第06話:それぞれの日常(幕間)
「え?」
授業の合間に友人から投げ掛けられた問いに、ミリアは思わず呆気に取られた。そんな彼女の様子をとぼけて誤魔化そうとしていると受け取ったのか、問いを投げた少女は少しムッとしたような表情になる。
「だからぁ、昨日ミリアがショッピングモールで一緒に歩いていた年上っぽい男の人よ。あれ、誰だったの? もしかして、彼氏?」
「────ッ!?」
質問の意味が数秒遅れて頭に入ったのか、ミリアは軽く顔を引き攣らせた。尤も、あまり感情を表に出さない彼女だからこそこの程度の反応であり、内心では飛び上がって驚いているのだが。
「きっとそれは人違い」
「そんなことないわよ。この目でしっかりと見たんだから。ミリアがめかし込んであの格好いい男の人と一緒に歩いてるところ!」
誤魔化そうとしたミリアだったが、生憎と友人の少女は人違いではないと断言しており、分の悪さがヒシヒシと感じられた。
「これ以上シラを切るつもりなら、学校中に言い触らして──」
「降参する、それはやめて」
「素直でよろしい」
怖ろしい脅しを口にした友人に、ミリアは観念して白旗を挙げた。自身と新たに出来た年上の友人の噂が学校中に広まるなど、悪夢でしかなかったからだ。
勿論、友人として正しく伝わるのならそれほど問題はないのだが、放っておいたらまず間違いなく恋愛沙汰にされてしまうだろう。そんなことになれば、アラタにも迷惑を掛けかねないし、何よりも恥ずかしい。
目撃されてしまっていた以上は自分が男性とショッピングモールを歩いていたことは認めるしかないが、彼氏云々についてはきっちりと否定しておかなければ結局広まりかねないと、ミリアは目の前の友人の説得に掛かった。
「確かにあの人と一緒に映画を見には行ったけれど、別に付き合ってるとかじゃない。ただの友人関係」
「え〜?」
ミリアはアラタとの関係について友人の誤解を解こうとするが、どうも信じられてはいないようだ。懐疑的な視線を向けられてしまう。
「そのわりには随分とお洒落してたみたいだけど」
「友人に対する最低限の礼儀」
勿論、嘘である。彼女はアラタとのデートにどんな格好で行くか、前日の夜に散々悩んでから決めていた。
しかし、そんなことを口に出せば目の前の少女の思う壺だ。
「じーーーー」
「………………」
声に出して見詰めてくる友人に、ミリアは無言で見詰め返した。ここで目を逸らしたら、負けだ。尤も、この手の無言のやり取りは彼女にとって得意分野であり、全く以って負ける気がしなかった。
そして予想通り、先に音を上げたのはミリアではなく友人の方だった。
「もう、強情ね」
「私は本当の事しか言ってない」
「そういうことにしといてあげるわ」
今のところは、と付け加えられた台詞に、ミリアは大きな疲労感を覚えて内心で溜息を吐く。どうやら、目の前の友人は何としてもミリアに恋人が居てほしいようだった。
もっとも、別段彼女は他人の恋愛話に首を突っ込んで暴き立てるような性質の悪い趣味を持っているとかそういうわけではない。ミリアの友人である少女の思いとしては、とても単純なものだった。
すなわち、もったいない……だ。
この白い髪の少女は整った顔立ちをしており、多くの男子から熱い視線を向けられているにも関わらず、これまで欠片も男っ気を見せなかったのだ。勿論、それは彼女のあまり社交的とは言い難い性格と無表情振りに近寄るのを躊躇してしまう意気地のない男達のせいでもあるのだが。
そんな高嶺の花とされている彼女が休日にお洒落をして年上の男と逢引する姿を見掛けてしまったのだから、すわ一大事と反応を示すのも無理はない。
「で、付き合ってないのは信じるとして、貴女としてはどうなの?」
「っ!?」
追及が済んだと油断していたミリアは、その追撃に思わず息を呑んだ。どうだと問われて咄嗟に返す言葉に迷ってしまう。
少なくとも、今現在ミリアとアラタは単なる友人同士という認識で間違いはない。しかし、それはあくまで今現在の話だ。ならば果たして未来ではどうか、あるいは自身の想いとしてはどうなりたいのか。彼の横に居る自分を想像しなかったと言えば嘘になる、とミリアの思考は迷走し始める。
思わず真剣に考え込んでしまった彼女を見て、にんまりとした表情を浮かべた友人の姿に、ミリアは遅ればせながら自身の失策を悟った。
「ああ、うん。もういいわ。大体分かったから」
「待って。きっと貴女は誤解してる」
「いいからいいから、ちゃんと応援してあげるってば」
「お願いだから、話を聞いて」
慌てて弁解しようとしたミリアに、彼女はみなまで言うなと手を振る。彼女の中では完全に、ミリアが片想いをしていると決め付けられてしまったようだった。
彼氏が居るというのと同等かそれ以上に、片想いの友人を応援するというのは少女のハートに火を付けてしまったようだ。
恋愛のアドバイスをし始めた友人に辟易としながらも、ついつい彼女の言葉に興味を引かれてしまうのは、ミリア自身内心で求めていることだからだろうか。
それはまだ、彼女自身にも分からない──。
◆ ◆ ◆
「お疲れ様でした、真崎先輩」
「ああ」
後輩のサユリと軽く挨拶を交わしながら、アラタは自分のデスクに着いた。ミリアが学校に居る時間帯は尾行も困難であるため、オフィスに戻るようにしているのだ。流石に、学校の中まで潜り込むのは中々に難しい。教師や生徒として潜入する案も無くはなかったが、彼女との交流が逆に難しくなるとして却下となった。ついでに言えば、幾らアラタが年齢よりも大分若く見えるとはいえ、流石に高校生に扮するのは無理があった。サユリなら行けるかも知れないが。
改竄犯罪の被疑者を監視して証拠を掴むのが彼ら取締官のメインの仕事だが、実際には四六時中尾行のみをしているわけではない。
そもそも、取締官というのは単独で捜査を行っているわけではなく、それをサポートする役割を持った者が幾人も居る。主なところでは、被疑者の客観的な情報を集める調査官と取締官の指示を受けて様々な補助を行う補助官が挙げられる。
アラタがミリアが通っていた喫茶店でさり気なく相席になるために席を埋めていたのは、後者の補助官だ。前者の調査官は主に過去の経歴などを詳細に調べ、取締官にレポートを送ってくる。
取締官は現場で自ら動く捜査官であると同時に、これらの調査官や補助官を統括して動かすチームリーダーの役割も担っているのだ。
今、アラタが読んでいるのは新たに調査官から送られてきたミリアの経歴のアップデート情報だ。
「何か新しいこと載ってました?」
ディスプレイに表示されたレポートに目を通していたアラタに、隣の席のサユリが問い掛けてきた。彼は、レポートから目を離すと首を横に振って答える。
「いや、目ぼしい情報はなさそうだな」
残念ながらと言うべきか、あるいは幸いなことにと言うべきか、調査官からのレポートには特段の更新情報は存在しなかった。
「ところで、何故俺に聞くんだ? レポートはそっちにも届いてるだろう?」
横に座る後輩の女性の方に首を向けながら、アラタは疑問に思ったことを問い掛ける。サユリもこの案件に取締官として関わっているため、調査官からのレポートは彼女の方にも届いている筈だった。それにも関わらず、何故かアラタに内容を尋ねた彼女に、彼は僅かに目を細めた。もしもそれが自分で読むのが面倒などの理由であれば、説教をしなければならないと考えながら。
アラタの視線に不穏なものを感じ取ったのか、サユリは慌てて顔の前で手を振って弁解を始めた。
「いえ、勿論私の方にも届いてますし、目は通しましたけど……」
「けど、なんだ?」
「真崎先輩、調査官の人に何か追加の依頼を出されてたじゃないですか。それの結果はどうだったのかな、って」
「……ああ、そういうことか」
サユリの答えを聞き、アラタは納得の声を上げた。どうやら、今のところ説教の必要はないようだった。
調査官は基本的に被疑者の過去の経歴を調べられるだけ調べるが、場合によっては取締官からその調査の方向性に注文を付けることがある。調べていけば何れ辿り着くことであったとしても、早いに越したことはないからだ。
今回、アラタも調査官に対してミリアの経歴調査に一つの要請を加えていた。
「さっきも言った通り、目ぼしい情報はなかった。元々、何か見付かれば御の字程度の期待だったから、特に気にしていない」
「そうですか。一体、何を調べてもらったんですか?」
「須藤ミリアが過去に反対派のグループと接触したことがあるか、だ」
「え!?」
アラタが調査官に依頼したのは、ミリアが首輪法反対派のグループに関わった過去があるか否かだ。
先日ショッピングモールの一件で反対派のテロ行為に遭遇した時、彼女は明らかに何かを考え込んでいた。そのことから、過去に何か関係があった可能性を考え、調査官に調べてもらったのだ。
しかし、結果はシロ。ミリアが反対派に接触した経歴は勿論、そのような主義主張を口にしたこともなかった。尤も、アラタも彼女が反対派の思想に傾倒しているとはとても考えられなかったため、念の為の域を出ない調査だったわけだが。
(だが、そうだとしたら彼女はあの時何を考えていた?)
取締官は人間観察のスペシャリストであり、為人を見抜くことに関しては特に長けている。また、そうでなければならない職種だ。勿論、アラタも一等取締官として、自分の「目」には絶対の自信を持っている。
ミリアは反対派の存在に何か思うところがある。それは間違いない。しかし、彼女が反対派と関わった過去は見付からない。
出口の無い思考の迷路に迷い込みながら、アラタは白い髪の幼げな少女の姿を思い浮かべながら仕事を処理していった。