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第三十八話 星の銀貨

僕らの洞窟は思いの外、広範囲に広がっていた。僕らはダンジョン探索の訓練のために奥深くまで進んだ。ヘルトラウザのアイテムボックスは便利だったけどその時ばかりは使わない。


少しの間とはいえ寝床を離れるんだ。盗まれたりでもすれば目も当てられない。大事な本や玩具、もちろん食料を詰めるのに僕は小さい頃から大きなバックパックを愛用していた。


洞窟のずっと奥に池があった。地下とは思えない広い空間で、天井にぽっかり穴が開いていた。日が天中に上がるとそこから日が差す。池の水はまったく濁りがない。奥底まで光が通った。キラキラ輝いて、本で見たクリスタルの柱のようだった。雨の日は天井が滝に変わる。洞窟の雰囲気はおごそかで眺めていると心引き締まるようだった。


僕らはこの池があるスペースで魔法の訓練や模擬戦もした。実戦さながらの中で僕は特に魔石の扱いが巧みだった。自分の属性の魔法を使うより、魔石を通して魔法を発動する方がしっくりくる。本来なら逆だとヘルトラウザは言っていた。


良く使う魔石に愛着を持ち、その魔石の主だった魔物をイメージする。いつしか魔石から声を聞いたような気がした。それをずっと心にしまい続けていた僕は閃きのままに試してみる。


「迫真! スキル躍動!」


魔石の魔物のスキルを再現した瞬間だった。僕独自のスキル。僕は七歳。正真正銘、あなたは選ばれし者となったとヘルトラウザはすごく喜んでくれた。


「力ある者はそれに見合った義務を背負わなければならない」


以来、ヘルトラウザはことあるごとにこの言葉を口にした。人が狂暴になるのは心が満たされていないため。それは世界に欠陥があるからだという。一番肝心な部分が失われている。神の不在。


ダンジョンの奥底で神は深い眠りについているという。神が再び世界の一部になるには選ばれし者がそこに行かなくてはならない。神の目覚めた世界、そこはまだ見ぬ完全な世界。人や魔物や動植物、すべての生き物が救われるパーフェクトワールド。


僕はやり遂げなければならなかった。それにはまず、試練の部屋で“知恵の果実”を手に入れなければならない。選ばれし者にしか許されない試練だった。


ルチア・リクストと初めて会ったのは僕がスキルに目覚める一年前、六歳になる頃だった。世界は凶暴な人たちばかりだと思っていた一方で、心優しい穏やかな人もいるってことを僕はルチアから教えてもらっていた。ヘルトラウザのいう、世界は完全じゃないっていうのはそのことからも間違いではないと確信していた。


「洞窟の悪魔くーん、いますかー。私はルチア・リクストです」


忘れもしない。ルチア・リクストは初めて洞窟に来た時、鉄格子の前で挨拶をした。人の姿なんて滅多に見なかったし、どうやら声の主は女の子のよう。しかも夜。僕はヘルトラウザに許可を得ると出口へ向かう。鉄格子の向こうに月光に照らされた少女の姿があった。見つからないよう岩の影を縫うように少女に近付く。


ルチア・リクストはここに来た理由を話してた。お母さんを思い出してしまい、眠れなくなったらしい。お母さんが絵本の読み聞かせをしてくれていたように、自分も読み聞かせがしたくなってここに来たって言っていた。


ここじゃ夜中に声を出しても誰も文句を言わない。ルチアは絵本を声に出して読み始めた。題名は『星の銀貨』。たまに嗚咽が混じった。


お母さんは昨年亡くなったそうだ。お父さんと二人で暮らしている。お父さんの名はイゴル・リクスト。元冒険者で現在は狩人をしているという。


あの時ルチアの寂しそうな姿を見、本当は絵本の読み聞かせをしに来たんじゃないと僕は思ったものだ。ここならお母さんに会えるかもしれないとルチアは考えて来た。何たって僕は悪霊か悪魔だ。僕に会って頼めば冥界からお母さんを連れて来てくれるとか思ったんじゃないのかな。僕がルチアの前に出れなかった理由の一つでもある。


それ以降、ここにやって来ては村でのいろんな出来事を話してくれた。僕が姿を隠したままなのでしゃべり易かったっていうのもある。今でも忘れられないのは靴職人の話だ。ルチアがどういう理由かふさぎ込んでいる所へ近くの靴の職人さんが現れ、こう言ったそうだ。


「村の全員が褒めてくれる靴をわしが作ったとして、ルチアがそれを履いて、ちょっといたい、へんかもと思ったら我慢する必要はない。その靴がルチアに合ってなければ意味がないんだ。ルチアは自分に無理せずほかの靴を履けばいい」


雨の日は大嫌いだった。ルチアが来ないんだ。僕は何かといえば鉄格子越しに空を見上げていた。どちらともつかない曇りの日はドキドキしたもんだ。なんなら星が降り注ぐようなら最高だ。僕はルチアが森から現れるのを鉄格子にへばり付くように待った。


満天の星の下、森を抜けたルチアが洞窟の前までやって来る。僕はというと岩の影で息を潜ませる。そんな日々が何年も続いた。僕とルチアが十二歳になった頃だった。その日、満ち足りた日々は終わりを告げた。


かれこれ五日、ルチアは鉄格子の前で一言も発せず、ふさぎ込んでいた。『星の銀貨』の絵本を胸にしまい、膝を抱えてる。しかも五日の内一日は雨。こんなことは今までなかった。何か悩みか心配事かがあるのは明らかだった。


日が昇ろうとしていた頃、とぼとぼとルチアが帰って行くのを鉄格子越しに見守っていた。そこにヘルトラウザがやって来た。


「ルチアは大人になったようね」


ヘルトラウザはルチアの体調の変化を感じていたらしい。熱っぽいようだし、肌も荒れている。ここ最近の体の変化も著しい。身長も急激に伸びたし、胸のふくらみも目に見えて分かったという。僕は人間社会で生きていくためにヘルトラウザから性教育も受けている。ヘルトラウザが言っている意味はよく分かった。


「ねぇ、ヘルトラウザ。大人になるってそんなに嫌なことなの?」


「さぁ? それは私よりあなたの胸の内に聞いた方がいい」


いつかこの洞窟を出なくてはならないことは分かってる。ヘルトラウザに痛い所をつかれ、はぁーっとため息をつく。ルチアはというと森の中に消えて行く。


次の日のことだった。いつもと変わらず月光に照らされた森は静まり返っている。僕は鉄格子に塞がれた入り口の隅でルチアを待った。何がルチアをそこまで悩ませているのか知りたかった。


今日こそは姿を見せてもいいと思ってた。ほんのちょっぴり勇気を出せばいい。ルチアに元気を取り戻してほしかった。話し相手ぐらいにはなれるかもと嘘偽りなくその時は考えていた。


森からルチアが現れた。僕は自分の緊張を解きほどこうと、はぁーと息を吐き、腹に力を入れる。ほんのちょっぴりの勇気でいいと自分に言い聞かす。


ここ五日間のルチアはまるでしぼんたように力なく洞窟へ向かって来ていた。今日のルチアの様子はなんだかおかしい。みるみるうちに近付いて来る。え?っと思った。もの凄い勢いでバンッと鉄格子に張り付いたかと思うと荒い息遣いで鉄格子をバンバン叩く。


「入れて! 中に入れて! お願い! 洞窟の中の悪魔くん! 今すぐ中に入れて!」


僕は反射的に鉄格子から離れ、岩の影に身を隠していた。心臓がバクバクしている。詰まった呼吸を、固唾をのんでなんとか整え、岩の影から覗く。ルチアの後ろに男が立っていた。


男は杖を突いていた。空いている方の手でルチアを抱きかかえる。ルチアは、やめて、やめて、と鉄格子から手を離さない。男の体が鉄格子とルチアの間に割って入ったかと思うとルチアは鉄格子から引きはがされる。いつの間にか男の肩にひょいっと担ぎ上げられていた。


「やめてお父さん! 私はルチア! あなたの娘! 私はお母さんじゃない!」


ルチアは泣き叫びながら男の背中をバンバン叩く。足で男の腹をバンバン蹴る。そんなルチアの必死の抵抗も男には全く通じなかった。男はというと声も発することなくただ淡々と肩で暴れるルチアを連れていく。足を引き摺り、杖を突き、やがて森の中、深い闇に姿を消す。


耳にはまだルチアの叫び声が残っていた。僕は必死にそれを振り払おうとした。洞窟の岩の影で小さく丸くなり、耳を強く押さえる。目をぎゅっとつぶるとルチアが連れさる男の姿がまぶたに焼き付いていた。


油を差したようにギラギラと暗闇に放つ眼光。その一方でただ淡々と、泣き叫ぶルチアを無言で連れていく。愛情の欠片も見当たらないどころかやつの胸中に渦巻くのは醜悪でどす黒い感情。あれじゃぁどう見たって娘と父の確執って感じじゃない。やつはよからぬことを考えている。


ルチアは毎晩ここに避難しに来てた。


その考えがぞわっと鳥肌を立たせる。大勢の人が狂って殴り合うのや、面白半分に矢を射かけてくるのは見たけどあれとは全く違う。欲望といった類の、人間の本質的な部分での恐ろしさだったと思う。


朝の光りが洞窟の中に差し込んで、僕はようやく立ち上がることが出来た。洞窟の奥、ヘルトラウザの下に帰らなければならない。何気に洞窟の外を見ると森からやって来るルチアの姿があった。絵本は手に無く、ふらふらとまるで宙に浮いているようにやってくると濡れたタオルのごとくデロリと鉄格子に体を預け、ズルズルと座る。それから全く動かない。


物凄いショックを受けている。僕はというともうルチアに声を掛けるなんてことはできない。僕にルチアを助けるチャンスはいくらでもあった。あんな冒険者崩れ、僕の敵ではない。


でも、ダメだった。魔物は怖くなかったけど、僕は人の中に潜む負の感情が怖かった。どうしても打ち勝つことが出来ない。やがてルチアが立ち上がった。鉄格子を引き摺るように身を起こす。


「ごめんね、私なんかの話、ずっと聞いてくれていて。でも、今日でお別れ。私は私のことを誰も知らないどこか遠くに行ってお母さんのようなりっぱな冒険者になるの。さようなら、洞窟の中の悪魔くん。ありがとう」


とぼとぼと歩き出す。振り向きもせず、来た道を進む。見守る僕の目に涙があふれだした。僕こそ、ルチアにありがとうと言いたい。僕こそ、ルチアに謝らなければならない。けど、僕はそんなことさえ出来ない。


「どうかお願いだ。ルチアに星の銀貨が降り注ぐように」


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