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終幕後:観測者との邂逅

 ミリアを学校まで送り届けたアラタは、改竄犯罪取締室のオフィスに向かって歩いていた。

 以前、竜胆財閥に彼女が狙われていた時には車を用いて送迎をしていたが、当面の危機が去った今は基本的に徒歩での送り迎えとなっている。毎日車で送迎を行っていると、目立ち過ぎてしまうためだ。


「?」


 ミリアの通う高校から徒歩で数分程の距離が離れた時のことだった。歩道を歩いていたアラタの横に、見慣れぬ車が停車した。明らかに、彼を意識した動きだ。

彼は不審な行動をする車に警戒し、窓ガラスから中に居る人物を覗き込もうとする。しかし、生憎とその車の窓ガラスには全面にスモークが貼られており、車内を見通すことが出来なかった。

 その時、困惑するアラタの目の前で運転席の窓が開かれた。


「真崎アラタ君だね?」


 運転席に座っていたのは、四十代くらいに見える穏やかそうな男性だった。

 彼は疑問形で問い掛けてはいたが、アラタの素性についてはお見通しらしく、人違いである可能性は考えていないようだ。誤魔化す意味はないと考えたアラタは、問い掛けに対して素直に頷くことにした。


「ええ、そうです」

「少し話をさせてもらいたいんだ。後ろに乗ってくれないかな」


 普通なら、初対面の相手に話がしたいから車に乗れと言われて、素直に従う者はまず居ないだろう。しかし、アラタは無言のまま開けられた後部座席に乗り込んだ。それは一重に、目の前に居る人物の正体に勘付いて居たからであり、同時に彼の方もその人物に尋ねたいことがあったためだ。


「ええ、構いませんよ……不破教授」


 車の後部座席に乗り込んだ彼は、バックミラー越しに運転席に座る男性を見詰めながらそう告げた。




 ◆  ◆  ◆




「驚いていないようだね」


 車の運転をしながら、アラタが不破教授と呼んだ男性は後部座席の彼へと話し掛けてきた。何に対してかは触れられていなかったが、死んだ筈の彼が生きて目の前に居ることについてだと言うことはアラタにも分かった。アラタは努めて冷静さを保ちながら、慎重に答えを返し始めた。


「おかしいとは思っていました」

「ふむ? 何をだい?」

「ミリアが素性を変えて生きていたことです。善行システムと連動している戸籍管理は万全、簡単に書き換えることは出来ません」


 善行システムは各人の行動を評価しポイントを付与する。それを行うためには単純に行動の監視や評価を判定する機能があれば良いのではなく、戸籍や金融などとも連動しなければならない。故に、それらの個人を管理するシステムは善行システムの派生機能として厳重に管理されているのだ。例え偽名を使ったところで、簡単に素性が知れてしまうことだろう。


「ミリアは管理者権限で書き換えることが出来た。それでは納得出来ないのかな?」

「最初は俺もそう思ってました。しかし、彼女は管理者権限を使ったのは一度だけ、母親を助けるために使った時をおいて他にないと言っていました」

「それでは、私が失踪する前にお膳立てをした可能性はどうかな? 生前にあの子達の素性を偽装し、その後死んだ……これなら辻褄が合うだろう」

「そうですね、それなら『素性を隠す時』の辻褄は合います。しかしその場合、今度は何故今回の件で竜胆財閥にミリアの素性がバレたのかという疑問が出てきます。貴方が改竄したのなら、そう簡単に突き止められるとは思いません」


 何処か楽しそうな雰囲気で謎掛けのように問い掛けてくる不破教授に、アラタは淡々と答えを返していった。


「君の答えは?」

「不破教授、ミリアの父親である貴方が死んだように見せ掛けて裏で手配をしていたのではないですか? ミリアの素性を偽装したのも貴方だし、それを竜胆財閥にリークしたのも貴方だと俺は思っています」

「なかなかユニークな推理だね」


 そう言いながらも、彼は楽しそうな笑みを隠さない。その態度が、アラタの推測が正しいことを物語っていた。


「付け加えるなら、首輪法反対派のテロリスト『気高き狼』にも情報を流したのではないですか? そうでないと、いくら過去に知り合いだったとしても、彼らが素性を隠したミリアの存在に気付けた理由が説明出来ない」


 しかし、とそこで彼の推理は勢いを減じた。


「分からないのは、何故貴方がそんなことをしたのかです。妻や娘の素性を隠すことについては、理解出来ます。彼女達を守るために、隠そうとするのは自然なことだ。しかし、折角隠した情報を竜胆財閥や『気高き狼』に漏らす理由が分かりません」

「そうだね。その点についてはあくまで私の心情でしかないから、推理だけでは辿り着くのは難しいだろう」

「それじゃあ……」

「ああ、君の推理は概ね正しい。ミリア達の素性を隠蔽したのは私だし、竜胆財閥などに情報をリークしたのも事実だ。それで、何故そんなことをしたかだが……その問いに答える前に一つ質問をしよう。君は、今のこの世界をどう思っているかな?」


 あまりにも抽象的で答えに困る問い掛けだったが、アラタは悩むことなく口を開いた。それは、一人の少女と共に同じ命題に既に立ち向かった経験があったためだ。


「不完全な世界です。しかし、その不完全な世界を少しでも完全に近付けるために俺は職務を行っています」

「いい答えだね。君やミリアがその答えを選択してくれたこと、私はとても嬉しく思っているよ」


 不破教授の返答に、アラタは思わず息を呑んだ。答えに同意するのはいい。しかし、何故「アラタとミリア」なのかを考えた時、彼の脳裏に閃くものがあった。


「あの部屋での出来事も筒抜けですか」


 ミリアが同じような答えを出したのは、先日の竜胆財閥本社ビルでの事だ。その場にいなかった筈の不破教授がそれを知っている事実に、アラタは戦慄する。


「それはそうだよ。その選択を聞くために、私は何年も掛けて準備してきたのだから」

「どういう、ことですか?」


 嫌な予感に声を掠れさせながら、それでも聞かずには居れなかったアラタが不破教授に問い掛けた。


「先程の問いに対する回答だよ。何故私が竜胆財閥などに情報をリークしたか。それは、ミリアに『選択』してもらうためだ」


 言葉の意味は分かっても、そこに籠められた意図が分からず、アラタは無言のまま彼に先を促した。


「私はこの世界に住む人間が良い方向へ向かえるよう、善行システムを作った。しかし、君も言った通り、あれはまだまだ不完全な代物だ。善行は判断出来ても、善意は判断出来ない。人の心と言う物が如何に難解か、私は骨身に沁みている。しかし、それは現在の技術の限界であり、どうにも出来なかった。諦めた私は、不完全なシステムのまま稼働させることにした。たとえ善意でなくても、善き行いを続けて居れば人は良い方に向かうと信じてね」


 それは、これまで世界でも幾度となく議論されてきた命題だった。しかし、善行システムの創設者から語られる言葉は、それらの議論よりも重い圧迫感をアラタに与えた。


「しかし、不完全なシステムであることを認識していたため、私は不安でしかたなかった。本当にこれで良いのか、もっと研究を重ねて完璧な物だと自信を持って言えるようになってから世に出した方が良いのではないか、とね。答えが出せなかった私は、誰かにシステムを評価してもらうことにした」

「それが、ミリアですか」

「そういうことだよ。あの子はそのために生まれて来た子だからね」

「なっ!? どう言う意味ですか?」

「うん? 文字通りそのままの意味だよ? システムの評価をさせるために、わざわざあの子を作ったんだから」


 まるでミリアの存在価値がそれだけだと言わんばかりの彼の言葉に、アラタは驚きと憤りのあまり声を上げた。

 別に、ミリアが人工的に作られた存在だとか、そういう意味ではないだろう。彼には妻も居るし、アラタがミリアのことを調べる上で入手した彼女の出生記録にも不審な点はない。尤も出生記録に関しては「不破ミリア」ではなく「須藤ミリア」のものであり、改竄されている時点であまり参考にはならないかも知れないが、少なくとも彼の妻が不妊症でも無い限りはわざわざそんな手間を掛ける意味もない。


 しかし、そこでアラタはふと一つの符合を思い出して、背中に嫌な汗を掻いた。ミリアが生まれたのは西暦二一二〇年、それは首輪法──正式名称「善行における点数加減とその経済利用に関する法律」が成立、施行された年だ。不破教授は法律の制定にも相応に関わっていただろうし、タイミングを合わせて子を為すことも出来た筈だ。

 表情を険しくするアラタに対して、一向に気にした様子を見せない不破教授はそのまま言葉を続けた。


「システムを変える力を持たせ、様々な意見を持つ代表者達と接触させる。その結果あの子が管理の強化を願うか、現状の維持を願うか、それともシステムを破壊することを選ぶのか。私はその答えを聞きたかったんだ」


 結果的に、ミリアは現状維持を望んだ。しかし、彼女が完全に中立的な立場で判断を下したのかという点が、アラタには疑問だった。

 確かに、管理の強化を願う竜胆と、現状維持を願うアラタ、システムを破壊することを望むルイはそれぞれの意見の代表者と言える。しかし、竜胆はミリアにとって父親の仇に等しい存在だったし、ルイは世間的にはテロリストと呼ばれる組織の一員。それに対して、アラタは彼女の味方と言える立ち位置だった。彼女は確かに現状維持を望んだが、果たして彼らとの関係性が異なっていたら同じ選択をしたかどうか、今となっては誰にも分からない。


 それに、彼女と共に現状維持を望んだアラタだが、最初からそういう信念を抱いていたわけではない。むしろ、ミリアと喫茶店などで語り合った時には、本当に世界はこのままで良いのかと迷いを抱えていたのだ。もしもあの時に竜胆やルイから主張を聞いて居れば、彼自身がそれに同調した可能性すらある。そんなアラタが現状維持を願う代表者と言われても、困惑することしか出来ない。

そもそも、アラタやミリアの選んだ「現状維持」と、目の前の男が想像する「現状維持」では言葉は同じでも意味合いは全く別だ。しかし、そのことを伝えてもおそらく彼には理解出来ないだろうと、アラタは感じていた。だから、端的に疑問だけを伝えることにした。


「あれは彼女の主義主張ではなく、状況的に選ばざるを得なかった選択肢です。それでは、システムの評価として正しいものだとは言えないのではないですか?」

「別に状況のせいでも構わないさ。あの子や周囲の者達の行動がその状況を齎したのだから同じことだよ」

「もし仮に、竜胆財閥がシステムの管理者権限を手中に収めてしまったら、貴方はどうしていたんですか?」

「うん? 別に何もしないよ? それがあの子や世界の選択ということだからね」


 さも当然のような声で告げた不破教授に、アラタは目の前の人物と意見をぶつけ合うことの無意味さを痛感した。暖簾に腕押しとはまさにこのことだろう。

 彼は、自分の構築した善行システムの評価を得られれば、後のことなどお構いなしだ。システムを悪用する者によって世界が混乱の渦に叩き込まれることも、何とも思っていない。竜胆アギトなどとは別の意味で倫理観の欠落した人物だと言うことが良く分かった。


「それでは、選択をしたミリアのことはどうするのですか? 貴方が生きていたことを教えないのですか?」

「それも必要ないよ。今更会ったところでお互い何も得る物はないからね」


 親子の情とかそう言った物を欠片も滲ませることなく、彼はそう言い切った。思わずカッと頭に血が昇るアラタだったが、寸でのところで声を上げることを踏み止まった。

 実際、目の前の人物とミリアを引き合わせたところで、最終的には彼女が傷付く結果しか想像出来ない。何しろ、自分の作ったシステムを評価させるために娘を作ったと言って憚らない人物だ。真っ当な親子関係など期待出来そうにないと彼は判断した。


「ああ、着いたようだね」


 そう言うと、不破教授は運転していた車を道路脇へと停めた。そこは、改竄犯罪取締室の近くの路上だった。いつの間にか、アラタの目的地のすぐ近くまで辿り着いていたのだ。

 尋ねたかったことを聞き、これ以上彼と話していても得る物がないどころか不愉快な気分に陥る結果になりそうだと判断したアラタは、車のドアを開けて降りようとする。しかし、その直前で最後の問いを運転席に座る不破教授に投げ掛けた。


「これから、貴方はどうするつもりですか?」

「これからかい? そうだね……」


 ドアの方向を向いたまま振り向かずに投げられた問い掛けに、不破教授は少しだけ考える仕草をした後、罪の無い無邪気な笑顔で答えを返した。


「やはり、不完全なシステムを完璧にすることを諦められないよ。だから、人の心をもっと研究しようと思う。どんな方法で行うか考えるのはこれからだけどね」

「……そうですか」


 幾ら研究を重ねようと、彼に人の心が解明できるとは思えなかった。しかしアラタはそのことを口に出そうとは思わなかった。

 おそらく、その研究で今回のような人を巻き込む騒動が引き起こされるであろうことは想像に難くない。しかし、今のところ彼は犯罪者というわけでもないためこの場で止めることは出来ない。強いて言うならミリア達の戸籍を改竄した行為は犯罪に当たるが、その証拠を掴むことはどうやっても無理だろう。

 それ故に、彼はせめてもの言葉を彼にぶつけた。


「貴方がこれから何を引き起こすとしても、俺は今の世界の中で自分に出来ることをするだけです」


 ドアから車の外に出ながら告げた言葉、宣戦布告にも等しいそれに不破教授は一瞬キョトンとした表情を見せたが、やがてにっこりと笑った。


「それは素晴らしいね。是非とも、そう願うよ。私が完璧なシステムを作り上げるまで、この世界を守っておくれ」

「………………」

「有意義なひと時だった。やはり、わざわざ君に会いに来て良かったよ」

「………………」


 アラタはその言葉には答えず、車のドアを閉じた。それは勿論、彼とは間逆の感想を抱いたからに他ならない。

 車から離れてオフィスの方へと向かう彼の前方に、見知った後輩の姿があった。どうやら、彼女も丁度同じタイミングでオフィスに戻ってきたようだ。向こうも彼のことに気付いたらしく、駆け寄ってきた。


「あ、真崎先輩。 お疲れさ……どうしたんですか? そんな怖い顔して」


 挨拶をしようとしたサユリだったが、アラタが真剣な表情で考え込んでいることに気付いて恐る恐る尋ねてきた。

 それに気付いた彼は、軽く首を横に振って気分を切り換える。


「いや、なんでもない。色んな人の色んな思惑があっても、俺に自分に出来るのは改竄犯罪を減らすことだけだと改めて再認識しただけだ」

「はぁ……あ、そう言えば真崎先輩が戻ってきたら一緒に会議室に来るようにと鳳室長が仰ってましたよ」

「室長が? 分かった」


 オフィスに向かうアラタが一瞬だけ立ち止まって振り返るが、彼が乗ってきた車は既にそこから姿を消してしまっていた。


 アラタは少しの間だけ先程のやり取りを反芻し、やがて後輩の後を追ってオフィスの方へと向かい始めた。

ご読了、ありがとうございました。

以上をもちまして「善行支配のディストピア」完結となります。

思えばコメディ要素皆無の作品は初めてでしたが、如何でしたでしょうか。

もしよろしければ、ご評価を入れて頂ければ幸いです。

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