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第15話:善行に支配されたこの世界で(3)

「お疲れ様、真崎一等取締官」

「室長……」


 竜胆達が治安維持部隊に拘束されて連行された後、アラタとミリアは顔を見合わせてから部屋を出てエレベータに乗った。

 一階まで降りた二人に、横合いから声が掛けられる。アラタがそちらを見ると、先程インターホン越しに声を聞いた鳳室長の姿があった。


 彼女の顔を見たアラタは気まずい思いに思わず俯く。彼は鳳室長のことを上からの圧力に屈してミリアを見捨てたと思って感情的な反発を抱いていたが、蓋を開けてみれば裏では室長はその圧力を覆すために密かに活動していた。その上、身勝手な単独行動のつもりで行った竜胆財閥本社ビルへの潜入も、彼女の掌の内だったわけだから、恥じ入る他にない。


「室長、俺は──」

「やめておきましょう。私が彼らの圧力に屈して貴方の捜査を妨害したのは紛れもない事実なのですから」

「し、しかし!」


 謝罪しようとするアラタを鳳室長は片手を掲げて制し、自らの非を認めた。アラタは納得し切れずに声を上げるが、彼女はそれを聞こうとはせず、彼の後ろに居たミリアの方へと声を掛けた。


「須藤ミリアさん、直接会うのは初めてですね。改竄犯罪取締室室長の鳳レイです。こちらの真崎取締官の上司に当たります」

「あ、はい。須藤ミリアです」


 声を掛けられたミリアは、警戒した様子を見せながらも彼女に向きあった。その手は、不安げに隣に立つアラタの服を掴んでいる。


「まずは最初に謝罪を……私達、改竄犯罪取締室は内閣府直属として他の組織の影響を極力受けないようにしていますが、やはり完全に他の勢力と無縁というわけにはいきません。今回、圧力を受けて真崎取締官の捜査を妨害し、結果的に貴方の拉致へと繋がってしまったこと、深くお詫び致します」

「……大丈夫です。アラタが助けに来てくれましたから」


 鳳室長の謝罪を神妙な表情で聞いていたミリアは、ゆっくりと首を横に振りながらそう答えた。彼女の答えを聞いた鳳室長は、チラリと一瞬だけ彼女の隣に立つアラタの顔を見てから微笑んだ。


「そう言って頂けると、助かります。それで二点目ですが──」


 微笑んでいた鳳室長の表情が固くなる。それを感じ取ったミリアもまた、表情には出ないものの全身から緊張を滲ませた。

 黙って横で見ていたアラタは一瞬にして変貌してしまった空気に戸惑うが、すぐにその理由に思い当たった。


「真崎取締官が担当していた貴女の疑義については、竜胆財閥による工作で捏造されたものと判明したため取り消されました。しかし……」

「私がアラタに告白した過去の改竄行為は別、ですね」

「……そうなります」


 アラタがミリアの捜査を始める切っ掛けとなった疑義リストは結局竜胆財閥によって操作されたものであったため、疑いはなくなったと言える。

 しかし、ミリアはそれとは別に過去に改竄犯罪を犯しており、そのことをアラタに告白していた。その時は知らなかったことだが、アラタの行動は首輪を通して鳳室長に筒抜けであり、ミリアの自白も聞かれてしまったことになる。


「鳳室長! ミリアは!」

「真崎取締官、公私混同は控えてください」

「ぐっ、それは分かってます」


 ミリアを擁護しようと声を上げるアラタだったが、鳳室長に諭されて言葉に詰まった。一等取締官であり彼は、改竄犯罪に対しては厳正に対処するべきだということは頭では理解している。情によって改竄犯罪を見逃せば、社会秩序の崩壊に繋がりかねない重大事となることもあり得るからだ。

 しかし今回ばかりは対象者に対する情が湧いてしまっており、なんとかしたいという気持ちが抑えられずにいた。


「アラタ、私は大丈夫」

「ミリア? しかし……」

「私がしてしまった事は事実だから、きちんと償う」


 ミリアを庇って室長に向かって抗議するアラタを、当のミリアが後ろから裾を引っ張る形で制止した。彼は承服しかねると言わんばかりの態度だったが、彼女の言葉を聞いて渋々と引き下がった。

 そんな二人の様子を見ながらも、鳳室長は極力感情を排した様子で続きを述べた。


「勿論、今回の件での功績なども踏まえ、私からもなるべく軽い処罰で済むように働きかけます。尤も、流石に無罪というわけにはいかないと思いますが……」

「それで十分です。ありがとうございます」


 鳳室長の言葉に、ミリアは頭を下げて礼を言った。


「チッ、放せ! 放せよ!」

「ん?」


 少し離れた場所で起こった叫びに、アラタはその声が上がった方を見ると、そこには治安維持部隊に連行されているルイの姿があった。


「そう言えば、何故彼女は拘束されたんですか?」


 竜胆と対峙していた部屋に踏み込んできた治安維持部隊の隊員達は、竜胆やシオンだけでなくルイも拘束していた。そのことを今更ながらに思い出したアラタは、隣に立つ鳳室長に尋ねた。


「それは勿論、破壊工作を実行した『気高き狼』の一員だからです」

「破壊工作……このビルへの潜入から目を逸らすための撹乱をすると言ってた、あれですか。って、もしかして他のメンバーも?」

「ええ、貴方の端末から傍受した情報を元に、順次治安維持部隊が拘束しています。『気高き狼』の主要メンバーはこれで全て検挙出来た筈です」


 反対派『気高き狼』はアラタを引き込んで竜胆財閥への攻撃に利用したが、彼の端末経由でその情報は筒抜け状態だった。各地への破壊工作も、タイミングと場所が分かっていれば拘束することは簡単だ。


「実のところ、あの情報こそが治安維持部隊をこちらに引き込む最後の決め手でした」

「? どういうことですか?」


 鳳室長の言葉に、アラタとミリアは意味が分からず首を傾げた。


「正直なところ、竜胆財閥の犯罪の証拠を見せても治安維持部隊は財閥との対立には消極的な姿勢でした。確かに明るみに出れば財閥の力は弱まりますが、全く無くなるわけではありませんから。しかし、彼らにしてみれば『気高き狼』は長年追い続けてきた不倶戴天の敵です。それを一斉検挙出来る機会が得られるならということで、財閥との対立に踏み切ってくれたのです」

「そうだったんですか」


 室長の説明を聞いたアラタは、複雑な表情を浮かべた。

 彼と『気高き狼』は決して仲間になったわけではなく、それぞれの目的のために一時的に協力しただけだ。実際、共に行動していたルイにも途中で牙を剥かれた。しかし、結果的には彼のせいで『気高き狼』は崩壊することになり、その上それがアラタやミリアを救う結果となったのだから、心情的には微妙なものがあった。


「私も拘束しなくて良いんですか?」


 拘束されたルイを見ながら、ふとミリアが呟いた。それを聞いたアラタがギョッとした表情を浮かべる。確かに、彼女は改竄犯罪を犯した犯罪者の扱いなのだから、通常であれば手錠を架けられるべき立場だ。


「そう言われましても、貴女に関しては治安維持部隊ではなく私達の管轄なのですが、私は手錠を持っていませんし……」

「俺も今は持ってません」


 視線を向けられたアラタは、懐に持った手錠を隠しながら答える。尤も、その様子を見た鳳室長の生温かい視線を見る限りではバレバレのようだったが。


「そうですね、取り敢えずこうしておきましょう」

「え?」

「え?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた室長はアラタとミリアの手を取り、握らせた。


「真崎一等取締官。彼女が逃がさないようにしっかりと拘束しておいてください」


 手を繋ぐことを強いられた二人は、見合わせた顔を赤く染めた。




 ◆  ◆  ◆




 日本を代表する経済界の覇者である竜胆財閥に対する検挙は、一大ニュースとなって全国を駆け巡った。

 被害者であるミリアの特殊な事情も考慮して彼女の持っていた専用端末とシステムへのアクセスコードについては公表されることはなかったが、善行システムへの大規模なハッキングによって国家を掌握しようとした事実上のクーデター未遂に容疑は切り換えられ、裁かれることとなった。財閥は解体となり、総帥である竜胆アギトならびに彼の養女である竜胆シオンについては、個人でも刑事責任を問われる予定である。


 また、同時に首輪法反対派テロリストとして悪名高い『気高き狼』の主要メンバーが一斉検挙されたことも、話題に上がった。こちらについては、長年煮え湯を飲まされてきた治安維持部隊が大々的に成果を喧伝しようと努めたこともあり、多くの報道機関で特集番組が組まれている。『気高き狼』はスラムに巣くう反対派の中でも中核的な役割を果たしていたため、この一斉検挙により反対派の勢力全体に大きな影響があると見込まれている。


 不破ミリア、改め須藤ミリアについては名前が表に出ることはなく、同時期に改竄犯罪の処罰が下された少女と紐付けて考える者もいなかった。尤も、竜胆財閥の凋落や『気高き狼』の壊滅に関するニュースが連日連夜報道されたおかげで、その少女の改竄犯罪についてはあまり報道されることがなかったことも理由の一端ではある。通常であれば、被疑者の年齢や容姿で注目が集まっても不思議ではない事件だったのだが、巨大財閥の凋落やテロリストの一斉検挙と比べればインパクトが小さいのも確かだ。


 そして、彼女に与えられた処罰は──。




 ◆  ◆  ◆




「ミリア。朝だ、起きろ」

「んぅ……」


 声と共に肩を揺り動かされ、ミリアは意識を浮上させた。とはいえ、まだ覚醒し切っているとは言えず、目はとろんと落ちそうになったままだ。


「早く着替えないと、遅刻するぞ」

「ん、分かった。着替える」

「ちょ、待て。脱ぐのは俺が部屋を出てからにしてくれ!」

「え? …………ッ!?」


 ほとんど眠ったままパジャマのボタンを外し始めたミリアだったが、焦ったような声が耳に入り急速に意識が覚醒する。声がした方に視線をやると、そこには顔を赤くして目を逸らす男の姿があった。

 改めて視線を落として自身の格好を見ると、上半身は既に一つを残してボタンを外してしまったせいで肌蹴ており、薄い胸が覗けてしまう状況だった。下半身は穿いたままではあるが、寝ている間に落ちてしまったのか少しずり下がっており、白いショーツが一部見えてしまっている。どう控え目に言っても人に、特に異性に見せてしまってよい格好ではない。

 慌ててバッと身体を抱くようにして前を隠すミリアに、男はそそくさと寝室から外に出た。いや、逃げたと言った方が正しい。


 男性に肌を見せてしまったことに顔を赤く染めて暫く動けなかったミリアだが、やがてスヌーズモードになったアラームに急かされるようにして着替えを済ませて寝室から出る。

 制服に着替えたミリアがダイニングに行くと、そこには既に朝食の用意が粗方済んでいる状態だった。


「えーと、さっきのはだな……決して悪気や邪な気持ちがあったわけではなく、いやそもそも俺は悪くないと思うんだが」

「忘れて」


 ミリアの姿を見て弁解に走る男に、端的な要求が投げ掛けられる。


「え? いや、そんなことを言われても」

「忘れて」

「………………」

「忘れて」

「……分かった」

「それでよし……おはよう、アラタ」

「ああ、おはよう」


 強硬な要求により先程の痴態を無かったことにしたミリアは、改めて同居人へと起床の挨拶を交わした。

 彼女を起こし朝食の準備までしてくれていた同居人は、改竄犯罪取締官のアラタだ。尤も、現在の彼は時短勤務となっており、通常の取締官の任務からは外れている。


 過去の改竄犯罪を自白したことによって処罰に科せられることになったミリアだが、鳳室長やアラタによる擁護、彼女の年齢や改竄行為を犯した時の事情、及び先日の竜胆財閥の事件で挙げた功績などが考慮され、通常の改竄犯罪と比べればかなり軽い処罰で済むことになっていた。

 三年間、所定の場所で監視を受けながら生活すること。それがミリアに与えられた処罰だった。但し、通常の場合と異なり、今までと同様に学校に通うことは許可され、その時には監視は免除される。同様に、入浴中や排泄、着替えなどを行う際も監視を受けなくて済むことになった。


 監視の任務を負う者は裁判所が任命するのが常ではあるが、今回に関しては監視を受ける当人のたっての希望により、特例でアラタにその任が与えられた。勿論、被監視対象者の意見を受けて監視者を定めるなど前代未聞なことであり不正を懸念する者も多かったが、最終的にはアラタの一級取締官の肩書きが物を言った。

 以来、アラタとミリアは共同生活を送っている。ちなみにだが、今朝のようにミリアが寝惚けていたせいで恥ずかしい姿を彼に見られるのは初めてのことではない。


「アラタ、今日はオフィスに行くの?」

「ああ、そのつもりだ。ちょっと仕事が溜まってるからな。まとめて片付けてくる」

「分かった」


 トーストを齧りながら問い掛けたミリアに、首輪からニュースをディスプレイに表示しながら、アラタはそう返した。

「なぁ、ミリア」

「? 何?」

「あの時、現状維持を選択して後悔はしていないか?」


 アラタの言う「あの時」とは、竜胆財閥の本社ビルで竜胆やルイと対峙した時のことだろう。あの時のミリアには、三つの道があった。一つは竜胆財閥に与して彼らの支配に協力し恩恵を受ける道、一つは『気高き狼』に与して現行の社会システムを崩壊させる道、そして最後が現在の彼らが歩んでいる現状維持の道だ。


「その選択の結果、今のお前は罪を問われて処罰を受ける立場になってしまった。そのことに後悔はしていないか?」


 最低限のプライバシーは守られているものの、あくまで最低限でしかない。裸身を見られることがない──彼女自身がうっかりのせいで見せてしまう場合を除く──だけで、それ以外は全てが他者の監視の中での生活だ。それは、年頃の少女にとって辛いものではないだろうかと不安そうな表情で、アラタはミリアに問う。

 アラタの真剣な問い掛けに、ミリアは齧っていたトーストを口の中に押し込んで呑み込むと、姿勢を正しながら答えた。


「私は後悔してない。アラタ達が今の社会秩序を守るために色々悩みながら必死に頑張っているのを知ってたから、そういう人達が居ればシステムへの介入なんてしなくても世界は良い方に向かうって信じてる。善行に支配された、決してユートピアとは言えない世界だけど、悪い世界じゃない。それに……」

「それに?」 

「私は今の生活に、結構満足してる」


 そう言うと、ミリアはテーブルから乗り出すようにして唇を合わせ、彼が反応を返す前に鞄を手に部屋から出掛けて行った。その顔は、いつも表情の薄い彼女からは信じられないほど、真っ赤に染まっている。

 後には、呆然としたままのアラタだけが残された。彼の首に嵌められた端末が不純異性行為に反応し、ポイントが下がった。


「アラタ、私は学校に着くまで一人で行動しちゃいけないから、早く来て」

「あ、ああ。分かった」


 部屋の外から掛けられた声に、アラタは我に返るとジャケットを羽織って彼女の後を追い掛ける。部屋から出る時、彼は隅に置かれた壊れた端末に一瞬だけ視線を向けた。




 彼女が望んだのは現状維持の道ではあったが、それはあくまでも善行システムのことに関してだけの話だ。無理に捻じ曲げなくても、人はより良い世界を目指して前に進んで行ける。そう信じたからこその決断だった。




 善行に支配されたこのディストピアで、それでも二人はユートピアを諦めていない。

終幕後につづく

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