五階(目覚め)
生命の詩の裏話です。
生命の詩を読んでいない方は、そちらから読んで頂けたらと思います。
五階(運命を変える出会い)
男は真っ白な細い通路を歩き続けていた。もうどれ程の時間を無意味に歩き続けただろうか。男は歩いている間に、たくさんの人間の死体を見てきた。男の頭の中で、その姿が否応無しに自分の姿と重なる。
(化け物…。果たしてどんな怪物なのか。楽しみだ。)
男は今、自分が絶望ともとれる悲惨な状況にいるにも関わらず、不思議と胸を踊らせていた。自分は武術に長けている。その考えは、決して奢りや満身からくるものでは無い。しかし男は、そんな自分でも、いつの日か絶対に勝つ事の出来ない相手と巡り会うのではないかと期待していたのだ。そして、それが今、この時なのかもしれないと考えると、男は胸を踊らせずにはいられなかった。
(落ち着け…。冷静を欠いてしまっては命取りになる。)
自然と高鳴る胸の鼓動を必死に抑え込み、男は冷静さを保とうとする。しかし、抑えきれない気持ちの高ぶりがそれを拒んだ。男は早く知りたかったのだ。自分の力が何処までのものなのか、そして、自分がどれ程の器の人間なのかと。男はそれを知る為ならば、命すら惜しく無いとすら思っていた。
「おい!…おっさん!」
男が何度目かの十字路に差し掛かった時、右手の通路から若い男の声が聞こえた。身長は180㎝前後。布の衣服を纏っており、細い身体の線が浮き彫りになっている。だからといって、決して戦闘に不向きな体格では無い。その細い身体には高密度の筋肉が蓄えられており、俊敏な動きを可能とさせている。男は一目見ただけで、彼の戦闘能力を把握していた。
「まだそんな重たいもん着てんのかよ。黒い甲冑…あんた、二階で竜を仕留めたおっさんだよな。」
(仕留めては無いんだがな。)
「良い男と書いて良男だ。青年よ。身を守る為に甲冑は不可欠な装備だぞ。」
良男は簡単な自己紹介と共に右手を差し出したのだが、青年はわざとらしくそれを無視する。
「偉そうにすんなよな。甲冑なんてこの階じゃなんの役にも立たねえよ。此処の化け物は、甲冑なんて意味無いぐらいの攻撃力だぜ。」
「化け物を知っているのか!?そいつは何処にいる!?」
良男の声が自然と大きくなる。それもその筈、彼はこの死体ばかりの光景にうんざりしていたし、先に上の階に行った小さな戦士達の無事を、一刻も早く確認したかったのだ。
「お、落ち着けよ!いる場所なんてわかんねえし。」
青年は良男の声に驚き、慌てて諭す様に言った。
「すまぬ。」
良男はすぐに、取り乱した自分を恥じた。
「おっさんも化け物を探してるのか?俺もなんだよ。紙に書いてあったんだ。タイマンで倒せって。」
(俺と同じか。しかし、この青年が…。)
「おっと俺を見くびるなよ。」
青年は良男の表情から心の内を見抜き、誇らしげに腰に差した鞘を見せつけてきた。その鞘からは禍々しいオーラが感じられる。恐らくは、それに収められている一本の刀から…。
「この刀、この階に来た時に紙と一緒に置いてあったんた。他の奴らのとこには無かったみたいだな。つまり、俺だけが選ばれたって事だ。へっへっへ。」
青年の顔が不敵に歪む。
「選ばれたって何にだ?」
「そんなもんは知らねぇしどうだって良い。だけど俺だけが力を手に入れたのは事実だ。この刀、鞘から解放してやれば、持ち手に凄まじい力が漲ってくんだよ。…おっさん。あんたなんて今の俺に掛かれば瞬殺だぜ。」
良男の素直な疑問に、青年は不躾に応えた。しかし、そんな事で腹を立てる程、良男は子供では無い。
「妖刀の類か。こんな状況でもなければ、一度手合わせ願いたいものだ。」
「へっへっへ。無理すんなよ。顔が引きつってるぜ。」
良男の言葉は青年の言うように無理をしている言葉だった。良男の本心は、今すぐにでも青年と戦いたかったのだ。だが、彼の人としての人格がそれを押さえ込んでいる。
「そうだな。しかし、強大な力を手に入れようとも、戦う相手がいなくてはつまらないだろう。…早く化け物を探すんだな。」
良男の言葉に、青年は無邪気な笑みを零した。
「おっさん、分かってるねぇ。やっぱりその辺の奴らとは違うな。…俺は高秀。さぁ、さっさと探そうぜ。」
高秀は良男の言葉に気分を良くし、名前を名乗る。
(付いて来るのか?一対一で化け物と戦わなくてはならないと言うのに…。)
「おい、早く行こうぜ!」
「やれやれ。」
良男は小さく呟き、先を歩く高秀の後を追った。
五階(勇気を出す事は必ずしも…)
(どういう事だ。化け物と全く出会す気配が無い。)
「ほんとにいんのかよ。死体しかねえじゃねえか!」
高秀が幸先の悪さに苛立ち始める。
(化け物なんていないのか?いや…。)
「この階に化け物は確実にいる筈だ。弱点は顔…それに間違いはない。」
良男は信頼出来る戦士の言葉を思い出し、考えを改める。
「でもよう………!」
高秀は前方のT字道を通り過ぎた、緑色の生き物を見付け言葉を詰まらせた。高秀の表情には自然と笑みが溢れる。
「おっさん。わりぃけど先に行かせて貰うぜ。」
彼の口調は先程までのものとは異なり、殺気を帯びていた。その声からは、彼の本気の気持ちが伺える。高秀は鞘から刀を抜き出し、切っ先を良男の胸に突き付けている。高秀が刀を構えた瞬間、彼の身体は紫色のオーラに包まれ、瞳の色が真っ赤に変化していた。そして血液の流れが活性化されているのか、全身に張り巡らされている血管が浮き上がり、素早く脈打っている。
(高秀を殺すか…。この期を逃せば、次にあの生き物と出会せるのはいつになるのか分からない。そうなると、先を進んだ友気達が心配だ。)
良男は背中に背負っていた槍に意識を集中させ、すぐに考えを改めた。
(俺は何を考えているんだ。彼は共に姫を助けに来た仲間では無いか!…それに本当に友気達を心配しての考えなのか?…俺は彼と戦ってみたいだけ…。)
「…良いだろう。早く行くんだ。…逃げられるぞ。」
そこまで考え、良男は首を横に振り、無理矢理考えるのを止めて言った。
「わりぃな。力が…力が溢れてくる!こっちだ化け物ぉ!」
高秀は大地を蹴り、疾走した。その速度は人間のそれを優に超越している。それに遅れ、良男も後に続いた。
そして良男が十字路を左に曲がると、緑色のタイツを全身に着た化け物と対峙している高秀の姿が目に入った。
「ギ、ギギギ、」
化け物の表情が高秀を見た途端、笑顔に変わった。
(あの体制からどうやって仕掛けてくるつもりだ?)
化け物は両腕を頭の上に突き上げ、不気味に腰を左右に振っている。
「死ねェ!」
高秀の声に若干の違和感を感じたが、今はそれどころでは無い。
高秀が化け物の胴体目掛けて横方向に刀を振るう。その太刀筋は目にも止まらぬ素晴らしい物だったのだが、化け物の胴体に触れる事は無かった。化け物は高秀の間合いを完全に理解しており、僅かな移動で高速の刃をかわしたのだ。
(まずい!)
刀を振り切り、死に体と呼ばれる態勢に入った高秀は完全に無防備だ。そんな態勢の高秀に、化け物の腕が鞭のようなしなやかさを伴って、無情にも振り落とされる。
「ビ…ビケ。」
化け物の胴体が真っ二つに切断された。高秀は死に体のまま全く動いてはいない。化け物の顔が驚愕に引きつり、上半身が崩れ落ちた。友気の話では、タイツの上からの攻撃は功を成さない筈なのだが、化け物の身体はタイツの上から真っ二つに切り裂かれていた。だからといって、友気が良男に嘘を付いたとは考え難い。つまりそれは、凄まじい程の刀の切れ味を物語っているのだ。
「やったぞ!高秀!大した男だ!」
高秀に駆け寄る良男。戦いに勝利した青年を讃えようとしたのだ。しかし…。
「ふぅ…ふぅ。…アァァァ!」
高秀の身体を包む、オーラの色が真っ赤に変化する。
「…高秀。」
良男は彼の姿を目にし、すぐに悟った。彼の身体は今、何者かに支配されていると言う事を。
「ワレ、ツヨキモノヲモトメル。ナンジ……カクゴ!」
「ク!」
良男は、自分の首筋目掛けて放たれた刃を紙一重でかわす。かわした瞬間、高秀の身体に隙が出来たのを良男は見逃さなかった。
(ダメだ!なんとか高秀を正気に戻さなくては。)
良男はその隙をわざと見逃し、後方に飛んで高秀との距離をとる。
その時、今まで良男が立っていた空間に、一本の赤い線が引かれた。
(今のは…。あの刀の技なのか?あれが化け物の身体を…。)
「面白い。」
良男が高秀の身体を気遣い、身を引かなければ、今頃彼の身体は真っ二つに裂かれていた事だろう。それにも関わらず、彼は笑みを浮かべていた。
(殺すしかないな。)
「ワラッテイルナ。ナンジ、ワレトオナジ。タタカイヲコノムモノ。タタカイノナカデシカ、イキラレナイモノ。」
高秀の口から発せられた別のものの言葉で、良男は考えを改める。
「話すのか?戦うのか?」
(恐らくはあの妖刀に支配されているのだろう。高秀には悪いが、腕を切り落とさせてもらうしか手は無さそうだ。)
「ハッハッハ。ナゼジブンニウソヲツク。コロシタクテシカタガナイクセニ。ズット、コノカラダトタタカイタカッタノダロウ?」
「……黙れ。」
「先程の笑み。この身体と戦える理由が出来て、心底喜んでいたではないか。」
口調が高秀のものに戻った。完全に高秀の身体が刀に支配されたのだ。
「姫の存在などどうでも良いのだろう?お前は強い者と戦い、殺したいだけだ。」
(…こいつの声。直接頭に…いや、胸に響いている様だ。)
「認めるのも勇気。もし、汝にそれを受け止められる器が有るのならば、更なる境地に辿り着ける事だろう。それが出来ないのならば、所詮はその程度の男だという事だ。どちらにせよ、全力でくる事だ。お前が絶対に勝てない相手が目の前にいるのだ。お前はこの状況を待ち焦がれていた筈だ。」
「……殺す。」
良男の言葉に、高秀の顔が邪悪に歪む。
(違う!俺の本心では無い!操られているのか!?)
「いや、それがお前の本心だよ。それで良いんだ。自分の本心を恐れる必要は何も無い。それは強者である俺達の特権。…参る。」
高秀が刀を構えたまま、じりじりと間合いを詰めてくる。それに対し、良男はただ立ち尽くし、不敵な笑みを浮かべていた。
(そうだ。…こいつの言う事に間違いは無い。…これが俺の本心。俺は今まで何を恐れていたのだ。)
「はっはっは。何故隠していた。隠す必要なんて無い!俺は強い!殺りたい様に殺れば良いのだ!」
良男は自分を絡めていた鎖を自ら断ち切り、兜を脱ぎ捨てた。そこには、頬が痩け、無精髭を生やした色黒の男がいた。その瞳は、狂気の殺気に満ち溢れている。
「真の自分を知る、勇気有る強者。だが、その強者も今此処で消える。残念だ。だがそれが強者の掟…死ね!」
高秀がお互いの間合いに入った刹那。先程とは比べ物にならない、凄まじい速度を持った刃が、良男の首筋目掛けて吸い込まれていく。
「……………見事。」
それよりも一瞬早く、良男の投げた短刀が、高秀の心臓部に突き刺さった。
(こんなものでは無い。もっと。もっとだ!)
「真の強者の末路。是非とも見届けたい。」
「高秀…。もし、来世で出会えるのならば…また死合いたいものだな。」
高秀を覆っていた赤いオーラが消え去ると同時に、彼の呼吸も途絶えていた。良男は高秀の胸に突き刺さった短刀を乱暴に引き抜き、前方に出現した光の階段に目を移す。
「付いて来るのか?」
良男は、いつの間にか自分の腰に張り付いていた鞘を見て言った。何に固定される訳でも無く、宙に浮いている様に重さを感じさせないその鞘は、その中に収められている、狂気ともとれるオーラを抑えつけていた。
「もう俺は自分から逃げない。強者は嘘を付く必要は無い。」