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炎華繚乱 偽の姫は予言の皇子と玉座を目指す  作者: 悠井すみれ
一章 偽の姫、天遊林に入る
3/33

退屈の終わり

「はあ……退屈……」


 朱華は、自室の長椅子にしどけなく座って干した(なつめ)を齧っていた。物憂げな溜息、と麗しく形容するには、不機嫌も露な、吐き捨てるような呟きではあっただろう。


 天遊林に入って早ひと月が過ぎようとしている。この間、新入りを品定めしようと、茶会だの庭遊びだのの誘いが絶えなかった。そのいずれも、朱華は上手く切り抜けた、と思う。《力》と美貌と、ついでに陶家が気合を入れた華やかな装いで、女たちを黙らせてやったはずだ。……なぜ黙ってしまうのか、朱華にはとても不思議でならないのだけれど。


「そりゃあね? 礼儀作法は完璧に仕込まれたし、お姫様たちの名前も顔もご実家の来歴もきっちりしっかり暗記してたわよ? でも、誰かひとりくらいはもっと突っ込んでくるかと思ってたのに」


 朱華には話し相手になるような親しい侍女や召使はいない。だから、愚痴めいた呟きはひたすら宙に向けての独り言だ。


(《力》を持っている人たちのはずなのに何も視てないのよね。楽だけど、拍子抜け、というか……かえって疲れる、かも)


 力を試す類の遊びも、何度もやった。複雑なからくり仕掛けを遠見を使って解いてみせた者もいたし、水竜の姫は、色水を操って空中に水の花や小鳥を描き出した。

 時見の者なら、朝食の献立や数日後の天気を言い当てたりとか。未来視をした場合は、答え合わせがまた集まる口実になったりもするのだ。


「でも……それってお遊びじゃない……」


 余興の場での力の使い方に優れた者はいても、誰ひとりとして朱華の正体を言い当てる者はいなかった。安堵すべきことなのかもしれないけれど、一応は気負いも不安もあったというのに、肩透かしも甚だしい。


「天遊林って変なとこ!」


 再び溜息を吐きつつ、やや乱暴に脚を組む。姫にはあるまじきはしたなさだが、誰に見られることもないから良いだろう。遠見の《力》は間諜にも最適だけど、貴人の住まいは覗き見を防ぐための諸々の(まじな)いが施されている。

 完璧な淑女を演じるのは肩が凝るもの。私室で息抜きをするくらいは許してほしいものだった。でも――


「何と無作法な。陶家の名を汚す振る舞いは慎むが良い」


 低い、けれどよく通る声に叱責されて、朱華は慌てて背筋を正した。音もなく影のように彼女の間近に迫っていたのは、(ほう)という老侍女だった。背高く痩せて、鋭い目つきは猛禽のよう。陶家から送り込まれた、朱華の目付役だ。


「……人前ではちゃんとしてるでしょ。時と場合は弁えてるわ」


 峯の筋ばった指先が不穏に蠢いたのを見て、朱華の声は硬く尖る。陶家に買われた彼女を躾けたのがこの女だった。主家の血を引かない、生まれの卑しい子供に対して容赦はされず、手を上げられたり鞭が持ち出されたりすることもしばしばだった。天遊林に入った今、痣を残すようなことはしいだろうけど、身体に刻まれた恐れが蘇ってしまうのだ。


 峯は、朱華を怯えさせたのを見てとりあえず満足したようだった。薄く色のない唇が弧を描いて余裕ある笑みを形作る。


「陶家の姫は名誉と栄光を得なければならぬ。お前はそのための()でしかない。心することだ」

「分かってるわよ」


 雪莉というお姫様は、それはもう美しく優しく素晴らしい御方だったらしい。生きていれば皇后になるのが当然だった、と。陶家の者たちはいまだに嘆き悲しんでいる。

 朱華に「雪莉」を名乗らせるのにも、その名前の娘が栄達することで、形だけでもその姫君が生きているように信じ込もうとしている節がある。


(でも、それって亡くなった人を悼んでいるって言えるのかしら? 亡くなったことを認めて、ちゃんと供養して差し上げたほうが良いんじゃない? お姫様も泉下(よみのくに)で寂しがってるかもしれないのに)


 顔も知らない死者に仕立てられているのだと思うと、贅を凝らした衣装が、枷のように重く煩わしかった。

 多くの女にとって、天遊林に入って妃の位を得るのが夢であり憧れなのだろう。けれど朱華にとってはそれは手段でしかない。陶家の支配を逃れるため。死者をかたどった人形であることを止めて、彼女自身として生きるため。それだけの力を得るための。


(だから、こんなところで足踏みしてる場合じゃないのに……!)


 歯噛みする朱華に、峯は意味ありげに微笑んだ。


「喜ぶが良い。雪莉姫の評判は、皇族方にも届いたようだ」

「へえ?」


 間を持たせた割に、峯の報せは驚くべきものではなかった。天遊林で行われることの全ては、皇族、特に帝位を競い合う皇子たちの耳目に入っているはず。皇子たち自身が遠見を使って視ていてもおかしくはない。むしろ、予定通りとさえ言えるだろう。

 いちいち得意げに告げるのは、大げさだと思ったのだけれど──


「第四皇子の炎俊(えんしゅん)殿下がお前を望んでおられる。今宵、早速閨に侍るのだ。今から支度をしなくては」

「……へえ?」


 辛うじて先ほどと同じ相槌を打ちながら、朱華は内心で舌打ちしていた。朱華を動揺させたのがよほど愉しいのだろう、峯は糸のように目を細めていた。


「どうした? まさか恐ろしいなどとは言い出すまいな?」

「まさか! 待っていたくらいよ」


 朱華の顔だか《力》だか分からないけど、皇子の目に留まったならめでたいことだ。身体を捧げるのも、覚悟してきたこと。権力を握る第一歩としては必要な代償だと理解している。


(私は妓楼上がりよ? 『そんなこと』くらい、何でもないんだから!)


 朱華は、良家の姫君のような恥じらいとは無縁なのだ。閨だとか言い出して脅かそうとするなんて、峯の婆もしょせんお金持ちの使用人でしかないということだ。

 ただ──彼女の予想よりも話が急だったのは、確かだった。だから、ほんの少し驚いたのは認めよう。ほんの少し──本当に、それだけのことだ。


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