積雲
今、マガリーは部屋の扉を閉めて、ベットに腰をかけている。窓のカーテンは開けてあるが、窓は閉められている。まだ夕暮れ時に窓を開けても暖房が要らないほどの春ではない。しかし日中だけならすでに春であり、暖かな日射しがある。その証拠に一週間前にはキュウリグサが咲いていたし、二三日前にはオオイヌノフグリの花が路地に青空色の点々をつくっていた。公園の芝も少しずつ黄緑色に替わりつつあるし、今日はタンポポの花を見た。
今はきっと、春への助走。マガリーはそう信じている。
ベットの上、無造作に置かれた星座早見をくるくると回した。マガリーは約十年間、その星座早見を夜空の探検に欠かさなかった。銀と紺色のお碗型、二ヶ月ほど前にプラネタリウムに行ったときにはもう売っていなかった。新しいデザインは……なんだかつまらない、そう思った。
今日の日付に合わせてみた。時刻は夕暮れ。北向の部屋は寒い。西の空が橙、薄黄、わずかに薄緑、水色、それから紺色の順の段々に滲んでいる。
期待していた一番星は見えない。金星が出るのは南西だし、千切れた積雲が空のところどころを隠してしまった。雲に西日が当たる。紺灰色に橙の影がついた。
期待が大きく外れた時、わざと大げさな吐息をすることに決めている。そうすると、救われた気分になるからだ。
「あ」
思わずマガリーは声をあげて、窓へ寄った。景色の変化はない。
雲のかたち、積雲。綿雲だった。
綿を千切ってそのまま投げたような……出来立てのまだ温かい綿あめのような……何かの生き物のような積雲。
秋の薄い雲ではない、湿った雲。確かに「春のかたち」だった。
なぜ気付かなかったのだろう?
紺色の空に自問した。
確かに春は、たくさんの湿気を纏ってやって来ている。
――花が呼ぶんじゃないのか。
――雲が運ぶんだ。
もうすぐ湿気と体温をもったものが、春をつくる。
――だから春は生温い。
――たぶん。
大げさなため息を吐いた。
今日ぐらいは許してやる、明日はちゃんと晴れろよ、と、飛行する巨大な生き物に呟く。
その返事の有無はマガリーしか知らない。
2008.03.