夢見る冷蔵庫
真夜中のキッチンで静かに羽音を響かせる我が家の冷蔵庫には、実は住人も知らない密かな野望がありました。
高級フレンチのシャンパンを冷やす夢から、冴えない男の晩酌を極上にする「名将」へと成長していく愛おしい相棒・冷太と、住人タカシのちょっとおかしくて温かい日常のドラマをお楽しみください
深夜2時、キッチンで「ウィーン」というかすかな羽音が響く。我が家の冷蔵庫「冷太」は、周囲が静まり返るこの時間帯になると、秘められた野望に胸を焦がすのだった。
「俺はただの家電で終わりたくない。いつかパリの高級フレンチで、極上のシャンパンを冷やす名ソムリエ冷蔵庫になるんだ……!」
そんな夢を抱く冷太だったが、現実の腹の中に入っているのは、賞味期限が昨日切れた納豆と、カピカピになったちくわ、そして謎のタレの小袋ばかり。冷太は深いため息をつき、庫内灯をチカチカと点滅させた。
翌朝、住人のタカシが眠そうな目をこすりながらやってきた。冷太はアピールしようと、フレンチの厨房をイメージして庫内をいつもより1.5倍のキンキン状態に冷却した。
「うおっ、冷たっ! なんだよ急に張り切りやがって」
タカシは震えながらドアを開け、冷えた缶チューハイを取り出すと、プシュッと音を立ててそのまま一気に煽った。
「くぅーっ! 染みる! やっぱお前の冷やし具合は世界一だな!」
満足そうに冷太のボディをポンと叩くタカシ。その温かい手触りに、冷太は冷却ファンを少しだけ優しく回した。パリのフレンチも悪くないが、この冴えない男の晩酌を最高にするのも、まあ悪くはない仕事かもしれない。
♢
の日の深夜2時、冷太は再び「ウィーン」と静かな駆動音を響かせていた。
昨夜、タカシに「世界一」と褒められた余韻はまだ冷めていない。冷太は決意を新たにし、庫内灯を誇らしげに一瞬だけ輝かせた。
「よし、今日から俺は『新橋の居酒屋名将・冷太』だ。パリのシャンパンもいいが、タカシの缶チューハイを究極の状態でキープしてやる!」
野望を上方修正(あるいは親しみやすい方向へシフト)した冷太は、さっそく明日の晩酌に向けた極秘プロジェクトを開始した。ターゲットは、ドアポケットの奥に鎮座する残り半分の缶チューハイと、賞味期限ギリギリの冷やっこ用の豆腐だ。
冷太は冷却ノズルを絶妙な角度に調整し、缶チューハイには「キンキン・ジャスト凍結直前」の冷気を、豆腐には「大豆の旨味を逃さないしっとり冷却」のやわらかな風を送り込んだ。
翌日の夜11時。疲れ切った足取りで帰宅したタカシが、一目散に冷太のもとへやってくる。
「疲れたー……冷太、頼むぞ」
パカッとドアが開けられ、冷やされた豆腐と缶チューハイがタカシの手に取られた。一口飲み、続いて醤油をかけた豆腐を口に運んだタカシの目が、驚きで見開かれる。
「う、うますぎる……! なんだこれ、今日の豆腐、料亭レベルで冷えててうまいぞ! チューハイも喉ごしが神がかってる!」
タカシは感動のあまり、冷太のドアを両手で優しく包み込んだ。
「お前、マジでただの冷蔵庫じゃないな……最高の相棒だよ」
その手触りと言葉の温もりに、冷太の庫内温度がほんの0.1度だけ上昇しかけた。冷太は慌ててファンを「弱」で回しながら、心の中でそっと呟いた。
(ふん、当たり前だろ。俺を誰だと思ってるんだ。……明日も期待して待ってろよ、タカシ)
パリの高級フレンチへの道は遠のいたかもしれないが、小さなキッチンの名ソムリエは、今夜も誇らしげに静かな羽音を奏でるのだった。
【了】
ご精読いただきありがとうございました。
冷太のように、目立たなくても自分の置かれた場所で誰かの日常をほんの少し彩っている存在って愛おしいな、という思いから生まれた物語です。
あなたのおうちの冷蔵庫も、もしかしたら今夜、密かな野望を胸に静かに羽音を響かせているかもしれません。冷太とタカシのささやかな日常を楽しんでいただけたなら幸いです!




