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教えて欲しい

 (そう)凰琴(おうきん)たちへの裏切りを暴かれた紫薇(しび)は、星黎(せいれい)宮の一室に軟禁されていた。

 炎俊(えんしゅん)皇子と朱華(しゅか)は、凰琴の背後にいる龍基(りゅうき)皇子と対峙してその企みを糾弾したという。皇帝その人も臨御(りんぎょ)して一件落着となった、というのは、食事を差し入れる下女や宦官の噂話で何となく知った。


(市井出と蔑まれる第四皇子殿下が、第一皇子殿下の陰謀を跳ねのけるなんて。……皇帝陛下の予言は、本当に実現するの……?)


 独房代わりの暗い小部屋で膝を抱えて座り込んで、紫薇はぼんやりと思う。

 無数の思惑が絡む中から、帝位に誰が就くのかを読み解くなんて。時見ひとつさえろくに制御できない彼女からすると、皇帝の、皇室の力は恐ろしいほどに強い。


 炎俊皇子も、ただの甘味好きの青年ではないのは分かっていた。皇宮に迎えられ、さらには星黎宮を与えられるには、それだけの力がなくてはならない。


(……でも、あれほどのことができるなんて)


 紫薇を疑いの目で見るだけで、誰と通じたかを言い当てた。夜光の珠の髪飾りに思い至っただけで、果てしなく広いと思える山河の中から、その青白い輝きを遠見で見つけ出してみせた。……そんな存在を欺き騙し討ちしようだなんて、浅はかで愚かな企みだったとしか言えない。


 主を裏切った紫薇は、これからどうなるのだろう。炎俊皇子がこよなく大事にしている朱華までも危険に晒したのだから、やはり残酷な死が相応しいだろうか。


 八つ裂きか火炙りか、水責めか──想像すると恐ろしいけれど。当然の罰なのだろう。それに──


(恐ろしいことなら、いくらでも見てきたわ)


 制御できない時見の力は、紫薇に処刑や拷問の情景も何度となく見せつけてきた。

 ふと顔を上げた瞬間、振り返った瞬間に苦悶の表情を浮かべる血塗れの虜囚や罪人の姿を見るかもしれない、という不安を味わい続けるくらいなら、ひと思いに息の根を止めてもらったほうが幸せというものだ。


(皇宮の片隅に置いておいてもらえたら、と思っていたけれど──役立たずには、過ぎた望みだったのね)


 豪奢な装飾に彩られ、厳重に呪で守られた殿舎は、強い力で国を導くことができる方々のためのもの。紫薇のように、力ない者が隠れ処として潜むためのものではなかったのだ。


 炎俊皇子に拾われて、星黎宮に一時でも住まうことができただけでも幸運だったのに。炎俊皇子が失脚するとしても、最後まで従うべきだっただろうに。

 安全な場所を失いたくなくて、恩人を裏切ってしまった彼女は愚かだった。だから、罰を受けるのは当然のことだろう。


(……でも、ずいぶん遅いわね……?)


 紫薇がこの部屋に入って、もう何日目になるだろう。

 軟禁中とはいえ、紫薇がいるのは殿舎の一室だ。だから、制御できない遠見のせいで恐ろしい光景を見ることはないし、食事も日に三度、欠かさず届けられている。仕事をしなくて良い分、単に休んでいる──怠けているだけのような。


 炎俊皇子は、よほど時間をかけて残酷な罰を考えようとしているのだろうか。沙汰を待つ間の恐怖も、罰の一環のなのだとしたら、耐えなければならないだろうけれど。


(……でも、もしも第一皇子様がたが悪あがきをしていたら? 炎俊様たちにまだ何かしようとしていて、それで対応に追われているとしたら……)


 裏切った身で勝手なことだけれど、不安になった紫薇は閉ざされた扉をじっと眺めた。大した力を持たない彼女の目では、しかも呪の施された宮殿の中では、意味のないことと知りながら。


 すると──食事の時間でもないのに、扉が開いた。


「紫薇!」


 窓もない小部屋を、眩しい光が照らしたような気がした。とはいえ、扉を開けて入ってきた()()()は、特別に大きな灯りを携えていたわけではない。もちろん、彼と彼女の衣装も髪飾りも美しく豪奢で、わずかな光を何倍にも反射するような輝かしさではあったのだけれど。


「朱華様、炎俊様。……あの、私」


 ふたりの変わらぬ姿を見て、紫薇は心から安堵していた。

 朱華は、最後に見た時は全身濡れそぼった無残な姿だったから。炎俊も、あの日、紫薇を問い詰めた必死さは痛々しいほどだった。それが今は、夫婦そろって身分に相応しい装いをして並んでいる。とても、喜ばしいことだ。


 でも、良かった、なんて。彼女が言うにはあまりに図々しいことも分かったから、紫薇は口に出すのをためらった。それに──ふたりは、どうしてこんなに穏やかな笑みを浮かべているのだろう。まるで、紫薇に再会したのを、彼らのほうこそ喜んでいるかのようだ。


 居たたまれなさに顔を伏せると、さやさやと衣擦れの音がして、朱華が紫薇の間近に膝をついたのが分かった。皇子の妃が罪人に対してするのは、信じられないことだ。


「……えっと。元気じゃない、の……? 食事は十分に出すように言っておいたんだけど」

「食事。あの、はい。もったいないお気遣いをいただいて……」


 朱華は、どうやら紫薇を案じて声を翳らせたらしい。申し訳なさに慌てて弁明のように応えると、今度は炎俊皇子までもが彼女を覗き込んできた。


「遅くなってすまなかった。そなたの関与を()()()()()()にするのに手間取った」

「……は?」


 朱華さえ無事なら、炎俊皇子はいつも冷静で語り口も淡々としている。けれど、言われたことの中身はかなり大それたことのような気がして、紫薇は絶句した。


「あ、あの。今、何と……?」

「そなたは、脅迫状を届けに急いで星黎宮を飛び出しただけだ。外の世界は恐ろしいだろうに、あっぱれな忠義だ。……と、いうことにした。父上にもご了承いただいた」


 自身の名前と行いが、皇帝の耳にまで届いていると、これまたあっさりと知らされて、紫薇は危うく失神するところだった。どうにか踏み止まることができたのは、言われたことを受け入れてはいけない、という一心からだった。


「わ、私……罰を待つ身だと思っておりました! 炎俊様は、あの日はあんなに取り乱して──お怒り、なのでしょう? 私は、許されてはならない身です!」

「朱華が言っていたのだが。私は人の心が分かっていない、と」


 必死に言い募る紫薇に、けれど、炎俊は不思議そうに瞬くだけだった。


「兄上たちや義姉(あね)上たちについてもそうであったし、紫薇、そなたもそうだった。理に適っていれば良い、というものではない、と」


 確かに、炎俊皇子にはそういう面もある。浮世離れしているというか、人間味が薄いというか。

 長く仕えてきた紫薇はとうに気付いていたし、高貴な皇族ともなると()()()()ものなのだろうと、何となく納得していたのだけれど──どうやら、朱華の意見は違うようだった。炎俊皇子を横目に見ながら、市井育ちの型破りな妃は、まるで告げ口をするかのような小声で、紫薇の耳元に囁いてくる。


「私だけだと、叱るばっかりになっちゃうの。紫薇なら、もう少し優しく教えてあげられるでしょう?」

「わ、私が皇子殿下に? そんな、畏れ多いこと──」


 震えて首を振っても、朱華の悪戯っぽい笑みは崩れなかった。さらには、炎俊皇子までもが卑しい罪人の傍らに膝をついた。


「民の大多数は力のない者だ。そして、力があっても使い方を知らなければ意味がない。龍基兄上は驕ったし、佳燕義姉上や芳琳義姉上は思い悩んでいらっしゃった。それぞれの立場の者が、どのように感じ、どのように考えるものなのか──私に、教えて欲しいのだ」


 炎俊皇子は、頼む、と言った。皇族に跪かれて壊れるという異常事態から逃れるべく、紫薇は慌てて頷いた。


「は、はい。仰せのままに……!」

「そうか。ありがとう」


 皇子が下々にわざわざ礼を述べるのも、本来はあってはならないことだ。立て続けに直面した大それたことに目眩を起こしながら、それでも紫薇は言うべきことをどうにか言った。


「先のことは、本当に、本当に申し訳ございませんでした。これからは、身命を惜しまずにお仕えします……!」


 言い終えるか否かのうちに、涙がこぼれてきた。犯した過ちへの悔恨と、許してくれた主たちへの感謝、居場所を得たことへの喜びが混ざった涙だった。


(私……なんて勝手で、見苦しい──)


 泣き顔を恥じて、紫薇は平伏しようとした。けれど、朱華はそれを許さず彼女を優しく抱きかかえた。


「身命は、惜しんで? 紫薇に何かあったら悲しいわ。私たちも、隙を見せないように気をつけて、頑張るから」

「はい。朱華様……炎俊様も。きっと、ずっとご無事で──至高の位に上られますように」


 朱華の胸は柔らかくて温かくて。炎俊に悪いと思いながらも、紫薇は子供のように縋りついて、長い間泣き続けた。

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