コンビニ
ゴーンと名のる男とともに、僕は道を歩いていた。
彼は僕よりも頭一つぶんほど身長が高く、僕が話しかけようとすると自然と見あげるかたちになる。
「ゴーンさん、お腹すきません?」
僕たちは立ちどまることなくただひたすらに歩みをすすめている。僕の頭の真上に見えていた太陽が、今はしずんで地平線と接している。そして、歩くというのはエネルギーを消費するということでもあって、僕の腹の下のほうから発生する刺すような小さな痛みが、空腹を主張していた。
「確かにそうだな。お前なにか食いもの持ってるか?」
「何も。食いものも飲みものもなし」
「俺もだ。さっきの宇宙基地からなにか持ってくればよかったな」
ゴーンさんは、ため息をつく。後悔のため息。
「草でも食べますか?意外といけるかも」
道の周辺には、ぽつりぽつりとくるぶしぐらいまでの高さの、赤茶けた植物がはえている。
「それは最後の手段だな、トラス。いよいよ腹がへって、飢え死にするっていうとき。
そんときは、鍋に湯をわかして、草をつっこんで煮て食おう」
「どこに鍋があるんですか?あと、水と火も」
「現実的なんだな、お前。そんなに冷めてると人生つまらんぞ」
「そうかもしれないですね」
それから僕たちはだまって歩きつづけた。やがて太陽はすっかり地平線のむこうがわに沈み、あたりは暗くなっていく。僕たちのほか誰もいない道には、当然明かりを発するものはない。月の明かりだけが、ただ一つの道しるべとなった。今日は満月に近いらしく、暗くて困るというようなことはない。
ひたすら、前をにらみながら歩く。遠くのほうに、一階建てぐらいの背のひくい建物が見えたような気がした。
「ゴーンさん、道のむこう、なにか建物が見えませんか」
「建物......?どこだ?なにも見えないぞ」
ゴーンさんは両手でひさしを作って目の上にあてる。
「ずっと前のほう、小さな四角い建物です」
ゴーンさんはうーむとうなる。
「俺にはわからんぞ。お前、目がいいんだな」
それからさらに歩きつづけ、建物がよく見えるほどの場所までちかづいてきた。僕はすっかり疲れはてていた。だがゴーンさんのほうを見ると、まだまだ平気そうな顔をしている。
「ゴーンさん、あの建物は......」
四角い建造物は、広いアスファルト舗装のまんなかにたっている。くすんだ赤色の屋根と、くらいオレンジと明るいベージュのモザイクタイルのような外壁。そして建物のなかがまる見えになっているほどの広い開口部。
建物の目のまえにやってきた。足もとのアスファルトはあちこちひびわれ、すきまから草が顔をだしてるようだ。建物の開口部は、ガラスがはられている部分と、そうでない部分がある。ガラスがはられていない部分は割れてしまったようだ。
「間違いないな!」
ゴーンさんはうれしそうに言う。
「これは、コンビニだ!」
「コン......ビニ......?」
コンビニ......。その言葉の意味は僕にはわからない。だけど、僕はその言葉を聞いたことがあるような気がしている。どこか懐かしいような、そんな感覚。僕はその言葉を、どこで聞いたんだろう?
「なんだ、トラス、お前コンビニも分からないのか。ほんとうにモノを知らないんだな。どこの田舎からでてきたんだ?」
ゴーンさんがおもしろがって僕をからかうので、僕はちょっとぶっきらぼうにこたえる。
「ほっといてくださいよ。なんなんですか?コンビニって」
「そりゃあ、コンビニっていったらコンビニエンスよ。つまり、いろいろ売ってる店ってことよ」
それからゴーンさんはうれしい言葉をつけたす。
「もちろん、食いものもな。さあいくぞ、トラス!まだなにか、残ってるはずだ」
ガラスが割れおちた窓をまたいで、建物のなかにはいる。床に足をおろすと、ビシッというかわいた音がして、何かを割った感触がした。ガラスの破片がちらばっている。
「ケガしないように気をつけろよ」
僕はゴーンさんのあとについて、暗い建物のなかをゆっくりとすすむ。背の高さよりもひくいぐらいの棚がいくつもならんでいて、迷路みたいに見える。その棚は、どれもからっぽのようだった。
がさりという音がする。床におちている何かをふみつけたような感触。拾いあげてみると、ほこりにまみれ、灰色にうすよごれた紙の束だった。けっこうぶ厚い。表面になにか書いているようだ。泥とほこりをはたく。紙の束から砂ぼこりがまいあがり、それを吸いこんでしまった僕はむせかえる。
「週刊少年ジャンプ......?」
紙の束の表面には、大きい文字でそう書かれていた。そして、いろんな色をつかったあざやかでくっきりとした絵が描かれている。いったいこれは何なんだろう?僕はその表面の紙をめくり、紙の束の中身に目をとおす。どの紙にも、いろんな大きさや形の絵が描かれている。紙一枚に五、六個の絵があるところもあれば、紙二枚で一枚の絵を描いていることもある。絵にはたいてい文字がいっしょに書かれていて、それは人間同士の会話の内容を表しているようだった。
「ゴーンさん、これは何でしょう?」
僕は紙の束をかかげ、前をすすむゴーンさんに問いかける。
「いいもの持ってるじゃないか。後でよむか、そのマンガ」
ゴーンさんはすこしわらって答える。これは、マンガ、というものなのか。全く聞いたことのない言葉だった。だけどどこか懐かしいような、そんな感じも、した。
「あちっ!あちっ!」
火にくべていた缶づめを取ろうとしたゴーンさん。缶はそうとう熱くなっていたらしい。
「大丈夫ですか?」
僕は建物のなかに落ちていたうすよごれた布を缶にかぶせ、布の上から缶をつかみ、火から遠ざけた。
「サンキュー、トラス」
僕たちは、コンビニという建物のなかから、いくつかの食べものを見つけだしていた。円筒上のかたい容器は、缶詰というもので、なかにさまざまな種類の食べものが入っているらしい。
コンビニの中にあった、布や紙の束といった燃えやすそうなものをかき集めて、表の広場で火をおこす。そこで缶詰を温めて、食べるところだった。
「こうやって、開けるんだぞ」
ゴーンさんは器用に缶の表面についた輪っかに指をとおし、べりべりとふたをめくり開ける。僕もまねをしてふたを開けた。
生の動物のかおり......海のにおいがしたような気がした。悪いかおりじゃない。缶詰のなかには、どろっとした液体につかった、魚のきれはしがふたつ。あたたかい湯気がたっている。口にはこぶ。魚はやわらかく、骨が口のなかで粉々にくずれていく感触がする。脂分はいがいとそこまでおおくない。そして、しょっぱいような、甘いような、生臭いような、そんな味がした。
「おいしいだろ、イワシのみそ煮」
「はい、おいしいです」
「お前ほんと幸せそうな顔してるな」
ゴーンさんに言われて、僕は自分がだらしなくにやついていることに気がついた。なんだか恥ずかしくて、あわてて真顔にもどる。
「はぁー、腹いっぱいになったら眠くなってきたな。俺たちが見つけた缶づめは何個あった?」
かたわらの缶づめのピラミッドにちらりと目をやる。
「うーん。二十......いや、三十個ぐらいかな」
「そんだけあったら、四、五日は食うものにこまらないな。二、三日ここでのんびりしていくか?」
「別にいいですけど......急いでるわけでもないし」
「ふぁー、寝るか。朝になってから考えようぜ」
ゴーンさんは地べたにそのまま横になる。僕もそのとなりに横たわった。風が音もなく顔をなでる。仰むけになって寝ころがれば、目のまえにひろがるのはまっくらな空だけ。黒くてかるい雲が動き、月が姿を見せたり隠れたりする。
「......みんないまごろ、どこに行ってるんだろうな」
となりでつぶやく小さな声。僕はそれにかえす言葉をもたない。
「おい、起きろトラス」
ゴーンさんに身体をゆすられ、僕は目をさました。いつのまにか寝ていたらしい。なにか変な夢を見ていたような気もしたが、なにも覚えていなかった。
「ふぁあ、おはようございます。もう朝?」
「寝ぼけてないで、しっかりしてくれ」
まだ、あたりは暗い。頭上を見あげる。月はしっかりと輝き、その位置はほとんど変わっていないように見えた。
「何か、変な音が聞こえないか?」
ゴーンさんはそう言って、横むきに地面によこたわり、耳をアスファルトにおしあてた。僕も同じように確かめる。冷たくかたい道路から、なにか低くうなる音が聞こえるような気がする。
「なんだろう?」
「だんだん、大きくなってきてるんだ。音が」
そういって、ゴーンさんは歩いて広場をでて、道の真ん中、僕らがあるいてきたルート192の中央で立ち止まった。
「このへんだ。このあたりが一番はっきり聞こえるんだ」
ゴーンさんはふたたび地面に耳をあてる。
「またさっきより大きくなってるぞ!トラス」
僕は、ゴーンさんと同じように、地面に耳を押しあてたりはしなかった。もう、そんなことをしなくても音ははっきりと聞こえる。
「なにか、近づいているんじゃないかな?」
周囲を見まわすが、近づいているものの姿はまったく見えない。音はどんどん大きくなっている。ごうごうと響く低く同じ調子の音。がりがりと響く何かを壊しているような音。
「おいおいおい、いったい何なんだ」
「逃げたほうがいいんじゃ?ゴーンさん」
足元の地面に突然、ふとい亀裂がはしった。僕の立っている場所を中心にして、放射線状に広がる亀裂。
「いっ!?」
「やばい、逃げろ!トラス!」
ここから離れる。走って逃げる。足元が崩れ落ちる感覚。深い穴に落ちるような感じ。
「トラス!!」
轟音、土と煙だけがみえる。ゴーンさんが僕のほうに手を伸ばす。だが、ゴーンさんは上へ上へと
のぼっていく。違う。ゴーンさんがのぼっているのではない。
僕が落ちていくのだ。
目の前、何か大きい金属の塊が、地面を突き破るように通っていった気がした。
甲高い、金属をこすりあわせているような耳ざわりな音と、低く、濁流のなかにいるような音がする。その音は、どんどん大きくなっていく。耳に痛みを感じるほどだ。
衝撃。
背中が、焼けるようにあつかった。だけど、痛くはなかった。
音が消えた。あんなにうるさかったのに。
心臓の音が聞こえた気がした。僕の心臓の音。
太く毛むくじゃらな腕と、ごつごつした手のひらを思いだした。僕にさしのべられた、ゴーンさんの手。
なんの音もなかった。目の前が、真っ暗になった。それがいつからなのか、僕は思い出そうとした。
そして白になった。
白。