第04話:取締官とチート少女(2)
何度も相席になった相手とほぼファーストコンタクトに近い会話を交わした翌日、ミリアは普段よりも気持ち急ぎ足で下校していた。友人達から一緒に帰らないかという誘いもあったのだが、全て用事があるからと断っている。勿論その理由は、前日に交わした青年との約束のためだ。
普通に歩いても十分間に合う時間なのだが、ミリアは気が急いて自然と急ぎ足になってしまっていた。しかし、慌てて早足で来たと思われたくないと思い、店の近くまで来たところで彼女は歩調を緩めて普通のペースへと戻した。
彼女が喫茶店の前に着いた時、既にそこには約束を交わした青年が立って待っていた。そのことに少し慌てて端末で時刻を確認するが、まだ十五時四十五分……約束の時間よりは十五分も早い。自分が遅刻したわけではないとホッと安堵したミリアは、彼に近付いて声を掛けた。
「こんにちは」
彼女が声を掛けると、喫茶店の前に立ってディスプレイで何かを見ていたアラタはそれを消して彼女の方へと向き直った。
「ああ、こんにちは。時間通りだな」
「当たり前」
実際にはかなり慌てていたのだが、そんなことはおくびにも出さずにミリアは平静を装って回答する。敬語はなしでよいと言われたので、素のままの喋りに戻していた。
「それじゃ、行こうか」
「うん。でも、何処に行くの?」
アラタからは妹への誕生日プレゼントを探すと言われていたが、具体的に何を買うとか何処の店に行くとかの話は一切されていない。ここから何処に向かうのか気になったミリアは、アラタへと問い掛けた。
「プレゼントは小物のようなもので考えているんだ。取り敢えず、こことステーションの間にある雑貨屋に行くつもりだよ」
「分かった」
お店が既に決まっているというのなら、ミリアの方にも否はない。
彼女は一つ頷くと、ステーションの方角へと歩き出したアラタの横に並ぶように足を進めた。そこまで決まっているのなら自分が手伝うことなど残ってないのでは、という思いが一瞬脳裏をよぎったが、すぐに消えた。
隣に立って歩いている背の高い彼の方に、チラリと見上げるように視線を向けたミリアは気になっていたことを問い掛けた。
「アラタは大学生?」
「うん?」
ミリアの問い掛けにアラタは首を傾げた。
「いや、これでも社会人なんだが……見えないか?」
「見えない」
予想外のアラタの答えに、ミリアは思わず反射的に答えてしまった。答えてから、失礼なことを言ってしまったと内心慌てるが時既に遅しだ。
しかし、彼女がそう思ってしまうのも無理はない。隣に立つ青年はどう見ても大学生、もしも制服を着ていれば高校生と言われても違和感がないくらいなのだから。まさか社会人だとは思ってもいなかった。尤も、外見年齢という点においては中学生にしか見えないミリアはあまり人の事は言えなかったりするのだが。
改めて姿を眺めても感想は変わらず、失礼な発言のフォローをしようとして出てきた言葉は、結局先程と同じものだった。
「見えない」
「……二度言わなくても分かってる」
「ごめん」
どうやら、この青年は童顔に見える外見のことに多少のコンプレックスを抱いているようだ。その気持ちは、同じ悩みを持つミリアにもよく分かる。
とはいえ、社会人に見えないものは見えない。その点では嘘は吐けないミリアだった。ついつい、疑いの目を向けてしまう。
「本当に社会人?」
「ああ、こんなことで嘘を吐いても仕方ないだろう?」
「それはそうだけど……仕事は?」
童顔という外見上の特徴以外にもう一つ、ミリアが彼のことを大学生だと思った理由が存在する。
彼はミリアが学校帰りに喫茶店に寄った時によく相席になっていたのだ。時間帯としては社会人の大半がまだ業務時間中である筈の時間に、だ。そのため、ミリアはアラタのことを比較的時間の余裕がある大学生だと勝手に想像していた。
「ああ、別にサボってるわけじゃない。少し勤務時間が変則的な仕事に就いているだけだ」
「何の仕事?」
「『システム』が正しく稼働するように保守する仕事……と言って分かるか?」
「なんとなく」
まだ高校生のミリアにとっては想像の域を出ないが、少なくともすんなりと答えが返ってきたことから彼が本当に仕事をしていることは分かった。
相手が想像していたよりも年上だったと分かり口調を改めるべきかと考え込むミリアだったが、どのみちもう遅いと諦めることにした。開き直ったとも言う。それに、素に近い話し方の方が何となく好ましかった。
「ああ、此処だな」
話しながら歩いている間に目的地に着いていたらしく、アラタが顔を上げてそう告げた。釣られるようにミリアが顔を上げると、目の前にはこじんまりとしたお店が建っていた。個人経営のお店らしく、手作り感のあるオブジェなどが入口を飾っている。可愛らしい感じのお店は、ミリアとしても好感触だった。
木製の扉には「OPEN」の文字が書かれたプレートが掛けられている。扉の前に立った二人は少しの間お店の外観を眺めていた。
「さて、ここにいても仕方ないので取り敢えず中に入るとしよう」
「ん」
アラタがドアノブを捻って扉を押す。すると、カランカランとドアベルの音が涼やかに響き渡った。彼の後ろに続いて店内に入ると、ミリアの視界に様々な小物や雑貨が所狭しと並べられているところが映った。
「これは凄いな」
「うん、驚いた」
商品は大量に並んでいるが、種類や大きさごとにきちんと整理されており、雑然とした印象はない。
一番多いのは動物を模った陶器製の人形のようだ。犬や猫から始まって、ペンギンや蛙など様々な種類の動物をデフォルメしたものが並んでいた。壁には色とりどりの壁掛け時計が掛けられている。その横の棚にも小物入れなどが並んでいた。
「で、この中から選びたいんだが……」
アラタにそう言われ、ミリアは内心で困っていた。
元々、彼女が此処に居るのはアラタに妹用の誕生日プレゼントを買うのを手伝ってほしいと言われたためだ。勿論、手伝うというのは荷物持ちのような物理的な手伝いではなく、同じ年頃の少女として意見を述べることを期待されている。つまり、ミリアはこの中から良い物を選ぶアドバイスをしなくてはならない。
しかし、この大量の商品の中から一品選ぶというのは中々に骨が折れそうな仕事だった。少なくとも、何らかの指針などがないと流石に選び出すのが難しい。何でもいいというオーダーが一番厄介だ。
「お互いにもう少し細かく眺めてみるか」
「ん、そうする」
悩んでいたミリアは、アラタの提案に対して助かったと言わんばかりに即座に頷いた。
二人は二手に分かれてお店の端から端まで様々な商品を眺めつつ、良いプレゼントになりそうなものをそれぞれ持ち寄ることにした。
そうして十五分ほど経った後、ミリアがアラタの居る場所に足を運ぶと、未だに腕を組んで商品の前で唸っている彼の姿があった。
「……決まらないの」
「ん? あ、ああ。色々と良さそうなものはあったんだが、一つに絞ろうとするとなかなか難しいんだ」
どうやら彼はあまり戦力にならなそうだと内心で嘆息するミリアだが、そもそもアラタ自身で選ぶのが難しいためにミリアに助力を願ったのだから、これはある意味では当然の結果とも言える。
「一応、私の方では選んでみたけど……」
「見せてくれるか?」
「うん」
そう言いながら、ミリアは両掌にそれぞれ載せた商品をアラタの前に差し出した。
ミリアが持ってきたもの、それは掌サイズの八角形の小物入れだった。同じデザインの色違いで、右手に持っているのが水色、左手に持っているのがピンク色をしている。
「小物入れ、か?」
「そう。でも、ただの小物入れじゃない」
「ん? どういうことだ?」
ミリアが右手に持ったそれの蓋を開けると、そこから澄んだ音が流れ始めた。奏でられている曲は、アラタでも知っているような有名な童謡だ。
「成程、オルゴールか」
「そう」
小物入れはオルゴールになっており、蓋を開けると音楽が鳴る仕組みになっているようだ。デザインも品が良いし、実用性も十分ある。決められずに悩んでいたアラタも、ミリアが選んでくれたこの小物入れを選ぶ方に心が向いていた。
しかし、何故か彼女は小物入れを二つ差し出している。
「ところで、どうして二つ持って来たんだ?」
「妹さんの色の好みが分からなかったから。私は水色の方が好きだけど、人によって違うと思うし」
「ちょっと両方見せてくれるか?」
「ん」
アラタはミリアから二つの小物入れを受け取ると、左右の手に一つずつ持って比較するように掲げながらじっくりと眺めた。暫く眺めた後、アラタは一つ頷くとピンク色の方の小物入れを掲げてミリアへと告げた。
「こっちのピンクのにするよ」
「分かった。水色の方は戻しておく」
「いや、俺が戻しておく。会計をしてくるので店の前で少しだけ待っててくれ」
「? 分かった」
ミリアは内心で僅かに首を傾げつつも、アラタの言葉に従ってお店の外に出るとその場で振り返って暫く待った。数分後、会計を終えたアラタがドアを開けて外に出てくる。
「今日は助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして」
「ところで、このあと時間があるなら、あの喫茶店に寄って行かないか?」
「……ん、賛成」
アラタの提案にミリアが頷くと、二人は元来た道を戻って待ち合わせ場所でもあった喫茶店へと向かった。
店に入ると、比較的混んでる店内に一つだけ空いているテーブルがあり、二人はそこに案内された。これまで何度か相席したことがあるアラタとミリアだが、初めて最初から一緒にテーブルに着くことになったのだ。
「今日の支払いは俺が持つから、遠慮なく頼んでくれ」
「ん、ありがとう」
お冷を持ってきた店員に、それぞれ注文を告げる。ミリアはチーズケーキとカフェオレ、アラタはコーヒーだけを頼んだ。普段は飲み物だけを注文するミリアだが、折角の奢りなので言葉に甘えることにしたようだった。
暫く待って注文した品が来ると、二人はカップに軽く口を付けてから話し出す。
「妹さんには満足して貰えそう?」
「ああ、おかげ様でな。あの小物入れなら多分気に入ってくれるだろう」
「うん、あれは私も欲しいくらいだった」
彼の妹への贈り物として選んだオルゴール付きの小物入れを脳裏に浮かべながら、ミリアはそう答えた。アラタが選んだのはピンク色の方だったが、彼女自身としてはもう一つ選択肢に挙げた水色の方が好みだった。勿論、贈られるのは彼女ではなくアラタの妹なので、相手の好みに合わせるのが当然なのだが。
そんなことを思い出しながら考えていたミリアの目の前に、綺麗に包装された掌サイズの包みが置かれた。
「え?」
「それなら丁度良かった。買い物に付き合って貰ったお礼だ。受け取ってくれ」
アラタの言葉に促されるように、ミリアはテーブルの上に置かれた包みを反射的に手に取った。先程、雑貨店で同じく掌に載せたのと同じ重さがする。包装紙は透明でないため中身は見えなかったが、アラタの言葉から考えても先程気に入った水色の小物入れであることは推測出来た。
「いいの?」
元々、ミリアがアラタの買い物に付き合うことになったのは、書籍をコピーさせてもらったことに対するお礼としての話だ。なので、買い物を手伝ったお礼と言うのは本来であれば必要がない筈である。貰い過ぎではないかと不安を覚えた。
しかし、アラタは首を軽く横に振って答えた。
「ミリアには予想以上に良いプレゼントを選んで貰ったからな。そのお礼だと思って、遠慮せずに貰ってくれ」
「そこまで言うなら……ありがとう」
しばらく逡巡しながらも、結局ミリアはアラタから小物入れを受け取ることにした。もう既に買ってしまっている以上は付き返すのも悪いということもあったし、店で見掛けて気に入っていたのも事実だったからだ。
彼女は手に持った小物入れを嬉しそうに眺めた後、鞄にしまった。
結局、ミリアは書籍のコピーを貰い、お茶を奢って貰い、気になっていたオルゴール付きの小物入れまで貰ってしまった。ちょっと買い物を手伝ったくらいなのに色々と貰ってばかりなことに多少気が咎めたが、後の祭りだ。
そのまま暫く談笑──と言っても、基本無口なミリアはあまり自分の方から話を振ることはなく、話し掛けられたことに相槌を打っていただけだが──していた二人だが、そろそろミリアが帰宅しなければいけない時間が近付いて来た。店の掛け時計が鳴らす音を聞き、二人はそのことに初めて気付く。
「ああ、ついつい話に夢中になってたけど、もうこんな時間か」
「ん、そろそろ……」
「そうか。今日は助かったよ、ありがとう」
「こちらこそ」
「またここで見掛けたら、同席させて貰っていいか?」
「うん、相席歓迎」
アラタとミリアはそうやって再会の約束を交わすと、それぞれ店を出て帰路に着いた。
◆ ◆ ◆
「お疲れ様です、真崎先輩」
「ああ、そっちこそ」
ミリアと別れたアラタは家路に着いているように見せ掛けるため暫く歩くと、周囲から見られていないことを確認しながら路上に停車していた車の助手席へと乗り込んだ。
車に乗り込んできたアラタに声を掛けたのは、彼の後輩であるサユリだった。アラタとバディを組んでいる彼女は、本日彼が被疑者であるミリアと行動しているところをずっと遠目から監視していたのだ。
そんな彼女に、アラタは鞄から一つの包みを取り出して軽く放った。
「土産だ、やるよ」
「わ、と。ええと、良いんですか?」
「俺が持っていても仕方ないからな」
「ありがとうございます!」
アラタがサユリに渡したのは、今日ミリアに手伝って貰って買った小物入れだ。勿論、水色の方はミリアに渡したため、こちらは妹用としていたピンクの方である。勿論、彼が合計で三つ買っていたというわけではなく、これで今日買った分は打ち止めだ。
そもそも、アラタは一人っ子であり妹は居ない。今回の買い物自体がミリアを誘うための方便であり、誕生日プレゼントを買うためと言うのも口から出まかせだった。
「それで、どうでした?」
何を、とはサユリは口にしない。しなくても、この場合は改竄犯罪被疑者のミリアのことだというのは一目瞭然だからだ。
サユリに問われたアラタは、暫く黙り込んで本日共に行動した少女のことを脳裏に浮かべる。そして、言葉を選びながら慎重に答え始めた。
「金銭感覚は普通の高校生そのものだと言っていいな。選んだ品物を見てもそうだし、奢りだと聞いても、安い方のケーキを追加する程度の可愛いものだ。まぁ、単純にチーズケーキが好きなだけかも知れないが」
ミリアを間近で観察する中で、アラタがまず重視したのは彼女の金銭感覚だった。貨幣経済が崩壊しても「金銭」と言う言葉が残っていることにいつも彼は皮肉を感じるものだが、そこに特に触れることはしない。
改竄犯罪に手を染めた者は、基本的にポイント遣いが荒くなる者が多い。それはそうだろう。元々犯罪を犯してでもポイントを手に入れたいと思う輩だ、実際に手に入ればそれを使う方に走ることは想像に難くない。そのため、ミリアが改竄犯罪に手を染めているかを確かめる一つの判断要素として、彼女の金銭感覚を探ってみたのだ。
しかし、結果は振るわなかった。どう見てもミリアの金銭感覚は普通の女子高生の範疇を出ておらず、改竄犯罪で多くのポイントを不正に得ているような様子は感じられない。
「それじゃ、やっぱりあの子がリストに載ったのは何かの間違いなんでしょうか?」
「いや、それを判断するにはまだ早過ぎる。もう少し様子を見ないと分からない」
「そう……ですね」
勿論、幾ら金銭感覚において怪しいところが見付からなかったとしても、それだけの判断でシロと看做すことはない。ただ単に一つの判断要素が潰れたに過ぎない。
しかし、サユリは観察しているうちに彼女に同情的になってしまったのか、どうもミリアがシロであることを望んでいるような様子が見受けられた。そんな彼女に対して釘を刺したアラタだが、実際のところ彼の方も心情だけで言えば彼女と同じ気持ちだった。
とはいえ彼は改竄犯罪取締官、それも一等取締官だ。任務に対して私情を挟んで判断を歪めるようなことはしない。改竄犯罪は現在敷かれている善行システムを揺るがすものであり、それはイコール社会秩序を揺るがすことと同義である。それを取り締まる改竄犯罪取締官は、社会秩序の守り手だ。少なくとも、アラタはそう信じようと努めている。
善行システムはまだ作られてから歴史が浅く、様々な問題を残しているのは確かだ。人々が真に善なるものであることに辿り着けているかと言えば、否と言わざるを得ない。それでも自分達の任務が少しでもそれに近付けるものであれば良いと、アラタは願っていた。
自身の任務が幼い少女を欺くものであることからは目を逸らしたまま。
「実際のところ、どうなんですか? 真崎先輩は彼女が本当に改竄犯罪を犯していると考えているんですか?」
「さあ、な。ただ……」
「ただ?」
サユリの質問に、アラタは何かを言い淀んだ。その反応に興味を引かれたサユリは、更に踏み込んで聞いて来た。アラタは少しの間言葉を選んだが、やがて躊躇いながらも思いを口にした。
「彼女は何か大きな……そう、とても大きな秘密を隠しているような気がする」
「大きな、秘密?」
「ああ。あくまで直感によるものでしかないし、それが何かは検討も付いていないけどな」
それは、ここ数日ミリアを間近で観察して出したアラタの結論だった。彼女の仕草や反応から、何かを隠しているような印象を受けたという漠然としたものでしかない。勿論、証拠も何も無い。
しかし、普通なら一笑に付して終わりにするようなことではあるものの、サユリは彼の言葉を聞き流すことは出来なかった。何しろ、彼は一等取締官なのだ。その言の重みは、他の者とは一線を画している。
「彼女が隠しているものが何かは、今は未だ分からない。ただ、それを明らかにするまではシロと看做すことは出来ない」
隠しているものが改竄犯罪への関与でなければ、彼らの任務外の話だ。逆に言えば、隠している事柄が突き止められなければ、改竄犯罪の疑義は晴らせない。
「今後より一層の観察を続け、彼女の隠しごとを暴かなければならない」
彼の宣言に、サユリは少しだけ暗い顔をして頷いた。