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ぬいの二人の主様

作者: 青木薫

目にとめていただきどうもありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。

人が亡くなる描写がありますので苦手な方はご注意ください。

 それはある秋の日のこと。


 既に人気も下火になって久しいアニメのキャラクターの1人であった『ソレ』はぬいとしての存在を終えようとしていた。



 体長20センチ弱の『ソレ』も、最初は作品名が書かれたスペースに袋に入れられた状態で並べられていた。最も人気のあるキャラクターの1人として高値がつけられていて、時折手に取った人が値段を見て棚に戻す、そんな日々だった。


 しかし流行の移ろいは速いもので。アニメでもゲームでも新しいものが作られた。


 いつの間にか『ソレ』は袋から出され、他の仲間ぬいたちと一緒に大きなカゴの中に詰め込まれて入口のすぐ脇の棚の下に置かれていた。


 仲間ぬいたちはため息をつきながら呟く。



「そろそろ俺も処分かな」


「私もよ。さみしいな。でも仕方ないよね」


「拙者、無念でござる」




 昨日お店に持ち込まれた大量のモノたちを見ていたぬいらは、とうとう自分たちに最期の時が来たことを感じていた。


 昨日来たモノが並ぶなら、新たなスペースが必要であり、それは今他のモノが並んでいる場所だ。


 そして棚から押し出されて、この最期のカゴに来るモノがいるなら自分たちはこの店から出されるのだ。自分たちがこの場所に来た時に前のモノたちが大きな袋に入れられどこかへと運び出されたように。



『最初の主様あるじさまにとても可愛がってもらえたのだもの、私は幸せだったわ』


 他のモノたちの残念そうな言葉を聞きながら、大勢のうちの一つだった『ソレ』はこれまでのことを思い出していた。




*****



「ママ、この子!この子がいいの!」


 最初の持ち主の美咲みさきは、棚に並べられた他の同じソレらの中から一番気に入った一体ぬいを選び取り、家に連れ帰った。美咲は『ソレ』のあるじとなった。


 勉強やら何やらで息が詰まるような生活の中、一週間に3時間だけ許されていたテレビ。その一つが女児向けのキャラクターが何人か登場するアニメだった。


 おもちゃなんてと言う母親だったが、滅多に自分の意見を言わない美咲が「どうしても欲しい」と棚の前で強請ったため、人目もある中、根負けする形で買って与えたのだった。


 『ソレ』はアニメの中で『フィオリーナ』という名前で多くのファンは短く『フィオナ』と呼んだものだった。でも美咲は『リナちゃん』と呼んで可愛がった。


「リナちゃん、お洋服を替えようね。ほら、新しいドレスだよ」


「一緒にお出かけしようね。写真も撮ろうね」



 美咲あるじさまは長い間リナを可愛がった。お小遣いを貯めてはいろいろな洋服を買って着せた。時には美咲あるじさまが簡単なものを作ることもあった。


 可愛いリボンを結んだり、ビーズでネックレスを作ったり、そんなものだった。でもそれが繰り返され、リナは徐々に他のモノとは違う、美咲あるじさまだけの『ぬい』になっていった。


 自分に厳しい母親との生活の辛さ、学校での友人たちとのトラブル、成績や進学へのプレッシャー。そういった苦しさも、リナに話すことで本当の自分の気持ちがわかり、乗り越え方を考えることができた。


 リナはいつだって美咲の話を黙って聞いていた。美咲が苦しくて泣いている時、頑張って良い結果を出した時、でも『足りない』と言われた時。美咲を見つめて一緒に居た。


 アニメが終了しても、大人になってもう母親を怖いと思わなくなってからも、棚に居場所を作って、大事にしていた。時々は出かける際に一緒に連れて行った。


美咲あるじさまは『ママ』に


「いい加減にしなさいよ美咲、いい歳して」


と言われながらも、


「そのうちね〜」


と受け流し続け、一緒の時を過ごしたのだ。



 けれど。



「しばらく海外に行かなくちゃいけないの。リナちゃん、連れて行けなくてごめんね。必ず帰ってくるから、待っていてね」



 そう言って、大きくなった美咲あるじさまは旅立った。美咲あるじさまが仕事で行く先は大変な場所のようで、リナちゃんを連れて行くのは危険だと言っていた。


「盗られたり、壊れたり燃えたりしたら大変だから…お留守番していてね」


 長年可愛がられる間にいつしか感情こころをもったリナは、美咲あるじさまの無事を願って見送った。



 その後しばらく部屋の『祭壇』という場所に飾られていたリナは、半年ほど経ったある日、美咲あるじさまの『ママ』によって外へ連れ出され、『お店』に引き取られた。



「あー、タグに刺繍がしてあるけど…まあ人気有るから…」


「まあ思ったよりも価値があったのね。じゃあ、どうも」


「ありがとうございました〜」



 お金を受け取ると振り返らずに店を出た『ママ』を見送ったリナは、もう美咲あるじさまに会うことはないだろう、と思った。


 それまでの感謝と寂しさとともに、静かに『お店』の棚に並んだ。


 


*****



 そして今。リナがこのお店に来てもう1年が過ぎようとしていた。


 最初に高値がついてしまったせいか、新たな主と出会えないままリナは徐々に古ぼけていき、とうとう最期の場所と言われる『お店』の入口の脇の棚の一番下のカゴの中で『その時』を待っていた。



『最初の主様に可愛がってもらえたのだもの、私は幸せだったわ』


 賑やかな音楽が流れる店内のカゴの中で、リナだったソレはもう一度思ったが、柔らかな綿以外は何も無いはずの体の中心がキュッとした。


 その時だった。



「あら、ねえ、この子」


「おばあちゃん、それは…ええと、だいぶ昔のアニメのキャラだよ?」


「いいのよ、私はどれも知らないのだから同じよ。この子を連れて帰りたいの」



 一人の老女がソレを手に取り、その孫が呆れた顔をしながら会計を済ませ、リナだったソレは新たな主を見つけたのだった。



*****



「名前は何にしようかしら…ふわふわしてるからふわちゃん、じゃあ可哀想よね…うーん…」


 ソレの新たな持ち主となった和子はウンウンと悩んだ末に、ソレに『リリちゃん』と名付けた。


 ソレのピンクの髪の色が和子の好きな百合と同じだったからだ。


「でも『百合ちゃん』じゃあちょっとねぇ。もっとハイカラなのがいいわよねぇ。百合、リリー…あっ、リリちゃん、なんてどうかしら」


 『ソレ』はどちらも素敵だと思ったけれど、『リリちゃん』というのはきれいな音だなと思った。主様が呼んでくれていた『リナちゃん』にも似ているし。すると、不思議なことにその思いが通じたのか、和子あるじさまがニコニコしながら


「そう、リリちゃんがいいのね。じゃあ、あなたは今日からリリちゃんよ。よろしくね」


と言ってくれたので、リリはとても嬉しくなった。




*****



「今日はこれを着ましょうね」


 和子あるじさまがリリに見せたのは、彼女が編んだ卵色のワンピースだった。


 細目の毛糸で編まれているので柔らかい。着せてもらうとフワフワと気持ち良い。


「まあ可愛い。とっても似合うわ。今度はお揃いで帽子も編みましょう」


 着替えさせてもらったリリは主様あるじさまと近くの公園に行く。


「もうじき冬が来るわね。寒くなるのはイヤねぇ…でも冬の空気は気持ちがいいものよ」


「師走は街がざわざわするからあまり出たくないわ。もう歳だから、賑やかで混んでいる場所は疲れるのよ。でもリリちゃんはそういうところに行ってみたいかしら?」



『どうだろう…どこかへ行きたいと思うことはあるけれど、それは賑やかだからではなく、主様あるじさまと一緒にどこかへ行きたいからだわ』



 主様あるじさまに話しかけられ、公園のベンチでリリはそんなことを考えた。


 こうして主様あるじさまの話を聞いていると、リリは自分がまるで人間になったような気持ちになる時があった。


 それは、以前、美咲あるじさまと一緒にいた時も同じであったとリリは思い出した。


 いつも可愛がってくれた美咲あるじさま。もう会えないけれど、美咲あるじさまのおかげでリリは感情こころをもつことができたのだと思っている。



「そうよねぇ。出かけるのもいいけれど、おうちで二人でゆっくりするのも楽しいものね。


 そうそう、大晦日は紅白歌合戦を見ましょうね。


 もうほとんど知らない歌手ばかりだけど、少しは知っている人も出るから。


 終わったらゆく年くる年を見て、0時を過ぎたら寝ましょう。


 リリちゃんとは初めての年越しよ。


 年越しのお蕎麦はちょっと入らないでしょうね。


 昔はお腹が苦しくなっても食べなくちゃって思ったものだけど…おばあちゃんになったら、あまりこだわらなくなったわ。


 歳をとるのって、気楽で、いいわねぇ」


 ウフフと小さく笑った和子あるじさまは、その後も、お節では昆布巻きが好きなことやかまぼこは噛むと小さくなって消しゴムみたいだということ、お餅は家族が心配するけれど大好きだから本当はもっと食べたいことなどを取り留めもなくリリに話した。


「あら、もう日が暮れるわ。寒くなってきたから帰りましょう」


 和子あるじさまはリリちゃんをそっと自分のハンカチで包むと、胸に抱いてゆっくりゆっくり家へ向かった。


 リリは主様あるじさまに抱っこされているのは気持ちがいいものだと感じながら、夕焼けの空を見ていた。


 飛んでいる黒い鳥も、家に帰るのだろうなと思った。きっとその家は鳥にとってもいいものだろう。



*****



 和子あるじさまの家族は、娘の陽子と孫の大学生のさくら、そして海外に単身赴任中の義息子の大輔の4人。今の家にいるのは女性3人だ。


 家ではお年寄りの和子はあまりすることがない。そもそも家族はみんな忙しいので和子と一緒に何かをする時間も少ない。


 和子がすることと言えば、さくらと陽子に行ってらっしゃいの挨拶をして見送ること、鍵をしめること、ピンポンと誰かが来たら玄関ののぞき穴で確認して、宅配便だったら受け取ることくらいだ。


 後はテレビを見たり、本を読んだり。それも老眼で見えにくいのでだんだんと億劫に感じてきている。いや、正直、今は読んでいるというよりも眺めて時間をやりすごしているといのが正しいくらい。



「おばあちゃん、今日は私、ゼミの飲み会なの。ご飯はお母さんが作ってくれてるから」


「ええ、ありがとう。行ってらっしゃい。あまり遅くなると心配よ」


「はあい、気をつけるね。行ってきます!」


 今日も大学生のさくらは祖母(和子)に声を掛けると元気に出かけた。さくらの母親の陽子ようこは夜勤のため今夜は帰ってこない。


 夕飯は母親ようこが作ってくれたものがあるので支度はいらない。そもそも火の扱いを心配しているため、和子が食事の準備をすることはほとんどない。


 きゅうりやトマトを切ってドレッシングや甘酢と和えるとか、電子レンジでちょっとキノコなんかの蒸し物をするとか、それくらいだ。今日はそれもしなくても準備されている。


 これについては、料理好きだった和子なのに、それができなくなることで心身の健康が保たれるかを心配していた家族だった。


 でも、リリちゃんが来てから和子が編み物や裁縫を再開した様子に、ホッとしている。


「おばあちゃん、リリちゃんが来てくれて良かったね!ホント、楽しそう」


「母さん、手元が見えにくかったら老眼鏡新しくするといいわよ。電気スタンドも軽くていいのがあるから」


「ありがとう。そうねえ、もう少し凝ったものが作れたらって思うし…お願いしようかしら。でも、いいの?」


 さくらの、すぐにネットで注文しておくという答えに、和子はニコニコして言った。


「リリちゃんよかったわねえ、お洋服作るの、頑張ってって言われたわ。次は何を作ろうかしら…


 え?またワンピースがいいの?じゃあ今度は編むよりも縫うほうがいいかしら。襟はどうしましょうかね」


 リリちゃんと話す和子を見て、陽子とさくらは微笑みながらもちょっとだけ眉を下げた。年齢的に和子おばあちゃんの老いは当然だが、元気だった頃の和子おばあちゃんを覚えている家族の気持ちはいつだって複雑なのだ。



*****


「えーっ!その服、可愛い!」


 リリちゃんの新しい服を見て、さくらが歓声をあげた。大きな柄のハンカチを使ったレトロな雰囲気のふんわりとしたワンピースは、可愛らしいリリちゃんによく似合っていた。


「もうこんなに大判のハンカチは使わないから、使ったのよ。そう?可愛い?」


 和子はリリちゃんを撫でながら話している。


「リリちゃん、いいわねぇ、さくらちゃんが可愛いって。


 あ、でもリリちゃん、さくらちゃんも可愛いでしょう?私の大事な孫だもの」


 何度も繰り返された話題をまたニコニコとリリちゃんに向かって話している和子おばあちゃんを見て、さくらはちょっと考え、それからウンと大きく頷いて言った。


「おばあちゃん、リリちゃん可愛すぎるから、SNSで紹介しちゃおう!はい、リリちゃんここに載せて」


 さくらはそっとリリちゃんを受け取ると柔らかいクッションの上に載せて位置を調整し、スマホでカシャカシャと何枚も撮り、ええと…と言いながら和子おばあちゃんに見せた。


「これ、どう?一番可愛いと思う」


「あら〜可愛いわ!リリちゃん、ほら、あなたとっても可愛い!」


 良かったわねぇとリリちゃんに話しかける祖母かずこを見て、さくらはニコニコしながらSNSに投稿した。


『うちのおばあちゃんが可愛がっているぬいのリリちゃんです。服もおばあちゃんが作りました。#可愛いぬい、#なついキャラ』



「他のは明日にしようね」


 さくらはそう言って、和子おばあちゃんがお菓子の空き箱に仕舞っている何着かの洋服や小物を見た。リリちゃんが家に来て半年、和子おばあちゃんが作った服も増えてきた。


「リリちゃん、衣装持ちだねぇ。良かったね」


 さくらがリリちゃんに声を掛けると、和子おばあちゃん


「リリちゃん、褒めてもらえたの。ふふ、今度はマフラーを編むわね。どう?何色がいい?え、赤がいいの?そう、じゃあ昔さくらちゃんが来ていたチョッキをほどきましょうか」


「ああ、まだ夏だから…そうね暑いわねぇ。でも、もうお婆ちゃんだから何でも時間がかかっちゃうのよ。じゃあもう1枚ハンカチで縫いましょうか。肩のところで結ぶワンピースならすぐにできるから。楽しみ?それは良かったわ」


そんなふうに、リリちゃんと話をする。


 さくらはリリちゃんと楽しそうに話す和子おばあちゃんをニコニコしながら見ていた。



*****



 次の日。さくらはアプリを開いて驚いた。


「うわ、何これ。すごい」


 通知を切っていたので気付かなかったが、昨日アップしたリリちゃんの写真にたくさんのハートがついていた。


 と言ってもいつもに比べれば、というだけでそこまでではないが、さくらのいつもの投稿とは段違いだった。



『レトロ可愛い』


『おばあちゃんと仲良しなんですね』


『うちの子も見てください♡』



 コメントも概ね感じが良いもので、一安心だ。中には


『懐かしい!小さい頃にアニメ観てました。名前が違うのは、おばあちゃんが名付けたのですか?』


というものもあり、『あ、そうだった。すっかりリリちゃんって呼んでた』と思ったさくらは


『皆様、たくさんの♡ありがとうございます。リリちゃんは元のアニメを知らないおばあちゃんが名付けました。第二の人生、いやぬい生?を幸せにすごしています!』


と返信した。そして、せっかくだからと今日はリリちゃんを黄色い毛糸のワンピースとお揃いの帽子に着替えさせて撮影し、投稿した。



*****



 そんなことが何度も繰り返されるうちに、さくらのフォロワー数が増えてしまったのだった。最初はリアルな友人が32人くらいだったのに、今では200人くらい。


 新たに増えたのはほとんどがぬいを可愛がっている主様あるじさまたちで、手芸を楽しんでいる人も多かった。


「おばあちゃん、この人が作っているバッグ可愛いよ。見て!」


「まあ本当ねぇ。リリちゃんも欲しい?そう、じゃあ作りましょうね」


 SNSで見かけた小物を真似て端布で作ったバッグは何とも言えない地味可愛さで、また♡がつく。


「おばあちゃん、また褒められてるよ」


「そう。リリちゃんは可愛いものね」


 さくらは祖母かずこの嬉しそうな様子に、多少面倒なSNSも頑張ろうという気持ちになって続けていた。


 けれども、いくら小さいサイズとはいえ、すぐに新しい服を作れるわけではない。和子の老いの進みもこれまで以上に早くなっているのだから。


 だから、単に一緒に行った公園のベンチで、また近所をお散歩中のワンコと一緒に、といった日常の様子を投稿することも多かった。


「リリちゃん、ワンちゃんのヤマトくんよ。フワフワで可愛いでしょう。え、怖い?大丈夫よ、ほら、可愛い可愛い。なでなでしようね」


「リリちゃん、ここのパン屋さん人気があるのですって。いい匂いだわ。あら、リリちゃんは食べられないものって…そうだったわね、ごめんね」


 数日おきにさくらと出かける散歩での和子おばあちゃんとリリちゃんは、まるで本当に話をしているように見えた。さくらは改めてリリちゃんが来てくれて良かったと思った。



 半年ほどたったそんなある朝。


 寒くなってきて風邪をひいて散歩にも出られず、家で静かにリリちゃんと過ごしていた和子のところにさくらが来て言った。


「おばあちゃん、リリちゃん見せてくれる?」


「いいわよ。はい、リリちゃん、さくらちゃんがおいでって」


 ケホケホと咳をする和子は、袖口からほっそりとした手首をのぞかせながらリリちゃんを手渡した。受け取ったさくらが、そっと洋服をめくってぬい(リリちゃん)のタグを確認した。


 一瞬驚いた顔をしたさくら。そして。


「おばあちゃん、あのね、私のところに連絡がきてね、その…」


「どうしたの?何か困りごと?」


「…その、リリちゃんなんだけど、みさっちさんて、リリちゃんの前の持ち主だって言う人から連絡がきて」


「まぁ。リリちゃんの前の主様あるじさま?」


主様あるじさま?おばあちゃん、そんな言葉よく知っているね。どこで…ああ、まあそれはいいとして。うん…そう、その前の主様あるじさまっていう人が、リリちゃんに会いたいって言ってて」



 さくらに『みさっち』さんという人からメッセージが届いたのは昨夜のことだった。


 SNSで見かけたリリちゃんが、自分が探しているぬいと同じ型であること。そのぬいは自分が海外に行っている間に母親に勝手に処分されてしまったということ、その子のタグには『M』の縫い取りがしてあること。そして、本当に失礼だとは思うが、リリちゃんにその縫い取りがないか見てはもらえないだろうかということが、丁寧な、でも必死さが伝わってくる言葉で綴られていた。


 さくらがまさかと思いつつリリちゃんのタグを確認したところ、そこには拙いながらも一生懸命に刺繍したのだろうと感じられるMの文字があった。



「そう、それじゃあ、いつにしましょうね」


「えっ?お、おばあちゃん、いいの?」


「いいのって、いいでしょう?リリちゃんだって主様あるじさまに会いたいわよねぇ?」


 『ほら、リリちゃんも会いたいって言ってるわよ』という和子おばあちゃんの言葉に釈然としないながらも、さくらは美咲、前の持ち主に連絡を取ったのだった。



*****



 美咲は『sakura』さんにメッセージを送ったものの、断られるだろうと思っていた。それどころかなんて勝手なことを!と気分を害してブロックされる可能性もあると覚悟していた。


 母親がしたこととはいえ、手放したリナちゃんにもう一度会いたいなんて、勝手だ。リリちゃんがリナちゃんだという保証はないし、奇跡的にそうだったとしても、もうリナちゃんはリリちゃんとして家族がいる。


 しかもとても大切にされていることが『sakura』さんの投稿からは感じられた。それは美咲にとって嬉しいことでもあり、たまらなく淋しいことでもあった。


「リナちゃん…会いたいよ」


 海外から戻ってきた美咲は母のしたことが許せず家を出た。仕事の忙しさに引っ越しを先延ばしにしていただけで、もう美咲はとっくに自立するだけの力はたくわえていた。


 だからこそ自分が行動しなかったことへの後悔は大きかった。


 小さい頃から大切にしてきたリナちゃんを勝手に売ってしまったことに対する美咲の怒りを、母親は『もう大人なのに』と理解できない様子だったが、美咲にとっては何よりも大切な友達だった。


 どこまでいっても自分の価値観だけで生きていく母親の手を、美咲はもう放すことにしたのだった。


「ママはお店に売ったって言ってたけど、1年経ってもうお店には居なかった。誰かに買ってもらえたのかな…ひと目だけでも会いたい」


 そんな時に見つけたのが『sakuraさんのおばあちゃんのリリちゃん』だった。


 投稿を遡って大事にされているのを見たら、居ても立ってもいられなくて、メッセージを送ってしまった。…怪しい。怪しすぎる。それでも確かめずにはいられなかった。


『ピコン』


「っっ!」


 スマホの音にとびついた美咲はメッセージを読んで目を見開いた。


『みさっちさん、メッセージありがとうございました。なんと、リリちゃんのタグにMの縫い取りがありました。おばあちゃんが会いましょうと言っているので、日程を決めるのはいかがでしょうか』

 

 美咲はスマホを持ったまま部屋の中を歩き回った。どうして良いのかわからなかったからだ。5分ほどして我に返った美咲はメッセージを返し、リナちゃん=リリちゃんには2週間後の土曜日に会うことになった。もっと早くに会いたかったが、美咲はこの後また10日間の海外出張があるため、仕方ない。


 場所はsakuraさんの家。お互いに住む所から駅3つしか離れていないことに驚いたのだった。




*****




 とうとうその日が来た。


 美咲は手土産としてお菓子を買った。柔らかい黄色いスポンジケーキの真ん中に、これまた黄色いカスタードクリームが入っている甘いお菓子。


 投稿されていた黄色いワンピースに似ている、そう思って買ったものだ。喜んでもらえるだろうか、とドキドキしながら電車を降りた。


 sakuraさんとは昨日メッセージでやり取りをした。


『海外出張お疲れ様でした。明日の午後、お待ちしています』


『勝手なお願いを聞いていただきありがとうございます。よろしくお願いいたします』


 返事として送られてきた画像には可愛い手作りの服を着たリリちゃんが写っていた。美咲の胸がキュッとした。


『ひと目だけでも、と思ったけど…リリちゃんになってるリナちゃんに会って、私はお別れできるのかな…』


 それでも、ひと目会いたい気持ちであまりよく眠れないまま朝を迎えた美咲だった。


 

 最寄り駅から徒歩16分の、年季の入ったファミリータイプのマンションは丈夫そうな色と素材で、次々といろんな年代の人達が出入りしている姿が見られる。


 美咲は教えられた4階の412号室にエレベーターで向かい、インターフォンを鳴らした。


「はい、ようこそ」


「あ、はじめまして。私、みさっちです。改めて、本名は美咲です」


「はい!どうも、sakuraです。本名もさくらです。あ、どうぞどうぞ」


「ありがとうございます」


 二人してペコペコと頭を下げながら中に入る。ふわっと漂う良い香り。


「駅から遠くてすみません、迷いませんでしたか?」


「いえ、大丈夫でした。あ、いただきます」


 出されたグラスのお茶を飲みながら、美咲はさくらを見る。自分よりも何歳も下に見えるさくらは少し疲れているようだ。


「あ、これ、少しですが。そして、あの!この度は、不躾なお願いをしてしまって…申し訳ありません」


 お菓子の袋を差し出しながら頭を下げる美咲に、さくらは


「わ、そんな。ありがとうございます」


と受け取ってふと微笑んだ。


「このお菓子…おばあちゃんが好きな…」


「あ、それは良かったです」


「…じゃあ、連れてきますね」


「あっ、は、はいっ!」


 さくらは奥の部屋に行って、すぐに戻ってきた。手にしているのは。


「っ…リナちゃ…」


 言いかけてハッとする美咲に、さくらは


「リナちゃんって呼んであげてください。お洋服もお店で着ていたものに着替えさせましたし」


と言った。


「あ…ありがとうございます。でも…」


「いいんです。はい。それからこれを」


 さくらはリナちゃんと、白い封筒を美咲に手渡した。


「あの…?」


「みさっち…美咲さん、その手紙、読んでいただけますか?」


「あ、はい、じゃあ」


 美咲は、受け取ったリナちゃんをギュッと抱きしめてから、リナちゃんをそっとテーブルに寝かせて、手紙を読み始めた。が。


「…これって」


 すぐに青褪めて顔を上げた美咲は、さくらの目から涙がこぼれるのを見た。


「おばあちゃん、10日前に亡くなったんです。リリちゃんの主様あるじさまに会いたいねって、今日のことをとっても楽しみにしていたんですけど…


 あ、あの時、咳をしていて、そのまま体調が悪くなって、にゅ、入院して…ちょっと良くなったのに、きゅ、急に…」


 美咲は思わず立ち上がってさくらのそばへ行き、背中をさすった。部屋に入った時のあの香りはお線香のものだったのだ。


「お、おばあちゃん、リリちゃんと一緒にいるのがた、楽しそうで、ずっと、やってなかった手芸もまた、するように、なって。い、一緒に、お、お散歩も、して。近所の人たちとも、仲良くなって…リリちゃんが、うちに来てく、くれて、ホントに、ホントに、良かった…」


 でも、淋しいと泣くさくらの背中を美咲はずっと撫で続けていた。


 ようやく落ち着いた様子のさくらに、美咲は


「さくらさん、私、手紙の続きを読ませてもらってもいい?」


と問いかける。コクコクと頷くさくらの様子に、美咲は手紙を読み始めた。



『リリちゃんの主様あるじさまのみさきさんへ


 こんにちは。リリちゃんのおばあちゃんの和子です。


 私、風邪をひいてしまって入院しているの。このまま退院できなかったら、リリちゃん、いえ、リナちゃんの主様あるじさまに会えないから、こうしてお手紙を書いておくことにしました。


 最初にお店でリリちゃんを見かけた時、カゴの中のリリちゃんは『私は主様あるじさまにとても可愛がってもらえて幸せだった』って言っていたの。


 でも淋しそうだった。今思えば、きっとみさきさんにもう一度会いたかったのね。


 私も一人で家に居ることが増えてきて淋しかったから、淋しい同士仲良くできたらいいなと思って、さくらちゃんにお願いしてリリちゃんを家に連れてきたのです。


 最初はリリちゃんとうまくお話できなくて、リナちゃんって名前をはっきりとはわからなかったからリリちゃんにしてしまって、ごめんなさい。本当はリナちゃんだったというのは後からリリちゃんが教えてくれました。


 その他にも、リリちゃんから、たくさん話を聞きました。


 主様あるじさまの名前がみさきさんだということ、みさきさんがリボンやビーズで作ったネックレスをつけてくれたこと。それがとっても嬉しかったって。


 だから私もリリちゃんにいろんなお洋服を作ってあげることにしました。リリちゃんに喜んでほしくて。だってリリちゃんが嬉しそうだと私も嬉しいから。


 そうして、みさきさんのことを教えてくれるリリちゃんの様子を見て、そしてお家から出された時のことを聞いて、本当はみさきさんはリナちゃんと離れたくなかったのだとわかったの。もちろんリナちゃんも。


 だからさくらちゃんからみさきさんの話を聞いた時はすぐに会おうと思ったし、リリちゃんにもそう伝えたの。


 リリちゃんもとっても喜んで、三人で会いたいと言っていました。


 私もみさきさんと会いたかった。そして、会えたら、私と一緒に居てくれて、私に元気をくれたリリちゃんにお礼を言って、リリちゃんをみさきさんにお返ししようと思っていました。


 私はもうこんなお婆ちゃんだし、十分長生きしたし、この後はみさきさんが時々リリちゃんの写真を撮って送ってくれたらいいなと思って。


 もう私は淋しくないから。それもリリちゃんのおかげ。感謝感謝です。


 このお手紙を渡さずにすめば、このことは直接みさきさんに伝えることができるけど、もしかしたら会えないかもしれないので、こうしてお手紙にしました。


 大切なリナちゃんを、私に貸してくれてどうもありがとう。お陰様で、楽しく過ごすことができました。


 これからはまたリナちゃんと仲良くして下さい。そして孫のさくらとも仲良くしてくれたら嬉しいわ。こ゚縁ですものね。


  和子より』



 長い長い手紙だった。力が入らないのか、鉛筆で書かれた文字は薄く弱々しいものだった。


 でも、思いはとても強く感じられて。どれだけの気持ちを込めて、頑張って書いてくれたのだろう。



 読み終わった美咲の目からも涙があふれる。


「こんなことって…」


 テーブルの上のリナちゃんを手に取り、じっと見つめ、そして手紙と一緒に抱きしめた美咲に、さくらが言った。


「本当に不思議なんですけど、みさっちさんが『みさき』さんって名前なのも、リリちゃんが元の『フィオリーナ』じゃなくて『リナちゃん』って呼ばれていたのも、おばあちゃんが知っているはずがないんです。


 だって、メッセージのやり取りでみさっちさんの本名が『みさき』さんだって私が知った時には、おばあちゃんはもう…。


 でも、おばあちゃんはいつも楽しそうにリリちゃんの話を聞いていて、私達はそれを見て、時々本当にリリちゃんとおばあちゃんが話してるように思えて。


 だからこの手紙を読んだ時は、なんとなく『ああ、やっぱりそうだったのか』って思いました」


 美咲は止まらない涙をハンカチで押さえながら何度も何度も頷いた。


「美咲さん、どうか、リリちゃんを、リナちゃんをお家に連れて行ってください。それがおばあちゃんの望みでした…それに、きっとこの子もそう思ってるから」


 

 美咲はその後、お線香をあげさせてもらった。


「あの、美咲さん、よければこのお洋服、もらってくださいませんか?」



 帰り際にお菓子の箱にきれいに収められた手作りの服や小物を渡され、美咲はまた涙ぐみながらお礼を言って頷いた。



 外はもう日が傾き、駅までの道は夕飯の準備をしてるのだろう家々から良い匂いが漂っていた。


 美咲は途中にあった小さな公園に立ち寄り、ベンチに腰掛けると、リナちゃんを透明な小さいファスナー付きのケースから取り出した。


 昔、美咲が着せていた服に着替えさせてもらったその姿は『リナちゃん』にほかならなかったけれど、美咲はそっと撫でながら、心の中で『リリナちゃん』と呼びかけた。ぬいは変わらず可愛らしい笑顔で美咲を見つめている。


 いつか、和子さんのようにリリナちゃんの声が聞こえるようになるまで、この子を大切にしよう。そう美咲は思った。


お読みくださりありがとうございました。


私も大切にしているぬいがいて、出会いはお店の入口のカゴでした。ぬいと主の出会いや別れはいろいろだと思いますが、別れの後にもまた「ぬい生」が続くこともあると思って、また自分に何かあったらうちのぬいはどうなるのかと思って書きました。


ぬいへの解釈違いについてはすみません、先に謝ります。

そしてぬいのお話は別のものも書きたいと思っています。

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