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第三十九話 勇気と覚悟と大義と

胸を刻み付けるような悲しみ、突き上げてくるような怒り、耐えられない嫌悪。僕は今までにない物凄い感情の渦に巻き込まれていた。ルチアの父、イゴル・リクストが許せなかったし、ほんのちょっとの勇気さえ出せなかった自分にもいらだっていた。


ルチアが居なくなったロス感も半端ない。僕も悪いんだろうけど世界はもっと悪いと思えた。世界を完全なものにしなくてはならない。


僕に出来るのだろうか。いや、その前にこの洞窟から出ないといけない。ほんのちょっとの勇気さえ出せないこの僕にその一歩を踏み出せられるのだろうか。いざとなったらまた何も出来ないんじゃないのか。洞窟を出たとしても洞窟にまた戻って来るなんてこともあり得る。けど、もし、僕がルチアの父、イゴル・リクストにルチアを傷つけた代償を払わせたとしたならば。


何気に思ったその考えに、僕は喜びに似た、ふわっと浮き立った気分になった。まさにそれですべてを解決できる。ロス感も、僕自身やイゴル・リクストへの怒りも嫌悪感も。


何より、僕はこの洞窟を出て行かざるを得なくなる。しかも、二度と戻って来れない。もちろん、それをやるには勇気は必要だ。


でも、ほんのちょっぴりの勇気でさえない僕がその一歩を踏み出せるのか。大丈夫、僕には大義名分がある。ヘルトラウザがいつも言っていたパーフェクトワールド。


勇気なんていらない。生まれ変わった世界に居てはならない人が目の前にいる。イゴル・リクスト。やつにそこにいる資格はない。僕がやろうとしていることは今の僕に出来得る最初の世直し。


重要なのは覚悟を示せるかだ。これをやれば後戻り出来なくなる。それだけのことをやろうとしているんだ。ダンジョンの最深部に到達するまで絶対に歩みは止められない。


「捩じ切れ草」


やってやるさ、やってみせる。いずれはこの洞窟から出なくてはならないんだ。鉄格子にツタが絡みついてギリギリと締め上げる。みるみるうちに変形し、小さい玉にまとめられた。僕は洞窟から一歩を踏み出す。太陽の光が目に染みる。頬がじりじりと痛い。


「鼓草」


種子が付いた球状の綿毛が僕の周りに無数に展開されたかと思うと上空に舞い上がる。イゴル・リクストの狩場は森の西だとルチアに聞いた。“鼓草”は探知魔法だ。必ずやイゴル・リクストの居場所を教えてくれる。


頭の中に送られてくるビジョン。そこにイゴル・リクストの姿があった。杖を突き、もう一方の手には酒瓶がある。二匹の犬と一緒に森の中をギッタンバッコン歩きながら酒を煽っている。


やがて大きな岩の所で立ち止まると二匹の犬を放った。犬は狂ったように森を駆けていく。イゴル・リクスト自身は岩の上に上がる。酒瓶を傍らに弓を構えた。


森の中は犬の鳴き声で騒がしい。シカやイノシシなんかを追い立てようとしているんだろう。まず犬を処理することにする。僕は、イゴル・リクストのいる岩と犬たちの間で待ち構える。すぐに犬二匹はやってきた。犬は僕を警戒したのか立ち止まり、喉を鳴らす。


「裏見草」


つる植物が地面の至る所から芽を出したかと思うとあっという間に二匹の犬を絡みとっていく。 “裏見草”は触れたものを麻痺させる。二匹の犬はもう何もできない。僕はイゴル・リクストのもとに向かった。


犬の声が聞こえなくなってイゴル・リクストは少し様子が変だと思っていたのか、岩の上に突っ立っていた。やつから見れば僕は十二歳の小太りなガキだ。僕の姿を見てほっとしたのか強張った表情が解け、顔をしかめる。


「は? お前、誰」


と言いつつもイゴル・リクストは僕の答えを待たずして矢を射かけて来た。しかも、それには魔法が付与されている。宙を走る矢を中心に真空波が発生していた。僕はそれを回避すると木の陰に隠れる。二撃目が来た。


結構太い幹を選んで身を隠したつもりだった。木は大きな穴を穿たれ、ミシミシと音を立てて倒れる。


「やりすぎちまったかな」


イゴル・リクストは滑るようにして岩から降りて来て、自らが穿った株に近付いて行く。


「影も形もなくなっちまった。ま、いいか。どうせリドルんとこの悪ガキの手先か、ロウの息子の連れあたりか。リドルの悪ガキは今度こそ痛い目にあわせてやる。ロウの息子はこの前、片目をつぶしてやったのにまだ飽き足らないとみえる。しょうがない。残った方もつぶしてやるか。ルチアに二度と色目を使えないようにしてやる」


僕はイゴル・リクストの背後からその杖を足で払った。イゴル・リクストは不意を突かれて、とととっとバランスを崩し、倒れる。地面で、は?って顔をしたかと思うと腰に差してる短剣を掴もうとした。


けど、無理。僕はイゴル・リクストの右手を踏んだ。イゴル・リクストは、え?ってなった。それからほんのちょっとの間、僕とイゴル・リクストの視線がぶつかり合う。やがてイゴル・リクストの視線は僕の手に移った。


僕は手に太い棒っきれを持っていた。僕が何をしようとしているのかイゴル・リクストは分かったようだ。今にも嚙みつきそうな形相、目には憎悪の青白い炎が燃え上がっていた。物凄い力を出して右手を動かそうとしている。


けど、無駄。僕の脚力の方が上だし、なんなら腕っぷしにも自信がある。その顔面に渾身の一撃を放つ。鈍い音と共に血飛沫が上がった。


胸をすく想いも、達成感も、まるでなかった。その一方で、微塵の罪悪感も湧いてこない。ただ、この醜悪な汚れ物をこのままにはしておけなかった。イゴル・リクストはというと二、三度ピクついてこと切れる。僕は握っていた棒をけだるくその上に捨てた。


イゴル・リクストを“奈落底なし沼”で地中深くへ送ると洞窟へ急ぐ。洞窟にヘルトラウザの姿はなかった。ヘルトラウザを何度も呼ぶ。洞窟を出るんだ、と何度も呼びかける。ヘルトラウザは答えない。きっと姿を消して僕の様子をうかがっているんだ。けどなんで。洞窟から旅立つのを望んでいたんじゃないのか。


旅立つのを手伝ってくれてもいいものを。どうせ僕が本気じゃないと思っている。と、まぁ、ブチブチこぼしはするけど、今はそんなどころではない。必要な物、大事な物をバックパックに詰めていく。


全部入れ終わって、さぁ行こうってなって、ヘルトラウザが姿を現した。


「やっぱりいた。なんで手伝ってくれないの」


ヘルトラウザは無言で近付いて来ると僕の前にひざまずく。僕の頬を両の手で包み込むと幾つもある目で僕を見つめる。


「ヘルトラウザ。今すぐに洞窟を出る。僕ら二人でダンジョンに潜り、“知恵の果実”を手に入れるんだ」


ヘルトラウザのどの目の色も喜びに満ちていた。僕はぐっと抱きしめられる。


「ああ、私のかわいい坊や」


焦ってはいたけど、ヘルトラウザがそうしたいのなら好きにさせておこうとしばらくの間そのままでいた。やがてヘルトラウザの胸から離される。ヘルトラウザはまた僕の頬をその手で包むように触れると、じぃっと僕の顔を見た。その瞳がなぜか涙で濡れているような気がした。


「私のかわいい坊や。よぉく聞いて。私はあなたと一緒に行けないの。私の役目は終わり。さようなら、私のかわいい坊や。私はここでお別れ。あなたは私の誇り。選ばれし者があなたであって良かったと心から思う。私はあなたに出会えてほんとうによかった」


ヘルトラウザは光の粒子へと変わっていったかと思うと輝きとともに拡散し、消えていった。初めは何が何だか分らなかった。そこにポツンと真っ黒な魔石が残されたのを見て、何が起こったかやっと分かった。僕はただ、声を上げて泣くばかりだった。





バックパックの中身も大事だったけど、僕にとって本当に大事なのはヘルトラウザの魔石だけだ。ヘルトラウザの魔石を使えば“アイテムボックス”という便利な魔法も使えたけど、それじゃぁ意味がない。バックパックの中身は“アイテムボックス”に入れられるとしてもヘルトラウザの魔石は結局そこに入れられないんだ。


シャツのポケットか、バックパックに入れることになる。シャツのポケットは不安だ。落としかねないし、それこそ盗まれてしまう。安心なのはやはりバックパックだ。秘密のポケットを造った。メインコンパートメントに入った大量の物資もその存在を隠してくれるはず。


無くなるはずがないんだ。記憶を確かめる。ルチアのあとを追うのにヘルトラウザの魔石を使った。ただ単純に、ルチアに気を取られ過ぎて別のポケットに入れただけなのかもしれない。


ポケットというポケットをひっくり返す。ヘルトラウザの魔石はない。もしかしたらメインコンパートメントの方に仕舞ったのかもしれないと中身を全部出す。過去冒険で得た魔石は全部あった。けど、ヘルトラウザの魔石だけない。


道に落としたって可能性はないか。歩いて来た道のりを思い出してみる。ただ普通に歩いてホテルにやって来た。つまずいたりとかどこかにぶつかったりとか、落とす要素は全くない。いや、ダンジョン探索でも落とさないためのバックパックではなかったのか。


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