第03話:取締官とチート少女(1)
ここから起承転結の承。
「済まないが、相席構わないか?」
「…………どうぞ」
満席の喫茶店でカフェオレを飲みながらディスプレイを表示させて読書に勤しんでいたミリアは、上から聞こえた声に僅かに目線を上げると、小さな声で了承の意を返した。平静を装っているが、内心ではかなり動揺している。と言うのも、声を掛けてきた相手のせいだ。今彼女に声を掛けて来た青年と相席になることはこれが初めてではなく、既に何度か顔を合わせている。未だ相手の名前も知らない状況だが、意識するなと言う方が無理な話だ。
ミリアは高校からの帰りにこの喫茶店をよく利用する。お誘いがあって友人達と一緒になる時はファーストフード店に付き合ったりもするのだが、流石に毎日そういう機会があるわけでもない。そして、一人だけの場合は敢えてその手のお店に行きたいとも思わなかった。そんな時は、この店でカフェオレを頼んで暫く読書に耽るのが彼女の日課だった。
しかし今、そんな彼女の日課は闖入者によって乱されている。
原因は、今も相席を申し込んできた黒髪の青年だ。興味が無い振りをしながらチラチラと観察した彼女の推測では、おそらく大学生くらいだろうか。かなり整った顔立ちで、友人達が知ればきっと熱を上げるだろうことは間違いない。そんな相手が幾度も相席になるため、幾ら異性に対しての興味が薄い方であるミリアでも気になって読書に集中出来ない。
ならば店を変えれば良いとも思うが、現状で相手から何かされたわけでもないのに避けるようなことも気が引けてしまう。この店を気に入っているため、他の店を探すことも億劫だ。それ以前に、心を乱されてはいても決して不快なわけではないのでお店を変えるつもりは端から毛頭ないのだが。
「………………」
「………………」
相席にはなるものの、最初の断り以外に相手から話し掛けてくることはない。そして、ミリアから彼に話し掛けることもない。ただお互いにカップを傾けながら読み物に耽っているだけだ。
最初は何か意図があって相席を狙っているのかと思ったが、見る限り相手はミリアに興味を傾けているようには見えない。
ある時ふと店内を見回した彼女は、彼と一緒の席になることが多い原因に気付いた。何のことはない、彼と彼女以外の客はカップルがほとんどだったのだ。一人で来店しているのはミリアと目の前の彼を含めて僅かしかいない。満席になれば彼と相席になる可能性は最初から高かったのである。
それに気付いた瞬間、ミリアはあまりの羞恥に顔を赤く染めるのを抑えられなかった。もしかして、自分に会うためにこのお店に来ているのかと密かに想像していた自分が恥ずかしかった。穴があれば入りたいとはこのことだ。
もう一つ彼女には懸念していることがあったが、そちらについては早々に無関係だと判断していた。もしもそちらが原因であれば、相手から積極的にアプローチを仕掛けられていただろうから。
ミリアは周囲から大人しい方だと認識されているし、実際その認識は彼女自身も正しいと思っている。元々あまり喋る方ではないし、考えていることが表情にあまり出ない方だというのもそれに拍車を掛けていた。
とはいえ、外にはあまり発しないまでも内面では色々と考える性格でもある。一度変な妄想をしてしまったため、どうしても彼が目の前に来ると色々と気になってしまうのだ。勿論、そんなことは口が裂けても言えないが。
そんな感じでチラチラと視線を向けていたのが悪かったのだろう──
「……何か?」
偶々視線を上げた彼とばっちり目が合ってしまったのだ。しかも、これまでチラチラと視線を向けていたことにも気付かれていたのか、不審に思われてしまったようだ。
一瞬にして血の気が引いたミリアだが、幸か不幸か元々色白な方なので見た目では分からない。内心では大慌てになっているのだが、一切表情に出ないのだから筋金入りだ。普段はあまり好きにはなれない無表情さだが、今回だけは助かったと言わざるを得ない。
「すみません、何を読まれているのか気になっただけ……です」
何か返事を返さなければと焦った結果、出てきたのはそんな言葉だった。少々、いやかなり不躾な言葉を吐いてしまった後悔で、更に血の気が引いたのは言うまでもない。しかし、ここ何度かの相席で彼が読んでいるものが気になっていたのは紛れもない事実であり、咄嗟に口を突いて出てしまったのだ。
しかし、そんな不躾な質問だったにも関わらず、彼は気にした様子も見せずに答えを返してきた。
「ああ、これか。少し前に流行った小説なんだが……」
彼の口から出てきた小説のタイトルは以前からミリアが気になっていた作品であり、無表情を続けていた彼女も一瞬だけピクリと反応してしまった。
◆ ◆ ◆
(どうやら、興味を持ってくれたみたいだな)
目の前に座る白いツインテールの少女の反応に、アラタは表情に出さないまま手応えを噛み締めていた。
彼が改竄犯罪の被疑者である彼女──須藤ミリアと相席になっていたのは、勿論偶然ではない。タイミングを見計らったり、時には取締官の補助を行う役割の者達に協力を要請して席を埋めるなどして、自然と相席になれる機会を作り出していたのだ。
そこまでしておきながらこれまで一切彼の方から会話を試みなかったのは、彼女の警戒心が思ったよりも強くアラタの方から話し掛けると逃げられてしまう恐れが高かったためだ。そのため、アラタは持久戦に方針を切り換えて、ミリアの方から話し掛けてくるのを辛抱強く待ち続けた。自分の方から話し掛けたのであれば、必要以上に警戒されることはないだろうという目論見だった。
勿論、その間も対面に座る彼女の観察は欠かさず行っていた。勿論、アラタはこの手の事に関してはプロフェッショナルであり、視線を悟られるような愚は犯さない。逆に彼女の方からは頻繁に視線を感じたが、特別な訓練を受けているわけでもない女子高生では、その辺りのスキルがないのは当然なので仕方ないことだろう。
また、同時並行でミリアの身辺調査や好みなどの洗い上げをサユリの方で行っている。アラタが読んでいた書籍についても、事前に彼女が興味を持っている作品を調査し、かつ未だ所持して居ないものを選んでいた。その狙いは当たったらしく、ほとんど表情が変わることがないミリアの目の辺りがピクリと反応したことをアラタは見逃さなかった。
「……興味があるのか?」
そう問い掛けると、ミリアは暫く逡巡してから頷いた。
「何なら、コピーするか?」
アラタが軽い口調でそう提案した瞬間、ミリアは先程以上に大きく反応した。どうやら、彼の提案は彼女の心を掴んだようだ。
首輪型端末のストレージに格納して読むことが出来る電子書籍は、インターネット上からダウンロードすることが出来るが、当然タダではない。勿論、中には無料配布の作品もあるにはあるが、出版社から発行されているものは大半が有料だ。
そして、ダウンロードした電子書籍には予め零から三回程度のコピー可能回数が定められている。その回数の中でなら他の人間にコピーを譲り渡すことが可能だ。尤も、著作権フリーの作品であれば、コピー可能回数は無限なのだが。
書籍の価格は内容や文量によりまちまちだが、今アラタが手にしている小説は結構な値段がする。少なくとも女子高生の小遣いでは気軽に手を出すことが出来ないくらいには高額だと言えるだろう。
「でも……」
名前も知らぬ相手に書籍をコピーして貰うことに躊躇いを覚えたのか、ミリアはすんなりと頷くことはなかった。まともな神経をしていれば、当然の反応だ。しかし、やはり欲しいことは欲しいのだろう。きっぱりと断ることもしていない。加えて、アラタのディスプレイと顔を交互にチラチラと見ている。かなり迷っているようだ。
そんなミリアを安心させるように、アラタは微笑みながら後押しをした。
「遠慮はしなくていい。どうせ他にコピーを渡す相手は予定にないからな。コピー枠一つくらい使ったって別に困らない」
「ん……」
「それでもどうしても気になるなら、一つ簡単な頼みごとを聞いてくれないか。それでチャラってことでどうだ?」
そこまで言われて漸くその気になったのか、ミリアはこくんと頷いた。
「お願い、します」
「ああ、首輪を前に向けてくれ」
「ん」
アラタの促しに、ミリアは素直に従い首の辺りを差し出すように顎を軽く上げて前に突き出した。
「─────ぁ」
彼女は気付いていないようだが、それは傍から見ればまるでキスを待っているような格好だ。そのことに気付いてしまったアラタは、思わず彼女の小さく可愛らしい唇に視線を向けてしまった。
「?」
「ああ、すまない」
いつまで経ってもコピーを送って来ないアラタに、不思議に思ったのかミリアが首を傾げる。そこでハッと我に返った彼は、慌てて端末の操作を再開した。ピッという音と共に送信が完了し、ミリアの首輪に欲しがっていた小説のデータが入った。
「……ありがとう」
「あ、ああ。どういたしまして」
ほんの僅かではあるが、データを確認したミリアの口元がほころんだ。それに気を取られてしまったアラタは、彼女の感謝の言葉に一瞬だけ言葉を返すのが遅れてしまったが、書籍データを見て喜んでいる彼女には特に不審には思われなかったようだ。
「頼みごとは?」
読むのは後にしたのか、ミリアはディスプレイを一旦閉じるとアラタに問い掛けてきた。元々無口気味なせいで大分言葉が足らないが、書籍のコピーを貰う代わりの頼みごとについて説明を求めているようだ。
アラタは彼女の促しに一つ頷くと、対価代わりの頼みごとを説明し始めた。
「ああ、ちょっと買い物を手伝ってほしいんだ」
「買い物?」
アラタの頼みごとの内容に、ミリアは首を傾げた。自分が役に立てる類の頼みごとには思えないという様子だ。
「実は妹の誕生日が近くてね。何かプレゼントを買いたいんだが、正直年頃の女の子の好みとかが分からなくて困っていたんだ。多分君とそんなに離れていない年だから、参考にさせて貰いたいんだよ」
「なるほど」
「引き受けてくれるか?」
ミリアはアラタの問い掛けに、少し迷ってから頷いた。それを見たアラタは、端末で時間を確認してから彼女に問い掛けた。
「今日これからだと遅くなってしまうだろうから、明日でもいいか?」
「はい」
「それじゃ、明日の十六時にこの喫茶店の前で待ち合わせとさせてくれ。……そう言えば、まだ名乗ってもいなかったな。俺は真崎アラタだ。アラタでいい」
「須藤ミリア。私もミリアでいい……です」
「ミリアだな、分かった。ああそれと、無理に敬語を使う必要はないぞ」
「わかりま……わかった」
お互いに自己紹介をすると、念のために首輪のアドレスを交換してその場はお開きとなった。