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シュー  作者: 山川 夜高
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くろがね

今日は12月7日


 日曜なのですることも無く、缶の汁粉を飲みながら公園を歩いていた。何となく木々を眺めていると赤い実が生っていることに気付く。それはクロガネモチというらしい。そして植物からの連想だろうが、夢を思い出すように、先週の日曜のことが脳裏に浮かんだ。私は友人の元を訪れたのだった。


 彼との出会いは中央区の王立図書館だった。私も彼もまだ二十代だった。彼は大学生だった。何故彼と今も交友が続いているのか、実は私にも分からない。


 私は首都の『騎士』で、中央区・王城周辺の警備をしている、が今の時世その誇りは何処に行ったのか、騎士など殆ど観光ガイド同然の扱いである。イーストも同じような状況らしい。確かに我々は剣を交えることがめいであるから、我々の仕事が無いことは喜ぶべきなのだが……。

 私は、時代遅れの人間らしかった。


 先週、私は彼の元を訪れた。彼の家も首都にあるが、首都といっても閑散とした、各駅停車しか止まらないような郊外で、私は二回乗り換えて彼の家へ向かった。彼の家は駅から十五分程の距離だった。駅で買った安い缶の汁粉を飲みながら、私は並木通りを歩いた。それから住宅地の細い抜け道を行き、ゆるい坂を登る。着いたのは小川に沿った、妙に曲線的な手すりのついた家だった。


 私はチャイムを鳴らした。しかし彼は出なかった。

「チャイムぐらい出たらどうだ」

聴こえているんだろう、と私はドア越しに彼に言った。

 少し赤みがかった木製ドアは直ぐに開いた。眠そうな目で彼は出た。

「相変わらずだな、君は」

「変わっていたら僕じゃあないだろう、気持ちが悪い」

そう言って、身ぶりで私を招き入れた。


 彼の同居人はひとり娘だけであった。私は娘に会おうと思っていたが、このところ学校が終わると直ぐに友人と遊びに行ってしまうという。

「最近は植物園ばかり行っている。よく飽きないものだよ」

ひび割れたカップにコーヒーを淹れる彼はうんざりといった調子だった。娘が父を離れ友人の元へ行ってしまった嫉妬心もありそうだと思った。

「別に植物を愛でることはいいことだろう。今の子は生き物を知る機会が無いからな」

「ふん」

目の前に置かれた無糖であろうコーヒーは彼の妬みの心情よろしく不透明な黒だった。私は顔をしかめた。対する彼はといえば、ちゃっかりカフェオレを飲んでいた。


「植物園、と言ったって、中はそこらの公園と変わらんよ。わざわざ温室まで建てて、本来ここに生きている筈の無いものを植えて、全く、何が楽しいのやら」

一見すると正論に聴こえるが、彼の心情には動物愛護も自然保護もない。彼は単に生き物が嫌いなだけである。


 「それで、君は何の用だったかな」

 苦い上に熱いコーヒーに苦戦していた為か私は一瞬何を訊かれたのか分からなかった。私は返答に迷った。

「……丘の上の屋敷はどうなっている?」

「……ああ」

彼は窓を一瞥した。私と同じように眩しいらしかった。

 彼の白い頭髪に夕日が落ち、まるでブロンズのように見えた。老化などではなく、生まれつき陶器に似たなめらかな白色で、彼の娘も同じく白髪を持って生まれた。そして二人とも癖毛だった。

 「変わらないよ、と言いたいが……ほんの数月前に呪文師が戻ったらしい。全く、今更という感じだよ。元の家主が死んでから何年何十年経ったことやら……。奴が悪霊にでもなって住めなかった、とかそういう所だろう」

まあ娘から聞いたものだから確証は無いがな、と彼は笑った。まるで自嘲のようににやりと笑った。

「それを何故僕に訊くんだい?」

 そうして私はまた答えに迷った。私は窓の向こうを見定めようとしたが、カーテンに遮られそれは出来なかった。しかし一本の木は見えた。常緑樹らしく葉が繁っていた。

 突然彼は笑い声をあげた。声と言うより、笑いを堪えられない為に息をはいてしまった、という方に近かった。彼がなぜ笑い出したのか分からず、私はただ彼を呆然と見ていた。

「君は変わらないのだな。何も変わっていない」

と彼は言った。少し前の蔑む笑いではなかった。笑うと彼は、その白い髪を忘れさせる程若々しく見えた。若き日の面影が残る笑みだった。

「君の癖さ。君は困ると窓を見たがるんだ。昔からそうさ。気付いていたかい?」

 私は思わずまた窓を見た。今度は高い所を黒い点が通過した。きっとカラスだと思った。彼はといえば、まだ笑っている。


 言おうとして、言いかけていた問いは自然と出た。恐らく――今思えばの話だが――私はこれを問うために、各駅停車で彼の家まで向かったのだ。

「私は、変わったのだろうか?」

「……さあ」

彼は頬杖をつき、私を見て、それからやはり窓を見た。思ったよりも日は傾いていなかった。妙に日差しが黄ばんで見えたのはカーテンのせいか。

「僕個人の意見を言うと、そんなに変わっていない。困ったときといい、カップの持ち方といい、癖はそのままさ」

「癖?」

私はようやく冷めてきた苦いコーヒーを飲み終えた所だった。彼のカップはとっくに空である。

「小指が立っている」

あ、と私は声をあげた。


「意外と直ぐに帰るんだな」

「突然だったからな、迷惑だろう。このまま夕飯まで頂く訳にはいかないよ」

「夕飯……」

彼の顔が強ばった。どうやら全く準備を忘れていたらしい。ははは、と私は笑った。

 私は少ない荷物をまとめあげて、コートを羽織った。外はそんなに寒くなさそうだった。

「じゃあな、子育て頑張れよ」

「言われるまでもないさ」

「そうだな。この年になると娘は離れていくだけさ」

「早く帰れ」


 玄関の戸を開ける。西日を直に受けて眩しかった。彼と私は庭に出た。


 丁度、彼の娘が帰宅した。父子の白い髪は橙の光でいよいよ染められて鮮やかに変わったのだった。娘は父の胴に手を回した。

「このひとは?」

彼は娘を見た。その目は父親のまなざしだった。やがてまなざしは、若き日の彼のものと酷似して見えた。いかにも悪戯ぽく彼は答える。

「『黒鉄の騎士』さ」

「騎士? くろがねの騎士というの?」

娘は西日に照らされ、屈託の無い笑顔が際立った。なぜ彼女がここまで嬉しそうにしているのか、理由は単純明快だった。


 娘は庭の一本の木を指差した。深緑の葉のその木は、窓から見えたあの木だった。木には赤い小さな実がついている。

「この木の名前を知ってる?」

私は知らなかった。そう言うと娘はますます笑った。

「くろがねもちというの」



2007.12

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