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色モノ職業シリーズ

黒の墓守

作者: 満月丸


 ――呪ってヤル、決しテ許さなイ


 王都の路地にて、その亡霊は彷徨う。


 髪を振り乱し、ドス黒い瞳に何も映さないまま、口から呪詛を吐き散らし続ける。

 この世の憎悪を煮詰めたような思念の渦の中、亡霊は生者達の隙間を闊歩する。

 誰もが彼女を見ない、誰もが彼女の声を聞かない。

 そこに居ることすらも、わからない。


 ……探さなければ、声が聞こえる生者を、骨になる前に見つけてもらわねば。


 道端に繋がれていた馬の眼前に手を掲げて、通り過ぎる。

 途端、馬は錯乱したように嘶いて、軒先にある商品棚を踏み潰した。


 人々が狂騒の中で悲鳴を上げる合間、すぐに大人しくなる馬を横目に彼女は次へと足を向ける。


 探さなければ、何をしてでも早く、早く、


 ――完全なる悪霊へと堕ち切る前に、見つけなければ。



◇ ◇ ◇



 今日日(きょうび)、霊の人にまつわる噂話など、掃いて捨てるほどあるものだ。

 それでも、ここまで大きな話になってくると私自身、興味を示すこともある。


「聞いたか? この間の事件」

「ああ、何も無いところで馬が暴れて近場の店を滅茶苦茶にしたんだろ? 幸い怪我人はなかったようだが、こうも続くと嫌になるな」

「最近じゃ幽霊騒動ばかりでおちおち仕事もできやしねぇな。下手に道を歩いてレンガが降ってきたら洒落にもならねぇ」

「教会の連中曰く、"歩く眠りの乱れ"らしいな。幽霊が闊歩してやがるってことらしいぜ」


 大通りを通り過ぎる男たちの噂話を耳に挟みつつ、私は供である赤い男を連れて、王都を歩く。

 久方ぶりの外出だが、王都とはこういう空気だったろうか。いつものカビ臭い湿った霊安室と違って、眩いばかりの表は気が休まらない。お天道様の灯りから逃げる様に、顔を覆う鳥仮面を正してしまう。


 私は、墓守。

 死人を友とし、死体と語り合う、嫌われ者の老婆だ。


「んで、婆さん。案内しろって話だったが、どこ行きゃいいんだ?」


 供である赤い男の言葉に我に返り、マスク越しに目を細める。

 上から下まで赤い服、背中に背負った断頭剣は相変わらず錆のような色合いで、フードで顔の見えない風体はまさに不審者。

 まあ、私も人のことは言えないが。

 カラスのような鳥仮面を被り、上から下まで真っ黒な私の姿に、普通の人間は恐ろし気に避けていくのが目に入る。

 それへ興味も湧かないまま、私は赤い処刑人へ軽口を返す。


「そうだねぇ。移動する霊の残滓、今回は教会ですら足取りが掴めないレアケースだ。法則性を見いだせないのであれば、血生臭い場所を手当たり次第に歩き回るしかないねぇ」

「おいおい、本気で言ってるのか? 王都だけでどれだけの広さがあるって思ってるんだよ」

「いざとなりゃ、お前さんが私を背負うんだよ」

「その為の随伴なのか? せっかくの休日に力仕事しろって?」

「昨年、お前さんの為に危ない橋を渡ってやったのは、どこの誰だっけねぇ」


 いくらアレシア女王陛下を助けるためとはいえ、死刑囚だった陛下のために悪党の死体を渡すのはいろいろと大変だったんだ。下手な言い訳をすれば彼女が帰還するまでの間に、私の首が泣き別れていてもおかしくはなかった。

 借りのことを出せば、相手は口をへの字に曲げて両手を上げている。この男のこういう筋を通す部分は、気に入っている。


「んで、婆さんの言う霊の人? 幽霊騒動ってのは、どういう法則で発生するんだ?」

「"幽霊"なんて俗称で言うんじゃないよ。彼らは大切な隣人だよ」


 墓守という職は、死に纏わる事象全般を生業にしている。

 死者の修繕、埋葬準備、儀礼手配、それから国の要請での死体検分や、場合によっては死人から『声』を聞くこともある。墓の管理だけでなく毎日のように出る死人のエスコートの多さに、こちらとしては目が回るほどに忙しい。

 私自身が貴族とはいえ社交界からのウケは悪いし、一般人からも忌避される身分ではあるが、死者からのお誘いは多いのだ。


 生きている人間の評判なぞ気に掛ける価値もない。

 私が気にするのは、いつだって死者だけなんだからねぇ。


「霊の人が歩き回るってのは珍しい事象でねぇ。通常、彼らの残滓ってのは一つの範囲で固定される。例えば、お前さんが処刑した死刑囚の霊は、基本的に処刑場の周辺から出ることはない」

「発生した時点で教会が清めるんだっけか。まあ、俺は霊魂なんざ欠片も感じ取れねぇからな。気にしたこともないぜ」

「それが普通かねぇ。声が聞こえなきゃ気にする必要もない。……で、歩き回るせいで教会も浄化できない霊魂だ。よほどの用向きが無ければ、そこまで激しく走り回ったりはしないだろう?」

「で、気になって捜索か。婆さん、年齢考えた方がいいんじゃねーか? ぎっくり腰になって倒れても知らんぞ」

「その為のお前さんだろうに。いいから無駄口叩いてないで、近場の血生臭い事件のあった場所に案内しな」


 へいへい、と不満そうな処刑人を引き連れて、私は人間の街を歩く。


 ……我が一族が継承する魔法は、常人には見えぬ存在、"霊"を知覚させるのだ。今も自らへ魔法を使い、常人では見えぬ世界を、この眼に写している。


 街を歩く人々の合間に、無害な霊の人々が生きた人間のように存在している。静かに座り込んで石を数える子供、傍の霊と対話をする男、道行く人の顔を覗き込む少女。

 正気を保ち、僅かばかりの心残りを満たせば消えゆくばかりの、儚い隣人たち。

 とはいえ、彼らの全てが友ではない。中には法を侵犯した奴らもいるだろう。

 他者を踏みにじった者にまで言葉を掛ける気にはならないが、無辜の民ならばそれは言葉を交わす価値がある。私の価値は、そこにだけある。


 霊と人の合間を掻き分けて、街の隅々まで歩くこと数時間。

 いい加減、腰と足が限界を訴えつつある頃。


「……ふむ? 残滓、残り香だ。直近だね」

「何か見つけたのか?」

「ああ、こっちの方で……」


 私が指さした先で、誰かの悲鳴が上がった。

 咄嗟に動くのは処刑人。男は身軽な様子で地面を蹴って、視線の向こうの"それ"に飛び掛かる。


 通りの向こうにあったのは、宙に浮かぶ無数のレンガ。

 それが周囲四方へ飛び回り、人々へ襲い掛かるかのように威嚇していたのだが。


「よっ、と!」


 その全てを、処刑人が見事な蹴りで砕き、落とした。鈍い音を立てて粉々になったそれは、もう動くことはないようだ。

 レンガの粉がこちらへ飛んできたので、ついでに結界で全て弾き落としておく。粉を被る趣味はない。


 急な事に騒然とする周囲を気にもせず、私はゆっくりと近づいてから、虚空を見上げた。


「婆さん、ここで騒動が起きたってことは、近くにいるのか?」

「ああ、ここにいる」


 私の視線の先、宙に浮かぶのは青白い女性。

 肉の器を持たない霊の人だ。

 見えない処刑人がそこへと手を振っているが、触れることもなく相手をすり抜けるだけ。


「さて、霊の人。何か未練があるのなら、私が話し相手になろうじゃないか。だから、聞かせてごらん。お前さんが、何にそこまで怒っているのか」


 悪霊と化している女の霊に語り掛け、私はじっと相手を待った。


 そして、その霊は、語った。

 長くも短い、不条理な地獄を。


「…………」


 しばし考え、考え、それから私は不快な気持ちで頷く。


「面倒な仕事ができたようだねぇ。……そうだ処刑人。お前さんは女王陛下と文通してるんだっけねぇ」

「あん? まあ、不承不承ながら」

「じゃあ、陛下に伝えてくれるかね」


 教会に伝えるべきなのかもしれないが、今の彼女を引き渡す気にはなれない。彼らは生者の犠牲が出ぬように浄化し、鎮圧という痛みの中で霊を消滅させようとする。きっと、教会が秘匿している聖女を使って、消し去ってしまうだろう。

 私は死者の友を、何の罪科も背負わぬ隣人を、無体な目に遭わせる気にはなれない。鎮圧ではなく、対話での『鎮め』こそが必要なんだ。


 だから、彼女の未練を、晴らすことにした。


「――ある屋敷で、貴族の子供が死んでいる、とね」



◇ ◇ ◇



「へぇ、こりゃ大変なことだねぇ。さぞや辛い状況だったろうに」


 私は霊安室で、一つの遺体と向き合っていた。

 年若い少女、まだ十代前半であろう彼女は、既に息をしていない。否、息など出来るわけがない状態だ。

 その身体を刃物で切開し、内部の状態を隈無く確認する……人は、それを冒涜だと宣うが、この死者がどのような経緯で死に至ったかを解明しないなど、そちらの方が冒涜だ。

 だから私は躊躇なく道具を手にして、遺体の検分と、同時に修繕を行う。

 棺に入る時くらいは、人としての原型を留めていたいだろうから。


「あの、ニーヴ様、お客人がやって来ましたが」

「客、と言えば、あの男かね」


 ここに務めている同業者、他の検死官の言葉に頷けば、案内されてきた男がズカズカとやってくる。


「おーす、婆さん。……っと、仕事中だったか」

「やっぱり、お前さんかい」


 まるで我が家のようにどっかりと椅子に座り、気兼ねなく寛いでいるのは赤い処刑人だ。今月の仕事を終えてきたのだろう、赤い衣服に赤黒い染みをつけている。

 死人の寝床に穢れを持ち込むのは感心しないと睨めば、相手は両手をヒラヒラと振っている。


「そう怒りなさんなよ。女王陛下からの命令、もう届いてんだろ?」

「届いたから、こうして解明しているのさね。しかしまぁ、陛下も思い切ったことをなさる」


 机の上に放られている、封を切った手紙へ視線を送る。

 内容は、アレシア女王陛下からの命令書。


 私が報告した、とある貴族……ヴェーネルハイト伯爵家の、娘の死の解明、つまりは検死依頼。

 その内容を後日の裁判にて証言せよ、とのお達しだった。


「普通、貴族の家内での事件は、その家の当主が裁くものさね。そこへ王命という刃物を加えるのは、いろいろと反発があるだろうに」

「だが、あの女王さんはやるらしいぜ。前々からあの人は民の権利向上を図ろうとしていた。だからまずは"子供は家の所有物"という古い貴族の考えへ楔を打つために、生贄を欲したらしい」


 ご立派な思想だ、死者たちの中で親に殺される子供が一定数いる以上、彼女の提唱するそれは確かに素晴らしいだろう。

 しかし、


「即位してそう間もない現状、古い貴族からはそっぽを向かれかねないだろうに。思い切ったことをする」

「その、古い貴族が彼女を切り捨てようとしたんだぜ? どのみち、陛下は連中を許しゃしねぇさ」


 王女時代の冤罪処刑事件、その尾は未だに跡を引いているらしい。信用を揺るがす風見鶏を重用するつもりがないのは確かだが、いささか潔癖に過ぎると思うんだがねぇ。

 まあ、彼女自身が父親に駒として利用された身だ。我が事と思えたからこそ手を出して、そして民衆への意思表明とするつもりなのだ。

 そう思案していれば、同じ事を思ったのか処刑人はカラカラと笑った。


「そもそも、俺らもその"古い貴族"じゃないのか? 前王家の裏切り者として生き残ってきた一族だ」

「ふん、私たちは自家の権利よりも重んじるものがある。ならば、腐敗した木乃伊(ミイラ)よりもまだ生きていると言える」


 我が家、カーニック家もまた、処刑人の家であるドレアの一族と同じく国の暗部を担ってきた身だ。後ろ暗いことの一つや二つ、知っている。

 とはいえ、既に分かたれて長い時が経っている家同士、互いに知らぬ事情の方が多いのかも知れないがね。

 遠縁のような、或いは甥っ子に近い感覚のドレア男爵に、私は肩を竦めて手に持っていた道具を置いた。


「まさか、カーニック家がこうして表舞台に出ることになるとはねぇ。王家にとって有益だとは自負しているが、私たちのような穢れ仕事の裏方業を引きずり出すなんて、今代の陛下は実に型破りだよ」

「あの人は利用できるものは何でも利用するタイプだぜ。きっと婆さんの家の手腕を世間に見せたいんだろうよ。ただ恐れられるだけじゃなく、それがどれほど有益なのかを知らしめなけりゃ、カーニックも俺の家のように先細りしちまうからな」

「ドレア家に関して言えば、お前さん達のトラブル気質も原因だと思うがね」

「おっと、藪蛇だったかな」


 どうにも、ドレア家は消極的なくせに自らトラブルへ首を突っ込む性質がある。天性の勘か、それとも何かの力でも働いているのか、その行動は時に国の未来を左右させることすらある。驚異的な嗅覚の持ち主が多い。

 "天秤"の所持者としては、この男と敵対するのだけは避けたいところだねぇ。


「んで、裁判はどうなると思う? 例のヴェーネルハイト家は重罰に処されると思うか?」

「女王陛下は、お前さんから見て感情論で人を裁くタイプなのかい?」

「いんや、そういうのとは無縁な女傑だな」

「じゃあ、そうだろうよ。例え彼女が裁判を"観覧"しようとも、法務官の決定に異を唱えることはしないだろう。そして、私がどれほど正しく情報を伝えようとも、この国の司法が重罰を望むことはない」

「ふーん、つまりは精々が罰金刑ってところか……通常ならな」


 含みのある物言いだ。

 胡乱げな眼差しを送れば、男はニヤリと口元だけで笑みを浮かべた。


「どうやら女王さんは、なかなか大事にしたいようでな。大層な大義名分を作ったようだぜ」

「へえ、王族の殺害計画を練っていたとでも偽証するつもりかい?」

「いんや、悪魔崇拝疑惑だ」


 悪魔。それは未だ実存が証明されていない、架空の存在。

 しかし、この国の崇拝対象である女神信仰には、悪魔の存在が示唆されている。

 すなわち、悪魔信仰とはこの国では一族郎党処刑レベルの罪なのだ。


「……そりゃまた、大きく出たねぇ。まさか本当に悪魔信仰があったと見ているのかい? 本当なら、教会の総本山から審問官でも派遣されて来るんじゃないかね」

「それこそまさか、だぜ。これはな、女王さんがこの事件をセンセーショナルなものにしたい大義名分だよ。娘を悪魔呼ばわりし、虐げ、死に至らしめたヴェーネルハイト伯爵家こそが悪魔崇拝者であった。それだけで貴族社会ではパンのおかわりが十分過ぎるほどに付いてくる。世間の注目を集め、女王陛下の眼前で裁かれる内容が、子供殺し。……心当たりのある連中が襟を正すにゃ、十分過ぎるだろ?」


 哀れな子供を救える可能性を少しでも広げる手段、かね。


「どちらにせよ、女王陛下の思惑なんざ、私には関係がないよ。私は私の思惑で動くだけさ。幸い、女王陛下の目的と私の目的は衝突しなさそうだからねぇ」

「へえ、婆さんの目的ってのは? 女王さんに手紙でヴェーネルハイト家の醜聞を告発した件と言い、ひょっとして怒ってるのか?」

「そうさ、怒っているとも」


 墓守は死者を守るのが仕事だ。

 死者を冒涜し、被害者面をして死体の破損を容認した。

 到底、許容できるラインではない。


「私はね、生きている人間よりも死んだ友の方を余程、大切に思っているからねぇ。平穏のためにも、連中には思い知らせる必要がある」


 裁判に出るのは予定外だったが、奴らの眼前に出られるのならば、どちらでも良い。

 カーニックの力を披露すれば世間や教会も難色を示すだろうが、それも些細なことだ。


「お~、怖いなぁ。連中、生きたままバラバラにされなきゃいいがね」


 生きた人間なんぞに興味などない。


 恐れもなく軽口を叩く相手に、私は修復途中の遺体の前で呟く。

 自然と、自身の眼差しが死人のように冷え切った気がした。


「まあ、お前さんは気にする必要はないさ。全て、私たちがやるからねぇ」



◇ ◇ ◇



 女王が直々に捜査を命じた、公開裁判の日。

 処刑も牢獄整理も書類仕事もない俺は、裁判が行われる調停場に現れて、最前席へと向かう。


 異例の速さで開廷される裁判は、貴族のみならず一般人の間にも興味を示す者が多く、公開調停場の前まで押しかけている。当然、傍聴を許される調停場内部は、無数の貴族たちが立ち見をしては、ザワザワと囁く声が響いているほどだ。

 そして処刑人姿の俺を見た貴族達は小さく息を呑み、まるで波のように周囲を避けていく。こういう時、穢れた嫌われ者ってのは便利だとつくづく思う。

 どっかりと特等席に座り、開廷を待ちつつ露店で買った木の実をポリポリと摘む。気分は既に見世物興行、まあ今回の俺は楽しむ側だが。

 マナー違反上等な俺への視線なんぞそっちのけで背中の相棒、もとい断頭剣と囁きながら待っていれば、傍聴席の頭上、王族専用の特等席に着席する高貴な御方の姿が見えた。


 久しぶりに目にするアレシア女王は、以前よりも更に女らしさに磨きが掛かったような出で立ちで、悠然と座っている。


(離れて見てても美人だよなぁ。まあ、あんまお近づきになりたくはないんだが)


 お偉いさんってのは人でなしじゃなきゃ、こなせない仕事だ。彼女もその例に漏れず、秩序の為ならどんな非人道的な手段も講じられるだけの度胸がある。いつか暗殺指令でも出しそうで怖いぜ。

 まっすぐ前を見ていたアレシア女王が、ふと眼下の俺と目が合った。

 微かに笑うように赤い瞳を細めたのがわかる、なんだか楽しそうだな。

 無言で、俺はフードを直して前へ向き直った。


 ……ああ、本当におっかないぜ。


「……では、これより裁判を開廷する」


 時間が経ち、貴族である法務官と教会代表の司祭が席につき、疑惑の一家が姿を現したところで、法務官が口を開く。

 結果が決まっている茶番という裁判が、幕を開けた。

 

「まず、この裁判は我らがアレシア・ロア・ディートハイム女王陛下の名の下に行われる、公開裁判である。そしてヴェーネルハイト家には悪魔崇拝疑惑が指摘されており、本件はヴェーネルハイト家では実際に悪魔崇拝が行われたか、を糾問する裁判である。同時に、この悪魔崇拝疑惑がもたらす社会的な波及についても問う」

「我々教会は、悪魔崇拝という存在を決して容認することはありません。悪魔を敬った時点で対象は我らから破門され、女神の加護を失うものとなるでしょう」


 法務官の口上から司祭の破門宣言と来て、思わずといった風情で周囲にヒソヒソ声が広まる。下手に悪魔崇拝疑惑なんて掛けられれば、宗教から司法までがこぞって敵に回る。それが貴族にとってどれほど致命傷か、わからない人間はここにはいない。

 冒頭のそれに、被告側の貴族……ヴェーネルハイト伯爵と跡取りらしき青年は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。自分たちがここにいるのは心外だ、と言わんばかりの風情だな。まあ悪評にしかならないんだから、当然だが。


「これは、家の内の問題だけではないという事を、各々胸に刻むように。……それでは、まずは本事件の流れを説明し、後に悪魔崇拝疑惑に関して各証人の証言を求める」


 法務官が裁判を仕切り、事件の概要を説明する。


 内容は、よくある、ありきたりな話だ。


「十三年前、ヴェーネルハイト伯爵の実娘である、ネア・ヴェーネルハイトが誕生した。しかし出産時に母体への負担が多く、母親であるカテリーナ・ヴェーネルハイト伯爵夫人が逝去されている。夫人の死は屋敷内に大きく影を落とした、と当時の使用人は語っており、同じく異様な雰囲気ができあがっていた。それは、命と引換えに生まれた娘、ネア・ヴェーネルハイトへの憎しみにも似た行動である、と」


 その憎しみが原因でネア・ヴェーネルハイトは死へと至った。

 そして伯爵は、ネアを悪魔の娘だと屋敷内で標榜し、蔑んでいた。


「すなわち、ヴェーネルハイト家は娘を生贄に悪魔崇拝の儀式を行っていたという疑惑がある。そうでなくば、我が子を意図的に衰弱させ、死へ至らしめる理由は存在しない」


 と、いう理由での告訴か。

 まあ、普通の貴族から見れば異常だろうな。俺から見ても異常だが。

 法務官は証人である屋敷の使用人を喚問し、彼らに証言をさせた。


「では証人、宣誓を」

「女王陛下と女神の名の下に、真実のみを告げると誓います」


 現れた使用人たちは、司祭の促しで話し始める。


 娘が妻を奪ったと思ったのか、父親は生まれてすぐの娘を倉庫に放り込んだ。伯爵権限で乳母以外は近づかず、乳母もまたネアへの会話を行うことを禁じ、あらゆる教育機会を排除した。

 父親の姿に触発されたのか、兄もまた妹を憎むかのように振る舞い、「人殺し」「ドブネズミ」「悪魔」「お前など生まれなければよかった」と散々に罵倒と暴力を繰り返していた。


 そんな感じの内容を涙ながらに語る使用人達へ、俺は冷めた目線を向ける。

 本当に助けたいのなら、バカ正直に伯爵の命令を聞く必要はない。家人の居ない時にこっそり食事を与えたり、罰と称して定期的に別の良い部屋……例えば使用人の部屋とかに移動させたり出来ただろ。それに、仲の悪い家族同士を会わせない配慮だってできたし、何ならヴェーネルハイト家の分家なり何なりへ訴えることだってできた。

 それら全てを行いもせず、被害者ぶっている姿に打算的な計算が見え隠れする。悪魔崇拝疑惑を掛けられるなんざゴメンだってことかね。

 まあ、どうせ証言者連中は破滅する。醜聞を取り繕う能もなく、家主を裏切り、こんな場所に厚顔無恥に出てこれる連中なんざ、どこの貴族だって関わり合いになりたくないだろうからな。

 周囲の貴族、特に子持ちと思わしき女性陣の悲痛な囁きが小さくなる頃、次は疑惑を向けられたヴェーネルハイト家の反論になる。


「誤解なきように願いたいのですが、あの娘は本当に悪魔だったのです! 亡くなった妻を借り腹に、この世に顕現した悪魔を我々は封じ込めていただけです」


 代弁人を用意すらせず、伯爵は堂々と胸を張ってトンチキ理論を展開する。


 曰く、娘は生まれてすぐに泣き声を発さず、妻が死んでから泣いた。

 曰く、教えてもいない知識をいつの間にか覚えていた。淑女の礼を幼子が知っているわけがない。あらかじめ知識があったからだ。

 曰く、どれだけ殴ろうとも笑顔ばかりを向けてくる。痛みを感じていない様子だった。


 そんな事を堂々と、しかも兄貴まで続けて断言したのだ。


「馬鹿かあいつら」


 俺の呟きに、思わずと言った風情で周囲の貴族も同調した。

 子供の息が止まって生まれるのなんざ、よく聞く話だ。それで息を吹き返したのは運が良かったのか、それとも産婆の腕が良かったんだろう。

 教えてもいない、と奴らは言うが、子供はよく見ている。誰かのマナーを見様見真似で覚えたとか、そんなところだろ。

 最後は論外、人の心とか無いのか。


 流石の司祭も、この物言いには思わず眉根を寄せているようだ。他人の家の話ではあるが、子供を虐待する正当化を臆面もなく行う相手に、嫌悪感の方が強い様子だ。


 そう思う間も裁判は粛々と続き、悪魔崇拝の可能性に関して司祭が見解を述べる。


「確かに、幼気な子供を残酷な方法で死へ至らしめ、その行動に関して一切の贖罪の念を見せない姿は、悪魔崇拝者の如く見えるかもしれません。崇拝者は悪魔へ人の苦しみを捧げ、悪魔からは外法を与えられることで秩序を崩壊せしめんとする。非嫡出子を意図的に隠し続けた伯爵家の行いは、悪魔礼賛儀式を行う家と酷似しています……しかし、」


 司祭は一呼吸置いて、聖印を握りしめてから続ける。


「彼らが悪魔崇拝者であるという証明は、現段階で提示された証言だけでは薄いでしょうな。屋敷内の捜索でも、それらしき物品は見つからなかったと報告を受けております」


 教会騎士団が出張って捜索したらしいからな、それで出てこないってことは、つまり証拠固めに失敗したということだ。


「彼らが行ったことは悪魔崇拝ではなく、死した者への悲しみを誤魔化すために、我が子を生贄にしたということでしょう。唾棄すべき行いではありましょうが、少女の死と悪魔には何の繋がりもないと現時点では推察されます」


 教会の見解が出て、宗教が可能性を否定したことに連中は安堵する。

 傲岸不遜な顔に、なんとも背中の相棒を叩きつけてやりたくなる。


「……では、続いてネア・ヴェーネルハイトの死は、本当に儀式とは無関係だったのか、という検証を行う。検死官であるニーヴ・カーニック男爵を入廷させよ」


 と、そこで新しい証人が喚問される。

 

 その瞬間、まるで蓋をしたように場内の囁きが一斉に途絶えた。


 静かに足音を立て、歩いてくる黒尽くめの姿。

 年齢に反して真っ直ぐに背を伸ばし、頭まで覆うカラス仮面の覆面姿。

 黒いコートの下は一部の隙もない黒のドレスで、一切の肌の露出を許さない。


 見慣れた老婆の出番に、俺は口に放り込んだ木の実を噛み砕いた。


「では、墓守殿。証言の前に、宣誓を」

「待たれよ、宣誓の前には仮面を外すように」


 法務官の指摘はもっともで、それは婆さんの素顔を晒させることになる。

 当人は肩を竦めてから、あっさりと覆面ごと仮面を外した。


 ……途端、周囲から息を呑む音が響く。


 半分の顔は上品な老婆なのに、反対の顔、頬から上にかけて、一切の光を宿さない大きく真っ黒な痣があった。

 瞳すら見えないそこは、まるで顔に大穴が空いているかのようだ。しかも時折、何かの顔のような模様が蠢くのだから、気味が悪いとしか言いようがない。

 しかし、周囲の反応なんぞ何のその。

 婆さんは淡々と胸に手を当てて宣誓する。


「女王陛下と女神の名の下に。そして、我らが死者たる隣人のために、偽りは述べないと宣誓しよう」


 それに、司祭の眉がピクリと動いたのが見えた。

 生者のために宣誓する一般人と、死者のためにここに居る墓守。そのスタンスの違いは、きっと教会とは永遠に混じり合わない部分なんだろうなぁ。

 婆さんは法務官に促され、一つ頷いてから証言台で口を開いた。

 

「まず、検死という行為への強い忌避感が、世間一般で存在するのは理解している。しかし、死者が何故に死へと至ったのか、その原因を解明しないままに棺へ放り込むことこそ野蛮だと私は考える。死を解き、少しでも多くの生者が同じ穴へ落ちぬように警告をする。それこそが検死官の役割であると。……では、ネア・ヴェーネルハイトの検死結果を報告しよう」


 一切の揺らぎが無い口上は、淡々と感情を廃した言葉で綴られる。まさしく、検死書類を読み上げるように。


「まず、ネア・ヴェーネルハイトの発見時の状況。資料によれば、彼女は自室と思わしき倉庫内にて発見。床に崩れ落ち、四肢を投げ出すような状態であった。床にはかなりの量の血痕らしき乾いた血溜まりが残っており、掠れた痕はあったが拭き取られた様子はなかった、とのことだ」


 つまりは、彼女が死んでから誰かが痕跡を消そうとはしなかった。殺しとは違うだろうな。

 

「仔細は省くが、遺体は腐敗が進行しており、騎士ですら目を背ける状態であったと述べておこう。それだけの間、誰も様子を伺おうとしなかったのはありえないことだ。腐敗状況だけでなく、自然現象……虫の存在も考えれば、彼女の死は意図的に無視されていたとも言える。そして、彼女の死因だが」


 婆さんは頭蓋骨の模型を取り出して、その一部を指さしてみせた。


「おそらくは頭部の損壊によるものだ。かなりの力で骨に衝撃が掛かっており、これによって致命的な損傷を受けた。大きな傷だから判別できたが、鈍器で殴られたものではなく、強い圧迫によるものと思われる。具体的に言えば……床に押し倒され、その上から頭部を、」


 ダン! と、婆さんは地面を足で打ち鳴らす。


「踏み砕いた。これが死因だ」


 しん、と静まり返る調停場。現場職の生々しい証言に、血に慣れていない連中は青い顔をしている。後で"もっと柔らかな表現にしろ"とか苦情でも言われそうだな、と他人事のように思う。


「また頭部外傷以外にも、腕や足などに何度も骨折の治癒痕が見受けられた。古い傷と思われることから、かなり前から常習的な暴力が振るわれていたと推察でき、更に医学的治療は行われていない様子だった。彼女の死亡に関しては進行度合いが高かったので確実なことは言えないが、おそらく一ヶ月前後は経過していると判断できる。彼女が目撃されているのはちょうど、一ヶ月前の夕食後が最後だ。それ以降、彼女が食事を取りに来る姿が確認されていない以上、その直後に亡くなったと推定できる。しかし、彼女の胃から内容物は発見されなかった。既に消化されてから死亡したと考えられるが、或いはすぐに消化できてしまえる程度の食事しか口にしていなかった可能性もある」


 胃を割り開いたと聞かされれば、流石の俺も苦い顔になる。なんだか胃がムズムズする気分だぜ、と内心でボヤキながら木の実を口にする。


「彼女の身体状況は、かなりの低栄養状態。つまり食事が不足していた。貧民街の子供と同レベルか、それ以下の食事事情だったのは明らかだろうね。十三歳とは思えないほど背が小さく、発育不全の兆候。どだい、伯爵家の令嬢とは思えない身体状況だ」

「……彼女の状況は判明した。ではカーニック男爵、ネア・ヴェーネルハイトが悪魔礼賛儀式に関わっていた可能性は?」

「教会の依頼で犠牲者は幾人か見てきたが、そのどれもが身体の一部欠損が伴われた。彼女の身体は、まあ小さな部位はともあれ、全て万全な状態で揃ってはいただろう。儀式に用いられるほどの欠損、または加工(・・)は見受けられなかった。それと、これは死者を棺に入れる者としての断言だが、彼女は生涯、清い身体のままに眠りについたと宣言しておこう」


 悪趣味なアレソレの可能性はきっちりと潰すか。

 つまり、嬢ちゃんの死因は虐待死の一点ってわけだ。


「悪魔崇拝の可能性は、これで潰えたと判断できるということか」

「……痛ましいことです」


 法務官は頷き、司祭は聖印を握っている。

 悪魔が関わっていなかったのなら、この裁判はほとんど終わったも同然だ。まあ、傍聴人がどう思うかまでは、裁判は保証しないわけだが。

 どこか弛緩したかのような、或いは期待外れな結果に会場がざわめいた時。


「さて、それじゃあここからは、墓守としての業務を行わせて頂く」


 その宣言に、視線が一斉に集う。

 一切の感情を見せない老人は、最初と変わらぬ姿勢のまま、淡々とした様子だった。


 急な物言いに意を唱えるのは秩序側の人物、つまり司祭が難色を示す。


「……カーニック男爵、現在は裁判中です。そのような他事にふさわしい場ではありません」

「生憎と裁判はそちらの都合、そして私は私の都合で動く。……女王陛下へ、この場を借りてお伺いを立てたく存じます。以後は“審理”ではなく、墓守の“鎮めの手続き”としての発言を許して頂きたい」

「そ、そのような型破りな物言い、不敬となりますぞ……!」


「よい、許可しよう」


 上から降る声は、会場中に響き渡って消えていく。我らが女王陛下は優雅な微笑みのままに頷いたわけだ。

 当然、司祭は目を剥いているが、女王陛下は構わず言葉を続けた。

 

「カーニック男爵、此度の発端はお前の告発であったな。ヴェーネルハイト家に貴族の娘が人知れず死んでいる、と」

「左様です」


 会場は再びざわめき、俺は愉快な気分で眼下の劇を見る。


「では問おう。何故にお前は死者が居ると知っていた? ヴェーネルハイト家へ足を踏み入れたこともない、お前が」

「カーニックは、死者を眼に写し、声を聞く耳を持つ一族。私は死者の声を耳にし、哀れな死人を知ったのでございます。その死者は悪霊と成り果て、都市中に噂となって巡っておりました。そう、巷を騒がした霊魂事案、教会でいう"歩く眠りの乱れ"をもたらしていた悪霊。……教会が、正体を掴めぬわけですな。彼女はただ、助けを求めていただけに過ぎなかった。だから既存の悪霊とはまったく違う行動原理を持ち、方方を渡り歩いていた。私も、この耳や目を持たねば、気づかなかったでしょう」

「あ、悪霊と、会話を行ったというのですか……!?」

「もちろん。悪霊であろうとも死者は死者、ならば言葉を交わして再び棺に入れるのが墓守の務め。私は悪霊の心残りを聞き、彼女の望むとおりに隠されし死者を暴きました」

「ほう、では申してみよ。その悪霊、名を何と言う?」


「カテリーナ・ヴェーネルハイト、と」


「――嘘を吐くなっ!!」


 劈くような怒声は、被告席のヴェーネルハイト伯爵のものだった。

 顔を真っ赤にする相手へ、だが婆さんは視線すら向けずに言い放った。


「命をかけて産んだ我が子が心配だったらしい。通常、霊の人……霊魂、或いは眠りの人は、一つの場所に束縛される傾向がある。その地に縛られ、大きく移動することが出来ない。しかし、カテリーナ・ヴェーネルハイトは娘の傍に居ることを望み、常に彼女の背後に居た。そして全て、彼女は見ていた。この十三年間、ずっと」


 おーおー、おっかねぇ。

 死人の目をした婆さんは、初めてヴェーネルハイトのクソ親父を睨みつけた。一切の光を宿さない、赤みを帯びた茶色の瞳は、生きた人間にはゾクリと来るだろう。

 それに気圧されるように、クソ親父は喉の奥で悲鳴を上げている。


「死人の願いを踏み躙り、死に至らしめて、臭いものに蓋をするかのように倉庫の中へと閉じ込めた。入念に鍵をかけ、誰も見つけられないように封鎖して、ね」

「では、悪霊が王都を騒がしていた理由とは」

「無論。死んだ娘を見つけてほしかったからに、他なりません」


 その答えに、誰も、何も言わない。

 俺も内心でようやく合点が行った。騒ぎを起こすだけで人に危害を加えない悪霊、その目的は他者への怨嗟なんかじゃなくて、娘を守りたいが為だった、と。


「女王陛下、ここで我がカーニックの魔法を開帳することを、お許し願いたい。悪霊となった彼女の未練を晴らし、穏やかな鎮魂を果たすためにも、カテリーナ自身の言葉がここで必要なのです」


「……うむ、わかった」


 一つ頷いて、女王さんは睥睨するように命じた。


「カーニック男爵、お前の一族が守り続けてきた魔法を、我が前で見せてみよ。その価値を、この国に示してみるがいい」

「御意」


 婆さんが懐から取り出したのは、銀色の天秤。

 鈍い反射で黒く見えるそれは、紫の宝石が嵌まる、どこかゾッとする代物。


 俺の背中の相棒が大きく震えたのを感じて、俺は思わず目を見開いた。


「我がカーニックの血筋の魔法、それは先祖より受け継いできた死者との対話を可能とする。そして、死者と生者の声を一時的に交えさせることを可能とする魔法さね」


「お、お待ち下さい!」


 慌てた様子で、司祭はストップを掛けてくる。


「眠りの人は、棺に眠ることこそが最良だと存じます。このような場で死者を見世物にするなど、あまりにも倫理に反しておりますよ! それに陛下、死者の言葉をこの場で許せば、これより裁判では無数の死者が大挙して押し寄せることとなります!」 


 死人が、法廷に呼び出されることへの危惧か。

 確かに、死人の言葉が優先されることになれば、悪意を持った死人が司法を滅茶苦茶にしかねないし、墓から死体を掘り返すような連中が後を絶たなくなる。

 当然それを理解しているであろう女王さんは、頷いてから朗々と述べた。


「では、こうしよう。これより先は墓守の鎮魂の儀であり、そこで起きる全ての証言、証拠は、裁判の判決に一切反映しないものとする。これは以降の全ての裁判でも同様である。例外は一切、認めない」


 女王さんの釘刺しに、内心で胸を撫で下ろす貴族は多いだろうな。

 しばらく司祭は「しかし、だが」と迷っていたようだが、女王さんの譲歩を理解して、諦めたように大きくため息を吐いた。


「……わかりました、此度のことは目を瞑りましょう。しかし、教会は死者をみだりに騒がせることを最良とは思いません。このような事態は二度と、起こらないことを祈りましょう」

「そうさねぇ。死人とて心残りがあれば安らかには眠れない。教会の皆さま方も、よくご存じのことだろう。私はただ、死者が望む言葉を届けているだけ……それを放って悪質な悪霊にでもなられたら、厄介なことになるのは誰か。お互い、よく分かっていることだろう」


 互いの領域、生者のための教会と、死者のための墓守という線引きからか、冷え切った空気に凍りつきそうな気分だぜ。

 仲が悪そうだが、教会はカーニックにはだんまりを決めてるんだから、戦線協定みたいなもんでもあるんだろう。まあ、ドレア家には関係のないことだがな。

 冷えた空気を払拭するように、法務官が咳払いして命じる。


「記録官、ここからは“参考記録”として別記せよ。……それではカーニック男爵」

「ああ」


 ゆっくりと、婆さんは天秤を掲げ、何事かを呟いて、


「眠れぬ彼岸の友よ。今ここで、カーニックの名の下に、お前さんを招こう」


 ……白い、神々しさすら感じさせる輝きの後に、一人の女が浮かんでいた。


 半透明の身体、衣服まで青白く、仄かに輝いている。

 長い髪は浮かび上がり、痩けた面差しは強い疲労と憔悴に彩られていた。


「ば、馬鹿な……カテリーナ、カテリーナなのか……!?」


 現れた女幽霊へ、驚愕と感極まった様子のヴェーネルハイト伯爵は思わずと言った風情で駆け寄ろうとするが、


「っ!?」


 バチンッ、と見えない壁に伯爵がぶつかり、地面へぶっ倒れた。

 体を起こしつつも唖然とした顔の伯爵を、幽霊はただ、睨めつけている。まさしく、人でも殺せそうな程の眼差しだ。

 死に別れた夫婦の感動の再会など欠片も思わせない空気の中で、婆さんは淡々と話を続けた。


「……さて、改めて宣言しておくが。これ以降の発言は全て、霊魂の主観による証言であって、裁判における物的証拠や証言では一切ない。また、それを証明できる手段もない。それを、肝に銘じておいとくれ……では、」


 天秤を揺らせば、それはカラン、と音を立てて微かに輝いた。

 紫の宝石の揺らめきは、まるで霊の輝きのように仄かに煌めく。


「まずは、自己紹介からだ。お前さんの名前は?」


『…………カテリーナ』


 姓は名乗らなかったな。名乗る気にもなれなかったのか。

 俺以外の周囲は、脳を撫でる声に低いざわめきを広げている。剣が意思を伝えることに比べりゃ、そこまで不思議な現象じゃないだろうにな。


「カテリーナ。何故にお前さんは悪霊と成り果てたのか。今ここで、話せるかい?」


 静かに頷いた女性は、ゆっくりと、口を開いた。



◇ ◇ ◇



【カテリーナの記憶】



 死してからずっと、私はネアの傍に居ました。

 あの子を産む時も、下半身が裂けそうな痛みの中で、女神に願ったのです。


 ――どうか、私の命はかまいません。この子だけは、どうかお助け下さい。


 何度も何度も、気が遠くなる痛みの中で願いながら、私はこの世を去りました。

 その願いが聞き届けられたのか、私は死んだ後もずっと、ネアの傍に居ることができました。


 ……だからこそ、あの子の身に起こる全ての理不尽を、私は目の当たりにしました。


「この、悪魔が……! 貴様が、貴様さえ生まれなければカテリーナは死ななかったのだ!」


 顔を会わせる度に、幼い我が子を罵倒し、殴りつける夫。

 私が愛した相手は、私の死と共にまるで人が変わったかのように変貌しました。


 ネアは、ずっと願っていました。

 薄汚れた埃まみれの倉庫の中で、僅かな明り取りの外を見上げながら、女神を思って祈り続けました。


「どうか、おとうさまと、なかよくできますように」

「めがみさま、いい子にしていれば、おとうさまは見てくれるかしら」

「……わたしを、愛してくれるかしら」


 自らを愛さない父親のために、あの子は努力を惜しみませんでした。

 使用人の言葉を真似、来客の所作を見様見真似で学び、一般的な淑女へと近づこうと自発的に行動していたのです。

 全て、父親に認められたいが故に。


 ですが、その全ては先程も明らかになった通り、全て無駄に終わりました。

 伯爵は、努力するネアを更に嫌悪し、理不尽に殴りつけて踏みつけて、骨を折るほどの暴行を加えたのです。


「二度と私を父などと呼ぶな、この悪魔が! ヘラヘラと笑って気味が悪い、倉庫に放り込んでおけ!」


 ……あの時の、私の心境は、今でも筆舌に尽くしがたいでしょう。

 信じていた夫に裏切られた失望に、脳裏で捧げていた愛の誓いが破れる音がしました。


 ……そして、男の所業は、自然と周囲にまで広がりました。


「お前のせいで母上は死んだんだ、この人殺しが! 母上を返せっ!!」


 ネアより五つ上の兄ルードヴィヒは、父親を真似るように積極的にネアを苛め抜きました。

 ネアの食事を目の前で床に捨てたり、あの子の衣服を切り裂いたり、時には使用人を使って暴行を加えさせました。

 顔を洗わせるという名目で、水の張った洗面器に頭を押さえつけて、もがいて苦しむ様を大笑いして眺めたり……、


「見ろ、ドブネズミの顔色が少しはマシになったぞ! 青白くて死人みたいだ!」


 ……見るに耐えない、所業でした。



 私が愛した家族は、私の死を理由に、私の愛する娘を虐待する。

 まさしく、地獄のような十三年です。

 しかし、ネアにとっては私以上に地獄でしょう。

 愛されることを知らず、屋敷の全てはあの子を蔑み、人として扱われることもない。


 当主の八つ当たりのための肉袋、都合の良い時に血を吐くことのみを許された、親の所有物。


 それが、あの子の人生の、全てだったのです……!



「おい、ドブネズミ! この屋敷で飼ってやってるのに、どうしてまだ生きてるんだよ! お前なんかさっさと死んで、母上に謝りにいけばいいのに!」

「お、お許しください……! わ、私が生まれてきたのが間違いでした……ごめんなさい、嫡男様……!」

「そうだ、お前のせいだ! お前のせいで父上もおかしくなったんだ、お前なんかが生まれなければ!」


 ルードヴィヒはネアの髪を掴んで引きずり倒しました。

 そして、足を振り上げたのです。


「死ね! ドブネズミが!!」



 ――嫌な、音が、響きました。



 床に広がる血、ピクリともしなくなったネア。

 最初は笑っていたルードヴィヒも、呼吸すら止まったネアに気づいて、次いで血に染まった靴を隠すかのように床で拭いてから、部屋から逃げ出しました。


 私は、何も出来ないままに、じっとそこに留まりました。

 ネアを抱きしめることも、声をかけることも、介抱することもできずに。


 あの子を、誰かが見つけに来てくれることを期待しました。

 ですが、それすらも。


「まったく、最後まで手間を掛けさせる」

「だ、旦那様、いかが致しましょうか……」

「いい、アレの出産時の報告はしていない。他家も知らぬ存在だ。このまま部屋を封鎖しろ、誰一人としてここへ立ち入れないように密閉せよ」

「か、畏まりました」


 私は、遂に自分の正気が失われたのかと思いました。あまりにも信じられなかった。

 夫は、命をかけて産んだ私の子の出生届を、出していなかった。その存在を、認知させていなかった。

 つまり、もともと、夫はあの子を殺すつもりだった。いつか殺すために、飼い殺しにしていた。

 そして死んだから、使わない倉庫に鍵をかけ、埋葬もせず、放置した。


 去りゆく夫の、「骨になってから庭にでも埋めろ」という声を聞いて、私は……、






 ――――ゆるさない



 ――――ゆるさナイ



 ――――ユ ル サ ナ イ




 絶対ニ 呪ってヤル――







◇ ◇ ◇



 …………調停場は、完全な静寂の中にあった。記録官が動かすペンの音すら響くほどの、衣擦れ一つない沈黙だ。


 幽霊、カテリーナの胸糞な話を聞き終えて、俺は不快げに木の実の入っていた袋をグシャリと潰した。

 よくある話だろう、貧民層の劣悪な環境では、よく聞く話。


 だが、例え慣れていたとしても、相手の所業へ怒りを抱くのをやめる必要はない。


「ゲス野郎が」


 ポトリと落とした俺の呟きが、調停場中に響き渡った気がした。


「ち、違うんだ、カテリーナ……」


 俺の言葉に触発されたのか、クソ親父は蒼白なままに言い訳を吐いている。


「ネアは、あの娘は、確かに悪魔の娘だったんだ……! お前はわからなかったかも知れないが、悪魔に間違いない! お前は騙されているんだ!」


『…………』


 伯爵夫人、いや、カテリーナは見苦しい元夫を見もせずに、被告席で縮こまっていた兄へと近づいた。

 目を見開き、ブルブルと震える兄へ、カテリーナは一切の光が見えない目で、覗き込んだ。


『ねぇ、ルードヴィヒ。どうして、どうしてなの』


「は、ははう、え……」


『私は死ぬ前に貴方へ言ったわ、妹を、例え私が居なくなったとしても、妹を助けてあげて、お兄ちゃんとして仲良くしてあげて、って』


 その言葉に、兄は目を限界まで見開いている。今頃、思い出したのかもしれないな。

 はくはくと口を開閉する息子へ、母親は口端を歪めて、呪詛のように吐き捨てた。


『楽しかった? 実の妹を、その手で殺したのは』


 しばしの沈黙の後、


 ――絶叫が響き渡った。


 半狂乱になった兄は、母親の霊から逃れるようにもがいて、床をのたうち回っている。まるで、霊にでも憑かれているかのようだ。


「か、彼を退廷させなさいっ……!」


『司祭様、お下がりなさいませ。これは、我が家の問題ですのよ』


「……っ!」


 カテリーナは、聖母のように穏やかな、しかし死人の瞳で言った。


『だって、貴族の家での虐待や殺人なんて、さして罪にはならないのでしょう? 母親が我が子を叱ることが、そんなに問題でしょうか』


「し、しかし……」


 まさに、子供の権利への揶揄だな。カテリーナはネア殺害の咎なんぞ、この社会ではさしたる罪にならないことを嫌と言うほどに知っているようだ。

 だから、ここで妹殺しを行った兄を、壊そうとしている。霊を裁く法がないのと同じく、それを罰する法もない。


「カテリーナ。その子はもう捨て置きな」


 誰にも止められない行為へ、待ったを掛けたのは、婆さんだ。


「私との約束を忘れたのかい。それ以上は、悪霊の所業だ。お前さんが悪霊と化すのであれば、私はこれ以上、手を差し伸べることはしない。溜まりに溜まった未練という復讐の言葉を吐くことは容認するが、壊すのならば話は別だ」

『…………、わかりました』


 興味を失ったようなカテリーナを横目に婆さんが官吏を呼んで、狂乱して泣き叫ぶ兄は引きずり出されていった。ありゃもう駄目だろうな、完全に心がポッキリ行っちまってるぜ。


 次に、カテリーナは元夫へ向き直る。

 怯えすら見える元夫へ、鬼母もかくやな形相でカテリーナは言った。


『貴方を愛していました。女神の御前で誓った言葉に、偽りはありませんでした。……しかし、この十三年間、ネアへ与えた痛みはまさしく私自身への痛み。あの子を蔑ろにし続ける貴方を目にして、私の愛はとうの昔に尽きてしまいました』

「あ、ああ……か、カテリーナ、カテリーナ……す、すまん、すまなかった、わ、私は、今もお前を……」

『私は、貴方を、永遠に許さない』


 憎悪の念を抱く言葉は、まさしく凍土の寒さのように脳を吹き抜けていく。


 冷え切った瞳をしたカテリーナへ、しかし往生際の悪い伯爵は首を振って縋るように近づいていく。まるで駄々っ子だ。


「違うんだ、お前を、私はお前を愛しているんだ……! 誰よりも、この世界で誰よりも愛している!」

『あら、そう』

「た、たまたま、家族よりもお前を愛していただけなんだ……お前が死んで、居なくなって、世界の全てが灰色に感じられて……存在しないお前を思い続けて生きてきた、今もそうだ! お前が居ない世界は灰色なんだ! 何をしても楽しくない、何を食べても味が感じられない、お前が、お前が居ないことが、何よりも悲しい……」


 痛ましいと言える慟哭。

 思わず許してしまいたいと思える程度には無様で、純粋な哀願。

 赤の他人が見れば、被害者へ無責任に「許してやれよ」なんて抜かしてしまうかも知れない程度には、哀れな姿だろうな。


 だが、


『それが何だというの』


 目の前の悪霊に、そんな泣き落としが通じるわけもない。


「カテリー……ナ……」


『世界が灰色? それで? だからネアの人生を地獄に変えたの? 拷問のような苦痛を与えたの? 自分はこんなにも可哀想だから、我が子を虐待して壊しても問題ないだろうって? そんな言い訳を、命と引き換えに産んだ母親であるこの私の前で、恥知らずにもできるのね?』

「カテリーナ! 違うんだ、待ってくれ!」

『もう結構よ、貴方との婚儀の誓いなんて、この場で破棄してさしあげるわ』


 ハッキリと宣言したそれは、文字通りの離婚宣言。死んだ当人からの離縁通達に、伯爵は空いた口が塞がらないようだ。


「め、女神の宣誓を、破棄するだなんて……! そ、そんな事は許されないだろう!? カテリーナ、女神への信仰を持つお前が、そんなことが出来るわけがない!」

『……ええ、そうね。私は女神様を何よりも敬愛していたわ。私と引き換えに、ネアを救ってくださったことを感謝した……でもね』


 うっすらと、女は笑う。

 仄暗い、憎しみの浮かんだ顔だ。


『どれほど私が祈っても、どれほどあの子が願っても、女神はネアを救わなかったわ。あの子が苦痛に塗れる地獄の中でのたうち回り、実の兄に殺される姿を、黙って見ていただけだった。あの子はね、ネアは、死んだ私にとっての全てだったの……私が、この世界で誰よりも幸せを望んだ、愛しい我が子だったのよ……!!』


 司祭が思わずと言った風情で口を開くが、何も言わないまま口を閉じた。

 信仰は人を豊かにするが、救うことはしない。まさに、それを体現するかのような話だった。


 カテリーナは、笑った。

 歪んだ音を立てて、涙を零しながら、最後にこう締めた。


『悪魔は人から信仰を奪うのが、その役割らしいですわね。そして私は信仰を捨てたわ。自ら、神への思慕を捨て去りました。残ったのは、ただの尽きぬ怒りだけ……、


 ねえ、これで満足かしら? 私から、愛と信仰を奪い去った――


 ――この、邪悪な悪魔が』



 ゆるゆると、男は首を振ってから、徐々に発作のような笑いを上げた。

 引き攣れるそれは、まさしく壊れた人形がガクガクと振り回されるかのように。


 その顛末を見届けて、法務官は首を振り、司祭は聖印を切り、女王は無表情で睥睨している。


「……さて、気は済んだかい?」


 今まで黙っていた婆さんが声をかければ、カテリーナはゆっくりと振り返って、静かに目を伏せた。


『墓守様。最後に、一つだけ……。私は娘の死を見つけてほしいばかりに、無関係な方々へ多くの迷惑を掛けました。正気を失っていたとはいえ、決して許されてはならない所業です……出来ることなどもはやない身ですが、皆様には謹んで、謝罪申し上げます』


 先程のキツイ声色じゃない、穏やかなで丁寧な謝罪だ。頭を下げる姿は一部の隙もなく、献身的な姿として映る。

 生前は出来たご婦人だったろうな、悪霊になってもそう思える程の所作だった。


『お待たせしました。もはや、未練などありません』

「そうかい。ならばお前さんが浄化の日まで穏やかに過ごせるよう、墓守として棺を整えよう」


 カラン、と、婆さんの天秤が音を立てた。


 途端、カテリーナの輪郭が薄っすらと消えていく。

 粒子となった霊魂は天秤の秤の一つに乗り、対となる秤と釣り合うように、しかし僅かに傾いた。


「……悪霊より脱するのならば、お前さんの娘と再会することも、出来るだろうよ」


 そう静かに呟いてから、婆さんは天秤を懐に仕舞った。


「それでは、長々と失礼したねぇ。女王陛下、御前を失礼いたします」


「うむ、ご苦労であったな。カーニック男爵」


 再び戻りつつある周囲の喧騒なぞ欠片も気にしないまま、婆さんは悠然と調停場から去っていった。どこまでもサバサバとした御仁だな。


「そ、それでは、裁判の結審を述べたいと思う。……その前に、女王陛下」

「うむ」


 アレシア女王は立ち上がり、頭上から貴族たちを見下ろしながら、こういった。


「ヴェーネルハイト伯爵夫人が行った、城下の民を惑わす所業を許すことはないが、しかしその身上には一定の酌量をすべきであると考える。彼女が齎した破壊行為への損害賠償は全て、ヴェーネルハイト家が支払うことを命ずる」


 これは裁判とは無関係の、幽霊騒動への補填だな。ここはあくまで悪魔崇拝を問う裁判だからだ。


「此度の悲劇、それは愛が深すぎるがゆえに起こった、暴力を是認する出来事だ。人の感情は複雑怪奇、その向けるべき感情を見当外れな方角へ向けてしまうことも儘、あるだろう。だからこそ、向けられかねない対象を少しでも減らし、社会的弱者を保護することこそが重要であると、私はこの悲劇を見て思った。諸君らも今一度、自らの家族を省みることを心がけてほしい」


 ――カーニックの一族がいる限り、死人の口は塞がらないのだから。


 うわぉ、バッチリ釘を刺していくスタイルは惚れ惚れしちゃうね。法廷では使用しないけど、王家はカーニックの魔法を使いまくるとハッキリ言っちまってるな。婆さんの今後の身の安全が心配になるね。

 思わず乾いた笑いを上げていれば、法務官が咳払いをしてから、締めの宣言をする。


「……それでは、ヴェーネルハイト伯爵家へ、判決を申し渡す!」



◇ ◇ ◇



 鎮魂が終わった数日後、私は花束を持って、共同墓地へと足を向けていた。


 毎日の手入れは欠かさず行っているが、風で飛んでくる落葉や小さなゴミまでは防げない。地面に散った花弁を横目に、目的の墓まで辿り着く。


 墓碑銘には、二つの名前がある。


 カテリーナ、そして、ネア。

 姓は入れていない、当人が拒否したからだ。


「お、婆さんも墓参りか。入口に騎士が立っていたから何事かと思ったぜ」


 向こうから陽気な処刑人がやって来て私の横に並び、持っていた粗雑な野の花を墓前に供え、聖句を口にした。

 死刑囚へは決して言わないそれを口にするのは、この男なりの礼儀なのだろう。


「珍しいねぇ、お前さんがここへ来るなんて。死人なんて気にもしない質の癖に」

「近場を通るから、気まぐれだ。……それより聞いたぜ、ヴェーネルハイト元伯爵夫人の遺骨を、女王陛下の命令で移動させたんだってな」

「ああ」


 肩を竦めて思い出す。

 あの女王陛下は今回の事件を象徴として扱いたいらしく、伯爵夫人の籍……死者名簿に乗っていた名から、正式にヴェーネルハイトの姓を消した。事実上の冥婚ならぬ、冥離婚だ。

 そしてヴェーネルハイト家の墓から遺骨を移動させ、この共同墓地へ娘と共に移動させた。夫人の実家は、貴族社会へ不信感を持つ彼女の意思を尊重したらしい。


「社交界じゃあ、ちょっとした美談として通ってるぜ。死んでも我が子を思い続ける母親の奮闘ってことで、子供を虐待する家への目線が厳しくなってきているってな。ま、いつまで続くかは知らねえが、向こう数年間は厳しいまんまだろうな」


 人の噂で襟を正すのも限界がある。望むのならば、次の世代がこの件を教訓として忘れないでいてくれることだ。

 まあ、その心配はそこまで必要ではないだろう。あの女王が頂きにいる限り、事件が風化されることはないに違いない。


「陛下は、実に慈悲深いこったね。精神不安に陥ったヴェーネルハイト伯爵家に代理人を立て、療養として別荘をプレゼント。そして事件を介して蔑ろにされている貴族女性や子供らを一気に味方につけた。この国のトップでもある女性が宣言すれば、どれだけ不満があろうとも家の暴君はそれに従わざるを得ない。社会的弱者の数は、きっと馬鹿にはできないんだろうねぇ」


 虐げる側は、気づいているのだろうか。

 いつか自分が虐げられる側に回るかも知れないと、今回の件はそれを証明してしまったのだと。

 カーニックは、それを可能に出来るのだと。


「婆さんは大丈夫なのか? 今後の身の振り方とか。必要なら俺も手を貸すけど」

「ふん、若造がいっちょ前の口を聞くんじゃないよ。少し前まで異端視されていた検死官を認めさせたのは誰だと思っているんだい? 夜道での襲撃なんて慣れてるよ」

「婆さん、年齢考えろって。剣を振り回せる歳じゃねーだろ」

「それに、いざとなれば霊の人が助けてくれるから、問題ないさ」

「あぁ……まあなぁ」


 我が家の魔法は霊との交流だけではない。霊を介した結界、憑霊、それらの使い方は手足のように知っている。

 気づけば、マスクの上から顔の半分を撫でていた。


「憑霊体質ってのも大変だな。……っと、それじゃ俺はそろそろ行くわ」

「お前さんも、せいぜい夜道に気をつけることだね」

「月夜ばかりだと思うなって? そりゃどうも、身に沁みて知ってるぜ」


 じゃあな、と飄々と手を振りながら去っていく男を見送る。何を考えているか分かりづらい奴だが、身内と認識している相手へは甘い男だ。自然、仮面の下で笑みを浮かべてしまう。

 私は手に持っている花束を持ち直してから、墓へと向き直る。


「…………我が子を失うのは、それを目にするのは、さぞや苦しいことだろうさ」


 呟いてから、自分の傷である過去を思い返す。


 死んだ我が子が悪霊となり、この身が呪われ、未だ生き恥を晒している。

 だからか、面倒で危険だとわかっていながらも、彼女らへ手を差し伸べてしまったのは。


 ……私の視界に映る光景。

 墓地の花畑に座って、少女を膝に抱えて何かを話す、母親の姿。


 二人とも、穏やかで、幸せそうだ。


「死が、お前さん達の安息となるように、私は微力を尽くすとしようかねぇ」


 自らへの再表明のように呟いて、墓前に花束を添えた。



 ――母子を表す白い花束は、静かに、ただそこに在った。





軽い登場人物設定


ニーヴ・カーニック:

 墓守の一族であり、神器「死者の天秤」を保有するカーニック家の当主。死者の天秤より与えられた魔法を使い、死者との対話と鎮めを使命としている。若い頃に他国の「検死」という概念を知り、留学で学んでこの国へ持ち込んできた型破りな女性。当初は教会と揉めに揉め、異端視すれすれの中で検死の手腕を発揮して王家へ信頼を築いていった。

 ドレア家と違って親戚は多いが、カーニックの血筋は"死"への奇妙な偏執を持ちやすい一族であるため、なかなかにぶっ飛んだ連中が多い。かくいう婆様も「生者<死者」のように死人を生きている人間のように扱い、友人と呼んでいる。幼少期から死体安置所で霊たちと遊んでいたのが原因である。

 かつて我が子が呪殺され、悪霊と化したので対峙したが浄化に失敗し、呪われて憑霊を可能とする体質となった。顔の黒い痣はその後遺症。身の内に幾人かの霊を住まわせており、必要な際に力を借りている。

 なお、カーニックの当主は代々霊からの呪われ率が高いせいか、仮面を被って素顔を隠す者たちが多い。


死者の天秤:

 カーニックが保有する神器。存在を知っているのはカーニックと王家だけである。

 死者の声を聞き、姿を見る事が可能となる魔法をカーニックの血族に与えることができる。ドレアと同じく血族制なので、カーニック以外の血筋には一切反応しない。天秤なしでも少人数へ霊を見せることは可能だが、大人数相手に霊を見せるのは天秤本体が必要。

 カーニックはかつて魔剣のドレア家と交流を深めていたのだが、時代が下る内に疎遠になった。尚、互いの家の神器に関しては国家機密なので知識共有されることはなかった。

 人格は無口で根暗なダウナー系、人前に引っ張り出されてテンションが下がった。割と勢いが強い魔剣のことを苦手に思っている。


ローヴァン・ドレア:

 国の刃である処刑人。相変わらずアレシア女王とペンフレンドを続けているようだ。

 カーニックの婆様とは幼少期からの付き合いで、悪ガキ時代にしょっちゅうケツを叩かれていたので頭が上がらない。父母や祖母を亡くして祖父と二人で暮らしていたせいか、祖母ってのはこういう感じなんだろうか、という気持ちを抱いている。婆様が相手だと尻尾をブンブン振っている。


魔剣:

 暇そうに観劇してたら何百年かぶりに同僚と顔を合わせたのでちょっとテンション上がった。天秤からは他人のふりをされたが、まったく気にせず質問攻めにして「ところで近くに斬ってもいい悪党とかいない?」と謎のナンパをしてドン引きされていた。



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