もままならなくなるためだ。もしもあり得るとすれば、「気高き狼」のような善行システムの支配を逃れている者達による犯行か、あるいは後先考えていない突発的かつ感情的な犯行くらいだろう。
しかし、あの時彼女を取り囲んでいた者達はそうではなかった。あの時の金髪の少女やその周囲に居た黒スーツの男達は首輪を巻いていた。反対派の武装勢力ではないのは明らかだ。しかし、明らかに組織的な行動であり、突発的な犯行というのも考え難い。
また、取り囲まれたミリアの反応も気に掛かった。普通、突然あのような形で怪しい男達に囲まれれば、驚きを覚えるものだろう。しかし、彼女には動揺している様子は見られても、驚いているという感じではなかった。加えて今のこの態度を見ても、彼女はあのような者達に狙われる心当たりがあるとしか思えない。
とはいえ、今の彼女から聞き出すのは難しそうだった。
「言い難いことか?」
アラタがそう聞くと、ミリアは申し訳なさそうな表情を浮かべながら頷いた。予想通りの反応に、アラタは深い溜息を吐いた。その溜息を聞いた彼女はビクッと身を震わせた。
「分かった、それなら今は聞かないことにする」
「いいの?」
「あまり良くはないが、無理矢理聞き出すようなことをするつもりはないからな」
「……ありがとう」
今はこれ以上聞かないと言い放ったアラタの言葉を聞き、ミリアは明らかにホッとしたような表情を浮かべる。
「それより、これからのことを考えよう」
「これからのこと?」
「あんな奴らに狙われてると分かった以上、これからはあまり一人で行動しない方がいいだろう。いつまたやって来るか分からないしな」
それは、ミリアの反応も踏まえての結論だった。狙われる心当たりがありそうな彼女の反応を考えるに、相手は決して誰でも良いというわけではないだろう。アラタにはその理由は分からないが、彼女だからこそ狙っていると考えるのが自然だ。そして、去り際に聞いたあの金髪の少女の口振りからすれば、あれで諦めたわけでもなさそうだ。彼女達は高い確率で、再びミリアの前に現れるものと思われる。
そして、それが分かっているのならミリアを一人で行動させるのは自殺行為でしかない。勿論あの集団が人目のあるところで襲って来ないという保証は全く無いが、少なくとも一人で居るよりは安全だろう。
「でも、学校が……」
アラタの指示に、ミリアは困惑した声を上げた。彼女がそんな反応をするのも無理はない。高校生である彼女としては、学校に行かないというわけにはいかない。短期間なら休むという選択肢もなくはないが、あの集団がいつ来るかが分からない以上はその手を採ることも不可能だ。明日襲ってくることもあれば、半月後かも知れない。相手の目的が分からない以上、いつなら大丈夫という保証もない。
「家族に送り迎えをしてもらうことは?」
「無理。お母さんにも仕事がある」
駄目元で聞いてみたアラタだが、結果は案の定だった。実際、今も家に居らず仕事に出掛けているだろう彼女の母親には、送り迎えをすることは困難だというのは予想の範囲内だ。母子家庭である彼女の母親に、仕事を辞めろというわけにもいかない。徒歩をやめてタクシーなどを用いるという手はあるものの、経済的にもかなりの負担が発生してしまう。
そうすると、採れそうな手段は一つしかない。
「仕方ないな、俺が送り迎えをするしかないか」
「!? でも、流石にそこまでしてもらうのは……」
「遠慮したせいで攫われたら大変だろう。それに、俺としても知ってしまった以上は出来ることをしないと、万が一の時に寝覚めが悪いしな」
その後もしきりに遠慮していたミリアだったが、やがてアラタに圧されて彼に学校への送迎をしてもらうことを受け入れるのだった。
アラタは翌日の朝に家の前まで迎えに来ると約束し、ミリアの母親が帰ってくる頃合いを見計らって彼女の家を辞した。彼女が謎の集団に狙われていることについて彼女の母親に話すべきかについては幾らか迷ったが、母親に心配を掛けたくないというミリアの懇願を受けて一先ず保留としておいた。
◆ ◆ ◆
翌日、アラタはサユリを伴って車でミリアの家の前まで乗り付けていた。
アラタは家の前に車を停めて端末から彼女へとメールを送付する。すると、直に玄関のドアが開いて中から制服を着たミリアが出てきた。
彼女は車に駆け寄ってくると、運転席の窓から顔を見せたアラタに声を掛けた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
彼と挨拶を交わしたミリアだったが、後部座席に座る第三者の存在に気付いて怪訝そうな様子を見せた。
「?」
「ああ、俺一人だけだと手が回らないこともあると思ってな。彼女にも手伝ってもらうことにした」
「川合サユリです。ミリアちゃん、よろしくね」
「……よろしくお願いします」
初対面の相手に警戒したのか、ミリアは一歩引いたような態度でサユリと挨拶を交わした。しかし、サユリの方はそんな彼女の態度に気付きながらも咎めることはせずに温かく微笑んでいる。
「さぁ、あまりのんびりすると遅刻するぞ。乗ってくれ」
「うん」
アラタの促しを受けて、ミリアはサユリが開けたドアから後部座席に乗り込んだ。
彼女が車に乗り込んだことを見届けて、アラタはパネルを操作してドアを閉じると車を発進させた。
「………………」
「ん? どうしたの?」
アラタが運転する車の後部座席で、ミリアは隣に座っているサユリの方をチラチラと見ていた。気にしているのが丸分かりの態度だ。彼女は運転席で車を操縦しているアラタと隣に座るサユリを何度も繰り返し見て、小さな声で一言だけ呟いた。
「どういう関係、ですか?」
「え?」
ミリアの問い掛ける声は小さく、聞こえたのは隣に座るサユリだけだった。アラタは聞こえた様子もなく運転を続けている。
サユリは最初首を傾げていたが、アラタと自分を見るミリアの仕草を見てピンと来たのか、苦笑しながら答えた。
「ああ、先輩と私の関係が気になっているのね」
「先輩?」
「ええ、仕事の先輩よ」
サユリの言葉を聞いてミリアは一応の納得を見せるが、それでもまだ警戒心を捨て切れていないようだ。しかし、それも無理はないだろう。ミリアの送迎など仕事の延長線上である筈もないので、私的なことに分類される筈だ。そんな私用に付き合う後輩がただの後輩とはミリアには思えなかった。しかし、必要以上に追及することに躊躇し、その場でそれ以上は問うことはなかった。
少しだけ気まずい空気が流れる車で、ミリアは学校へと送り届けられた。
◆ ◆ ◆
鍵の掛けられた薄暗い部屋で、一人の女性が突然掛かってきた通信へと応対していた。紫色の髪を伸ばしたその女性は、アラタ達の上司に当たる改竄犯罪取締室の室長である鳳レイだった。
改竄犯罪取締室はその職務の性質上、基本的に他の組織と関わることはあまりない。指揮命令系統も独立しており、彼女が畏まって応対する相手というのはかなり限定されているのだ。しかし、当然ながら一つの組織である以上はしがらみからは完全に逃れることは出来ない。限られてはいるものの、彼女にも無碍には出来ない相手は存在する。今彼女が応対している相手も、そうだった。
「どうしても、ですか」
『ああ、悪いが彼らの機嫌を損ねるわけにはいかん。彼らが何故高校生一人に拘っているのかは分からんが、要求には応えるしかない』
通信相手からの指示に、鳳室長は渋面を作る。
「その為に、罪もない少女を生贄に差し出すというのですか?」
『やむを得ん。それに罪がないというのは正確ではあるまい? 疑義リストに載っている相手なのだろう』
「そうですが、まだ罪が確定したわけではありません」
なおも食い下がろうとした室長だが、相手の男性はゆっくりと首を横に振った。
『いずれにせよ、決定は変わらん。鳳室長、これは命令だ』
「……了解しました」
話を一方的に打ち切られ、命令を下される。それに対して、彼女には逆らう術はなかった。
通信が切れ、一人会議室に残された彼女は誰にともなく謝罪の言葉を呟いた。
「ごめんなさい……」