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炎俊の講義

 卓上に積み上げた菓子を摘まみつつ、炎俊(えんしゅん)()()を始めた。


佳燕(かえん)義姉(あね)上は、時見の力が弱いとか。まったく見えないのですか、それとも見えたのがいつ、どこのものごとなのか分からないということですか」

「両方、でしょうか……お恥ずかしいことですが。見えるものもぼんやりとしていることが多いですし……優れた方はいつ、どこの過去や未来を見たのか分かるものだと聞きますが、私にはそれも区別がつかなくて」


 あるいは、()()、とも言えるだろうか。

 炎俊の冷静な問いかけは医者のようだし、不安げにおずおずと答える佳燕は、重い病気ではないかと怯える患者のようだった。……膝の上にきっちりと手を揃えた佳燕に比べて、言葉の合間合間に菓子を口に放り込み、話を聞きながら咀嚼する炎俊は、医者としてはだいぶ不真面目だっただろうけれど。


「訓練としては、毎日違いがあって、身近なもの、かつ記録が取りやすいものを見るのが良いでしょう。花の蕾が開いていくのとか、朝食の献立とか。記録と照らし合わせれば、いつのものを見たのか分かりますから。未来見については、見たもののほうの記録が必要になりますね」

「はい」

「慣れれば、()()()も掴めてくるでしょう。そうすれば、より遠くの地、より離れた過去や未来を見ることができるようになっていくはず。私が会った平民出身のものたちは、そうでした」

「心強いお言葉です」


 態度はともかく、炎俊の言葉は説得力があって、朱華にとっても興味深いものだった。


(時見や遠見の力があっても、何が見えたか分からない人もいるんだ……!)


 朱華にとっては、遠見の感覚は実際の視界に映るものを見るのと変わらない。遠近の感覚は教えられずとも分かるし、首を傾げたり目線を上げたり下げたりするのと同じ感覚で、見る角度を変えることもできる。でも、どうやらそれは普通のことではないらしい。


(でも、言われてみればそうかもね。昨日と今日と明日とで、庭の眺めがそう変わるものでもないし……遠見のほうが()()を合わせるのは難しそう……?)


 芳琳も真剣に聞き入っているのを見れば、自分にはない力の持ち主の見え方や感じ方は、やはり新鮮なのだろう。今日は、思った以上に有意義な会になるのかもしれない。


「あとは、見ようとする対象への思い入れも重要です。見慣れたもの、愛着があるもののほうが見やすいようです。なので、佳燕義姉上なら、翰鷹(かんよう)兄上を練習台になさると良い」

「え、我が君様を……?」

()()も、よくご存じでしょうし」

「目印と、仰いますと──」

黒子(ほくろ)の位置とか。明確な(イメージ)を持ったうえで、()()をじっくり見よう、という意識を持つと見えやすいようです、遠見でも時見でも」


 佳燕が、耳まで真っ赤に染まった。夫君の翰鷹皇子の、黒子の位置を熟知する機会は、当然あるに決まっているけれど──昼日中に、義理の弟に出されたい話題では絶対にない。


(まったく、せっかく良い感じだったのに……!)


 炎俊の無神経さが発揮されつつあるのを察知して、朱華は素早く口を挟んだ。


「佳燕様は、第三皇子殿下と仲睦まじくていらっしゃるとか。お召し物も、佳燕様が選ばれるのかしら。模様なんかも目印になりそうですわね……!」

「え、ええ。翰鷹様にお話して、お願いしてみようと思います」


 幸か不幸か、頬を染めているのは佳燕と朱華だけ、芳琳はよく分かっていないようで首を傾げている。まだ幼いから、第二皇子とは夜伽とかそういう話にまだなっていないのかもしれない。


「衣だと、日によって違うだろうに。まあ、それも記録すれば良いが……」


 炎俊は、せっかく効率的な方法を提案したのに、と言いたげに呟いた。少々不満そうな表情が、けれど、すぐにぱっと晴れる。


「あとは、兄上に触れるのも良いでしょう」

「え」

「視覚以外の感覚でも覚えておく、ということです。そうすると焦点が定めやすいですし、遠見や時見の間は身体のほうがぼんやりしがちなものですから、支えにもなります」


 良いことを思いついた、と言わんばかりに胸を張る炎俊に、朱華は内心で頭を抱えた。せっかく和やかな空気が戻りつつあったのに、佳燕はまた赤面して俯いてしまった。それに──炎俊の言葉は、先日の遠見での小旅行を思い出させる。


「私、支えにされていたの……?」


 永州(えいしゅう)を遠見で覗いた時のことだ。意識と視点を彼方に飛ばしていた間、ふたりはずっと手を取り合っていたのだ。夫婦で手を繋いでの散策のよう、だなんて──甘いことを考えていたのに。今の言い方だと、炎俊は単に支えが欲しかっただけのようだ。


「私がそなたを支えていたのだ。ずいぶん強く手を握っていたではないか」


 抗議を込めて軽く唇を尖らせると、炎俊は当たり前のような顔でさらりと言った。


「な──そっちから握ってきたんじゃない……!」


 「(とう)家の雪莉姫」にあるまじき、砕けた言葉遣いで皇子に噛みついてしまったことに気付いたのは、言い終わった後だった。慌てて口を押えるけれど、もう遅い。


(やっちゃった……?)


 佳燕も芳琳も、朱華の大声に目を丸くしている。怪しまれてしまったかも、と一瞬恐れたのだけれど──ふたりの妃は、顔を見合わせるとふふ、と笑い合った。


「炎俊様と雪莉様も、仲がよろしいのですね……」


 うっとりとした眼差しで見つめてくる芳琳に、あらぬ誤解をされていることに気付く。気安い言葉遣いをしても咎められないくらい、炎俊に愛されていると思われたらしい。佳燕も、微笑ましそうに目を細めてうんうんと頷いている。


「い、いいえ、芳琳様! ちょっと、ふたりで遠見をしただけで」


 羞恥に頬を染めるのは、今度は朱華の番だった。誤解を解くべく振り回した手は、でも、炎俊に掴まれてしまう。


「遠見で、我が領地の視察をしたのですよ。こうして──近づいていたほうが話しやすいですし」


 わざわざ朱華に顔を寄せた炎俊は、たぶん、実際にやってみせたほうが分かりやすい、と思っただけだ。もちろん、そんな情緒のなさは客人にはバレていない。だから、芳琳はいっそう頬を緩ませて、ほう、と熱い溜息を吐いた。


「佳燕様も雪莉様も、とてもとても羨ましいですわ……」


 どうも、芳琳にはただの惚気(のろけ)だと思われたらしい。


(誤解……していただいたままのほうが良いんでしょうけど。は、恥ずかしい……)


 炎俊の手を振り払っても、指先の熱はなかなか去ってくれなくて、朱華の頬も熱いままだ。平然とした顔をしているのは炎俊だけ、女は三人とも何かしらの理由で赤面している、おかしな席になってしまった。


 ともあれ──朱華と佳燕の寵愛のされようを見て、芳琳はますます発奮したらしい。恐らくはまた割ってしまわないように、茶器を慎重に卓に置いた後、怪力の少女は、小さな拳を固く握って炎俊に訴えた。


「私は、見ることに関わる力ではないのですが。闘神などという物騒な力でも、女の身でも、何か我が君様のお力になれないでしょうか!?」

「もちろんです」


 炎俊が躊躇うことなく頷いたのは、お世辞や気休めではない。そういうごまかしはしない奴だと、朱華はもう知っている。

 事実、炎俊はまたしても滔々と語り始めた。


「闘神の力は、何も戦いのためだけに使うものではないのですから。例えば──」


      * * *


 佳燕と芳琳は、笑顔で星黎宮を辞去した。

 お土産にいただいた菓子を食べ過ぎた分、軽い夕餉を済ませた後──朱華は、炎俊と(ねや)に寝転がっていた。呪によって遠見の視界を閉ざされている居心地の悪さ、心もとなさにも、もう慣れてきた。……内衣(したぎ)姿で、炎俊の温もりを感じることにも。


(外からも絶対見えないらしいから。内緒話にはこれが一番だから)


 自分に言い訳しながら、柔らかい寝具に眠気を誘われながら。朱華は、悪戯っぽく炎俊に笑いかけた。灯りを落とした暗闇の中、彼の顔だけがほんのりと白く浮かび上がって見える。


「ほかの宮のお妃たちに分かってもらえて、良かったわね。私のお陰よ?」

「うん。そなたには感謝しているが……」


 炎俊の声に、戸惑うような響きが聞こえて、朱華は半身を起こした。


「何よ。文句でもあるの?」

「いや。義姉上がたは、力を使って何かすることを蔑んでいらっしゃると思っていた。これまで私が何を説いても、耳を傾けてくださらなかった──興味を持ってくださらなかったのに。朱華。そなた、どんな術を使った?」


 炎俊は真剣に疑問に思い、悩んでいるらしい。闇の中に煌めく彼の目は、驚くほど──というか呆れるほど真っ直ぐだった。


「いや……好きな人の役に立ちたいって、普通の感情でしょう?」

「では、そなたは私を好きなのか? とても、役に立ってくれている」


 言いながら、炎俊も身体を起こした。朱華を抱き寄せたのは、暗い中ではどこに顔があるかよく分からないから、目を合わせて話すためだけだろう。こいつに人並みの欲がないのは、これまで毎晩のようにぐっすり安眠することができていることからも明らかだ。


 でも、だからといって、逞しくしなやかな身体を間近に感じて、動揺しないわけにはいかない。


「ど、どうだろう……目的のため、自由になるためっていうのも、大きいけど」


 鼓動が早まり、呼吸が乱れているのを悟られるのは、恥ずかしかった。精いっぱい、口では強がってみたのだけれど──やはりというか何というか、炎俊は朱華の動揺なんて気付いた様子もなかった。


「兄上がたにも、諸侯や高官にも私を好いてもらいたいものだ。そうすれば、色々と上手くいくのではないか?」


 しみじみと的はずれなことを言われて、朱華は思わず脱力した。そうして、自分の体重で炎俊を押し倒す。


「朱華?」

「あんたはまず、情緒の勉強が必要そうね……」


 苦笑しながら、朱華はぽんぽんと炎俊の頭を撫で、解いた髪を指で梳いた。まるで、子供の寝かしつけをしているような気分だった。

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