第01話:首輪に繋がれた者達(1)
私にしては珍しく(?)コメディ要素皆無のシリアス一辺倒ですので、予めご承知願います。
チャイムの音を受けて部屋の住人である男がドアを開くと、そこにはスーツをきっちりと着こんだ青年の姿があった。比較的長身で短い黒髪をした整った顔立ちの若い男だ。年の頃は二十代の前半くらいに見える。
見覚えのない相手に、ドアを開けたシャツを着崩した男の表情が警戒したものへと変わる。目の前の青年をいぶかしむように睨みつつ、誰何の声を上げた。
「あん? 誰だ手前?」
ガラの悪い男の問い掛けに、青年は無言のまま首に付けた個人端末を操作して、中空に自身のプロフィールを表示して見せる。そこに記されていた内容を見た男の顔色が、一瞬にして変わった。それは、怒りと恐怖、それに何よりも焦りの念だ。
「そ、それは……」
「内閣府直属改竄犯罪取締室一等取締官、真崎アラタだ。浅田ユウジで間違いないな? お前には現在、不正アクセスによるポイント操作の疑いが掛けられている。大人しく同行して貰おう」
「チッ」
青年──アラタの名乗りに対する男の反応は劇的だった。表情が一変すると同時に一つ舌打ちすると、戸口に立つアラタを押し退けて外に駆け出し逃げようとする。
「ッ! させるか!」
アラタは彼の肩の辺りを押し退けようとしてきた浅田の手を、身体を外側に開くようにしてかわし、そのまま腕を掴んで相手の肩甲骨の辺りを押さえるようにして床へと引き倒した。そのまま、アラタは左膝をうつ伏せになった浅田の背骨の中央に押し当てるようにして動きを抑え込む。
「真崎先輩!?」
「川合、手錠を」
「は、はい!」
扉の影に隠れて見えない場所にいたもう一人の人物、翠髪の女性がアラタの指示に従って手錠を取り出すと、彼に取り押さえられている浅田の手に後ろ手になるように手錠をかけた。
アラタに川合と呼ばれたその女性は彼と同じようにスーツを着こなしている。社会人である以上はアラタより少し下くらいの筈なのだが、幼く見える顔立ちのせいで、学生に見間違えられても不思議ではない。
「く、くそっ!?」
浅田は悪態を吐くが、後ろ手に拘束された状態では最早自由に身動きを取ることも出来なかった。
無力化に成功したと判断したアラタは浅田の身柄をサユリに預けると、彼が出てきた部屋に踏み込み、急ぎ差し押さえるべき証拠が無いか見回した。散らかったワンルームの室内の一角に電源が入ったまま置かれていたノート型端末を見付けたアラタは試しに中のデータを覗くが、果たしてそこには彼が探していたポイント操作の跡がしっかりと残されている。
目的を達成したアラタは一つ頷くと、ファイルを保存してから端末の電源を落とし、その場から持ち帰ることにして部屋を後にした。
アラタが電気を消して部屋を出ようとすると、床にうつ伏せに引き倒されている浅田と目が合う。浅田は憎悪の目でアラタを睨みながら吐き捨てるように言った。
「政府の狗が」
アラタは押収したノート型端末と交換で浅田の身柄を後輩のサユリから受け取ると、強引に立ち上がらせながら鋭い声で彼の耳元で告げた。
「チート野郎に批難される覚えはないな」
◆ ◆ ◆
「──以上が報告になります。鳳室長」
清潔感のあるオフィスの一番奥にあるデスクの前で、アラタとサユリの二人は直立しながらデスクの主に報告を行っていた。報告内容は数刻前に二人が身柄を拘束した改竄犯罪の被疑者、浅田ユウジに関するものだ。
二人が報告を行った相手であるデスクの主は、このオフィスの責任者でもある三十代後半の女性だ。紫色の髪を腰の辺りまで伸ばしスーツを着こなすその女性の名は鳳レイ、この内閣府直属改竄犯罪取締室の室長であり、アラタやサユリの上司に当たる人物だ。キャリア組のエリートである彼女は、若くしてこのオフィスを統括する役職を担っている。
手元に浮かび上がるディスプレイに表示された報告内容と照らし合わせながら彼らの報告を聞いていた鳳室長は、納得したように頷いた。
「組織的な犯行ではなく、あくまで一個人によるものだったようね」
「はい。押収した証拠からも、特段組織的な繋がりは見当たりませんでした。まず間違いなく、単独犯であると思われます」
「成程。それじゃ、後は検察と執行官に任せましょう。二人とも、ご苦労様。今日はもう上がっていいわよ」
「了解です。失礼します」
「失礼します」
右手を首の端末の前面に当てる独特の敬礼を行い、アラタとサユリは鳳室長の前から辞した。
自身のデスクに戻った二人は端末を立ち上げると、不在中に届いていたメールのチェックを行った。しかし、特段重要なメールは届いていないようだ。
サユリは隣の席に座るアラタの方を向き、問い掛けた。
「真崎先輩、今日はもう上がりですか?」
「ああ、そのつもりだ。お前の方は?」
「あ、私はこの後軽く資料を整理してから上がります」
「そうか。じゃ、先に上がるぞ?」
「はい、お疲れ様でした」
アラタは端末の電源を落とすと、挨拶をしてくるサユリに軽く手を振ってオフィスから退出した。彼にとっては普段よりも早い退勤だが、世間一般の退社時間とかち合ったらしく、ビルのエレベータは比較的混み合っている。
退勤する人の流れに乗ってビルから外に出ると、西の空が夕暮れに赤く染まっているのが見えた。アラタは一瞬だけそれを見上げると眩しそうに目を細め、最寄りのリニアステーションへと向かって歩き出した。
アラタが住んでいるマンションは、勤務先であるオフィスビルからリニアで一駅のところにある広めのワンルームマンションだ。リニアステーションの改札を潜ると、彼の首に付けられた端末からピッと音が鳴った。退勤する者達で賑わうホームで数分待って到着したリニアに乗り込むと、幾つか空いているシートが見えた。しかし、彼はシートには座らずに反対側のドアに寄り掛かった。どうせ一駅なのだから、敢えて座る必要もないと考えたためだ。空いていたシートは競い合うようにして埋まった。
数分後、マンションの最寄りのステーションに着いてリニアから降りたアラタは、ステーション前の総合ストアに立ち寄って夕食を調達することにした。パンを二つに惣菜を適当に何品か選ぶ、そしてビールを一本。それらを袋に入れるとレジのゲートを通過する。リニアに乗った時と同じように、首元の端末がピッと音を立てて精算が完了する。
ストアを出てからは他に寄るべきところもないため、そのままマンションに向かって歩いた。ステーションからおよそ徒歩十分の所にある八階建のマンション、その四〇三号室がアラタの家だ。ビルの入口のオートロックを首元の端末の照合で解除し、アラタはエレベータで四階まで上がった。自室のロックも同じように端末照合で開け、部屋の中へと入る。
部屋に入ったアラタは入口で靴を脱いで室内に入ると、手に持っていた夕食が入った袋を部屋の中央に据えてあるテーブルの上にそっと置いた。そして、スーツのジャケットを脱いでハンガーに掛けると、壁のフックに掛ける。
部屋の端に置かれている端末を立ち上げて幾つかのディスプレイを浮かび上がらせると、チャンネルを選択した。複数の局のニュースを同時に三つ程流しながら、アラタは袋からビールの缶を取り出して開けた。
「ふぅ……」
缶の三分の一程を呷った後、袋からパンと惣菜を取り出して机に並べ、夕食に取り掛かった。皿やフォークを出すのが面倒だったため、惣菜のプレートのまま手で摘まみ上げる。
パンを齧りながら、アラタはふと思い出したように首元の端末に触れた。すると、部屋に映し出されているニュース映像とは別に、アラタの眼前に小さなウィンドウが表示された。
そこには、彼の持つポイントの収入と支出の履歴が一覧として映し出されている。
「今月ちょっと拙いな、節約しないと……」
ポイント履歴を閲覧したアラタの表情が曇った。予想よりも支出が大きく、月末まで生活を切り詰める必要がありそうだったためだ。これが余計だったかと思いながらビールの缶を眺めるが、仕事上がりの一杯をやめるのは彼にとっては出来れば避けたい事項だ。アラタの職業は結構なストレスが溜まるので、これがなければやってられないという面もある。
「……ポイント、か」
一覧の支出ではなく収入の方を見ながら、アラタは一人ごちる。このポイントに密接に関わっている職務に就いている彼は、複雑な心境で思いを馳せた。
◆ ◆ ◆
西暦二一三七年、世界は「善行」に支配されていた。
切っ掛けとなったのは前世紀末に加速した世界的な治安の悪化だ。横行する凶悪犯罪にモラルハザード、そして国際的なテロ行為にカルト宗教の横行。新世紀に入っても何処までも際限なく悪化してゆく情勢に対抗する形で、一人の教授によって新たなる社会管理システムが提唱された。不破コウキ、現在の社会管理システムの父とも呼べる男だ。
彼が独自に組み上げて世間へと公開したそのシステムは、個人ごとに配布された端末から各人の行動を自動的に分析し、行動に評価ポイントを付与する仕組みだった。良い行い──すなわち善行を行えば加点。逆に悪い行い──悪行や犯罪行為を行った場合は減点するというのがシステムの基本となる。
当初はそのシステムによって各人の行為を可視化し、信頼に値する人物か否かを判断する材料に使用するだけの単純な仕組みだった。保有しているポイントが高い人物は善行を行っているので信頼出来る、一方でポイントが低い人物は悪行を行っているので信用出来ない、といった具合だ。当然、信頼されなければ仕事など様々な面で不利益を被ることになるため、人々は自然と善行を行うようになるだろうと為政者は考えていた。
しかし、それも所詮は焼け石に水。止め処なく加速する治安の悪化の歯止めにはならなかった。信頼によって抑止力と為す試みは、最初から暴力などを以って事を為そうとする者には通じなかったのだ。
あるいは、もう少し早い段階でその仕組みが取り入れられていたのであれば効果があった可能性はあるが、末期とも言える世界情勢の前には有効ではなかった。少なくともそれが現実だった。
業を煮やした日本政府はとある法律を強行的に制定、施行する。西暦二一二〇年に施行されたその法律の名は「善行における点数加減とその経済利用に関する法律」──それは善行を行うことでシステムから得られるポイントを既存の貨幣の代替とする法律であり、実質的に貨幣経済の終焉とも言えるものだった。
この法律の下において、人々は首輪型の端末を身に付けることを義務付けられた。そして、日々善行を行いポイントを稼いでは生活に費やす日々を送ることとなった。首輪型の端末を強制されることから、前述の法律を「首輪法」と揶揄する者も居る。
しばしば議論の争点となることではあるが、このシステムで評価されているのは善行であって善意ではない。善行とは善なる行為であり、善意とは善なる意思である。人間の意思というものは機械的なシステムで判断することは難しく、逆に行為であれば判断し易い。
その為に善行システムはそこに介在する人の意思は無関係に、具体的に行った行為によってのみ判断を下す。簡単に言えば、たとえ悪意を持っていたとしても、行為が善行であればプラスと看做されるのだ。それ故に、ポイント加算を目的とした打算的な行為であっても評価はされる。
例えば、リニアのシートに座っている青年の前に、立っているお年寄りが居たとしよう。彼または彼女が思いやりによってシートを譲ったとしたら、それは善意であり善行だと誰もが思うだろう。しかし、もし「ここでシートを譲ればポイントが得られる」と考えてシートを譲ったとしたらどうか。おそらく、世間一般ではその行為を善意によるものとは看做さないだろう。しかし、システムはどちらも同じ評価をする。それは「青年がお年寄りにシートを譲った」という行為のみを判断材料としているためだ。
それは、当時の技術力の限界であり、妥協の産物と解釈されていた。勿論、現在に至っても人の心を技術的に解明することは出来ていない。
しかし、悪意や打算の行為であっても、善行を是とするのであれば治安の悪化に歯止めを掛けられる、たとえ最善ではなかったとしても少なくとも今よりマシな世界を築くことが出来るという祈りにも似た希望の下に善行システムはスタートを切った。そして、結果的に治安の回復には想定以上の効果を上げることに成功した。
成果を上げたことで、日本に追随する形で各先進国もこぞって善行システムを取り入れ始め、今では一部の発展途上国や協調を嫌った独裁国家を除けば、世界のほぼ全てが善行システムの支配下にある。
新たな世界のもとでは窃盗等の軽犯罪を犯す者は捕縛の対象ではなくなり、ポイントの目減りという自動的な罰を科されることとなった。窃盗や詐欺では得られる財貨の価値がポイントの減算に考慮されるため、損をするだけの行為となったのだ。首輪によって監視されている以上は逃れる術もないため、それらの軽犯罪は劇的に減っていくこととなった。
軽犯罪の対処から解放された警察はその名を治安維持部隊と変え、専らポイントが減ることを躊躇しない凶悪犯罪者の拘束を任務とするようになる。
貨幣経済を終わらせるに当たって最も懸念されたのが、既得権を持つ富裕層の反発だった。彼らにしてみれば、持っている資産が紙切れと化すのだから到底受け入れられる筈がないと思われた。
しかし、蓋を開けてみれば嬉しい誤算と言うべきか、当初の想定よりも遥かに順調に善行システムは受け入れられた。その理由は、首輪法の施行に当たり、旧来の貨幣経済において有していた資産は同等のポイントと交換されることが骨子となっていたことである。当然、資産家であればスタート時点で多くのポイントを有していることになる。
ボランティアを行うにしても、単なる一個人で出来ることと資産を有する者が出来ることではその差は大きい。既得権益を持つ筈の資産家達が比較的スムーズに首輪法を受け入れたのも、そう言った大掛かりな善行によって上手くすればこれまで以上に資産を増やすことが出来るためだった。
しかし、当然ながら全ての者が首輪法と善行システムに賛成していたわけではなかった。強制的に善なる行為を行わせる法律に反発し、レジスタンスを自称して抵抗活動を行う者も存在する。如何に治安の悪化に歯止めが掛かったとはいえ、世界はまだまだ平和には程遠い状態だった。
また、中にはその制度の抜け道を突こうとする者もいる。
金銭とは異なりシステム上のデータであるポイントは、理論上ではハッキング等の手段によって改竄が可能なものである。勿論、システムの中枢はその場所すら極秘とされているし、セキュリティも狂気的な程に堅牢なものが組まれているため、突破することは容易ではない。だが、各人に配布された首輪型端末の方は流石に完璧とは言い難い。
善行に支配された現在の社会において、チートと呼ばれるポイント改竄行為は殺人をも超える重大犯罪として厳しく取り締まりの対象となっている。それは、横行を許せば社会秩序を崩壊させかねない危険な行為であるためだ。しかし、それでもチート行為を狙う者は後を絶たない。何しろ、もしも成功すれば一夜にして億万長者になれるのだから、欲に溺れて手を染める者は幾らでも居る。
事態を重く見た政府は、内閣府直轄として改竄犯罪を専門的に対処する部署──改竄犯罪取締室を立ち上げた。同じような組織は日本だけでなく各国にもそれぞれ設けられている。いや、どちらかと言えば欧米に比べると日本は改竄犯罪への対処が比較的対応が遅く、出遅れている方だった。
真崎アラタは、改竄犯罪取締室に所属する改竄犯罪取締官だ。システムから算出される改竄行為疑義リストに挙がった対象者を監視し、被疑者の行動とポイントの変動の矛盾を暴き、処罰を下すのが彼の任務だ。
「社会秩序を守るための正義の職務、か」
人並み以上に正義感が強いアラタは、その思いの下に改竄犯罪取締官になった。実際、常に真面目に取り組む彼の実績はトップクラスであり、史上最年少で一等取締官にまで出世している。
取締官の等級は一等から三等までが存在しているが、一等取締官は全国で数人しか存在しないエリートだ。等級によって権限も異なり、任せられる案件の難易度も変わってくる。昇級には一定期間の実務経験と試験をクリアすることが必要になる。通常であればアラタの年齢ではせいぜい二等取締官への昇級試験を受けるのが限界で、一等取締官になるには期間が足りない。しかし彼は、難事件解決を遂げた功績と室長の推薦により、特別に一等取締官への昇級試験を受けることが許されたのだ。結果的にアラタは試験を見事パスし、史上最年少の一等取締官として職務に就いている。
だがしかし、そんな彼も時折改竄犯罪取締官の職務について悩むことがあった。社会秩序を守ると言えば聞こえは良いが、現実に彼らが行っているのは疑義リストに挙がった被疑者を尾行しての証拠集めが殆どだ。政府の狗と罵られることもあるし、もっと口さがない者は彼らのことをこう呼ぶ……ストーカー、と。
勿論、アラタは改竄犯罪取締官であることに誇りを持っているし、これが社会秩序の維持に必要な、誰かがやらなければならないことであると理解している。しかし、被疑者を逮捕した後などは考えてしまうのだ。果たして、これで社会は少しでも良い方に転じたのかと。改竄犯罪に手を染める者は後を絶たない。今日捕まえた浅田にしても、その内のたった一人でしかないのだ。明日にはまた別の犯罪者が改竄行為を始めるかも知れない。
焼け石に水、いたちごっこ……そんな言葉が彼の脳裏に浮かんで離れなかった。
「やらないと悪くなるけど、やったからって良い方に進むとは限らない」
自嘲にも似た独り言を呟きながら、アラタは飲み終わったビールの缶を畳むように握り潰した。