仲間外れの妃
朱華の発言に、凰琴の細い眉が不穏な角度に吊り上がった。
「どうでも良い、ですって……? 雪莉様、今、そう仰ったの?」
「ええ、まあ……」
おっとりと美しい笑みとは裏腹に、凰琴の目つきは険しく、朱華を貫くようだった。その眼差しを受けたわけでもない佳燕が、小さく悲鳴を上げて震え出すほどの迫力だったけれど──朱華は首を傾げて受け流すだけだ。
「天遊林に入ったばかりのころは、どうでも良い芸のようなことをするのも致し方ないと思っていましたわ。皇子様がたに、力があるのを証明するためには。でも──」
凰琴の目は、すぐに撤回して謝れ、と言っている気がする。でも、朱華にはそんな必要があるとは思えなかった。
「こうして妃になったからには、もっと有意義な力の使い方をするものだと思っていましたのに」
お茶を飲んでお菓子を食べて、探り合いながらおしゃべりをする──これでは、妃に選ばれようと躍起になっている、炎俊が言うところの雑草の女たちとさほど変わらない。
(力が弱くたって……旦那様がそれで良いなら、良いんじゃないの?)
時見なのに明日の天気も分からない、と評された佳燕を横目で窺えば、今にも倒れそうな真っ青な顔で朱華を見つめているようだ。凰琴に逆らった彼女を心配してくれているなら、優しい方だ。
その優しさは、二、三日後の天気が分かることよりもずっと素晴らしい美点だろうに。佳燕の夫君である翰鷹皇子とかいう御方も、そこに惹かれたのかもしれないのに。
割とはっきりと喧嘩を売ったつもりだった。事実、居並ぶ妃の中には明らかに顔を真っ赤にしている者もいる。
でも、凰琴はなぜか余裕を取り戻しているように見えた。艶やかに弧を描く唇も、朱華を哀れむ気配さえ漂わせている。
「雪莉様。もう、炎俊様に毒されてしまったようね。お気の毒に」
「毒……?」
炎俊は、仮にも皇子で、朱華の夫だ。それを毒呼ばわりされて、朱華はさすがに眉を顰めた。
お気の毒、というのは──まあ、秘密をネタに脅された点についてはそうかもしれないけれど、自由を勝ち取るための取引と考えればそう悪くない。第一、凰琴はそんなことを知らないのに。
「あの方は、尊い家柄の私たちを、卑しい平民のように働かせようとしていらっしゃる。見目良い貴公子だから、見初めていただいたからと尽くすのは、みっともないと思いませんの?」
何も知らないくせに、やけに上から目線で自信たっぷりに断言してくるのが気に入らなくて、朱華は即座に答える。
「ええ、まったく思いませんが?」
凰琴の言い分は、働きたくないから炎俊を認めない、と言っているようにしか聞こえなかった。働かざる者食うべからず、が身に染みついている庶民にとっては、まったくもって理解できない。
(私にとっては、お妃業のほうがこき使われてるんだからね?)
生きるために遠見の力を利用するのは、これまでずっとしてきたこと。皇子のため、帝位争いのためということで多少、規模は大きくなるのかもしれないし、脅されることについては不満もあるけれど──働くこと自体は、決して嫌ではないのだ。
「我が君様が私に求めることがあって、お応えできるのでしたら嬉しく光栄なことですわ」
炎俊は、一部の皇族や貴族は国への奉仕を押し付けられる、とも言っていた。この場の女たちの夫もそうなのだろう。旦那様を働かせておいて、新参者や気が弱い方をねちねちといびるなんて、良いご身分だと思う。
「……皆様は違いますの?」
それは、挑発が半分、誰かしらは違わないと言って欲しいという期待が半分の問いかけだった。といっても、きっと期待が叶うことはないのだろうと思ってもいた。でも──
「わ、私──」
離れた責から、細い声が上がった。鈴を振るような可憐な声の主は、朱華よりもいくつか年下に見える少女だった。高く結い上げた髪に挿した花飾りが重たげで、細い首が折れそうに見えるほどだった。
(えっと。あの辺の席は、辰緋宮の方々だっけ……?)
一度にたくさんの大姐たちに引き合わされたから、まだ顔と名前が一致しないのだけれど。思わぬ援軍──なのか何なのか──に朱華が戸惑う間に、その少女は、必死の表情で頬を染めながら口を開いた。
「私も、我が君様のお役に立ちたいですわ! あの、できることなら……!」
そして。
ぱりん、という澄んだ音が響いた。少女が手の中に握りしめていた青磁の茶器が、砕け散ったのだ。
(え? あの細い子が? 力が入ったにしても……?)
朱華は、思わず手元の茶器に触れてみた。それは、薄いし繊細なものではあるのだろうけれど。女が多少、力を込めたくらいであっさり割れるものとは思えない。
「お、凰琴様……あの、申し訳……」
お呼ばれ先の茶器を粉砕した少女は、青褪めて震えている。零れて卓を濡らした茶を拭くべく、侍女が駆けつけて慌ただしい中、凰琴は深々と溜息を吐いた。
「芳琳様は、まず力を上手く扱えるようになりませんとね。お怪我はない?」
「は、はい……」
強く咎めたわけでもないけれど嫌味ったらしい凰琴のお陰で、朱華は少女の名を知ることができた。同時に、昊耀の国が天から賜ったという力のひとつを思い出す。
(《闘神》──女の子でも、こんな怪力になるんだ……!)
この力で剣や弓を振るえばそれは強いだろうな、と思うと同時に、お茶会で披露するには向かない力だということも分かる。芳琳という少女は、ここまでほとんど発言していなかったと思うけれど、つまりはその力ゆえに肩身の狭い思いをしていたのかもしれない。
「も、申し訳ございません、凰琴様……!」
「私たちからも、よく言って聞かせますから──」
芳琳の左右に座っていたのは、同じ宮の先輩妃たちなのだろう。朱華と違って素直に、そして大仰に謝った彼女たちを見て、凰琴は満足したようだった。
「まったく……。当代は、皇子様がたも妃のほうも、分を弁えずに心得違いをなさった方が多いようね。碧羅宮の第一の妃として、目が行き届かないのを恥ずかしく思います」
豪奢な椅子の背もたれに身体を預けて、わざとらしく溜息を吐く凰琴に、周囲の女たちはすかさず求められた言葉を返す。初めから台本を渡されていたかのような息の合いようだった。
「そのような──」
「凰琴様のせいではございませんわ」
では、誰のせいだというのか──朱華に向けられた、妃たちの非難がましい面持ちを見れば、あえて聞かずとも明らかだった。
(恥じ入るとしたら、ほかのとこについて、なんじゃないの……?)
格下の妃に嫌味を言って委縮させて、取り巻きに機嫌を取らせるなんて。そもそも、炎俊を裏切るように仄めかしたことも──それはまあ、はっきりと言ったわけではない、で言い逃れできるかもしれないけれど。
「何だかおかしな雰囲気になってしまったわね。今日はお開きにしましょうか」
朱華としては、まだまだ言いたいこともあったのだけれど。女主人の凰琴が軽く手を叩いておしまい、の合図をしたのに、わざわざ逆らうこともないだろう。それに──
「佳燕様、芳琳様。……雪莉様も。また、ゆっくりとお話したいわね?」
凰琴は、一度決めた標的を逃すつもりはないようだから。名指しされたほかのふたりが震え上がるのを余所に、朱華は笑顔で拱手の礼で応えた。
「ええ、大姐。楽しみにしておりますわ」
* * *
妃たちを乗せた轎子が、宦官に担がれて碧羅宮を後にしていく。
やたらと派手でかさばる轎子は、一度に何台も通れるものではないから、新参者の朱華は宮殿の前庭で順番待ちで時間を持て余すことになった。
(さすがに、あの後だと話しかけてくれる人はいないわね……)
同じく後回しにされているらしい妃たちは、仲が良い者同士で固まっておしゃべりをしている。ちらちらと視線を感じることからして、きっと朱華を話題にしているのだろう。でも、彼女が見ているのに気付くと、皆、素早く視線を逸らす。
仕方のないこととは思いつつ、少々寂しく思っていると──
「あの、雪莉様……」
「え? あ、はい!」
不意に呼びかけられて、朱華は慌てて振り向いた。聞き直したのは、偽の名が自分を指していると認識するのに一拍の間が空いたから。それに、その声がか細くて危うく聞き逃すところだったからだ。
茶会であれだけ悪目立ちした、朱華に話しかけてきたのは──
「えっと──佳燕様と、芳琳様?」
同じく宮の女主人に睨まれていた、ふたりの妃だった。