192
ここは、どんな場所なんですか?
僕は、男にそう尋ねた。
男は答える。
「ここは、宇宙基地だったんだ。たくさんのロケットがここから出発していった。一つ一つのロケットに大勢の人が乗ってな」
みんな、地球を出ていった。
男は最後にそうつぶやいた。
「それは、いつのことなんです?」
「もう、何年も前のことだ。俺はそれからずっとひとりでここを守って来たんだ」
「ずっと?」
「警備員だったからな、ここの」
男はそういって、胸をトントンと叩いた。
男は、ぼろぼろになったブルーのシャツを着ている。
「あなたは、地球を出ていかないんですか?」
「行かないんじゃない。行けなかったんだ」
「行けない……」
「出発の日、寝坊してな!乗り遅れたってわけだ!」
そう言って男は笑った。
「でも、あなたはここの警備員だったんでしょう」
「そう。俺はここの警備員だ。俺が置いていかれた日からずっとな」
「……」
「みんな行ってしまった日から、俺はここにずっといる。ここには食料もあるし、住むところもある」
「いいところですね」
「それに、ここで待ってたら、いつか誰か帰って来るかもしれないだろう?ここは、宇宙に開かれた港、なんだから」
風が吹いて、錆びついた鉄塔にまとわりつく音がした。
広くて、静かな港。
きっともう、二度と開かれることはない港。
「あの日以来、人に会ったのはお前がはじめてだ!
なあ、お前はどこから来たんだ?お前も置いていかれたのか?」
男は僕に尋ねる。
「僕は……」
僕は、どこから来たんだろう?
僕も、置いていかれたのかな?
「僕は……分かりません」
「気がついたら、そう、目を開けたら道の上に立っていたんです」
ここがどんな場所で、自分が何者なのかもよく分からないまま。
それより前と言うものが、自分にもある気はする。
だけど、思い出そうとしても、まるで記憶が濃くて粘り気のある霧につかまったように、何も見えない。
男はちょっと不思議そうに尋ねた。
「道っていうのは、192のことか?」
「192?」
「ここの横を通ってる道のことさ!お前もそこを歩いて来たんだろう?」
「はい……」
「192番目に作られた道だから192って言うらしい。
この国には道が200本あって、あちこちで交わってる。そして、この国中をつないでいるんだ」
「200本の、道……」
「お前、これからどこに行くのか決めてるのか?」
「……いいえ」
「なら、この192をまっすぐ行くんだ。しばらく歩けば、この道は終わる。そして、確か32か23だったか……他の道とつながっている。その結節点に、昔の街が残ってるんだ。俺もたまに行くんだ。面白いとこだぜ。まだ、生きてる街だ」
男は、地面に座って、タバコに火をつける。
「ありがとうございます。行ってみようかな」
「ふうー」
男が、口から吐き出した白い煙は、風に巻き取られてすぐに消えてしまう。
「俺も一緒に行ってやるよ。お前、なんだか頼りないしな。一本道でも迷いそうだ」
男は僕の方を見ないでそう言った。
「いいんですか?警備は」
「ああ、もういいんだよ」
いいんだ。どうせもう誰も帰ってこない。
そう、ちょっとぶっきらぼうに言った。
「さあ、行こうぜ。日が暮れちまう」
男は立ち上がって、吸いさしのタバコを地面に落とし踏みつぶした。
「俺は、ゴーンって言うんだ。ゴーン・モレアノス。お前の名前は?」
「名前……」
僕の名前。何だっけ?
「分かりません」
「おいおい。ここがどこなのかも分からないし、自分の名前も分からないなんて、ひどい記憶喪失だな。頭を打ったりしたのか?」
「かもしれませんね」
「名前がないんじゃ、呼びにくいな」
「あなたが考えてくれませんか?とりあえず、便宜的に使う名前ってことで」
「おいおい、そんな適当でいいのか?犬や猫に名前つけるみたいなこと」
「いつか、名前を思い出すまで使うだけですよ」
「そうか」
うーん。男は頭をかきむしって悩む。
「ここの宇宙基地の塔は、192トラスって呼ばれてたんだ。まあ、192の横にあるトラス構造物ってことでな」
「だから、トラスっていう名前はどうだ?」
「トラス……なんか名前に使うような言葉じゃないような……」
「お前が考えてくれって言ったんだぜ!別に気に入らなけりゃ自分で考えればいいじゃないか」
「いいえ、気に入らないわけではありませんよ」
「僕は、トラスと名乗ることにします。よろしく、ゴーンさん」
「おお、よろしく!」
今僕は、トラスになった。